第6話  英雄を信じるな


 あるとき、英雄らが立ち寄った村でのこと。

 村の長は、彼らに対しこう言った。

「お求めの鍵でございますが。聖剣携えし英雄殿の頼みとあらば、喜んでお渡しいたしましょう。ただ……村を襲う魔物どもの群れが、いくつかありましてな。それらを平らげていただいてから、ということで」


 魔王はかつて、古の時代にも現れたという。そのときには、神より聖剣を授かりし古の英雄が、多くの人々の犠牲の下、魔王を倒したという。

 その折――または間の抜けたことにその後――、人々はしばしば門を築いた。魔王が本拠としている山から、人里への道に。魔物の往来を防ぐため。

 とはいえ、空を飛ぶ魔物も、人には行けぬ高山を駆ける魔物もいる。結果、そうした門はしばしば、人の往来を妨げるのみの結果に終わった。

 それでも。今、人は再びその門を閉ざした。魔物に襲われ犠牲を払いつつ、無理に修復をしてでも。いくらかでも、魔物を防げればと。


「あほらしいな」

 宿の部屋に戻った後、ベッドに腰かけて。酒を酌みつつ、英雄はそう言った。


 呪腕も――別の瓶から――酒を酌んで言う。

「同感だね。実に珍しいことだが」


 英雄は身を乗り出す。

「なあ? そんな効果の薄い門よりも、真の平和を望むならだな。英雄様にさっさと鍵を渡せばいい。魔王の住まう山岳への、道を塞ぐ邪魔な門の。さてもさても、あほらしいな」


 酒を口にした後、呪腕は言う。

「とはいえ、だね。村には大きな問題なのだろうよ。……討伐対象は村より北、その門の近くに巣食う人喰い鬼。東の渓谷に潜む邪竜。西の平原を跋扈する魔狼。……何とも時間を食いそうではあるがね」


 ふん、と鼻で息をつき、英雄は杯を乾した。

「やれやれ、自分のことしか考えない人間の多いこった。……お、どうした、風斬り」


 寝間着のままで抜き足差し足、部屋の外へ向けて歩いていた風斬りは。言われて身を震わせた。身の丈を越える野太刀を抱き締めたまま。

 首を横に振り回し、そのまま小走りに出ていった。


 英雄は小さく笑う。

「ありゃあ、小便じゃねえな」




 その後、夜遅く。

 ベッドで寝ていた英雄の肩をつついた、野太刀の柄の先が。

 目を覚ました英雄の鼻先に、風斬りは鍵を突きつけた。子供の腕ほどもある、門の鍵を。

 ほほ笑み、見上げるような目をして聞いてくる。

「うれ、しい?」


 聞けば。風斬りは二人の話を聞き、鍵が必要だと思い。受け取りに行ったのだという。長の所へ。

 そうして、鍵を受け取るのに、邪魔をする長と数人の者は。野太刀の鞘と柄の先で、殴り倒してきたという。


 英雄は満面の笑みを浮かべ、何度も風斬りの背を叩いた。

「そうか、でかした! いやあ心が無い、実に心が無いな君は! 倫理などという下らぬものには目もくれず、最短で問題を解決するとは! 素晴らしいな君は、お前という奴は!」


 起こされ、話を聞いた後。呪腕の顔がさすがに引きつる。

「待て、待て……! 別の問題が起こっているだろうそれは! どうすればいいどうする、とにかく先方に謝って――」


 際限なく辺りを歩き回る彼女に、英雄はしかし笑った。

「全く! 全く心が無いな君は、素晴らしい! この状況で謝って、許してもらえると思うとは! いやあ君は、お前は何も分かってない! 実に実に心が無い!」


 思い切り顔を引きつらせ、呪腕は言う。

「だったら! だったら、どうしろと!」



 英雄はほほ笑み、荷物からペンとインクを取り出し。宿のシーツに大きく書いた。

『長殿の英断、真に真に痛み入る』

『世のことを真に憂い、早く魔王を倒せ、とは』

『村のことは村のこと、やはり自身らで解決しよう、とは。実にありがたき仰りよう』

『大門の鍵、ありがたく我ら頂戴いたした。ただしせめてもの礼、大門近くに巣食う魔物、こちらは討伐いたそうぞ』

『これより後の世、英雄の勲功語られるとき。必ずや長殿の英断、村の諸君の奮闘。共に永劫、語られましょうぞ。詩となりまた歌となり、永劫語り継がれましょうぞ』

 宿の回りで、騒がしく人声が上がり始めた頃。

 三人は馬車に跳び乗った。呪腕が手綱を利かせ、跳びかかる人影を風斬りが鞘で打ち、あるいは英雄が蹴落とした。

 そうしてそのまま、大門の前で道を塞ぐ人喰い鬼を斬り。門を開けて、旅を続けた。




「英雄を信用するな」

 そう言い放った、呪腕は背後の風斬りに。武具の店で、特注の魔導杖を受け取りながら。英雄は宿を取るため、一人先に行っていた。

 彼女は密かに杖の継ぎ目を押し上げ、中の刃を確かめる。細剣を仕込んだ特製の杖。もしも魔力が尽き、そこで万が一、英雄が何か企むようなら。これで一突きをくれてやろう、そう考えていた。


「しんよう、って?」


 目を瞬かせる風斬りに、ため息をつきながら呪腕は答えた。

「信じること、その人の言葉を真に受けることだよ。……あいつの言葉は、本気にするな」


 風切りはなおも、澄んだ目を瞬かせて呪腕を見上げた。

「そうなの? よく、分からないけど……じゃ、あなたは? あなたのは?」


 質問の意味を考えた後、呪腕は言った。

「私も、奴を信用してはいない。だが、私のことは……信用してくれ。私の言葉に、嘘はない」

 身をかがめ、両手で風斬りの肩をつかんだ。くまなく魔方陣が刻み込まれた黒い左手と、今はマントに包んで隠した、魔力で形成した右手。おぼろげに輪郭を揺らす、電光の塊のようなそれで。

 真っ直ぐに目を見て言う。

「君を人斬り人形だなんて、魔物斬り人形だなんて思ってはいない。君にはちゃんと、心がある。妖刀の呪いで隠れているだけで。……魔王を倒したら、一緒に探そう。その呪いを解く、別の方法を。約束だ」


 風斬りが抱き締める野太刀が、鞘の内で震えた。それが肯定なのか拒絶なのか、あるいは別の感情なのか、呪腕には分からなかったが。

 風斬りは、何も言わずうつむいた。




 三人は強かった。どんな魔物も彼らにかないはしなかった。

 辺りを埋め尽くすような魔物の群れを、草でも刈るように風斬りが断つ。駆け抜けて斬り、跳ね上がりつつ刀を振るい、周囲の首をまとめて飛ばし。着地しながらも渦を巻き、向かいくる者の脚を伐り払い。さらなる敵に向かって駆けつつ、提げた刃がついでとばかりに、倒れた敵の腹を裂く。

 風斬りの強さはもはや、人間の枠を越えていた。刀の理(ことわり)に全て身を委ねた、斬るための動きを体現していた。


 それを見るたびに呪腕は、あるいは本当に風斬りには心が無いのではないか、そう思い。そのたびに強くかぶりを振った。

 風斬りが取りこぼした者らには、呪腕が魔導の炎と風、雷を惜しみなく浴びせ。それでも残る者には、彼女だけの魔導を喰らわせてやった。

 左手の魔導杖、先端の輝石が光ると同時、迸る。黒い電光にも似た魔力が。それはたちまちに敵へと絡みつき、綱のように網のように、幾重にも幾重にも絡み。敵の動きを押さえつける。

 この術、拘束の魔導は彼女の最も得意とするところだった。何しろ物心つくかどうかのころから、その身を以て何度も何度も学習していた。父親がまさにその魔導で彼女を拘束し、彼女の身に魔方陣を刻み込む。そのたびに身を以て、何度も何度も。


 そして呪腕は、身動きを止めた敵に悠々と近づき。魔力の網を引き上げ、こじ開けた敵の口の中へと、自らの右腕を深く突き込む。失った腕の代わり、魔力を以て構成したそれを。肘まで肩まで突き込むように。

 そうして解放してやる、腕を構成していた魔力を、その枷を外すように。

結果、魔物は皆同じになる――呪腕の父や、あるいは母と。体の外からの炎や雷を耐える魔物はいても、内側からの『呪腕喰わせ』に耐えられる魔物などいなかった。


 そうして。残った魔物を、あるいは二人がすでに痛めつけた、首領格の魔物を。鼻歌でも歌うように、英雄が狩る。

 ほとんどの場合、魔物は英雄の体に触れることさえできなかった。剣から吹き上がる神気、彼の身をも覆うそれに触れたとたん、魔物の体は焦げつくような音を立て、煙を上げる。

 剣を振るっても同様だった、神気をまとうその刃は、魔物の体をたやすく裂いた。まるで融けかけたバターを斬るように。

 それでも、よほど手ごわい魔物であれば、神気に身を焦がしつつも彼の身を爪で傷つけ、魔導の炎を吐きかけたが。

 英雄はおとなしく、そして素早く身を引き。二人の仲間に後を任せる。そうしてさらに弱ったところを、聖剣でもって討ち取る。

首なり角なり、魔物退治の証を切り取り、近くの村へと凱旋する。神気吹き上げる剣を持つ、英雄を先頭に堂々と。




 ――何とも何とも。順風満帆といったところ、実にうらやましい限りですな。ですが、いつまで続くことやら。

 ときに、魔王がなぜ人間を狩るかご存知ですかな? 聞くところによればそれは、「人間が汚いから」だと。「その心が薄汚いから」。人間同士、同族同士で、騙し、謀り、他者から奪う。果ては互いに殺し合う。歪んだ心持つ生物、とても地上の覇権を握らせてはおけぬ、と。……いやはや、迷惑千万なお節介でございます。

 とはいえ。その言、一理なくはない。ある種の正義の一欠片はある。そこへもって、いったい大丈夫でしょうかな? 英雄殿らのような、歪な関係を抱いた者らで。

 言うまでもありませんな。なぜ彼らの武器がここに、当店にあるのかを考えれば――。


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