第5話 初夜への不安

「これ、すごく美味しいですわ」


 そう言いながら、ベルはまた肉を口へ運ぶ。大量に並べられていた料理の大半は、彼女の胃袋におさまってしまった。


「よかった。その、気に入ってくれて」

「だって、どれも美味しいんですもの」


 笑顔でベルに言われると安心する。

 彼女はここへきてから、ずっとこの可愛らしい笑顔を保っているのだ。


「足りなければ、まだ用意させるから、遠慮しないで」


 向かい側に座っていた母さんが口を開くと、ありがとうございます、とベルは深々と頭を下げた。

 彼女がここへきてから数時間経ったが、彼女はずっとこんな調子だ。

 俺に対しても母さんに対しても、屋敷にいる使用人たちに対してすら礼儀正しい。


「あの、わたくし、コルベット様に一つお願いがありますの」

「お願い?」


 ベルは顔の前で両手を組み、じっと俺を見つめた。大きな目が潤んでいる気がして、どきっとしてしまう。

 こんな風にお願いされたら、たいていのことは受け入れてしまいそうだ。


「この料理、後でジゼルにも食べさせてあげたいの。だめかしら?」


 ちら、とベルは壁際に控えるジゼルを見つめた。


「いや、大丈夫だよ。彼女の部屋に届けるよう手配する」


 穏やかに見えるような笑顔を心がけて返事をすると、ベルは瞳を輝かせた。


 美味しい料理を彼女にも食べさせてあげたい、なんて、本当に大切に思っているんだな。

 小さい時からずっと一緒だと言っていたし、使用人というより、友達みたいな感覚なのか。


 転生した俺には、使用人と主人との一般的な距離感はよく分からない。

 だが、仲がよくて悪いことはないだろう。


「コルベット様がお優しい方で、わたくし、とても嬉しいですわ」

「ベル……」

「どんな方かしらと、少し不安でしたの」


 安心しました、と言いながら、ベルは果実酒の入ったグラスに手を伸ばした。

 先程からかなり酒を飲んでいる気がするが、ベルは顔色一つ変わっていない。


 そうだよな。不安じゃないわけないよな。

 ベルにはきっと、俺との結婚を拒むなんて選択肢、なかったんだろうし。


「なにかあったら、すぐに俺に言ってくれ。できることはするから」


 俺の本心だ。望まない結婚だったかもしれないが、これからは、ベルに幸せになってほしい。


 そしてまあ、それが、俺の幸せにも繋がってくれるといいんだが……。


「ありがとうございますわ。じゃあとりあえず、もっとお酒をもらえないかしら?」


 そう言ってベルは、グラスに残っていた酒を一気に飲み干した。





「では、また後で」

「あ、ああ。待ってるから」

「ええ」


 ベルは微笑んで、広間から出て行った。入浴のためである。


「コルベット、上手くやるのよ」


 俺を見つめ、母さんは力強く頷いた。母親にこんなことを言われるのは微妙な気持ちだが、応援してくれるのはありがたい。


 これから俺は、ベルとの初夜を迎える。

 しかし俺には当然、一切そういう経験がない。もちろん知識はあるが、上手く実践できるかはまた別だ。


「うん、頑張る」

「その意気よ。なにかあったら、わたくしに言って」

「……いや、まあ、それは大丈夫だと思う」


 というか仮に何かがあったとしても、初夜のできごとを母親に相談するのはごめんだ。

 そんな俺の気持ちを察したのか、母さんはくすりと笑った。


「じゃあそろそろ、貴方も部屋へ戻りなさい。入浴が終わったら、貴方の部屋へ行くよう伝えておくから」

「ありがとう、母さん」


 ベルの部屋は、俺の部屋のすぐ隣に決まった。しかし今日、彼女が自分の部屋で眠ることはないだろう。


 いや、もちろん、嫌がられたら、無理やりするつもりはないけどな。


 だが結婚する以上、ベルもその覚悟を決めているはずだ。


 頭の中でいろいろと考えつつ、俺も広間を出て部屋へ向かった。





「……今日、ここに、ベルがくるんだよな」


 いつもより丁寧に整えられたシーツを撫で、深呼吸する。

 彼女と夜を共にする妄想は何度もしてきたが、あと少しすればそれが現実になるのだと思うと落ち着かない。


「とにかく優しくして、焦らず、ゆっくり……」


 俺が昔ネットで見かけた知識を必死に復習していると、コンコン、と部屋の扉がノックされた。


 ベル、もうきたのか!?


 まだ、彼女は風呂に入ったばかりのはず。慌てて扉を開くと、そこに立っていたのはジゼルだった。

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