第6話 ヴァーメルダム伯爵家
「何故私がこんな扱いを受けなければならないの!離して!離して!」
「公子!これはどういうことですか!公子!公子!」
憲兵によって連れ出されて行く伯爵夫妻を見送ると、アレックスはエントランスホールに集めた使用人全てに腕まくりをさせた。
「ヨハンネス、逃げ出した使用人は誰も居ないんだよな?」
「はい、旦那様に代わって私の方で差配致しましたので、伯爵家に勤務していた使用人は厩番に至るまで外には出していません」
六十人ほど集まった使用人の中に、誰かに引っ掻かれたような跡を残している者はいなかったのだが、
「あの・・すみません」
フレデリークの専属侍女の一人が、おずおずと手を挙げながら言い出した。
「先月お辞めになった奥様の護衛だったデルク・ルッテンを調べた方が良いかと思います」
夫人に言われたからフレデリークの爪を切ったものの、これが理由で次の就職先に支障をきたしたら困るとでも思っているのだろう。
「私は働き者の侍女です。フレデリークお嬢様の信頼も厚く、お嬢様からも相談されていたことでもあったので、ここで報告させて頂きますが」
と、前置きをしながら、
「奥様は護衛のデルクと不倫関係にありましたし、そのことに気がついたフレデリークお嬢様がお父様に告げ口をしたことによって、デルクは解雇されることになりました。デルクも奥様も、フレデリークお嬢様を恨んでいたかと思うので、もしかしたら、お嬢様はあの人たちに殺されたのかもしれません」
と、言い出した。
すると、もう一人の侍女が同じように挙手をしながら言い出した。
「お嬢様はデルクを間に挟んで奥様と険悪な状態だったのは間違いないです」
この侍女が申し出たところによると、フレデリークは母の護衛であるデルクに懸想をして、自分の護衛にしたいと母親に訴えていたという。
見目麗しいデルクは男爵家の三男で、女からの人気は高い。アクセサリー感覚で自分の近くに飾ろうとするフレデリークと、デルクを手放したくない夫人との争いは水面下で行われていたのだけれど、伯爵の知るところとなり、最近解雇されたということだ。ー
すると、三人目の侍女まで手を挙げて言い出したのだった。
「私は夜会で出会ったという貴人が怪しいと思います」
「今度は夜会か・・」
アレックスは思わずため息を吐き出した。
「お嬢様はその・・小公子様よりも身分の高い方から見初められたのだとおっしゃっておりました。ある日、興奮した様子で夜会から帰ってきたお嬢様の肌には、数箇所、その、真紅の花が散っている状態でしたので、お嬢様のお腹の中の子は、夜会で小公子様が手を出していないと言うのであれば、その、身分の高い方がお相手ではないかと・・」
三人の侍女たちは、自分たちは真っ当に仕事をしていたし、献身的に仕えていたのだから、この後の身分の保証(就職先の斡旋)は確実に行なって貰いたいと訴えたが、主人の秘密を使用人たちも集まるこのような場で堂々と主張するような輩たちなのだ。
事件が解決するまでは身柄を拘束するが、解決した後は紹介状など絶対に用意せずに放り出そうと決意する。
なにしろ、このような大勢の前で、婚約者から堂々と浮気されていた上に、他所の男に寝取られていたということが明かされたのだ。
公爵家の権力を使ってでも使用人たちを黙らさなければ、明日には『寝取られ小公子』という不名誉なあだ名がアレックスの上に燦然と輝くことになるのだから。
◇◇◇
家を飛び出してきた私、マルーシュカは、まさか姉を殺した犯人であると実の親に主張されているとは知りません。
何しろ無料で働かせてきた穀潰し、何時いなくなっても問題ないというような次女ということになるので、私一人がいなくなったとしても、
「そんな娘、我が家におりましたかしら?」
くらいのことは平気で言い出しそうだと考えていたほど。
「デニスさーん、当初の予定通り伯爵家を抜け出してきたので、平民として商会で本採用するって話、きちんと実行してくれますよね?」
ヴィンケル商会はデートメルス公爵家の持ち物でもあるんだけど、この商会の商会長をやっている中年のおじさんであるデニスは、色々な国の血が混じって出自が不明というような容姿をしているのだけれど、元は帝国人の小太りしたちょび髭の親父である。
若い頃には帝国で暗殺部隊に所属していたんだけど、妻と子を死なせることになり、帝国のやり方自体に疑問を呈することになったが為に、自分の死を偽装してリンドルフ王国に亡命してきたってわけですね。
昔は精悍な顔立ちをしたワイルドイケメンだったらしいんだけど、今は平和を傍受しすぎて小デブとなり、昔の面影がかけらも見当たらない容姿となってしまったが為に、リンドルフ王国で五本の指に入る大商会の商会長をやっていたとしても何の問題もないらしい。
「お嬢を雇うって言ったのは酔った上での戯言だったんだけどね?」
「男に二言はないですよね?」
「いやー、僕の一存でどうのと出来ることでもないし、閣下の許可がなければ無理だからね?」
閣下とはアレックス様のことで、私にこの商会を紹介してくれたのはアレックス様なので、おそらく問題ないとは思う。
「それで?お嬢の荷物はその箱一つってことでいいのかな?」
デニスの執務室で働く従業員がお茶を用意してくれたので、私は持ってきた木箱をテーブルの上に置きながら、
「商会の従業員が使う寮を使わせて貰いたいんですよね〜、必要な物はほとんどないから、買ってこなくちゃいけないよな〜」
と言いながら、大きなため息を吐き出しました。
一応ね、石鹸とか伯爵家で用意したものを使えていたんだけど、私物というものがほとんどない状況なので、まずは街に出て普段着る洋服から買い揃えなくちゃならないんだよね。
「なんなの?この木の棒?」
「背中を掻くのに丁度いいんですよ」
箱から飛び出していた木の棒をデニスが手に取ったので、とりあえず背中を掻いてみるように勧めると、デニスは顔をくちゃくちゃにした。
「貴族の令嬢が木の棒で背中を掻くだなんて初めて聞いたな」
「出自はどうであれ、今まで貴族の令嬢として扱われたことないですし」
「だけどね、お嬢はヴァーメルダム伯爵家の次女であると届出がされているから立派な伯爵令嬢だし、お姉さんが亡くなったとなると、お嬢がヴァーメルダム伯爵家の後継令嬢ということになるでしょうに」
普通に考えればそうなるんだけどな〜。
「父は姉が亡くなる前から、伯爵家は従弟のヨリックを養子縁組にした上で継がせて、私は大金と引き換えに、金持ち年寄りのリント男爵の後妻として嫁がせる予定でいたみたいですよ」
「はあ?」
金持ち年寄りのリント男爵がどんな奴なのかデニスは頭の中で反芻していたようで、何度も咳払いをしながら、
「聖女の末裔を売りつけるには、あまりに相手が悪いのでは?」
と、言い出した。
「リント男爵はコテコテの聖宗会の会員じゃなかったかな?とても生きては帰れない嫁ぎ先のように思うんだけどもね?」
「そうなんですよ」
帝国を中心に広がっている聖宗教は男尊女卑の色濃い部分が滲み出ちゃっているような状態で、経典にも『聖女』が出てくる場面が多くあるし、『聖女』こそが世界を救う尊い光というような表現もされているんだけど、その聖女よりも素晴らしいのが『創世神』であるとして、聖女は創世神に傅く程度の存在だとしているわけですよ。
男こそが素晴らしい(何しろ創世神は男神ですからね)となっちゃっている『聖宗会』にとって女性は踏み躙っても許される存在としているため、女性も大切にしよう!聖女様万歳!みたいになっている改革派とは相容れないってわけ。
「あの男爵だったら、聖女の末裔というだけで、どんな扱いをするか分かったものじゃないと思うんだけど?」
と、デニスが顔を青ざめるほどの変態なのは間違いないわけ。
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