第21話、見送り 上
吸血鬼騒動は一応の結末を迎えた。先日、記者会見を開いた都環境課の課長は「吸血鬼を駆除した」とは言わなかった。「被害がおさまったと考えている」と言った。多くの人にとってはそれでいいのだろう。
「おや、落ちこんでるのね?」
昼時の吸血鬼研究室。実際、落ちこんでいるのでトモエは睨んだ。吸血鬼を駆除できなかったことが引っかかっている。それと同じくらい、彼らを許せずにいる自分にもすっきりしない気持ちだ。
「あの子は食人鬼になって駆除されたのに、なんであいつらだけって思う。ずるい」
「そりゃ、トモエは不満だろうけど。でも、あのまま駆除しても喜べないんでしょ?」
ミトラの判断は信頼している。吸血鬼の始祖とやらが出てきた以上、事を丸く収めるにはあれが最善だったはずだ。責任を問うより今後の策を。でも、やっぱり納得がいかない。加害者がきちんと裁かれてこそ被害者は救われる。
「何がいいか悪いかなんて、その時、全部わかるもんでもないよ」
今後、いいことをしたとして悪いことをしたことはなくならない。逆に言えば、悪いことをしたからといって、いいことをしたことがなくなるわけでもない。
「……それは悪いことだけど、この後どうなるかは分からないし」
生きるのにいいことなんてしなくてもいいはずなのに、それでも人間にとって悪いことをした彼らが今も生きていることに何かしらの理由を求めてしまう。被害者にとっては消えない傷だ、加害者だけが生きてやり直せるのはずるい。
「そうかもね。……クナドくんは落ち着いた?」
「ああ。サエさんが立ち直ってきたから。いや、クナドくんが落ち着いたから立ち直ったのか? ともかく、良くなってる」
サエは以前のように息子たちを叱るようになった。クナドは面倒くさいなあと言いながら、元気だった母が返ってきたと嬉しいようだ。
クナドはちゃんと悲しんでコウに怒ることができた。だから、傷ついたけれど大丈夫だと思う。クナドはあの後、家に帰って、しばらくサエの近くにいた。サエはそれで安心したのかもしれない。
「そう、それはよかった」
最後にコウに襲われた男の子はむしろ吸血鬼に会ったことを自慢しているらしい。逆に目撃した子のほうは嫌がって話をしようとしないのだと。怖がりかたは人それぞれだ。その癒やしかたも。
それぞれの事情を考え、コウと接触させないほうがいいと判断された。少なくとも今は「吸血鬼は消えた」ことにするのがよいと。欺瞞だとトモエは思うが、反論はしなかった。
「都が被害者にいくらかの見舞金を出すそうだ」
「へえ?」
「匿名で、『鬼害被害者に』って寄付があったそうだよ。金貨で」
「それは……」
「人間にとっては必要な気持ちだろう?」
その一方、アゲハは手の紙束に目を落としていた。読みながら頬が緩んでいる。なんだろう、物好きにラブレターでももらったか。いや、既婚者だろうに。
「……アゲハさん、それ何?」
「アオさんの血を取ったから、一応の検査結果」
「へえ?」
食人鬼や吸血鬼からは血が取れないが、食人鬼になりかけた人からは取れるのか。
「面白そうだから、たくさん取らせてもらったの」
たくさんってどのくらいだ。吸血鬼を誘き寄せる時にはアオからはとらなかったはずだけれど、これはきっと限界ぎりぎりまでとられたに違いない。トモエはちょっと気の毒に思った。
ある日の「みなと」、ヒカルが壁に背をつけて座っていた。コウはヒカルの横に少し離れて座っている。オクドさんが足をまたいできて、股の間で伸びをした。そしてのっそりと去っていく。
「……コウ、どっかいっちゃうんだ」
ようやく、ヒカルが口を開いた。コウを見ないようにしながら、自分の手を見る。赤いあざはヒカルからいろいろな人を遠ざけてきた。
「ガルフはね、『ひとりはとてもいい』って言う。オレはひとりだって思うけど、それはガルフの言う『ひとり』じゃないみたいだ」
ひとりならずっとひとりのままのほうがよかった。でも、自分もアルのような友達が欲しかったのだとヒカルは思う。
「ぼくも……ひとりなんだと思う。ぼくでいるのはぼくしかできないから、ひとりだ」
コウはひとつずつ、自分が思うことを言葉にする。それは曖昧なことだったけれど形にしていく。
「それはさびしいことでも、ダメなことでもない。すごく……いいことだと思う」
口を引き結んでヒカルがうつむいた。いい「ひとり」があるのだとコウは言った。
「オレもひとりでいいの?」
「うん。ひとりでいいんだ。誰でもなくて、ヒカルでいていい」
コウは小さな円盤を出し、腕を伸ばしてヒカルに渡した。ヒカルがそっと受け取って、それを見ると目をまばたかせる。金の満月のようだ。
「ぼくが作った。ヒカルはいつだってガルフになれる」
石塑粘土に色を塗った月だ。大きな金の満月なんてなくてもヒカルはガルフになれるけど、もし月の光が必要だっていうのならいつだってそこにあるようにと願った。
「……ガルフは『ひとりでいても、思えば誰かがそこにいる』んだって言ってた。オレが思ったらそこにコウはいるのかな」
「いるよ。きっと、そこにいる。ぼくの中にヒカルがいるように」
「ほんとう?」
「本当」
「じゃあ、オレもオレの中のコウを見つける。そしたらきっと、ひとりでいいって思えるから」
「うん。ひとりでも、ずっと一緒だ」
ヒカルの小指を小指で取る。ぎゅっとからめて固く約束した。
「アオ! アオ!」
カフェ「みなと」から帰ってくるなり、コウは叫んだ。靴を脱ぐのももどかしく、足がもつれる。「もう、おまえ、ちょっとは落ち着け……」。後ろから一緒に帰ってきたシガンが呆れたように言うが、コウは聞かずにアオのところに走って行った。
「お、どしたー?」
「アオ、ぼくはアオのとこに行かない。竜のとこにいく」
ヒカルと話していて思った。コウはもう、どこへでも行ける。たくさんの人たちがコウの中にいて、それは絶対になくならない。だから、ずっと遠いところに行く。自分が何者であるかを探しにいく。
「……そうか」
アオはほっとしたような、どこか晴れ晴れとしてさびしい気持ちになる。コウはやりたいことを見つけたようだ。まだそれはあいまいだけれど、彼がひとりで決めたことだった。
「ぼくは吸血鬼だけど、吸血鬼のことは知らない。だから知りたい。それで、見つけるんだ。ぼくと、ぼくのだいじなもののこと」
そうか、ならいい。自分で選んで決めたならそれがいい。アオが肩を軽く叩くと、コウはまっすぐ見かえして大丈夫だとうなずいた。それからコウはユエンを見た。どう言ったらいいかとちょっと考え、素直に伝えることにする。
「ユエン、ありがとう。ずっとそこにいてくれて」
「私がそうしただけだ。おまえのためではない」
「うん。だけど、ユエンに『ありがとう』って言いたかったから、これでいいの」
神は何もしなかったけどそこにいた。ユエンがいて良かったと思えた。
「書き終わったあ……」
それから数日、アオは大きく伸びをした。組合で最終報告を書き終わったところだ。コウと竜老公のことは伏せ、一応の解決をみたとした。これでいいのかはわからない。よくわからないが書き上がったし、これ以上の机仕事をしたくはなかった。
「まあ、これでいいだろう。預かる」
「よろしくです」
ナヨシは書類を受け取って目を通すと承諾した。
アオの右手は変形してかぎ爪になっているので上手くペンを持てない。パソコンで作って判を押すだけでも不自由そうだ。手は隠せるが、顔の右半分までも異形になっているため人には何事かと思われる。
「俺、明日には戻ります。コウにも迎えが来ますし。……どうしました?」
「いや。来てもらって助かったと思ってな」
「そうですか。そら、よかった」
「ユエンさんにも伝えてもらえないか」
「ええ、ええ。伝えときますとも。ユエンさんもほっとしとるでしょう」
嬉しそうにアオは返答した。彼女のおかげで被害が少なくできた。竜老公にしてもユエンがおらず、直接渡りあわねばならないとしたら難しかったはずだ。
「我々は祈ればいいのだろうか?」
「……俺たちは、覚えていればいいんだと思いますよ」
公の書類には書けないことがたくさんあった。だから、覚えていようと思う。ときどき思い出し、彼らが彼らでしあわせであるように願う。
それでいい。そのはずなのに、アオは寂しさを覚えた。
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