第7話 「 まどろみ 」

 今、私の中には不思議な予感がある。それは自分個人にではなく、この街、或いはこの地域周辺に関してだ。この街は遥か北に向陽山(こうようさん)を頂き、その扇状地の先に広がる平地に私たちの多くは居を構え生活している。そして前には来貢(らいこう)湾(わん)、その先には遥か大海原が広がっている。大都市とまではいかないが、近年では交通手段の整備に伴って(十年前には地下鉄も開通)、少しずつ、そして確実に都市化、近代化の波がこの街の隅々にも押し寄せている。

 もちろん私はそれを頭ごなしに否定するわけではない。私の家は代々地元の資産家として、特に戦後は地域の産業活性化の旗振りを担ってきたわけだし、その苦労が並み大抵ではなかったことは昔語りによく聞かされてもきた。山と海に囲まれてきたこの田舎の町にとって、時流の波に乗ることはなにより生き残りを意味したはずだ。そして「町」が「街」となった今も尚、それは様相を変えながらも続いているのだから。

 その中で私たちはいろんなものを手放してきた。致し方なかった場合もあるだろうが、大半は火の付いた欲望のままにそれまで大事に受け継いできたものをかなぐり棄ててきた。そして大昔からこの土地を守ってきたモノにとって、そんな私たちの一時の企ては、もはや幼子の戯れを越える峠の時期に来ているのかも知れない。

 何かが起きる気配がする。いや、もう既に起きている。それら一つ一つが、今後訪れる大いなる変化の小さな前触れなのだ。私にはそれが怖ろしくも、何故か一方で懐かしさを以って感じられる。そして不謹慎とは思いつつも、それを我が目で見てみたい、そんな業欲すら感じている。

 私たちはおそらくそれからも生きて行く。しかしそれはもはやこれまでの延長線上ではない。所謂0からの出発ですらない。私たちはあまりにも変わり過ぎてしまった。あまりにも流され過ぎてしまった。だから私たちは、多分一度海へと還るのだ。


 私はハッとする。そして思わずキーボードから指を離し、近くの時計で時間を確認する。午前一時過ぎ。今日はこれまでの記事を見直し、今後の取材計画を検討していた。

突然書籍化が決まったのだ。どうやらホラーものを主に扱っている出版社らしいが、私のサイトの記事を見て興味を持ったらしい。担当者とのメールでのやり取りがあり、半年後には本を出す。その為にはこれまでの分の記事とは別に、この「青いチケット」に纏わる出来事のより背後を探る必要がある。私はそう強く担当者に進言したのだ。

「都市伝説の裏を取るってことですね」

 担当者はそう返してきた。私にはその意味がいま一つピンとこなかったが、とりあえずこちらの意図が伝わった感はあった。そして今夜、私は一日の作業を終え本のあとがきの原稿を書いている。そして一瞬我を失っていた。

疲れてるんだなあと思う。それでなくても普段はタウン誌編集の仕事をして、足繁く人に会い、出来事に耳を傾けている。こんな生活を続けていたら多分いつかはおかしくなる。ごく普通に。でも生きている以上、当面止めるわけにはいかないのだ。

何故だ?

私は先の原稿を読み返す。自分で書いておきながら、何だかその文章にはえも言われぬ雰囲気が漂っている。まるで誰かに書かされたかのように。しかし確かにその中身は私が折に触れ考えていたことだ。私は今、時間をかけてこの街の、地域の地理・歴史を紐解いている。それに詳しい人にも会っている。その中で少しずつ(と云うより僅かずつ)私の中に滲み出てきた思いがある。

「この街は、ありふれていながら特別だ」

 つくづくそう思う。自分の生まれ故郷と云う思い入れとしてではなく、この場所は昔から聖なるものと邪なるものが交錯する不思議な土地なのだ。その中で新旧が入れ換わり、過去と未来が拮抗する。力が生まれ、そして死んでいく場所。


 そんなこの街で、今人々が姿を消しつつある。まるで何かに吸い込まれるように。現(うつつ)からかくりよへと生きながら旅立っていく。それが何を意味するのか、私にはまだ分からない。そして一体何がきっかけなのか?

 そもそも私たちをこの日常に繋ぎ止めているのは何なのだろう?死にたくない。そんな本能的恐怖心からだろうか?それとも、人間は何かを為すために生まれてきた、と云う哲学に因るのだろうか?私にはそのどちらでもない気がする。ただ、私たちは本当にささやかな、危うげな何かに支えられて毎日の生活を続けていることだけは確かなようだ。そしてその何かを手放してしまった時、私たちはおそらくこの世の重力から解き放たれてしまうのだ。


 多分、私も既に「青いチケット」を手にしつつある。その存在を近くに感じるのだ。私の意識はそれを怖れ、拒み続けているが、私の無意識は既に心を開いているようだ。そしてその度合いは日に日に増しつつある。

 一体どうなってしまうのだろう?私は私でいられるのだろうか?もし別の存在と姿を変えるのなら、この今の私は、その何がしかの布石・礎となり得るのだろうか?


 私は再び時計を確認する。もう今夜はこれくらいにしよう。夜も更けた。おそらく明日この文章を読み返せば、私は丸ごと消去してしまうに違いない。しかしそれでも良い。今はただ、書き綴ることに意味があると信じるしかないのだから。

そして明日はまた、この街に何かが起こるに違いない。それを追う為にも私はひと時、眠りにまどろむ必要があるのだ。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る