第3話 表裏一体! 魔王と聖女の誕生


 自分が『わたし』と云う個体であることをふいに認識した。と同時に、これまで過ごしてきた場所が、過酷で恐ろしい場所だと気持ちのどこかが訴えるようになった。本能では、わたしを作り出した瘴気だらけの谷底に安心感を抱いているのに。


「わたし の中が、ふたつに 割れたみたい……」


 いつの間にか、直前に取り込んだ『細くて弱々しいモノ』と同じ音を出せるようになっていた。驚いて自分の形を確認しようと、動くところを動かして、自分で『見て』やろうとすれば、複雑に動く長細いモノが目の前に吊り上げられた。一呼吸おいて考えれば、それが『手』であることが思い浮かんだ。


 どうやら、これまで取り込んできた魔獣らと同じように、『細くて弱々しいモノ』――いや、この身体の記憶によれば『ひと』の機能や形を、わたしは使えるようになったらしい。


 そんなふうに『ひと』の姿を得たわたしは、次いで暗い谷底ではなく、光の届く場所へ行きたいと思うようになった。


 最後に取り込んだ『ひと』が影響しているのだと思うけど、はっきりしたところはわからない。ただ、時折谷底から吹き上げる風で、暗い瘴気の靄が晴れた先に見える眩い空に、どうしようもない羨望の気持ちが沸き起こってくるようになった。


「うん、いって みようかな」


 呟いて、ごつごつした壁に手を掛けるけれど、手足でほぼ垂直な崖をのぼるのは大変だった。だから、先に取り込んだことの有る飛ぶモノの翼を背中に再現してみれば、なんとも簡単に望みの場所へ着くことが出来た。


「ふふふーん。わたしに出来ない事なんて、ないんじゃないかな」


 心が弾めば、声も弾むことをはじめて知った。


 光の当たる場所は、わたしの生まれた場所とはまるで異なり、眩しいだけでなく、色鮮やかで、様々な楽し気な声に満たされていた。


「ぢぢゅぅ(この木の実おいし~い)」

「ピュイッ、ピピュ(ぼくの番になってよぉ)」

「ギャルル(あっちに新芽がいっぱい芽吹いてるぞ)」


 谷底で聞いたのとはまるで違う、声とモノの生き生きとした様子に、わたしはただ茫然と見惚れた。


「この世界も悪くないわね」


 まぶしい光に目を細めて、はじめて踏み出した一歩は声よりも弾む。瞳に映るのは、これまで知らなかった沢山の光の欠片――色と言うのだと記憶が伝えて来た。


 それからわたしは、何度も谷底と、地上とを行き来するようになった。


 相変わらず、谷底は心が休まるし、出会うモノを取り込んで行くことが、『わたし』になる前からの、生きる目的に繋がっていることになるから。


 ふと気付けば、気持ちだけじゃない他の変化も現れていた。姿形の変化だ。


 峡谷の底の瘴気溜まりで微睡んでいるわたしは、瘴気と同じく、光をも吸い込む深い闇色の髪となっていた。瞳は、食うか食われるかの殺気の中で常に――ヒトでないわたしに有るかどうかは分からないけど――全身の神経を尖らせ、血を滾らせていたせいか、暗く鋭い紅色に。肌は光射さない谷底だからか、白磁よりもまだ青白い幽鬼の色になった。


 逆に、光あふれる地上に出れば、髪は光を吸ってまばゆい黄金に輝き、瞳は空を映した碧眼となった。なぜか肌の色は白いままだったけれど、谷底にいるときよりも少しだけヒトらしい色になっている気がする。


 こうしてわたしは、『魔王』と『聖女』と呼び分けられることになる、2つの姿を手に入れた。

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