カミサマに恋した僕は君という夢を見る

君影草

神様に恋した僕は、君という夢を見る。

 学生というのは個性に拘泥する生き物だ。自分が他と優れているのはどんなところなんだろう。自分にしか出来ないことってなんだろう。これかもしれないなんて自分の中で見つけてしまえばそれはアイデンティティに変貌し、心の弱い自分たちはそれに依存するしかない。その学生特有の醜くも煌びやかな世界から、いつも彼女だけが外れていた。


「大阪から来ました。上坂葵です。仲良くしてください。」


 仲良くしてくださいというにはあまりにも人間離れしたその容姿に、クラスメイトは彼女を「カミサマ」と呼んで遠巻きに信仰した。そのせいで彼女は友達ができなかったのだが、烏滸がましくも僕は彼女が好きだった。


 1


 人生とは何か。考えれば考えるほと答えが遠く、数多の偉い人たちが自分の発表をしてはこれが真理だと言い張った。そもそもこの話題に真理なんかあってたまるかというのがありんこにも満たない僕の意見なのだが、やはり結論はあればあるほどいいものらしい。


 それは彼女も例外ではなかった。


「繰り返す今日という一日に呼吸をすること以外の価値を見出すことが果たして可能なのでしょうか。一日、イコール二十四時間、長いようで驚くほど短い一日という単位はあっという間に過ぎてゆき、それを知らずに私達は死んでいきます。その不毛の積み重ねこそが人生なのです。」


 長い黒髪を、昼下がりの温い風に揺らしながらきっぱりと言い放った彼女に、クラスはざわめいた。けれどそんな彼女に対して言葉をかける者はいない。そのまま段々と静かになっていく教室に、突然、嫌に似合わない素っ頓狂な声が響いた。


「ねね、カミサマ、それじゃあさあ、私達が生きている意味ってないの?ウチらの日常って、ゴミってこと?」


 怪訝そうな顔をして声を上げたのは茶髪の女子。その声音に敵意はなく、ただ単純に質問したいようだった。黒髪の彼女は茶髪の女子の方を振り向いてなぜだか楽しげに微笑む。


「そうやね。でも、人生ってきっと意味じゃないんよ。」


 彼女の言葉はいつだってヒントでしかなくて、でも僕からすると唇に微笑みを、眦に優しさを、そうして人形のように座っている彼女は酷く窮屈に見える。机と椅子という学生の貴重なパーソナルスペースだけで、確かに彼女は息をしていた。そう、彼女はずっとこの物語の主人公なのだ。さしずめ僕はクラスメイトA、いや、B、なんならFとかなのかもしれない。こうやってモブが感心すればするほど彼女は主人公になっていく。だから瞳の中に窮屈を閉じ込めたような笑顔を、彼女は僕にも見せる。


 ───1度だけ、帰りの道が一緒になったことがある。あくまで付かず離れずの距離を保ちつつ。ストーカーだとかからかってくる奴がいたらめんどくさいから。...まあ、僕にそんな友達はいないんだけど。彼女は意外とすぐに気がついて、絹ごし豆腐のような声で僕の名前を呼んだ。その日は雨が降っていた。


「君も、ここら辺に住んでるの?」


「うん。」


「そうなんや、一緒になったの初めてやんな。...もしかして私今まで気がついてなかったとか?」


「いや、僕も初めてだよ。」


 無言が気まずい。全身を掻きむしりたくなりながらぎこちない足取りを感じていると、垣根の奥から声が聞こえてくる。


「こんな雨の日に来たのかい?風邪ひいちゃうよ。」


「ん?」


 突然降ってきた声に、僕も彼女も1度足を止めた。


「あーよしよし、もうこの子は野良じゃないね。うちに来るかい...ああ、ちょっとまちな。」


「にゃ、」


 どうやらすぐそばの家が野良猫を相手にしているらしい。そいつに餌をやるべくかなにか、どっこいしょ、という豪快な掛け声とともに板が軋む音がする。その道の横を自転車が忙しなく通り過ぎて行った。


「なんだか、パラレルワールドみたいやね」


「何が?」


「この道と、あの家。」


「...どういうこと?」


「ふふふ」


 楽しげに声を漏らした彼女は、ああ、そういえばと首をこちらへ向けた。長い睫毛は雨に濡れてしまっていて、もしかしたら彼女は傘を差すのが下手なのかもしれないとこっそり考える。


「山月記、なかなか難儀な話やったね。」


 ここで僕は彼女が会話において意外とお転婆であることを知った。山月記。つい最近国語の時間で習った話だ。主人公、李徴が詩人になることを熱望し、それに執着し盲目になったが故に何故か虎になるという話。臆病な自尊心、尊大な羞恥心。優秀だった彼は自分の実力に驕り、詩人になることを夢みて、しかしそのための努力はしなかった。


「山月記?授業でやったやつか。」


「うん。君はどう思った?」


 そして意外と投げやりなことを言う。恋は盲目、ということでそんな投げやりにも僕は必死にしがみついて何とか言葉を探していくしかない。


「きっと李徴が書く詩ってのは中途半端な感性が作り出した虚構の詩だったんだろうなって、彼の本当の内面を詩にしていたら世間からの評価は変わっていたんじゃない?」


「じゃあ、君はそんな生々しいもの、読みたい?」


「いや、俺は虚構を選ぶよ。生々しい詩って疲れるから。」


 俺の返事に、彼女はうーん、とうなった。数秒の沈黙の末、再び話が始まる。


「李徴はすごく賢かったはずやけど、どうして売れやすいはずの生々しい詩を書かなかったんやろ。」


「そりゃあ、自分の内側を露呈させるのが怖かったからじゃないか?」


「じゃあ、生々しい詩を読むと疲れるのはなんで?まあ正確にはそういう人もいるって話になるけど。君みたいに。」


 来た、と思った。お得意のクイズだ。ここまで来るともはやこの意味深な問いかけさえ悪戯心溢れる可愛いものに思えてくる。人々が生々しい生より美しい虚構を求めるのは何故なのだろうか。


「それを読む人の心もまた虚構で守られているから、っていうのはどう?生々しいものに触れてその鎧が剥がれ落ちるのを恐れている、とか。」


「へえ、君はじゃあそうなの?」


 彼女の瞳がからかうような色を持ち始める。


「皮肉。」


「はは、気にいった。」



 その翌日から、彼女は突然学校に来なくなった。1週間、1ヶ月とそれが続いて、ついに3ヶ月がすぎたある日、上坂さんは他所の高校へ転校されましたと担任から伝えられた。わっと教室がざわめく。しかし特段彼女と仲良くしている人もいなかった教室では、せいぜい取るに足らない噂話が囁かれるので精一杯だった。カミサマ、とか呼んでたの嫌だったとか?なんて殊勝な呟きが教室を圧倒するなか、僕はと言えば折れたシャー芯をノートに擦りつけて芯の消費に必死になっていた。この教室は彼女にとって窮屈だ。彼女と会話したことなんて数える程しかなかったはずなのに、その時、僕は彼女を誰よりも知っている気でいたのだ。


 2

 僕はその後そのまま高校を卒業して、なんとなく大阪の大学に入学した。真夏の海岸沿いは酷く暑くて風呂の中をもがいているかのように体が重い。途中の海岸で自転車を止める。見知った黒髪があった。その奥は海、場所は崖である。


「やあ。」


 ゆっくりと振り返った彼女は、腕に小さな子どもを抱えていた。大きな目を少し見開くと、ゆっくりと細める。


「久しぶり。私の事覚えててくれたん。」


「何...してるの。」


「入水?」


 それは、死にたいということなのだろうか。寄りにもよって俺の目の前で。顔の緊張を読み取ったのか、彼女は薄く笑って首を横に振った。


「別に死ぬわけやないよ。憧れてはいるけど。」


「...違いがわからない。」


「死にたいっていうのは能動的なもの。けど、憧れるのは受動的なもの。」


「偶然、死にたいの?まさか、崖から落ちて?」


 パチリと指を鳴らして彼女は瞳をぎゅ、と細めた。海の前に佇む彼女の黒髪は風に靡かれながらも肩に纏っている。どうやら正解と言いたいらしい。


「そんなん、こんなとこにいたって、簡単に崖崩れなんて起きないし、」


「それはまぁ、そうやね。でもこれでいいの。」


「なんで?」


 間髪入れずに質問を叩き返す。会話を少しでも途切れさせると、あ、じゃあ時間だから、とか何とか言われて海にさらわれてしまう気がしたから。そうやって海にさらわれる彼女を、僕はきっと永遠に忘れられないのだから。よくある青春SF小説のような安くてがさつな妄想のなかで、彼女は悪戯に微笑みを強めた。


「だって死んじゃうじゃない、この子。」


 ついに彼女は声を上げて可笑しそうに笑いだした。停止していた僕の時間がとてつもないスピードで戻ってくる。聞きたいことが溢れてたまらなくなる。手が震える。足で思いっきり地面を蹴ってしまいたかった。それを抑えて抑えてやっと口から出てきたのはいつかの、そう、いや、なんの取りとめもない話だった。やはり、僕はモブFでしかない。


「赤ちゃんの名前は?」


「サクラ。花が咲くの咲く、でサクラ。」


 正直子供の名前なんてどうだって良かった。その子は君が産んだの?相手は?転校したわけじゃないだろ、中退したのはそれができたから?だからってそんなことを軽々と聞けるほどの仲では無いし、だけどどうしても微笑む彼女の瞳が危なくて、じゃあ俺行くから、なんていえずに彼女を見つめ続ける。


「この子のこと、気になる?」


 もう飛びつく勢いで頷いた。腕の中の赤ん坊が顔を綻ばせると、彼女も嬉しそうに、愛おしそうに微笑む。


「好きな人が出来たんよ。それでこの子ができて、流石に隠し通せなくて、父方の実家がある北海道で産んだ。でも、この子を里子に出すって言うから逃げてきた。」


 ああ、分かると思うけど相手は消えたよ。もうさっぱりと。すがすがしいくらいやわ。まあ、こんなことになってしまって父と母には申し訳ないって思うんやけど、でもどうしても諦められなくて。どうなるんやろうね、あんたと離れ離れになるの、お母さんは嫌やわ。


 そう話す彼女は酷く人間味に溢れていた。なにかに必死になってしがみついて、それでいて言い訳を探している。僕が彼女に見ていた夢は見事に打ち砕かれたわけだが、不思議とがっかりはしなかった。気がつけば僕は唯一であることをあきらめていたのだ。そういう自分を受け入れることで大人になったのかもしれない。


「怒った?」


「...いや、別に、驚いてはいるけど。」


「そう?」


 ざざ、という波の音に混じって近くの家から老夫婦の話し声が聞こえる。


「クチナシの花がたくさんだねぇ。」


「ああ、昨日はひとつしか咲いてなかったのになぁ。」


 毎日花の数を数えるなんて、そんな穏やかな日常が自分の激動の毎日と同時に起こっていることが何故か不思議だった。自分が一分一秒を惜しんで講義やらバイトやらやっている間に、この老夫婦は花を数えてゆったりと言葉を交わすのだ。直線の毎日と曲線の毎日が交わる、そんな瞬間。その時の流れのギャップを、彼女はパラレルワールドと形容するのかもしれない。彼女の線はどんな形なのだろうか。あの日、確かに僕の線と交わっていたのだろうか。きっと今、彼女と交わっているのは赤ん坊のか細い線一本なのだろう。まさに蜘蛛の糸のようなそれに、彼女はしがみついているのかもしれなかった。


「あっ、そろそろ次のバスが来るわ。私行くね。」


「ああ、うん。またいつか。」


 驚くほどあっさりと僕らは別れる。もしかしたら彼女たちはすぐ死んでしまうのかもしれない。事故死を願ったまま、本当に死んでしまうかもしれない。彼女はそれも人生だと受け止めるつもりなのだろうか。腕に抱いた赤ん坊はきっと納得していないだろうに。彼女もそれをわかっているだろうに。


 崖の縁に立ってみる。ゆったりと揺れる青黒い海面が僕が見た陽炎を押しやって、こちらへと誘った。崖を離れる。駐輪場に自転車を止めて電車に乗った。テストのために単語帳を開きながら周りを見渡すと、驚くくらいに普通の日常だった。隣に座っている人も同じように単語帳を開いている。子供でいることをいつのまにか諦めていた僕は、きっといつのまにやら大人になっていたのだろう。高校生の時に彼女の妊娠のことを知っていたら、違うことを考えていたのだろうか。今となってはもはや答えの出ないその問いに、執着したいような気もした。

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