第6話 侍女の気持ち

「あ、えっと……なにか、あった?」


 ベルの入浴の世話をするために、ジゼルは一緒に浴室へ向かったはずだ。


「いえ、そういうわけでは……申し訳ありません、いきなり部屋にきてしまって」

「いや、全然、それはいいんだけど」


 ジゼルは少しだけ申し訳なさそうな顔をしたが、基本的には無表情だ。

 どうやら、あまり感情を顔に出すタイプではないらしい。


「ベル様は今入浴中です。私もすぐに戻らなくてはいけないのですが、どうしても、コルベット様にお渡ししたい物がありまして」

「俺に?」

「はい」


 頷くと、ジゼルは胸元から小さな袋を取り出した。


「どうぞ」


 袋を受け取る。かなり軽くて、中に何が入っているのかは分からない。


「開けていいか?」

「はい」


 丁寧に袋を開く。すると、中に入っていたのはお香だった。


 この世界にもあったのか。

 まあ、確かこういうのって、かなり古い時代からあったもんな。


「ベル様のお気に入りのお香です。貴重な物なので、滅多に使えませんが」

「貴重?」

「ええ。遠くから取り寄せないといけませんから。……頻繁に買えるほど、ルグラン家には余裕がなかったので」

「……なるほどな」


 このお香がどれほど貴重な物かは分からないが、たぶん母さんに言えば、すぐに取り寄せられる気がする。


 お香が好きなら、今度プレゼントしてみるか?

 物で釣るようなやり方もどうかと思うけど、ベルには喜んでもらいたい。


「それで、今晩はこれを部屋で焚いてほしいのです」

「今晩?」

「はい。ベル様はとても緊張していらっしゃるので、少しでもそれがほぐれたらと。私の、勝手な気遣いかもしれませんが」

「いや、ありがとう。香りにまで気がまわってなかった」


 俺の言葉に、ジゼルは安心したような顔で頭を下げた。


「では、私はこれで」

「あ、ちょっと待ってくれ」


 立ち去ろうとしたジゼルを、とっさに呼び止めてしまう。


「どうかしましたか?」

「……その、えっと……正直に答えてほしい。ジゼルはこの結婚、どう思ってるんだ?」

「……それは」

「率直に教えてほしい」


 ジゼルは、小さい時からずっとベルの傍にいた。

 そんな彼女から見て、今回の結婚はどうなのだろう。


「……おめでたいことだと、思っております」


 そう答えた彼女の声は、わずかに震えていた。嘘をついているようには見えない。ただ、様々な感情が声に込められているのは確かだ。


「ベル様は次女です。いずれどこかへ嫁ぐことは決まっておりました。美しい方ですので、求婚者も少なくありませんでしたし、旦那様……ベル様のお父様はずっと、いい結婚相手を探していました」


 淡々と話そうと努力しているのが伝わってくる。

 うん、と俺は静かに頷いた。


「いい結婚相手、というのは、ルグラン家にとって、という意味です」


 ジゼルが、ゆっくりと長い息を吐く。


「ですが私は、ベル様にとっていい結婚相手をずっと望んできました」

「……その観点でいくと、俺はどうなんだ?」

「期待しています、とだけ」


 初めて、ジゼルが俺の前で笑った。

 クールな印象が消えて、とたんに柔らかくなる。


 この子って、こんな顔で笑うんだな。

 ちょっと怖い子かも、なんて思ってたけど、主人思いの優しい子だ。


「優しい方でよかったと、本当に安心しています」

「……ありがとう。期待を裏切らないようにする」

「はい。もしベル様を傷つけるようなことがあれば、私、その時の覚悟はもう決めてありますから」


 ジゼルが真っ直ぐに俺を見つめた。

 きっと、この言葉は事実だ。もし俺がベルを傷つければ、ジゼルは間違いなく俺の命を狙うだろう。


「どうかベル様のことを、幸せにしてあげてください」

「……ジゼル」

「あの方には、笑顔が似合いますから。……では、私はこれで」


 頭を下げると、ジゼルは足早に去っていった。

 背筋がピンと伸びていて、後ろ姿まで格好いい。


「ベルのこと、本気で大切に思ってるんだな」


 きっとジゼルもこの結婚に対して、いろいろな不安や不満を抱えているのだろう。

 そんな中で俺に優しい言葉をかけてくれたのも、ジゼルがベルを大事に思っているからだ。


 いつかジゼルにも、ベルの夫としてちゃんと認めてもらいたい。


「……お香、もうちょっとしたら焚くか」


 風呂上がりのベルを、お気に入りの匂いで迎えてあげよう。

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