第8話、友達 下

 駅の西口から十五分ほど、小さいが小綺麗なカフェがある。「ネコいます」と札があるドアを開けると、軽快な鈴の音がした。

 カフェ「みなと」。中にはカウンターとテーブル席の他、奥には畳の小あがりがある。学校帰りの子供が二人、パズルをしたり小さなテーブルに向かっていたりしていた。


「どーも」

「あらあ、シガンくん。大丈夫だった?」


 入るなり、湊アキツが声をかけた。この女性が店主だ。


「はあ、まあ、なんとか。世話になってる人連れてきたんで」

「防除組合のもんです。こっち、今あずかってる子で、うまいもん食べさせようかって」

「こんにちは。シガンくんがお世話になってます。いっぱい食べていって」


 シガンが奥に入ってエプロンをつけている間、アオたちはカウンターに座り、メニューを開いてコウに見せた。


「ミオさん休み?」

「そう。カヤちゃんも用事あるみたいで。シガンくんきてくれて助かるわ」


 シガンが聞いた店員も、バイトの子もちょうど休みだったらしい。灰色の猫がとことこと奥へと歩いていく。このカフェの飼い猫で「オクドさん」という。メニューの裏に写真と名前があった。厨房の入り口には片開きのスイングドアがついている。


「無理はしなくていいけどね」

「してない、してない。で、何にする?」


 ケーキの写真にはたっぷりのクリームが乗っていた。種類は季節によってかわるらしい。この時期は中にリンゴがゴロゴロ入っているようだ。カラメルのつやがおいしそうに見える。


「ケーキと……何飲もっか。あったかいのいいなあ」


 このところ急に寒くなってきた。飲み物はコーヒー、紅茶、ココアやホットミルクがある。コウがラテアートの描かれた写真を指さす。飲み物そのものではなく、牛乳の泡の上でにっこりと笑った顔にひかれたようだ。


「ん、ココアのラテな。ふわふわの。俺はコーヒーで、ユエンさんは?」

「この、チャイマサラというやつ」

「じゃあ、ココアラテとチャイとコーヒーください」

「はい、お待ちください。砂糖は好きに使って」


 注文を聞いて奥で準備を始めたシガンに、アキツが気づかうように声をかける。


「シガンくん、怖かったでしょ」

「……怖くはないさ」

「そう?」


 シガンは不機嫌そうに言い返してココアをつくる。ココア粉と少しの牛乳を弱火でよく練ってから砂糖を加える。ぷうんと香ばしさと甘い香りがアオのところまで流れてきた。コウはぬいぐるみを抱えて、奥をのぞきこもうと腰を浮かせた。シガンは牛乳を泡にして上に乗せ、コウに聞く。


「コウくん、何描く?」

「ラテの絵は何がいい? って」


 そう言われても困ってしまう。コウはメニューを見て「これがいい」と思ったのだから。そっと写真を指さした。シガンがスケッチブックに描いてくれたような、にこにこの顔。


「それでいいのか? ワンコは?」

「……ワンワンもいるの?」

「おう、じゃあ描くぞ」


 出されたココアラテには二つの顔が描かれていた。メニューと同じニッコリと笑った顔。その横にこれも舌を出して笑った犬の顔。つられたようにコウが笑顔になる。


「にこにこ……」


 コウはおそるおそるココアを飲んだ。甘さとココアの香りが口の中に広がった。口の周りを泡だらけにしてもう一度カップを見た。人の顔と犬の顔が少し崩れて、ぎゅっと頬をくっつけたように混ざっている。


「あまいの、おいしいね」


 コウはぬいぐるみに話しかけ、ケーキに手を伸ばす。ホイップクリームが乗ったリンゴケーキ。中にはリンゴのコンポートがたっぷりで、しっとり甘くてちょっとすっぱい。カラメルがパリッといって、リンゴを噛んだ感触がすがすがしくて気持ちいい。そこにクリームの溶けていく感触があわさって、思わず顔がにやけてしまう。

 やっぱり来てよかったと思った。




「おいしい? よかったわねえ。よければ、奥で遊んでいってちょうだい」


 アキツが伝票をアオに渡した。奥の小あがりで子供が遊んでいる。どちらも小学生くらいの子だ。カルダモンの香るチャイを飲み終わったユエンが、ふらりと小あがりに近づいた。ひとりでパズルをしていた女の子が期待するようにやってくる。


「お姉ちゃん、マンカラやりませんか」


 女の子が出してきたのは二列の円と、両端にゴールが書かれたボード。それとおはじきがたくさん。二人でやるボードゲームだ。もうひとりの、女の子より小さな男の子は机のすみで工作に夢中のようだった。


「ゲームか。ゲームは好きだ。やろう」


 円に入っているおはじきのうち、自分の側の円に入ったものをつかんで、ひとつずつ順番に次の円にまいていく。たくさんおはじきを自分のゴールに入れたほうが勝ち。ユエンも昔、似たようなゲームをしたことがある。女の子から説明を聞いてすぐにゲームを始めた。どちらかの側の円からおはじきがなくなったら終わり。


 コウはやっと食べ終わって、ユエンがゲームをしているのを横目で見ていた。アオが口を拭くためのおしぼりを渡す。


「やりたいならやりたいって言おうか」

「うん……」


 コウは口をぬぐい、ぬいぐるみを抱いて二人に近づいていく。そのまま女の子の横に立って動かない。どう声をかければいいかわからないのだろう。部屋の角で、オクドさんが自分は関係ないと丸まっている。


「どうした? コウ」

「あのね……やろ?」

「なに? マンカラ? ちょっと待ってね」

「うん……まつ」


 待つように言って女の子はユエンとの勝負を続けた。コウはそわそわとして待っている。「あっ」。指で数えるようにして女の子が声をあげた。どうやっても女の子の負けだった。悔しそうにしながらもそのゲームを終える。


「はい、いいよ。やろう?」


 そうしてコウ対女の子のゲームが始まった。しかしコウは勝てない。何度かやったがボロ負けである。なぜなら順番を無視しようとして怒られるからだ。そして考えずにおはじきをとるからだ。おはじきを取ってまいたあとに負けていることに気づく。もう一回。そのうち勝てないのが嫌になってきて、こっそりひとつ飛ばしてゴールに入れた。


「……あ! ずるだ!」


 彼女はすぐに気づいた。


「ずるっこ、ずる、ずるー!」


 口をとがらせて女の子が指を指す。責められたコウは身を縮める。ユエンがおかしそうに笑った。


「そうだ。では、おまえも同じように飛ばして良いことにしよう。それならよかろう?」


 女の子はそれならとその条件を受け入れた。当然、同じことができれば彼女のほうが強い。ひとつ飛ばす作戦だって完璧だ。コウはいよいよ泣きそうになった。おはじきをバラバラとその場に全部落として、ゲームを中断する。


「やだ」


 面白くなさそうに立ちあがって、小あがりをおりる。


「そうか。じゃあ、コウは見ているといい」


 ユエンはコウの投げたおはじきを引き継いでゲームを続ける。このゲームはゴールに入れるだけではなく、自分の側の円におはじきを集めることも考えないといけない。ユエンは強い。女の子は優勢だったが、しだいに打つ手がなくなってきた。またユエンが勝った。


「うー……。もう一回やろ!」


 女の子は負けたあと、悔しそうにして次の勝負をねだっている。ユエンがおはじきを元の位置に戻す。その姿を、ちょっと離れてうらやましそうにコウが見ている。ぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめて。さすがにアオが声をかけようとした時。


「……ガオー!」


 突然、男の子が叫んだ。画用紙でできたオオカミの耳と尻尾をつけている。すみっこでひとり工作をしていた子だ。


「しらないの? ガルフだよ。『まがまがまにまに』の。あさの九じからやってる」


 コウもテレビで見たことがある。だいたい毎日見ている。アニメのキャラクターだ。ひとりで旅をしているオオカミ男だ。弱くて情けなくていつも失敗ばかりしている。それが満月になるとパワーアップしてみんなを助けるヒーローになるのだ。


「うん」

「しってるよな、つよくてかっこいいもんな。それにやさしいし……ほら」


 そう言って自慢げに胸を張ってみせる。彼の左手、そして左ほおには目立つ赤あざがあった。


「そうだ、きみはだれがいい? ガイコツのモリー? ミイラのマミィ?」


 天狗のヤマノボウ、巨人のティタン、人魚のセイラ、人造人間のエメス、透明人間のグラウ。キャラクターはたくさんいるけど、ガルフと同じくらい強くてかっこよくて優しいキャラは誰だろう。


「やっぱり、きゅうけつきのアルがいいよ。そうしよう」


 吸血鬼という言葉に、コウは急におびえた表情を見せる。


「きゅうけつき? わるいの?」

「アルはいいやつだよ! ちをみるときぜつしちゃうけど……。でも、わるいきゅうけつきもいて、でもオレがいればぜんぶやっつけちゃうからへーき」


 それから男の子はその場で空中に蹴りを入れた。蹴り上げたあと、反対の足で回し蹴りをする。ちょっとバランスが崩れたのを立て直して手を振り上げた。


「ヤアー! トオー! オレのつめはいわだってこわせるんだ!」


 それから勢いよく拳を繰りだす。それから爪で引っかくように手を振りまわしている。まるでそこに強大な敵がいるかのように。そう、今ここにいるのは誰かのために戦うかっこいいヒーローなのだ。


「アル! てきはつよいぞ!」

「う、うん。ヤ、ヤアー!」


 やらなきゃいけない気がしてコウも空気を叩く。「いいぞ! アル!」。そう言われると、なんだかすごいことをしている気になってきた。女の子が「なにやってんの」という目でちらっと見た。男の子はそんなこと気にもせず、前を指さしてコウに叫ぶ。


「いくぞ! みんなをまもるんだ!」

「オ、オオー!」

「やったぞ! てきはにげてった!」


 男の子は腰に手を当てて得意そうにした。コウもマネをしてみる。なんだか強いものになった気がする。誰かに必要とされるすごいものになった気がする。気持ちが良くて、胸がもぞもぞした。


「かった! さすがアルだな!」


 男の子はコウの手と自分の手をパンッとあわせた。いい音が鳴って、ドキドキして、ワクワクして、どうしようもないくらい嬉しかった。ガルフやアルのような何かいいものになった気がした。


「アハハハハハ! 月あるかぎり、オレはまけないぞ!」

「うん!」

「そこは『ちが赤きかぎりだ』だよ!」

「あ……」

「いいよ。こうやって大きく口あけてわらうの! ウハハハー!」

「ワハハハー!」


 腹から大声で笑うととてもいい気分だ。何だってできるような気持ちになる。笑ったまま二人はくるくると走り回った。オクドさんが踏まれまいと慌てて棚の上に逃げた。その赤銅色の目が迷惑そうにまばたきをする。どたどたと音が響き、どこのおはじきをとるか考えていた女の子が振り返る。


「うるさい! 走り回ったらダメだってば!」


 水をさされた男の子が足を止めた。口をとがらせ、言い返す。


「おまえ、やまんばのヤガーみたい」

「だれがヤガーよ。そういうこと言うから友達いないんでしょ」

「ともだちなんていなくていいもん! みんなきらいだし……ガルフだってひとりでたびしてるし……」


 そう言ったあとで、横のコウに気づいた。声を落として言い訳のようにつぶやく。


「……アルはいいやつだけど」






「アオさん、また夜出るんだろ? ぼくも今日はここまでだ」

「そうだな……コウくん、そろそろ帰ろうか?」


 アオは立ち上がると会計をして、レジ横の募金箱に釣り銭にいくらか足してつっこんだ。この募金は集まる子供たちのおやつになるそうだ。コウに一緒に遊ぶ子ができてよかった。あんなに楽しそうにしている姿は初めてだ。帰りたくないとむくれるコウを、シガンがなぐさめるように言う。


「ほら、また会えるから」

「……ねえ、アル。なまえは?」

「なまえ?」


 何を聞かれたのかとまどうコウに、女の子が横から声をあげる。


「わたし、守縫カゴメ」

「オレは……どうもんヒカル。きみは?」

「……コウ」


 なんだ、自分で名前言えるじゃんとアオが驚いた顔をする。やっぱり子供は子供と遊ぶほうがいいんだろう。ユエンも柔らかい目でコウを見ていた。名前とはそのものを指す言葉だ。彼はそう呼ばれることで、それを自覚することで他のものとは違う「自分」になった。


「コウ、またくる?」

「うん。くるよ」

「また来てね。今度、冬至のお祭りやるから」


 アキツが笑って手を振った。カゴメも大きく手をあげた。オクドさんは奥で耳をかいている。


「バイバイ」

「……バイバイ」


 ヒカルも手を振る。コウもマネをして小さく振り返した。

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