第9話 魔王の名前? とりあえず聖女の名前をもらおう


 一緒にヒトの住むところまで旅をしよう!

 そう約束するなり、幼体は自分のことを「テリー」と呼んで欲しいと言った。


「天使様にも名前はあるの?」


 当然の様に聞かれたけど、名前なんてものは、ヒトが個体認識のためにつけるものだ。けど、峡谷にはそのヒトが居ないから、名前だってあるわけがない。


 だからと言って「ガルル(敵だ)」「チチュ(へんなの)」なんて呼ばれてた通りに答えるのは、違う気がする。うーん、困った。


「もしかして、天使様は、ぼくに名前を言いたくないの? ぼくが嫌い?」

「えぇっ!?」


 悩んでいたら、悲しげだった幼体ことテリーの顔が、どこか闇を背負った暗い表情に変わって行く。まずい、臆病なテリーは、不安になりすぎると加減の吹き飛んだ無慈悲な殺戮者になってしまうのだ。


「いやいやいやいや、そっ、んなことないよ。ちょっと待ってて、ずぅっと名乗ってなかったから、思い出すのに手間取ってるだけだから」


 嘘だ。わたしに名前は無い。


「ほんとに? ほんとにぼくが嫌だからなんじゃない? 一緒に行こうって言ったのは、間違いだったんじゃない?」


 考えてる間に、テリーの醸し出す雰囲気が、どんどん闇に染まっていく気がする。何だ、この反応は!? 思い通りにならなかったら、急に病んだみたいに雰囲気を変えるなんて。早く名前を言わなきゃまずいことになりそうだ。ならば、わたしが取り込んだモノの名前を名乗ろう。そうしよう。


「えーっと。たしか――ガルシア」


 一番強く思い浮かんだ記憶は、元聖女のものだった。ひとまず彼女の名前を名乗ることにする。まぁ、わたしの中に取り込んでるから間違いじゃないだろうしね。


「ホントにっ!? ガルシアって300年前に居た悲運の大聖女様と同じ名前だね! けど神秘的な君にはぴったりだよすごいや!」

「悲運の大聖女様?」


 名前を言うなり、テリーの闇は消え去った。わたしが何かを見間違えたんじゃないかってくらい、晴れやかに笑っている。何だかわからないけど、危機は去ったらしい。よかった。けど悲運の大聖女って何だか感じが悪いなと思ったら、眉間に深い皺が寄ってしまった。それを目敏くみつけたテリーが、取り繕うみたいに柔らかく笑って言葉を続ける。


「知らないの? 近世になって大聖女ガルシアの名誉は回復されたんだけど、彼女が生きた300年前に、当時の王太子たちによって偽聖女の汚名と、いくつもの冤罪を被せられて、魔王や魔獣の住むゴルディア峡谷に追放されたんだよ。護送した兵士団は彼女と共に姿を消したから、どこかに生き延びたんじゃないかって説もあるけど」

「えぇっ? 生き延びたの?」


 あれ? わたし確かに食べたよね。全身まるっと吸収したから、ガルシアの記憶も覗けてるんだもん、間違いないよ。


「うん。言葉を交わした人はいないけど、ゴルディア峡谷近くの樹海で見た人が何人も居るんだよ。不思議なんだけど、150年ほど前にも目撃記録が残ってるんだよ」

「へぇー、よく知ってるねぇ」


 ガルシアの姿は、わたしの陽光バージョンの金髪姿とよく似ている。だからきっとその姿でを見られたんだろう。そう言えば、たまに、おなかいっぱいで見逃してやったヒトが居たかもしれない。


 記憶を辿りながら、ふむふむと頷いていると、テリーがキラリとした鋭い光を浮かべた瞳を向けて来る。


「なんでそんなに驚かないの? 150年前に見た人が居るんだよ」


 んん? わたし何かおかしな反応した?


「う、運が良いヒトだったんだろうね。食われずに帰れるなんて!」

「ふーん? そうだね」


 取り敢えず、苦し紛れに考え出したヒトらしい答えに納得したのか、テリーはにっこりと笑顔を作る。ん? 作ってる??


「なにか気になることでもあった?」

「ううん、ガルシアは素直でいいなぁと思って」


 さらに深まる笑顔。幼体の笑い顔ってこんな背筋が寒くなるものだっけ?


「あとね、父上がぼくに『清廉であれ』って言うのは、その大昔の出来事を教訓としてなんだって。ご先祖様の非を認め、大聖女様の名誉を回復したのも、ぼくの曽祖父ひいおじいさんなんだよ」

「そうなんだ、難しい言葉をしっかり覚えていて偉いね」

「そうだね。ガルシアは、やっぱり純粋なガルシアなんだね」


 なんだろう、このモヤモヤした引っ掛かる感じは。まぁいいか、わたしがヒトじゃないってバレなければ。


 テリーは魔獣たちを完全に敵視してるから、バレちゃうと最強のわたしでも手こずりそうな得体のしれないところがあるし。魔獣でもないのに、背後に黒い陰がちらついて見えるのは気のせいだろう。




 そんな風に引っ掛かりを感じつつも、わたしがヒトじゃないとバレて、彼が平常心を失うことにならなかったことに、何より安心した。

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