第18話 11年の時を超えて

 玻璃はり殿でんの前庭は、この日を心待ちにしていた官吏達で埋め尽くされていた。鬼羅きらが玻璃殿の磨き上げられた回廊の中央席に姿を現わすと、居並ぶ官吏が深々と頭を下げる。前庭の中央に用意された舞台の周りに、多数の灯篭が灯されていた。


 やがて、舞台脇に並んだ楽団が雅な音楽を奏ではじめ、鬼羅はぼんやりと舞台を見つめる。舞台裾から、美しい踊り子達が姿を現わし、前庭の男達が密やかに興奮する気配が伝わって来た。なるほど、彼女らは、従来の舞姫と違って、かなり露出度が高い衣裳を身に着けている。肌を露出した女達がこうして踊っていたら、それは人気にもなるだろう、と鬼羅は内心、楽団責任者の商才を称えた。


 鬼羅の傍にはきょうみなとが控えていたが、侠は相変らず無表情に、湊は目を輝かせて舞台を見つめている。湊がたまに小声で「来たあ!」と呟いているのは、恐らく、例の一番お気に入りの娘が正面にやってきた時なのだろう。鬼羅は、官吏達のだらしない顔も観察しながら、なんとなく舞台を見つめていた。その時だった。


 舞台奥から、一人の細身の踊り子が、ゆっくりと舞台中央へと歩いて来た。衣裳が他とは違って露出されていないし、頭にも美しい薄布を被っている。慣れていないのか、他の踊り子達とは明らかに違う動きだ。だが、なんというか、所作に気品があった。鬼羅は、舞台に幾人もの踊り子が舞っている中、自然とその娘に視線を吸い寄せられていた。隣に控えていた湊が、つんつん、と鬼羅の上衣の裾を引っ張った。彼は小声で囁く。


「あれ、新人かな。俺の買った美人画の中にはいなかったけど。すげえ目立つね」


 鬼羅は、彼の目ざとさに呆れながら、体を元に戻す。ふいに強い風が吹いて、玻璃殿の前庭に一本ある桜の木から、花びらが散った。鬼羅が舞い散る花びらを目で追った時。


 時間が止まった。舞台正面の彼女と、視線が絡む。こんなに距離があるのに、その瞳の燃えるような輝きに、鬼羅の瞳は捕らえられる。


 思わず身を乗り出したが、彼女は既に、鬼羅から視線を外し、舞い散る桜の花びらの中を、こちらに背を向けて歩いて行ってしまった。その細い背が他の踊り子たちに紛れ、暗がりへと消える。


 楽団の演奏が止んだ。侠が、鬼羅にそっと声を掛ける。


「……鬼羅様。ご退出を」


 鬼羅はハッと辺りを見回した。静まった前庭で、官吏達が主の退出を無言で待っている。鬼羅は内心の動揺を気取られぬように、鷹揚おうように立ち上がり、玻璃殿を後にした。私室に向かう回廊に差し掛かった時、背後に従う侠が、鬼羅にさりげなく問いかけた。


「……ご興味がおありでしたら、あの娘を宮殿に寄越すよう、座長に命じておきますが」


 相変らず、勘のいいやつだ。鬼羅が侠を振り向いた時、後ろから湊が走って来て、鬼羅に折り畳んだ小さな紙切れを渡した。


「楽団の座長から、国王陛下に、って」


 鬼羅は無言でそれを開く。二人は、じっと彼を見つめていた。やがて鬼羅は、苦笑しながらそれを侠に渡し、言った。


「つくづく商魂たくましいと言うか、抜かりのない奴だ」


 侠が渡された紙片を読み上げた。湊がそれを覗き込む。


『親愛なる暁の国王陛下。此度は由緒正しき玻璃殿での公演をお許し頂き、恐悦至極きょうえつしごくに存じます。私共からの感謝と敬愛のしるしに、先の娘に陛下の御前で特別な舞をご披露させましょう。後ほど寝所に伺わせますので、宜しくお取り計らいのほどを』


 侠が含み笑いをした。


「……こちらから命じるまでもありませんでしたね」


「なんだよー、いいなあ、鬼羅。あ、でもさ」


 湊から人懐こい雰囲気が瞬時に消え去り、その瞳に、再び、あの攻撃的な光が宿った。声もすっかり別人のように冷たく変わっている。


「もちろん、最初は俺達も同席するからな? 誘惑しに来た女が刺客だったなんて、よくある話だ。もしもお前に傷一つでもつけようとしたら、俺が一瞬で首刎ねてやる」


「……湊ほど過激ではありませんが、俺も同感です。宜しいですね? 鬼羅様」


「相変わらず、過保護な奴らだ。女一人くらい、私一人でなんとでもなる。が、まあいい。お前らも、ついでに特別な舞とやらを見せてもらえ」


 鬼羅が寝所の続き間で一人酒を飲んでいると、ほとほと、と扉が叩かれる静かな音がした。


「陛下。お連れしました」


 侠だ。鬼羅が「入れ」と声をかけると、侠と湊が、後ろに小柄な人影を従えて室内に入って来た。侠が彼女に扉を入ってすぐの場で控えるように言い、鬼羅の傍らまでやって来る。湊は、彼女の動きに注意を払いながら、壁際で立っていた。腕組みをしてはいるが、隙あらば背中の刀を抜こうという姿勢だ。女は身動きもせずじっと立っているが、その顔は、薄暗い室内なのと、頭から薄布を被っているために見えない。


 鬼羅は、黒檀の豪華な椅子に足を組んで座ったまま、冷たい声で言った。


「……何者だ、女。貴様、踊り子などと偽って、私に何の用だ。偽るのであれば、楽器の一つも持って来るべきだな。そのなりでは、これから舞を披露するなどとは、とても思えんぞ」


 空気がぴんと張り詰めた。だが女は、鬼羅の声に動じた素振りもなく、頭から被っていた薄布を取って、数歩、前に踏み出した。湊が刀に手を伸ばそうとする、が、彼女はそれを制した。凛とした、透き通った声だった。


「お下がりなさい、無礼者。私は、あなたの主に危害を加えるつもりなどありません」


 湊の動きが、ピタリと止まる。彼は、困惑した視線を鬼羅に送る。侠もまた、目を見開いて彼女の姿を見つめていた。彼女は、湊の動きが止まったのを確かめると、すっと顔を前に戻した。鬼羅は、思わず姿勢を正し、身構えていた。彼女は、部屋の中央まで来ると、その場で歩みを止める。そして、優雅に頭を下げ、あの、燃えるように輝く瞳で、鬼羅を見つめて言った。


「お目にかかれて光栄です、鬼羅国王。私の名は、花月。瑞の女王です」

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