蛍と椿

ナナシマイ

椿姫奉納の儀

 ほーう ほーう ほーたるこい

 あっちのみーずはにーがいぞ

 こっちのみーずは――


 家々の灯りを落とした夜の中。ふわ、ほわりと黄緑の光が飛び交っている。ゆるやかでありながら鮮烈な明滅に囲まれ、また誘われるようにして、娘が一人、歩いてゆく。

 十年にいちどの椿姫奉納の儀。

 彼女の手には漆塗りの花器がひとつ。生けられたのは遠目にも艶やかな椿の花枝。

 対するように。周囲の女性たちが手にしている椿の花が、ぽと、と落ちた。村の長が住まう屋敷の、季節を外れた生垣からも。ぽと、ぽとぽと、ぽと……。

 脆く崩れた花弁がほろりと風に舞う。

 ――ああ、ほんとうに椿姫になれた。

 ――これでわたしも、村の繁栄に貢献できるわ。

 綻ぶような娘の声を、村人たちは耳にした気がした。


       *


「いいかい、相手は顔のない怪物だ。されどこの村に益をもたらすものだ。どれだけ恐ろしいことがあったとて、決して悲鳴をあげてはいけないよ」

「はい」

 身を清められ、白い単衣を着せられた娘は、椿姫としての役割を果たせるよう村長からいくつかの説明を受けていた。

 いわく、怪物の顔は墨で塗りつぶされたように闇に飲まれていると。

 いわく、椿姫の美しさに宿る力が怪物の持つ負の念を和らげることができるのだと。

 いわく、望まれるままいただかれなさいと。

 とにかく相手の言うとおりにすればよいらしい。言いかたを変えつつ強調される言葉に娘はなんども頷く。

「――客間に入ったら、とかく、あれ・・の望むようにするんだ。いいね?」

「はい。……あの」

 そうしてひと段落ついた頃合い。娘は先ほどから気になっていたことを訊ねようと、伏し目がちに返事以外の音を発した。

「なんだい? あれは顔を持たないが、だからこそ、あんたの顔は気に入るだろう。美しいものがたいそうお好きだからね。よく触らせておやり」

 怖気づいたのかとこちらを覗く村長を安心させるように、娘は丁寧に微笑んだ。

「はい。でも、そういうことではなくて。わたしが身を捧げれば、ほんとうに、村の役に立つのですよね?」

「もちろんだとも。これまでだって、椿姫が選ばれた直後は必ず、新しい椿が芽吹いたんだ。その話は知っているだろう?」

「そう、ですね」

 椿はこの村の特産品だ。実から採れる油も、木材も、工芸品も。村の収入源のほとんどが椿由来のものである。そして本来は冬にしか咲かない椿が年中咲き、豊かに実をつけるのは、守り神の力があればこそであった。

 ゆえに村の皆が神さまと尊んでいた存在の正体が怪物だったとしても、娘にとってそれは大した問題ではない。

「……ふふ、よかった」

 手先の不器用な娘は、表立って言われなくとも、自分が厄介者と思われていることに気づいていた。なにより村の役に立てない自分の不器用さに憤ってさえいた。

 十年ごとに行われる椿姫の奉納で、守り神がほんとうに繁栄をもたらしてくれるのか。

 そのことがわかれば、十分だった。


 緊張に大きな音を立てる胸を押さえ、客間へ通じる障子に手を伸ばす。

 きぃ、かたん、と背後で戸に閂の通される音がした。

 先ほど渡ってきた廊下からこちら側には、自分と、村の長の屋敷に滞在する守り神しかいない、らしい。今までの椿姫がどこにいるか、娘は知らない。すべては言われた通りにすればよいのだから、自分が知っている必要はないとすら思っていた。

「椿姫にございます」

 光源が多いのだろう。障子の向こうは明るく、けれども映る影はぼんやりとしている。

 右に左に、大きく小さく揺れる影は異形をかたどっているようにも見えた。顔がないと言うからには最低限ヒトのかたちはしているという認識でいたが、違うのかもしれない。

 そもそも耳すらなくて、呼びかけた声すら聞こえないのだとしたら。

「あいよー、入りな」

 と、そんな心配が一瞬で消えるような、ざらりとした低い声が軽い調子で飛んできた。ほっと息を吐く。

 こちらの声は聞こえており、喋ることもできるようだ。

「おーい聞こえてるか? こっちからは開けられないんで、自分で入ってきてくれ」

「……っ、はい。失礼します」

 建付けのよい障子は音なく開き、そうして見えた光景の不可思議に娘は息を呑む。

 光源はホタルであった。

 無数のホタルたちが、飛び回り、休み、めいめいに光る呼吸を放っていた。

 ひとつひとつはやわらかい。けれど眩しいほどに重なった黄緑は鋭くて、目がちかちかする。

 続いて入室し、障子を閉めるあいだに慣れてきた目に入ってきたのは奥行きのある座敷を仕切る格子だ。欄間から下ろされた木組みはとにかく堅牢そうで、この牢の中にいるものを決して客間から出さないのだという村長の意思を感じる。

 それらを認識した娘の心に滲むのは、これまで感じていなかった「顔のない怪物」に対する恐怖であった。

 守り神は、閉ざされている……!

 格子は椿の木でできているのだろう。材木となってもなお年輪の隙間より花を咲かせ、その赤色はホタルたちの照らす光の中で異質に艶めいていた。

 よほどの生命力が蓄えられているものか、はたまた人間には知り得ない力がはたらいているものか――

 そこまで考えてようやく礼を欠いていたことに気づいた娘は、慌てて座礼をした。

「いい、いい。そういうの間に合ってるんだわ。ほら顔も上げろ」

 しかし返ってきたのは、またも気の抜ける反応。それでも守り神の言葉に変わりはないと顔を上げて。

「……まったく。相変わらず古風だよなぁ」

 続けられた言葉は娘の耳に入ってこなかった。

 こちらとあちらを隔てた格子の奥。顔のない怪物の居場所。

 呆れながらも不敵に微笑む・・・・・・男が、胡座をかいてこちらを見ていた・・・・


「えと……ツバキさま?」

 思わず口にしてから、娘ははっと口を押さえる。

 ただ心のなかで呼んでいただけで、守り神の名は「ツバキ」ではない。

 けれども、椿の花を咲かせた格子に閉ざされておきながら、その椿よりもあでやかに余裕のある笑みを浮かべるさまは、娘が思い描いていた「村に椿という恩恵をもたらす守り神」の印象そのままであったのだ。

 とはいえ目の前の男は、それを簡単に聞き流してくれるようには思えなかった。

「申し訳ございません! とんだご無礼を……!」

「あーだからね、そういうのホント要らないんだってば」

 頭を押しつけるように謝罪を口にすれば、しかし、降ってくるのは呆れを多分に含んだ溜め息。

 娘はおずおずと頭を持ち上げる。

「あとな、ツバキはおまえらだろ。おれの本質はホタルだ」

 守り神がそう告げたいっしゅん、飛び交うホタルが妖しい角度で光った。

「…………ホタル、さま……?」

「まぁいいか。……にしても」

 ちょいちょいと呼びつけるように人差し指を何度か曲げる仕草は人間のそれであった。くるくると雰囲気を変える男のようすに面食らいながらも格子に近づいていく。

 格子に触れるほど近づき、さらに顕わになった男の姿かたちの普通さに目を丸くさせたのもつかの間。

「――っ!」

 なんの前触れもなく、首筋に紙をあてがったような痛みが走る。同時にこちらのもとからふわりと飛んでいったホタルが、男の差し出した手指にとまった。

 血を帯びた赤を嗅ぐ男は、嫣然とした笑みを浮かべる。

「顔が見えているようだと思えば、へえ、血が濃いのか」

 ああ……。

 なにを言っているのか、わからない。

 とりわけ目立ったところのない面立ちも、着物さえ整えれば村に紛れることも容易いであろう体躯も、関係ない。

 ただ、これは人ではないものなのだと、娘は理解した。


 ふと幾人かが廊下をやってくる音がして、おやと首を傾げつつ背後へと目をやる。

 椿姫が客間へ入れば、あとは誰も干渉しないのではなかったか。

 守り神はなにも言わない。

 気づいていないということもないのだろう。どこか楽しげな気配が牢から漂ってくるのを、娘はひやりとした心地で受け止め、何者かの訪れを待った。

「椿姫の夜食だ」

 鋭い男の声と、膳の置かれる音。彼らがそのまま立ち去ろうとするのを障子越しにぼんやり感じていると、「待て」と守り神が声を発した。

「障子を開けろ」

 守り神の望むままに。

 娘が障子を開ければ、助役とその付き人がこちらを――守り神を見て顔を引きつらせた。「っ怪物……!」と付き人の男が漏らすのを、守り神はにやりと笑って黙認する。

「夜食が出てくるなんて聞いたことねえな」

「つ、椿姫が役に不安を覚えているようなので、少しでも和らぐようにという村長の計らいだ」

「粋だねぇ。ほら、ツバキ・・・。不安を和らげろってさ」

 膳には握り飯が二つとすまし汁の椀。

 娘の腹は減っていないが、食べられないほどの量ではない。

「ホタルさまが食べろと望むのであれば、いただきます」

「そうか? じゃあ――」

「早く食べるのだ! これは椿姫の義務である」

 急に強い口調で言葉を発した助役は、膳を持ち上げ、娘に押しつけた。受け取る以外の対応が思いつかず、膳を持ったまま守り神を振り返ると、彼は喉の奥で笑いを噛み殺している最中のようである。

「くっ、言うに事欠いてそれか。で、その夜食とやらを口にした椿姫を食らうのはおれなんだが?」

「今は顔無しの衝撃に放心しているようだが、じき我に返り暴れるやもしれない。落ち着き抵抗しない娘のほうが、マモリガミサマも助かるのでは?」

「趣味じゃねぇなー。毒入り娘とか冗談だろ」

「なっ」

「え……?」

 毒入り、そう聞こえて娘は視線を膳に落とす。これに毒が入っている。毒を、食べるの……?

「う、うううるさい! 怪物風情が! ほら椿姫、早く食べなさ――」

 ぽとり。

 ふいに助役の頭が落ち、鮮血が広がる。

 悲鳴を上げる喉さえ掠れ、娘は呆然と赤色を浴びた。

「約束を違えてもらっちゃあ困るんですわな。……ホタルが好むのは清らかさだって、あれほど言ったのに」

「ひぃっ――」

 ぽとり。付き人の頭も落ちる。本来は花期にも終わりが来るように、あっけない最期はそうあるべきとそこにあった。

「誰が顔をあげてやってると思ってるんだか」


 ゆらと立ち上がった守り神の、どこか哀愁漂う姿。

「あーあー、だいぶ浴びちまったなぁ、ツバキ・・・

 赤を塗りたくった椿姫の姿に顔をしかめ、続いて漂う生臭さに「臭えな」と鼻をこする。

 この惨状を引き起こした本人であるはずが、なぜこうも揺らいでいるものか。その考えはいけない。もうずっと、椿姫が知るよしもない遥かな昔より、男はここで過ごしてきたのだ。

 近づいてくる守り神が格子の手前で立ち止まるまでの時間が、ひどくゆっくりに思えた。

「三つ問う。正確じゃなくていいから、思うまま正直に答えろよ」

「はい」

 見たことのない装束だった。真白でありながら気取った堅さのない上衣は継ぎ目がなく、紐の代わりに丸く削った貝殻のようなもの留め具にした黒い上着を羽織っている。下衣は上着と同じ黒で、緩めの裾から覗くのは素足だ。

 こちらを見下ろす表情はなんだろう、と娘は静かに考える。

 先ほど感じた哀愁は不思議な色を帯びていた。

 座敷牢に囚われ閉ざされたはずの守り神は、この村の誰にも囚われていない。

「おまえは、ホタルがなんのために光るか知ってるか?」

「どの椿がいっとうに美しいか、見極めるため、でしょうか」

 助役たちの、ぽとりと落ちた頭は、椿であった。

 飛び交うホタルたちは選り好みをするように赤く染まった花を避けていく。

「おまえはおれの顔をどう思う?」

「どう……よくわかりません。あんまり印象に残らない顔かと」

「ならおまえは、おれを怖いと思うか?」

 守り神は椿姫を食らうと言った。ツバキはおまえらだと言った。

 ならば自分も彼らのように、頭を落とされてしまうのだろうか。村のためならばそうされるべきで、仕方のないことと思う。

 けれども、腹をぐるぐると掻き乱すような冷たい石は大きくなるばかりだ。

「……怖い、です」

「ようし、上出来だ」

 愉しそうに、嬉しそうに、守り神は微笑んだ。

 よく笑う神だ。怪物だ。なにをしでかすかわからなくて、恐ろしい。

「わ……――!?」

 娘の感じた恐ろしさを後押しするように、ぶわりと膨らむように光ったホタルたちが一斉に外へと飛び出た。

 いっしゅんで暗くなった客間に、ホタルの照らす村の灯りが差し込む。

 …………ぽと、ぽと……ぽとり――

 悲鳴と怒号と、逃げ惑う音。

 椿の、落花の響き。

「な、にを……」

「さあな?」

 猫背に乗せた頭はうつむきがちに影を孕み、しかしこちらを見る瞳だけがホタルの光を鮮烈に宿していた。


 獣のようだと、格子越しに伸ばされた手を見ながら、娘はそんなことを思う。

「んじゃまあ、おまえさんをいただきましょうかね」

 ぽとりとまたひとつ、椿の花が堕ちた。

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