第23話  笑う小公子

 伯爵邸で発見された遺体を確認するためにアレックスが王宮へとやって来たという報告を受けたエルンストは、移動途中で弟のヘンドリックと顔を合わせることになったのだ。


 ヘンドリックはエルンストの三歳年下であり、アレックスとは同じ年ということになる。リンドルフ王国では、第二王子は第一王子に何かあった場合の予備であり(第二王子が優秀な場合は、第二王子は王太子となり、第一王子が予備となる場合もある)王太子の子供が七歳を迎えるまで、正式に結婚も出来ず、臣籍降下することも出来ず、王家で飼い殺し状態になってしまう。


 エルンストの息子は今、五歳となっているため、あと二年我慢すれば自由になるというのに、ヘンドリックは今の自分の状況を不満にも思っているし、兄であるエルンストに恨みのようなものも持っている。


 それでも表面上は爽やかな笑みを浮かべながら、

「兄上がこの時間に執務室から出てくるとは珍しい。もしかして、また、ヴァーメルダム伯爵家に異変があったのでしょうか?」

 無粋な質問を王城の回廊の真ん中で人目も憚らずにぶつけて来た。


 ヴァーメルダム伯爵家は事業で成功したわけでもなく、領地を運営してそこそこの利益を上げている程度の中流伯爵家ということになるのだが、彼らの家は『聖女の末裔』と言われている家なのだ。


 伯爵夫妻が拘束され、二人の令嬢は行方不明(フレデリークが死んだという発表はまだしていない)という状況だというのに、昨夜は屋敷に火がかけられて、建物の半分ほどが焼け落ちてしまっている。


「やはり、聖宗会が暗躍しているということになるのでしょうかね?本当に恐ろしいものですよ、我々も城に火をかけられないように気をつけなければなりませんね」


 リンドルフ王国は宗教については、信じたい宗教を信じれば良いと定めているため、自分の信じる宗教を押し付けたり、強要するということは法律で禁止されている。


 そのため、王宮に勤める使用人や官吏も、お互い、自分たちの信じる宗教については不介入を貫き通しているのだが、今の発言から、王国は聖女の末裔が住む屋敷に火を放った聖宗会およびその信者に対して強い警戒、もしくは王国からの排除も視野に入れているのではないかと察することになるだろう。


「ヘンドリック、我が王家は宗教の自由を謳ってここまで成長して来たのだ。誰が伯爵家に火をかけたのかは分からないが、そこから何かしらの宗教や宗派を弾圧するようなことは行わない。火をかけた者を捕縛したとしても、裁判で罪を裁くだけだ」


「相変わらずの甘さだね」


 ヘンドリックがここでもっと踏み込んだ発言をするのなら、父王はヘンドリックを病を患ったとしながら北の塔への幽閉を決めるだろう。

 だが、父王はヘンドリックの幽閉を選ばない。それは彼が常に、ギリギリのラインを楽しむような言動しかしないから。


「兄上の治世が平和であることをお祈りしておりますよ」


 ヘンドリックはあっさりとそう言うと、側近を連れて歩きだす。本来であれば、同じ年であるアレックス・デートメルスがヘンドリックの側近であったところ、まだ八歳のアレックスをスカウトして自分の側近にしたのがエルンストなのだ。


 アレックスを側近にしたことを後悔したことはないけれど、ヘンドリックはそれをいつまでも不満に思い続けているのは間違いない。


「あー〜、朝から嫌な思いをしちゃったな。兄弟なのに何でこうも上手くいかないものなのかね〜」


 教会の地下には無数の小聖堂があるけれど、一番奥まった場所にある一室へとぶつくさ言いながらエルンストが入ると、今日は随分と綺麗に着飾ったマルーシュカ嬢が驚いた様子でこちらの方を振り返った。


 扉からエルンストがノックなしで入ってくることに気が付いていた様子のアレックスは、完全なる無表情、この男は頬の筋肉がぴくりとも動かない蝋人形のような顔をしている上に、グレイの双眸がヒヤリと冷たく見えることから『氷の公爵』との呼び声が高かったりするのだけれど、


「あれ、マルーシュカ嬢、今日は随分と姿勢が良いし、楚々とした佇まいじゃない?公爵夫人にマナーを特訓されたんじゃないの?」


と、問いかけると、

「背中に木の棒を入れているから、姿勢正しくいられるんですよ」

 令嬢の答えを聞いた途端、アレックスは顔を逸らして、肩を震わせながら笑い始めたのだった。


「嘘でしょ、嘘でしょ、嘘でしょ、嘘でしょ」


 エルンストが回り込むようにしてアレックスを見ると、確かに彼は、肩を震わせて笑っている。それでも、こちらを覗き込むエルンストの方を見上げると、あっという間に表情筋が固まり、いつもの無表情へと変貌する。


「背中を掻いていた棒が丁度良いサイズだったんですよねー。世の中、何が幸いするか分かったものじゃないですよー」


 マルーシュカの言葉を聞くと、また吹き出すようにして笑い、そして、エルンストの顔を見ると無表情に戻る。


「何これ・・こっわ!」


 確かに前回、王城までマルーシュカ嬢を連れて来た時にも、アレックスの表情には変化が現れていた。それが恋とか、愛とか、溺愛とか、そういう意味合いを表すような表情の変化ではなかったけれど、確かにその蝋人形みたいな顔に表情が浮かび上がっていたわけだ。


 だけど、笑ってはいなかった。アレックスが笑う姿を、長い付き合いになるが初めて見たかもしれない。


「すごく怖いんだけど〜」


 蝋人形が表情を覚えて笑うのは良いとしても、エルンストを見ると即座に無表情に戻るのが納得いかない。


「いや、怖いですよね?僕も怖いなって思っています」

 ベイル医師まで言い出すと、

「何が怖いっていうんだ?失礼にも程があるだろう?」

 と、無表情のままアレックスが不服そうに言う。


「普段からアホほど無愛想なその態度が悪いんじゃないんですか?だからいつまでも嫁が出来ないし、寝取られ公子とか言われることになっちゃうんですよ」

 マルーシュカの発言で、アレックスの顔がみるみる不機嫌そうに歪み出す。


「え!アレックス!こっち向いて!」


 エルンストが呼ぶと、アレックスの不機嫌そのものの表情がスンと蝋人形のように変わり、

「犬みたいに呼ばれて即振り返るあたりが王族の犬って感じ、マジウケる〜」

 と、マルーシュカ嬢が言い出すと、無茶苦茶怒りを露わにしながら令嬢の方を振り返る。


「何これ、本気でおかしいんだけど」

「本当にそうですよね」 


 エルンストの隣にやってきたベルンが、目の前で言い争いを始めた二人を見ながら、

「何故、我々の前だと無表情なのに、令嬢の前でだけ表情が浮かび上がるんですかね?」

 と、疑問を口にすると、

「公爵邸でもそうですよ」

 と、今まで聖堂の隅の方に控えていた、アレックスの側近となるブラームが小声で囁くように言い出した。


「私たちだけでなく、公爵夫人に対しても表情は変わらず蝋人形のまま。だというのに、マルーシュカ嬢の前でだけ普通に表情が動くんです。愛とか恋とか、溺愛とか、そういうのは全くないんですけど、表情は動くんです」


「「何故?」」


 医師と王太子が同時に疑問を呈すると、ブラームは悩ましげな瞳となって言い出した。


「フレデリーク嬢を誰が殺したのか探るように命令されている自分としては、何故、閣下がマルーシュカ嬢にだけ表情を動かすのか、そちらの方が気になっているくらいでして」


「「確かに」」


 エルンストは自分の弟のことなどどうでも良くなっている自分に気が付いていた。


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