第11話 身代わりだから
八津山の屋敷の制圧は、一刻もかからずに終わった。
才霞が城に戻ったのは、日付が変わる間近。出迎えた杜岐は才霞と、そして智仁――弥生家の生き残りの無事に、心から安堵している様子を見せた。
それから数刻後。虫も眠る深夜――城の客間にて。
「少しは落ち着いたか」
湯浴みを終えた才霞が寝間着に着替えてくるのを待って、ソファに座る翔理がそう訪ねた。
才霞はこくんと頷く。
広々とした部屋には、才霞と翔理しかいない。護衛の兵士も、着替えを手伝う侍女も。身の回りのことは最低限自分でできるし、護衛は翔理がいる。必要ないと、入城の時に断ったのだ。
そうかと呟いて、翔理が伸びをする。小さな欠伸が零れた。
疲れているんだろうな、と才霞は思った。
八津山の屋敷から無事に戻り、身なりを整えたため、戦いの痕跡はどこにも見られない。けれど普段より少しだけ重たそうな一挙手一投足に、疲労の色を感じる。
何より翔理は普段から花守として、才霞が起きてから眠るまで、ずっと傍で気を張っている。眠るのも才霞より遅ければ、起きるのも才霞より早い。いくら彩華の花守として昔から鍛えていたといっても、その身体は人間だ。
「……もう休むか?」
「……えぇ」
「そうか。じゃあ俺ももう下がる」
そう言って翔理は腰を上げた。
「出入り口にはいつも通り兵が立っているから、安心して休め」
その言葉に、再びこくんと頷いて。
「……何かあったら、呼んで構わないから」
翔理はまるで妹にでも言い聞かせるように言って、部屋を立ち去ろうとする。
「ねぇ、翔理。ちょっとゲーム、しない?」
その手が観音扉に手を掛ける前に、才霞は翔理を呼び止めた。
「……今から?」
「目が冴えちゃって、眠れそうになくて」
怪訝そうに、翔理が振り返る。
半分嘘で、半分は本当だった。
今夜の騒動で目が冴えてしまったのは本当だ。けれど湯浴みをして緊張の糸が切れたのか、身体は鉛のように重く、意識は今にも沈んでしまいそうなほどに眠たい。
けれどなんだか寝たくなかった。
才霞はサイドチェストに置いてあった自身のポーチから、手の平に収まるほどの箱を取り出すと、天蓋付きのベッドに身体を乗せた。ふかふかとした上掛けの上に、箱から取り出した札を並べ始めた。
――花札。
角が折れ、ところどころには食べ物のシミ。手垢で汚れたその札たちに、翔理が眉根を寄せる。その間にも、才霞は布団の上に着々と札を並べていった。
「明日も早いんだ。早く寝た方がいい」
「三月戦でいいかしら」
諦める様子など微塵もない。そんな才霞に――ややあって翔理は小さな嘆息を零し、仕方ないとばかりにベッドに腰掛けた。
「三月だけだからな。先行は譲る」
翔理の重みで、ベッドが軋む。
「昔はよく、彩華と勝負したわね」
「……そうだな」
パチ、パチと。札を打ち合わせる音が、広すぎる部屋に響く。
「……結局、彩華の勝ち越しで終わっちゃったわね。わたしも、あなたも」
翔理は、応えなかった。脳裏には、彩華との勝負が思い出されているのだろうか。
四十八枚の札を使って行う、手軽だけれど奥深いこの遊びを、彩華は好んで行った。
才霞と彩華、そして翔理。子供が三人、廃棄区のボロ小屋での慎ましやかな生活は、順風満帆とはほど遠かった。食べ物は常に足りなくて、時には飲み水にすら困ることもあった。
喧嘩をした数は、覚えていない。些細なことでぶつかって、言い合いになった。
――主に彩華と翔理が。
その度に彩華は「花札で決めましょう」と、勝負を持ちかけた。そして大抵は、彩華の勝ちで終わった。
才霞はそんな彩華の好敵手になるべく、よく彩華から手ほどきを受けていた。数え切れないほど戦って、やはり大抵は、彩華の勝利だった。
そうして勝ち越したまま、彩華は死んだ。
才霞と翔理は通算で、ついぞ彩華に勝てなかった。
「……わたし、彩華になれているかしら」
一月目が終わり、二月目が終わり、三月目に入ったところで、才霞はそんなことを言った。
頭がぼんやりとして、ぐらぐらと揺れるのを感じた。
それでも才霞は、札を場に置いた。
勝負は、まだ終わっていない。
「彩華みたいに頭も良くないし、度胸もないわ」
翔理は黙りこくったままだった。
才霞は何故だか、顔を上げることができなかった。
「彩華みたいに美人じゃないし、礼儀作法だって、なってないわ」
顔を上げれば、すぐ傍に翔理はいる。
なのにどうしても、その顔が見れない。
「ねぇ翔理」
才霞は尋ねる。ぼんやりと、夢うつつに。
「わたし、彩華の代わりに、なれてる?」
パチン――と。札と札が合わせられて。
――長い長い、沈黙。
「お前は、姫様じゃない」
ようやくあって、翔理は口を開く。
けれどその答えに返ってくる返事はなかった。
翔理はゆるりと顔を上げる。
そこに、座ったまま。すぅすぅと穏やかな寝息を立てて眠る、彩華によく似た少女がいた。
遊んでいる内に、寝落ちてしまったらしい。
才霞の華奢な身体がぐらりと傾いで、ぽすんと柔らかな布団の上に横たわる。翔理は嘆息して、手札を場に放り投げた。上掛けを掛けようにも、当の上掛けは才霞の身体の下。寝ていて、簡単にはどかせそうもない。
翔理は黙って上着を脱ぐと、それをそっと才霞の身体に掛けた。
久方ぶりに疲労を感じる身体を動かし、這うようにベッドから降り――ようとして、自身のシャツを引っ張る力に気付いた。
上半身だけで振り返れば、才霞が翔理の肘あたりのシャツを摘まんでいた。
軽く引っ張ってみるが、動きに合わせて才霞の身体が揺れるだけで、指が外れる気配はない。
――触れたら、起きてしまうだろうか。
そんな一抹の不安が頭をよぎって、葛藤。数秒後、翔理は諦めて才霞の隣。色とりどりの札が散らばるベッドに横たわった。
バレたら不敬罪どころじゃないな。そんなことを頭の片隅で思いながら、瞼を閉じる。
霞がかった脳裏に浮かんだ銀髪は、才霞と彩華、どちらだったのだろう。
「代わりなんていない。あんたはあんたで、姫様は姫様だ」
* * *
華遊びが再開されたのは、それから三日後の事だった。
才霞と翔理が玉座の間へ赴くと、既に十二氏族の面々は揃っていた。扉が開くと同時に、全ての視線が才霞たちに集中する。何度経験しても、この瞬間は居心地が悪い。
「姫様、お体の方はもうよろしいのですか?」
堂々と玉座の間を突っ切る才霞に、雷公将軍が気遣わしげな声を掛ける。
「えぇ。攫われたと言っても、何かされたわけではないから。智仁くんは、大丈夫かしら」
「あちらに」
将軍がそう手で示した先、定位置に座る杜岐の背後。佇む舜夜に手を繋がれた智仁が、つまらなさそうに片足をぶらぶらとさせていた。舜夜と身長差がありすぎて、舜夜は僅かに屈むように、智仁は目一杯背伸びをするようになっていて、なんだか面白い。才霞は杜岐から、智仁の身は十二氏族の長たる睦月家で預かることになったと報告を受けていた。
身を綺麗に磨かれ、しっかりと食事を与えられ、三日前よりも随分と血色のよくなった智仁は、才霞を見つけるとパッと舜夜の手を放し、駆け寄ってきた。勢いそのまま、才霞のドレスワンピースにしがみつく。才霞は思わず目を丸くした。
「はっはっは! すっかり懐かれてしまいましたな! 藍梨といい、姫様は子供の心を掴むのが上手いと見える」
「そう……かしら」
「藍梨は杜岐様一筋だもん! そんな女に浮気なんかしないもん!」
豪放磊落に笑う将軍に、舌を出してべーっと猛抗議する藍梨。杜岐が堪らずといった風に小さく噴き出した。
智仁は、会えなかった三日間を埋めるかのように、ぐりぐりと足に顔を押しつけてくる。
才霞はその場にしゃがみ込んで膝を抱えると、智仁と視線を合わせた。
「智仁くん。あのね、一つお願いがあるの。わたしは今、あそこにいる杜岐って人と勝負をしているのだけれどね」
そう言って指さした先を、智仁は素直に追う。
指さされた杜岐が、ひらりと手を振った。
智仁が視線を才霞に戻す。
「それで、智仁くんにもわたしが勝てるように協力して欲しいの」
「…………」
智仁は三日前と変わらず、黙ったままだ。医者が言うには、身体的に異常があるわけではないという。つまり精神的なもの――酷いショックを受けて、喋れなくなってしまったのだろうとのことだった。
花札は、倭藤国における国民的遊戯だ。多くの子供が物心つく頃から触れ、そのルールを自然と覚える。得に、王選定戦『華遊び』に強制参加となる十二氏族は、幼い頃から教え込まれる。
けれど三歳でその機会を奪われた智仁は、華遊びどころか花札を知らない。今すぐにルールを理解するのも難しいだろう。
だから才霞は、そういう聞き方をする。
「協力、してもらえるかな?」
その問いに。
こくんと、智仁は迷うことなく頷いた。
その首肯に合わせて、卓上の札が輝く。女神に智仁の意志が認められたのだ。
才霞は智仁の小さな頭を撫でる。
「――ありがとう。智仁くん」
その口元には、淡い笑み。
智仁は、くすぐったそうに笑い返した。
再開された華遊び、最初のめくり札は、文月の二位〈萩に短冊〉だった。
「文月の二位にて、一位を取る」
文月の一位は、雷公将軍。この札はまず安心して取れるだろう。
そう判断しての宣言だった。
しかし、その安心は裏切られる。
「うむ。否である!!」
雷のように力強い声が、玉座の間に朗々と響き渡った。
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