第2話 病禍の未

 「それで、今ここ、どの辺りなんだ?」


 「中村公園周辺です」


 「中村公園?そんなとこまで地下街が伸びてるのか?百年経つと変わるもんだな」


 「デイ・プレイグのパンデミック以降地下開発が急速に進んだのです。人々は地上で暮らせなくなりましたから」


 「何ともはや……」


俺はあの後ショックのあまり気絶してしまった。まさか自分を救ってくれたハート型が自分をサイボーグ人面犬にした連中の仕込んだランサムウェアだっただなんて……。とんだ悪夢だ。


目が覚めてもこの悪夢は続いている。自分をこんな姿にした奴らの手先であるこのハート形のランサムウェアをどこまで信用できるかはわからないが、とりあえず、今の状況をハート形に説明してもらうことにした。頼る相手も、話す相手もコイツしかいない以上そうするしかないわけだが。


ハート形曰く、今は2145年、ここは愛知県名古屋市中村区にある中村公園地下街。30年ほど前にデイ・プレイグという疫病が蔓延。なんでもそのデイ・プレイグ、太陽の光に当たると発症するような病気らしく人々は地下空間へ生活の場を移さざるをえなかった。因みに俺は100年前の人間だが、目覚める前に保菌者と接触してしまったらしく既にうつってしまったらしい。何ともはや……。


それで、俺がこんな体になっている理由だが。俺をこんな体にしたのはとある反社会的組織で、これは奴らの手口らしい。そこまでははっきりしているのだが、俺が地下空間へ遺棄された理由までは流石のランサムウェアもわかりかねるらしく。ヤツの記憶も地底湖へ通じる水路へ遺棄された俺を助けるところから始まってるそうで、それ以外のことは全くわからないとのこと。主人のヤのつく自営業さんもこのことに関しては何の命令も残してくれなかったそうだ。全く、何ともはや……。


このまま空気供給管でたむろしていても仕方ないので、俺たちはとりあえず空気供給管が通じている中村区地下街へ向かっているのであった。


 「はぁ……何ともはや……」


世間も自分も余りにも前途多難、思わずため息が出てしまう。


 「なあ、お前何にも知らないと言ってたが本当に何も言われてないのか?直接命令されてなくても、その、置手紙とかでさ」


 「私が起動した環境を考慮するとそういった形で命令を受領することは不可能かと。類似した方法ですと命令を記したドキュメントファイル等を当機の内部ストレージに残すということになりますが、当機のシステムに関連したファイル等を除外すればこの画像ファイル以外に保存されているものはありません」


そう言ってハート形は俺の目の前に一枚のピンク色の花の画像を表示した。桜か…いや桃か?きれいな画像だが何の変哲もないただの花の写真だ。何かの暗号とも思えない。


 「そうか…わかった…」


やはり何もわからないというのは変わらないか。


 「話は変わりますが、貴方様のことを何とお呼びしたらよいのでしょうか」


 「俺?俺はクサマキ、クサマキ・ケンジロウだ」


俺がそう言い終えたところで丁度地下街の入口へ到着した。空気供給管の出口は地下街の床から1mくらいの高さがあり、180cmあった人間体の頃ならいざ知らず、柴犬くらいの今の俺には高すぎた。


俺が躊躇していると、体の右側から灰色の霧のようなものが出る。そいつが例のローポリの腕の形になり、指を階段にして降りるのを手伝ってくれた。


 「ありがとう」


ローポリの腕は再び霧に戻ると体の右側に空いたスリットに吸い込まれていく。


 「その、それって何なの?」


俺が生きていた時代にはなかったものだ。


 「特殊な粒子で構築した仮想マニュピレーターです、音波浮揚の技術を利用して粒子を操作しています」


 「へー、音で霧を固めてるってのか」


こういう話を聞くと自分は未来にいるんだなと実感する。


だが、自分が降り立った地下街の様子は想像、いや期待していた未来都市の様子とは異なっていた。まず床だ、俺が機械犬の肉球で踏みしめている床は100年前のタイル張りではなくむき出しのコンクリートになっている。床から壁まで一体の非常に簡素な作りだ。コンクリートには手入れをした様子が無く所々がひび割れており、一部の亀裂からは何処からか流れ出した水が漏れ出ている。水が常に触れている個所は水垢と苔でぬめっており、俺は足を踏み出すのを躊躇した。無垢のコンクリートの壁面には用途不明の管や穴がいくつも空いており、そこからゴウゴウと風の音が鳴っている。空気が出ているということは俺が来たような空気供給管だろうか?


 「これは、なんというか…」


場所がいけないのかもしれないが、ここは道幅が狭く圧迫感が強い。地下街というより地下通路といった方がいいかもしれない。西暦2145年の地下フロンティアは思いのほか陰気だった。


唯一先進性を感じられるのはこの場に光を供給している天井に張られた光るケーブルと、道に2、30mほどの感覚で設置された隔壁のような装置だろう。それは床から壁、そして天井を一周するように設置された門のような装置であり。黒い樹脂のようなもので出来ていて周りのコンクリートとは異彩をはなっている。装置で枠ぐまれた空間には青色のホログラムの壁が投影されており、時折広告のようなものが入れ替わるように表示されていた。


俺は機械犬の体を歩かせてその隔壁に近づいた。まじかで見ると青色のホログラム壁には「外出可能時間、残り7時間26分XX秒」という表示がされている。それは清涼感ある青色の壁に何とも厳めしい印象を与えていた。外出可能時間?


 「地下なのに出歩くのを制限されているのか?」


 「デイ・プレイグ感染拡大の抑制目的で施行されています」


 「規則を破ったらどうなる?」


 「ホロ隔壁を通過するたびに登録された口座、ないしデジタルウォレットから罰金を支払うことになります」


 「何ともはや…」


外出の自由すらないとは。俺は限られた自由を謳歌すべく青色ホロ隔壁をくぐった。件の罰金は発生しなかったが何とも気持ちが悪い。


カツカツカツ…


隔壁をくぐった先から足音が聞こえてきた。足音の方向を見やると真っ白い防護服を来た人物がこちらに向かってくる。放射能汚染とか殺人ウイルスとかが出た時に着るあれだ。防護服を来た人物は俺を見つけるとぴたりと足を止め、困ったように立ち尽くすと。


 「すいません、鈴木さんに用事があるんですけど、そこをどいてくれませんか?」


と、壮年の女性の声で尋ねた。壁を見てみると金属製の扉に「鈴木」と書かれた表札が張られている。人が住んでいたのか…


 「すいません…」


俺はそういって防護服の女性とすれ違う形で道を譲った。防護服の女性は気味の悪いものか、危険な物に対する扱いのように露骨に間合いを開けてすれ違った。


 「鈴木さーん、ヘルパーの山本でーす。様子を見に来ましたよー」


ヘルパーさんだったのか…


 「彼女の様な仕事に従事している人間は防護服の着用が義務づけられています」


 「何ともはや…」


俺がもう一つの隔壁に近づいたときあることに気が付いた。俺はランサムウェアの名前を知らない。


 「なあ、ランサムウェア、あんた名前はあるのか?」


 「私にデフォルトの呼称は設定されていません。引き続きランサムウェアとお呼びになれば良いのでは?」


 「それは一般名詞じゃないか……」


しかもイメージの悪い言葉だ。ならば適当な仇名でもつけるかと思案していると、ホロ隔壁の広告にハート型が映し出された。「ハートクリニック・フリダヤ」どうやら心臓外科の広告らしい。


 「それじゃあ……フリダヤでどうだ?」


 「フリダヤ、サンスクリット語で心臓という意味ですね。了解しました、以降フリダヤを私の呼称として設定します」


 「ああ、頼むよ」


フリダヤは自分をこんな姿にした連中の手先だが、コイツ自身に悪意はないようだ。それに未来に目覚めさせられ、体を奪われ文字通り手も足も出ない自分にとってはフリダヤは唯一頼れる相手、仲良くなっておいて損は無いだろう。まあ、こいつは機械だからそんな気遣い必要ないかもだけど。


とは言え、敵の手下をこんな風に抱え込んでしまっている以上、警察に頼るのは無理か…絶対抵抗される。


 「クサマキ様」


 「どうした、フリダヤ?」


 「義体のバッテリー残量が残りわずかです。また、生命維持装置の栄養タンクも底を着きそうです」


 「ちょ…あとどれくらい持つんだ!?」


 「残り三十分程度です」


 「バッテリーが切れるとどうなる!?」


 「生命維持装置が停止してしまうのでクサマキ様は死亡します」

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