第12話 王国最強の武人
「……え?」
どよめく室内に、才霞の呆けた声が響いた。
翔理が半歩前に出て、将軍に詰問する。
「ど、どういうことですか、将軍。一月目では、是と……」
「うむ。今回は、否である」
「なぜ……」
将軍の様子から見て、才霞たちに反感があって否を選んだわけではない。その立場上、政的な干渉に左右されていることもないだろう。己が政治的信念に従ってであれば、初月から否と答えていたはずだ。
だとしたらなおのこと、何故。
とりとめのない疑問が、才霞と翔理の脳内を駆け巡る。
しかしそんな二人に、やはり将軍は「うむ」と頷くだけだった。
「理由はある。しかしそれは、今、語るべきことではない」
将軍が背の大剣を、すらりと鞘から引き抜き、構えた。
「剣を取れ、翔理」
重力が重くのしかかる。そんなプレッシャーに、翔理がぐっと怯むのが分かった。
逡巡。けれどそれも一瞬。
翔理は左手を刀に添え、一歩前に踏み出す。
「……姫様?」
その服の裾を、才霞が掴んで居た。
怪訝な顔で振り返る翔理。しかし、俯く才霞から返事はない。長い銀灰の髪が顔を覆い隠していて、その表情を窺うこともできない。
ただ真っ直ぐに手を伸ばして、翔理を引き留めて。
「姫……姫様!」
何度目かの呼び声に、才霞はハッと我に返った。
「あ……その……」
こちらを見つめてくる翔理を見返す。その瞳が否応なく揺れ、指先で服を掴む手がカタカタと震える。
どうして。どうして。どうして才霞はこんなにも動揺しているのか。
分からない。けど――
「……降りましょう、翔理」
気付けば才霞は、そう口にしていた。
瞬間、
「本気で言ってるのか」
膨れ上がった怒気に、才霞はびくりと肩を跳ねさせた。
咄嗟に翔理から手を放し、半歩後退る。
それでも震える唇で、なんとか言葉を絞り出した。
「だって相手は、あの将軍よ。いくらあなたでも――」
「勝ち目はないと?」
暗にそうであると。自分の言葉はそんな意味を含んでいたことに気付き、才霞は口を噤む。
翔理が踵を返す。一つに束ねられた艶やかな黒髪が、宙に翻る。
「翔理っ!」
「止めたければ命じれば良い。俺の主は――姫様は、あなたなんですから」
とってつけたような敬語。それは才霞を彩華にする魔法。
翔理にとって才霞は所詮、彩華の代わりだ。
でも、それでよかった。
才霞は彩華として、彩華を見殺しにしたこの国に復讐すると決めたのだ。
だから――
才霞は言葉を飲み込んだ。
昔よりずっと大きくなった翔理の背が遠ざかっていくのを、ただただ見送った。
杜岐の命で、合札決闘は闘技場で行うことになった。
藍梨の時は一瞬で決着がつくと、また玉座の間を汚すような事態にもならないと見抜いて居たのだろう。
しかし今回は倭籐国最強の武人・雷公将軍と、その弟子で幼い時分で彩華の花守に選ばれた水無月翔理の戦いだ。到底、玉座の間で行えるような、生易しいもので澄むはずがない。場の誰もがそれを理解し、杜岐は場を移すよう指示した。
――藍梨はその事実に、一人不満を示したが。
昼餉も終えた午後、才霞は闘技場の王族専用観覧席に座っていた。
頂点を過ぎた太陽の光が、やけに眩しく感じる。才霞はぎゅっと、膝の上に置いた拳を握り締めた。
翔理の腕前を、決して信じていないわけではない。
是か否か――決闘の機会は、これから徐々に増えていくだろう。最終的には力で相手をねじ伏せる必要も出てくる。
翔理の判断は、正しい。
多分、彩華だったら、迷わず勝負を受けて立っていた。
だから、最終的に翔理を止めなかったという才霞の判断は、間違っていない。
才霞は彩華だ。彩華が考えるように、その思考を考えて動かなければいけない。
それはとうの昔に飲み込んだはずの覚悟だった。
(……なのに、どうして……)
どうしてこんなに、胸がざわつくのだろう。
ぎゅっと胸元で手を合わせる。
その下にある王華は、何も応えてはくれない――
そんな少女を杜岐は隣――少し離れて置かれた座席から、じっと見つめていた。
「懸想するのもほどほどにしてくださいね、主」
舜夜が冗談めかして苦言を呈する。豪奢な椅子に足を組み、頬杖を突いたまま、杜岐は笑み一つ浮かべず返した。
「本当、お前は躾がなってないね。それが主に対する口の利き方?」
「主が主だからですよ」
使用人が聞けば、その場に平伏して許しを請うような発言にも、舜夜は臆することなく返してくる。
――まったく、最も王に近いという主を一体何だと思っているのか。
そうも思うが、信頼の証として受け取っておくことにした。
実際、言い返してくる者がいなかったらつまらない。杜岐のその内心を分かっているから、舜夜もまたずけずけと言い返してくる。
だから杜岐は、舜夜を気に入っている。
杜岐は影一つないフィールドに視線を下ろし、それからまた、目だけで隣を見た。
自分と同じ王族専用の豪奢な椅子に腰掛ける『彩華』。彼女が杜岐の視線に気付いた様子はない。
そうやって十年もの昔に生き別れた従姉妹を眺めていると、真っ白な巨犬が、杜岐と彼女の間に割り入ってくる。
「なんだ、お前も来たのか、ハク」
いつから生きているかも分からない純白の巨大な狼は、杜岐が顎の下を撫でてやると甘えるように顔をすり寄せてくる。これでも女神の眷属――この国の神獣だというのに、こうしていると本当に、ただの大きな犬にしか見えなかった。
ハクを撫でながら、杜岐は口を開く。
「舜夜は――」
しかし言いかけて、咄嗟に口を噤んだ。
「私がどうかいたしましたか?」
杜岐と、そして『彩華』に気を配りながら舜夜が尋ねる。
「いや、なんでもないよ」
杜岐はゆるりと首を振って、フィールドに目を下ろした。ちょうど、将軍と翔理が入場するところだった。
(どう思うか、なんて)
それを見極めるのは、主たる杜岐の役目だ。
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