第6話 まずは一勝

 卯月藍梨を下し、卯月の四位〈藤のカス〉を取得した才霞は、その後めくり札にて長月の一位〈菊に盃〉を引いた。場の長月三位と合札となり、これで無事に役『タネ』の完成となる。


 タネは一点役だ。こいこい後なので倍の二点が才霞の持ち点となる。雀の涙のような点数だが、杜岐に高得点を許さなかっただけ上々だ。


 才霞はホッと息を吐いた。瞼を開けば、杜岐が残念そうにしている。


「だから言いましたのに」

「良い物が見られたんだからいいだろ?」

「……そうですね」


 呆れた様子の舜夜は、からかうような主に言葉で頷いて、ちらりと才霞の背後――翔理を見る。


 翔理の実力は、あの一瞬である程度つまびらかになってしまった。

 これからは翔理に勝てるか否か、それを判断して合札に否を唱える者も出てくるだろう。


 だがそれは、遅かれ早かれ相対さなければいけなかった問題だ。逆を言えば、翔理には勝てないと判断し、是を選ぶ者も出てくるということだ。


 才霞の翔理は、強い。


 藍梨はというと、光奈にしがみついてひたすらに翔理を睨み付けていた。


「お前なんか嫌いだっ」


 そう宣言して涙の残る顔を背ける。この先、藍梨を取る際は苦労するだろう。


 壁際の十二氏族の面々からは、翔理と、それから才霞を品定めするような視線が飛んできていた。ひそひそ囁き合う声も聞こえる。


 そう――華遊びという遊戯は、ただの札の取り合いではない。

 どれだけ味方を増やせるか。王としての支持を得られるか――それがこのゲームの本質だ。


 虚空を見て、少し考えて、


「……藍梨ちゃん」


 その末に、才霞は藍梨の元へ歩み寄った。光奈にしがみつく彼女の前にしゃがみ込み、ポーチからハンカチを取り出す。何かを包むように、丁寧に折り畳んだ四隅。その封を、才霞はそっと解いていった。藍梨はじっとその様子を見つめていた。


 現れたのは、宝石のように綺麗な、色とりどりの飴玉の数々だった。


「わあ……」


 藍梨が歓声を漏らす。目がキラキラと輝いていた。

 才霞は藍梨を見上げて言った。


「翔理が乱暴でごめんなさい。これ、良かったら貰ってくれるかしら」


 その申し出に、目を奪われていた藍梨はハッと我に返る。


「ふん! 藍梨はこんなもので買収されないもん!」


 光奈のスカートに顔を押しつける。そんな藍梨に才霞は頷いた。


「うん。だから買収じゃなくて、ごめんねってことで」


 振り返って、翔理を見る。


「わたしの花守の無礼は、主のわたしの責任だから」


 そう言えば翔理は、不愉快そうにしかめっ面をした。

 藍梨がそろそろと才霞を見る。


「……ほ、本当に貰って良いの?」

「うん。なんなら食べて」


 どうぞと差し出せば、藍梨は取るか迷って、それからどれを取るか迷って、ようやく選んだ一粒を恐る恐る口に運ぶ。その瞬間、パッと顔が華やいだ。


 涙の気配など、もうどこにもない。

 そのあまりにも素直な姿に、才霞はフッと口元を綻ばせた。


「よかったら全部貰ってくれる? 下町の美味しいお菓子屋さんのなんだけど、あんまり有名じゃなくて、色んな人に布教したいから」

「そ、そういうことなら仕方ないな! 藍梨がこれのおいしさをみんなに広めてやる!」

「ありがとう、藍梨ちゃん」


 才霞は包み直したハンカチを藍梨の手に握らせた。ふんぞり返っていた藍梨だったが、ハンカチを受け取ると呆けた表情でそれを眺め、それから両手で包んで「へへ」と擽ったそうに笑う。


 ――そんな二人の様子を、杜岐は頬杖を突いたまま、じっと見つめていた。


 鐘が鳴る。一つ鳴る。


 それは試合の終わりを告げる合図。

 神官・琉聖が宣言する。


「これにて、睦月の戦いは閉幕となります。如月は翌五月の一日、同時刻より開催いたします」


 華遊び初戦、ここに終幕。



   * * *



「――計算ですか?」


 初戦が終わり、玉座の間を後にして。

 城内を歩きながら、翔理がそう訪ねた。


「そう見えた?」

「質問に質問で返さないで下さい」


 翔理は敬語だった。歩くのも才霞の半歩後ろで、隣を歩いてはくれない。それがなんだか違和感で、ちょっと寂しい。


 でも、人目がある以上、仕方ない。


 塵一つ落ちていない、広々とした廊下。その真ん中を、才霞は堂々と歩いていく。すると擦れ違う使用人や兵士たちが、仕事の手をひとたび止めて、深々と頭を垂れる。


 才霞は彩華だ。

 王族として振る舞う以上、翔理が隣に立つことは許されない。


「……計算、かもしれないわ」


 ぽつりと才霞は言った。先程の翔理の問いに対する答えだった。


「あの子に声を掛けようと思った時、彩華彼女ならどうするかって考えてしまったから」


 才霞が彩華を演じる以上、彩華の名を口にすることすらできない。そんな彩華の言葉を、翔理は正確に読み取ってくれる。


「……結果として、彼女ならそうすると?」

「……彼女は、優しかったもの」


 彩華として城の中を歩きながら、才霞は言う。


 彩華は優しかった。

 そして賢く、計算高かった。






 それから一月が経った。


 才霞はこの一月を、のんびりと過ごした。主に図書室で読書に耽ったり、雷公将軍に十年ぶりの指南を受ける翔理の姿を見学したり。王の名代として忙しく駆け回る杜岐とは正反対の毎日だった。


 それも仕方ないことだと思う。


 彩華は廃嫡された王族だ。死んだと思っていた先王の姪が突如として現れたともなれば、王政府側としては扱いに困るのは必然。何もしないでくれ、というのが本音だろう。


 しかし、それが無為な時間であったかというと、否と才霞は答える。


 城内の空気を知るには十分だった。


『世の中は、二対六対二でできているのよ』


 彩華の言葉を脳裏で反芻する。


 社会は、色々なものがその比率で構成されているのだという。人の組織も働き蟻の世界も、自分を好いてくれる人の割合もそう。


 世の中の二割は何をしても自分に敵対する人たちだけど、別の二割は何があっても味方してくれる人たち。そして残り六割は、状況を見て立場を変える人たちだ、と。


 物知りな彩華は、かつて才霞にそう教えてくれた。


 結論から言って、今の城内に才霞たちの味方は少ない。けれど敵である人もまた、多くはなかった。


 敵でも味方でも無い。ならば味方になる可能性は、残り十一ヶ月、十分ある。






 鐘が鳴る。二つ鳴る。

 二月目〈弥生〉の勝負が始まった。


 勝負は五分五分だった。互いにめくりが弱く、合札にならない――一巡に二枚しか取れない展開が続いた。勝負が動いたのは、彩華の番だった。


「弥生の三位にて、一位〈桜に幕〉を取得」


 その宣言に、返事はない。先月と同じく、玉座の間に集まった十二氏族の面々の誰からも、応答はなかった。


 返るのは静寂のみ。

 是も否も、そこにはない。


「他の札にする気は?」


 杜岐が挑戦的に言った。


「ないわ」


 才霞は迷わず返した。翔理が、背に回した拳を握り締める気配。

 それでも才霞が、宣言を覆すことはなかった。


 桜を象徴とする、弥生家。


 彼の一族は数年前、何者かの襲撃を受け、行方知れずとなっていた。

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