第31話  教会の闇

 その日は月が浮かばない新月で、夜空に星は瞬いているけれど風も吹かない、冬も近づいて来ているというのに、生温かいような夜だった。


「マルーシュカ?後に誰か居るのかい?」

 八十歳に近いシスター・セシリアは、白く濁った瞳で私の後に立つ人物に気がつくと、

「ガブリエル枢機卿・・」

 少しだけぽかんとした後、吐き出すようにして枢機卿の名を呟いた。


 ガブリエル枢機卿は灰色の外套をすっぽりとかぶっていたんだけど、オーラみたいなものが半端ないんだよね。


 後ろにはガブリエル様に付き従う聖騎士さん達が大勢控えていたんだけど、とりあえず、私とガブリエル様、監視役のブラームの三人だけ、香部屋に滑り込むようにして入り込んだ。


 ここは修道院になるんだけど、祭壇が飾られた主聖堂の裏が司祭の祭服やミサで使う道具などが仕舞われている香部屋となっている。


「シスター・セシリア、急なことで申し訳ないが地下道へと通じる道を開けて欲しい」

 ガブリエル様がそう言うと、シスターはうんざりした様子で言い出した。


「まあ、まあ、それじゃあ、教皇様が王国へやって来たというのは、本当の話でしたのね」

「ああ、教皇は船で秘密裏に入国した。今ごろ、子供達を侍らせて楽しく愉快にお過ごしなのだろう」

「なんてこと・・」


 シスター・セシリアは顔を覆って項垂れる。

「あの人は子供の時に、同じような目に遭わされたからといって、自分も同じようにやって良いと思っているのです。悲しい過去があるだけに諌めることが出来なかった私たちの罪は大きいのです」


 えーっと、闇ですかね・・闇な感じの話ですかね・・


「えーっと、教会上層部の闇の話は正直言って聞きたくないので、話を進めさせてもらっても宜しいでしょうか?」

「実はシスター・セシリアはカウレリア三世の教育係をしていたこともあって」

「聞きたくない、聞きたくない」

「飛ばされた先がリンドルフ王国とは知らなかったよ」

「聞きたくない、聞きたくない」


 私が耳を塞いで目を瞑っていると、見兼ねた様子のブラームが、

「枢機卿様ってこんな方だったんですか?」

 と、呆れた調子で言い出した。


 ガブリエル枢機卿と私が王宮の庭園でお茶会をしている時もそうだった。

「実は亡くなったデルク・ルッテンは、私が送り込んだ者なのです」

 いきなりそんなことを言い出すものだから、飲んでいた紅茶を吹き出しそうになったのよ。


 なんでも、教皇たちが聖女に関わる人間を抹殺しようと企んでいると知って、ガブリエル様はヴァーメルダム伯爵家に潜入させるために、カリス夫人の異母弟であるデルクを見出して協力するように手配したのだという。


「だというのに、伯爵家の長女は死んでしまうし、協力者のデルクは死んでしまうし。貴女だけは無事に逃れて良かったと心から思っておりますが、こちらの手配が未熟だったようで申し訳ない」


 そう言って頭を下げてきた枢機卿は、自分は実は教皇の実の息子で〜という自分語りまで始めてしまった。

「聞きたくない、そんな話は聞きたくない」

 と、私は耳を塞いで目を瞑り、首を横に振り続けていたってわけですよ。


「残酷非道な教皇様が来ているのなら、急がなければなりませんわね」

 シスター・セシリアはそう言うと、香部屋の中央に置かれた重いテーブルをブラームにどかさせるなり、ゴブラン織の古い絨毯を床から引き剥がす。すると、下から地下へと通じる戸板が現れたのだった。


「教皇様が使うとしたら死刑場だと思うわ、マルーシュカ、案内を頼んだわよ?」

「死刑場?」

「死刑場ってどういうことですか?」


 王都アルメレンの下町に張り巡らされた地下通路は繁華街の中にある娼館に繋がっていたり、どこかの誰かの家に繋がっていたり、礼拝所が設けられていたり、死刑場が作られていたりするってわけ。


「アレックス様、殺されていなければ良いんだけど」

「縁起でもないこと言わないでください!」


 ブラームが怒りの声をあげた。



   ◇◇◇



 三年前に麻薬を精製する工場を摘発した際に、王都に広がる地下道を閉鎖することに成功したアレックスは、あれが極一部の閉鎖に過ぎなかったのだということを実感することになったわけだ。


 三年前に見つかった地下道は移動するためだけのもので、人が屈んで歩かなければならないほどの狭いトンネルは、簡単に崩して埋めてしまえるような出来のものだった。


 誘き出された家から続く地下道がどういったものであったのかは、目隠しをされていた状態だったので判断出来ないのだけれど、今いる場所には煉瓦の壁に杭が打ち込まれており、ここで何人もの人が磔にされていたのだろうと容易く想像が出来る場所だった。


 部屋には竈と水場も設けられているため、異端審問用の拷問部屋というよりは死刑場といった様相を呈している。


「ああ、疲れた。今日はこの辺にしておいてやるか」


 アレックスの体を火かき棒で散々殴りつけた教皇は、何かをやり切ったとでも言うような様子で額の汗を拭うと、

「明日には船で移動させるのだったな」

 と、後を振り返って問いかける。


「出来れば今夜にも送り出せればと思うのですがね?」

「船の手配次第だろうな」


 教皇を筆頭に、変わる代わる、飽きることなくアレックスに拷問をし続けてきた教会の幹部達は、楽しげな様子で奥にある階段を登っていく。上の通路を移動していくと高級娼館の中へと出ることになるため、そこで彼らは薬と女を楽しむことになるのだろう。


「とんだ破戒僧たちだと思わない?」


 今まで行われていた拷問を眺め続けていたヘンドリックが小さく肩をすくめてみせると、

「君はこれから死んだことにされて、奴隷として売買される予定なんだよ。今日の夜には船でアルモア大陸へ移動させる予定だったのに、世の中、上手くいかないことばっかりだよね」

 と、ため息混じりに言い出した。


「あーああ、君がエルンストの側近じゃなくって僕の側近になっていたのなら、こんなことなんかせずに済んだのにね!」


 壁に磔の状態で傷だらけのアレックスは、思わず扉近くに座り続けているヘンドリックの方へと視線を送る。


「側近だと?」

「そうだよ。最初君は、僕のお友達候補として王城に上がったわけだろ?だったら側近候補も同じことなんだから、最後まで僕に付き合わなくちゃ駄目じゃないか!」


 ヘンドリック王子は怒りの声をあげながら、壁にぶら下がるアレックスを睨みつけたのだった。

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