第8話 アリバイ工作

 だが、そのうちに、私は、妙に軽くなった自分の心に気がついていた。先程、飲んだ精神安定剤が効いてきたらしい。それとともに、私は、小学校のグランドの端に放置してある、古びたコンクリートブロック製の焼却炉を思い起こしていた。



 それは、多分、今から50年いやきっと60年以上も前に作られたものらしく、当時は、グランド内の落ち葉や、廃棄用の重要書類の焼却や、壊れた木製の椅子や机等の焼却に利用されていたのであろうが、ダイオキシン問題が聲高に叫ばれるようになってからか、いつしか利用されなくなっていたものだ。



 現在、その焼却炉の蓋には頑丈な針金が幾十にも巻いてあり、児童は絶対に入れなくなっている。……しかし、後藤綾ちゃんクラスの小柄な死体なら、十分に押し込んで焼却出来るほどの大きさはあったのだ。



 これだ!これしかない。



 この焼却炉に、ガソリンの入ったペットボトルや、長時間燃焼型の固形燃料も一緒に放り込むかして、2~3時間焼却すれば、完全な骨だけにまでの焼却は不可能でも、少なくとも、後藤綾ちゃんの体内に残された私の精液ぐらいは完全に焼却できるのではなかろうか?



 その焼却炉は、小学校のグランド横の片隅にある。先程、後藤綾ちゃんの死体を茂みに隠した場所から歩いて1、2分であり、彼女の死体搬入は容易である。



 どう考えてみても、もうこの方法しかないであろう。何しろ、私の自宅と小学校は近いのだから、迅速に処理すれば、アリバイのほうも、うまく造り出せるようにも思ったのだ。



 私は、早速、自分のハイブリッド車のガソリンタンクから石油ファンヒーターに灯油を入れる時に使う空気ポンプを利用して、2リットル入りのペットボトル3本分にガソリンを詰めた。



 また、昨年の夏の合宿の時に使用した長時間燃焼型の固形燃料30個が自宅に残っていたので、それも全て用意した。



 死体を包むための大型のゴミ袋、手にガソリンが付かないようにゴム手袋、ガムテープ、着火用の新聞紙の束、それと、あの大型の焼却炉の蓋を頑丈に取り巻いている鉄線を切断するための大型のペンチ、足跡をごまかすための普通のスリッパ(靴では足のサイズが特定される危険性があった)、そして万一、衣服に血痕等がついた場合に備えての着替え用のスーツ、電池式の着火器等々、ほとんど瞬間的に必要な物を次々に取り揃えていったのである。



 これらは皆、あの例の小説『善良な殺人者』から得たヒントだった。



 そして、まず午後6時になる前、私は、周囲に誰もいない事を確認して、車を職員専用駐車場に止め、先程、後藤綾ちゃんを隠した茂みに向かった。ここではゴム手袋をし、彼女の死体をゴミ袋に入れ、血液や体液が洩れないよう、ゴミ袋の口を縛った。



 次に、彼女の死体をあの焼却炉に放りこんだ。その焼却炉は結構頑丈で、しかも意外に精密かつ頑丈にできていて、真下に空気取り入れ口があり、丁度、地上から20センチほどの所に、これも頑丈にできている金網受けがあった。



 その金網の上に綾ちゃんの死体を、その真下に、ガソリンの入ったペットボトル3本、長時間燃焼型の固形燃料30個を適当にばら撒き、その上に、新聞紙の束を置いた。



 で、一旦、ここは車に戻り、小学校の近くにあって大きな店舗を構える青木書店に向かった。自分で自分の臭いを嗅いだが、死体の臭いもガソリンの臭いも全くしなかった。

 そりゃそうだ。ゴム手袋もさっきの焼却炉の中に捨ててきたからだ。



 私が、何故に、青木書店に向かったかって?



 簡単な話が、アリバイ工作である。



まず、私は、その書店で、教育関係・心理学関係の、いかにも学校の先生が買いそうな本を2冊買った。これは、相手をしてくれた女性店員に私を印象づけるためであった。



「ああ、そうそう、もうあと1冊買わなければ……」と、そう言って私は店内に引き返した。だがそれはほんの見せかけで、私は書店から出ていく他のお客の影に隠れて、その書店を脱出。先程の焼却炉に向かったのだ。



 私は、自宅から用意してきた電池式の着火器で新聞紙の束に火を付けた後、焼却炉の蓋を閉めた。



 直後、ゴオッ!という音と光が、焼却炉の空気取り入れ口から漏れた。これで、完全に火が付いた事が確認できた。あと、何時間後かはハッキリしないが、周辺の住民から異臭が漂っていると、きっと警察や消防に通報が入るだろう。



 その時までに、一体、どれだけ焼却されているのか?これが運命の分かれ道となるのだ。



 青木書店に引き返した私は、先程の女性店員を見つけ、敢えて既に絶版になっている筈の書物の名前を挙げたのだ。



「あのう、先程から一生懸命、店内を探しているんですけどお、I書店から出版されているはずの『発達障害児の早期の見つけ方・教え方』って本、どうしても見つけれ無いがですけど、面倒でしょうが、パソコンで在庫を確認していただけますか?」



 これが私が苦心して考え出した大きなトリックなのだ。



 つまり、この女性店員は、私が、約1時間近くこの書店で、その書物を探していたと思い込むのを狙ったのだ。



 無論、店内の防犯ビデオを詳細に検索すれば、その1時間内には私がこの書店にいない事は明白に分かる事だが、そこまで調べる以前に、彼女が証人になってくれるだろう。

 こうして私は、偽のアリバイを捻出する事にしたのだ。



 その女性店員は、在庫は勿論、出版元のI書店のネットまで検索してくれた後、

「誠にすみませんが、その本は、2年前に既に絶版になっており、当のI書店にも在庫は全く無いそうです」



「そうですか。じゃ、今日は、先程買った2冊で我慢します」



 そう言って、私は、その書店を後にした。

 その間にも、後藤綾の死体は、ガソリンや固形燃料の力で、ドンドン燃えている筈だった。



 私は、今度は、自宅近くのコンビニに顔を出し、いつものように弁当と日本酒1合を買った。その時間帯の7時過ぎ頃は、私がいつもそのコンビニ店で弁当と日本酒1合を買う時間帯でもあり、又、いつものコンビニ店員さんとも顔馴染みであった。



 このように、私は、実際は、自宅→小学校(死体遺棄)→書店(書籍購入)→小学校(焼却炉着火)→書店(絶版本の注文)→コンビニ(夕食購入)→自宅と、実にめまぐるしく動いていたにもかかわらず、先程の女性店員への一言、



「あのう、先程から一生懸命、店内を探しているんですけどお……」この一言が、女性店員自身の妙な誤解を呼び、私が、焼却炉に着火した時間(約午後6時30分)帯における、実に際どいアリバイを証明してくれそうに考えたのだ。



 あとは、いつ後藤綾ちゃんの死体が発見されるかである。



 ……特に、死体を焼却すると何とも言えない気持ちの悪い異臭がすると言う。ただ、小学校のグランドの回りは、大きな樹木で囲まれており、即、その焼却炉が見つかる事はあるまい。



 しかし、1~3時間、いや、下手をすれば数十分たらずで、周辺住民から異臭の苦情が出れば、必ず警察や消防が動き出す筈で、それまでの間に、一体どれだけ、後藤綾ちゃんの死体が焼却されるのか?それが、私の唯一の心配事であった。



 願わくば、死体の大半が焼却された段階で発見されてくれれば、私への疑いは全て消えるのだが……。



 その日は、例の女性医師から貰った精神安定剤をもう1錠と、日本酒1合を飲んだ。

 薬の効能書には、酒と一緒に飲むと作用が強くなるから危険だと書いてあったが、私には、なおの事好都合であった。



 次の朝、私は、教頭からの緊急の電話で、「小学校に即出て来い」との連絡を受けた。

 何でも、当小学校のグランドの片隅にある焼却炉から、少女のほぼ完全に焼却された死体が発見されたのだが、その死体は、昨日から捜索願いの出ている後藤綾ちゃんのものらしいと言うのだ。



 昨日の夜、周辺住民から異臭騒ぎがあって、実際に、警察や消防が出動したのが午後10時頃。周辺を操作していて、その焼却炉が発見されたのが今日の早朝であったらしい。

 私はと言えば、薬と酒の勢いで、グッスリと寝ていた頃である。



 つまり、後藤綾ちゃんの死体は、相当の時間燃えていた事になる。私が焼却炉に放り込んだ燃焼物の内、ガソリンはすぐに燃え尽きたであろうが、固形燃料30個は超長時間燃焼式のもので、多分それが延々と燃えていたのであろう。



その報告を聞いて、私は助かったと思った。それだけ完全に燃え尽きていれば、私の数CCの精液など、完全に焼却されているに違いないからだ。



早速、後藤綾ちゃんの死体は、司法解剖に回されたらしいが、職員室では、校長以下、春休み中の児童の安全をどう守るかの議論で白熱していた。



 元々、県の教育委員会から不審者情報が既に今年の3月初旬に入って来ていたのだ。学校の落ち度が全く無いとも言えまい。それが校長らの心配事であったようだ。

 私は、自分の犯した不同意性交殺人の心配をしているし、校長や教頭は自分の保身で精一杯であった。



 まあ、学校とは、大方が、こんなものであろうが……。



しかも、もっと特筆すべき事が起こったのである。



 私たちが、職員室で激烈な議論を戦わせていたその日の夕方の7時頃に、私達の小学校の隣町で、女子高校生がバイトの帰りに、近くの児童公園内に連れ込まれ、滅茶苦茶に、ぐちゃぐちゃに陵辱され絞殺されると言う事件が起きたと、その日の夜の9時の緊急ニュースで流されたのだ。



 これには、私も、ビックリした。



 この私以外にも、ここら周辺には明らかに連続不同意性交犯殺人犯がいて、そいつも殺人を行っていたからだ。だが、これは、「渡りに船」と言うべきかもしれない。



 何故なら、その女子高校生が陵辱され絞殺された時、私には職員室で会議中という大きなアリバイができたからだ。もはや、後藤綾ちゃんの死体焼却も、そいつが犯人だと警察が思ってくれれば、何たる僥倖ではないか?



 しかし、次の日のニュースでは、更に奇妙な事実も判明した。その、滅茶苦茶に、ぐちゃぐちゃに陵辱された女子高校生の体内からは、一滴の精液もその他の体液も残っていなかったと言うのである。



 これは一体どういう事だろうか?

 私が後藤綾ちゃんの死体を焼却したのは、彼女の体内に残されている筈の自分の精液等の滅失を図ったからだ。

 だが、今回の事件は、更にその上手をいっており、犯人は多分、DNA鑑定を恐れるあまりの行動を計画的に取ったのではないか?

 例えば、ゴム製品を付けるとかの措置を行った後、残虐な行為に及んだのではなかろうか?



 実際、それに、その女子高校生の女性器には、挿入を楽にするためにであろう。市販の潤滑ゼリーがたっぷり塗り込んであったと言う。



 すると、相手は、相当に医学的知識に長けていると思われるし、テレビのワイドショーなどの巷間から伝わってくる話では、その女子高校生は、何度も何度も言うように、見るも無惨な程、滅茶苦茶にぐちゃぐちゃに陵辱されていたと言うのだ。



となると、単なる衝動的な変質者の犯行と言うよりは、私には何か、もっと別の、知能犯的でかつ性的異常者的な犯人像が思い浮かび上がってくるのだが……。



 ここで、その名前を敢えて言えば、大神博士と言う事になろうか?



そもそも、そもそもである。



 今から、約30年弱以上も前から、誰もが夢想だにしなかった「人工男根」の研究に没頭しているのである。



 いくら医学上の研究のテーマは自由に選択できるとはいえ、何度も何度も言うように、もっとまともな研究テーマなど腐る程あるはずであって、何で、こんな訳の分からない人工男根の研究にのめり込んだのであろう。



 正に、この一件をもってしても、大神博士、いわゆる「男根博士」の異常さが証明できるではないか?



 そうだ、きっと、今年になっての金沢市内に勃発するようになった連続不同意性交犯こそ、実は、大神博士本人なのではないのだろうか?


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