第12話 執念の王子

 数日後、護衛府より、国境付近で遂に両軍が接触した、との一報が入った。情報収集と前線への物資の補給手配などで、宮廷はこれまでにない程の喧騒に包まれた。


 開戦の一方が国中を駆け巡り、王都の民も浮足立った。勇ましく武器を取る者、不安そうに往来に佇む者。民の動きを宮殿の高楼こうろうから見ていた花月は、傍らに控えているひさぎに言う。


「民の間に動揺が広がっている。……絶対に、この王都を戦場にさせるわけにはいかない」


「はい。なんとしてでも、たちばなには国境で焔の軍勢を押し戻してもらわねば」


「各府からの報告によれば、焔は海軍を持っていないとのこと。間違いはないわね?」


「はい。焔の領地の海岸線はどこも、暁同様、浅瀬で入り組んでおりますから、船舶はとても航行できませぬ。小型の早船くらいは出せるでしょうが、そもそも奴らは、大量の兵士を運搬できるほどの船を所蔵しておりません。過去を調べても、焔は陸上戦しか行っておりませんでした。万全を期すため、橘が半島西のアズマ湾に数隻、護衛府の船を待機させておりますが、今のところアズマ湾に船影は一つもないようです。半島の東はご存じの通り、海流が激しく、船の航行は不可能です」


「つまり、海からの侵入者は気にしなくていいということね」


「はい。この瑞が地の利に恵まれていて助かりました。陸の国境さえ防衛できれば、奴らはこの瑞を落とすことが出来ませぬ」


 開戦から数日。橘率いる護衛府は善戦していた。彼らの戦力は想像以上で、国境で焔の軍勢を抑えている。彼が「奴らに瑞の国土を踏ませない」と宣言したのは本当だったらしい。


 宮廷にはいつの間にか、勝利を予想する声が高まり始めていた。王都の民たちもすっかりその気になっている。もたらされる有利な戦況を聞き、花月の心の中にも、どこか隙が生まれていたのも確かである。だが、事はそう上手く運ばなかった。


 開戦から数日経った、風のない不気味な明け方である。


 花月はいつも通り起床すると、身支度を整えて私室を出た。桐と牡丹は、くりやに花月の朝食膳を片付けに行っている。花月は、まだ明けきっていない空の下、薄暗い渡殿わたどのをたった一人で正殿に急いだ。今朝も国境からの報告が届いているはずだ。戦況はこちらにかなり有利だから、このまま焔を押し戻せるかもしれない。花月がそう考えていた、その時である。


「久しぶりだなあ、卑しい犬の子!」


 花月は、自身の耳と目を疑って、その場に立ち尽くした。目の前にいる人物を、頭は認識しているが、現実のこととはとても思えない。どこにでもいそうな農民の出で立ちをしたその人物は、頭を覆うみすぼらしい布を取った。見覚えのあるその顔は、4年前と比べてひどく痩せこけていて、眼光だけが異様に鋭くなっている。


「……兄上……!! 一体どうして……どうやって、ここに?!」


 花月が掠れた声で呟くと、慈英は甲高い声で笑った。


「兄上? 昔から言っているだろう、お前のような穢れた血筋の女など、俺の妹ではないと!」


 花月は咄嗟に踵を返して逃げようとする。が、往時より痩せたとはいえ、そこは体格の勝る慈英である。「おっと!」と言うと、背後から飛びついて、花月を容易く捕らえた。


「は、離して! 誰か!」


「俺だってお前なんぞに触れたくねえよ。お前からは、お前の母同様、卑しい生き物の匂いがして仕方ねえからな。こんな畜生女が王だなんて、瑞の奴らも可哀そうに」


 言いながら、慈英は脇に隠し持っていた太刀を出して、花月の喉元に当てた。花月の背筋を悪寒が走り、冷や汗が一気に噴き出る。


「……私を、殺すつもり?」


 掠れた声で呟くと、慈英は笑った。ひどくかんに障る、狂気じみた笑いだった。


「こんな簡単に殺すかよ。お前には、俺と同じみじめさを味わわせてやるよ。国を追われて、誰一人顧みる者もいない荒れ果てた島で、じわじわ死ぬのを待つがいいさ。俺は父上みたいにお人よしじゃあないからな、食い物も付き人も、お前なんぞには何もやらねえけどな」


 花月の耳元で、慈英がそう囁いた時。がしゃん!という陶器が割れる派手な音がして、悲鳴が上がった。


「か、花月様!!」


 桐である。正殿へ花月の茶器を持って行こうとしていた彼女は、刃を突き付けられて引きずられている花月を見て、茶器を廊下に落としていた。慈英は言った。


「おお、桐じゃねえか。元気そうで何よりだよ」


「じ……慈英様?! まさか、一体、なぜここに?! な、何をなさっているのです!!」


 派手な物音と悲鳴に、宮殿からは人々が集まって来る。一番に駆けつけて来た牡丹が、顔色を失って「わああ!!」と叫んだ。


「か、花月様あ!! な、なっ!!」


「おっと、誰も手出しするなよ? こいつが死ぬぞ」


 慈英が花月の首に刃を押し付けた。つー、と一筋、血が流れる。宮殿内が悲鳴に包まれた。桐が絶叫した。


「おやめ下さい、慈英様!!」


「だったら、そこ通せよ。正殿までこいつ連れて行くから。安心しろよ。俺はこの国の優しい王子様だからな。お前らが邪魔さえしなければ、この女は生かしておいてやる」


 官吏たちは無言で道を開けた。全員が固唾をのんで見守る中、慈英は鼻歌交じりに廊下を通っていく。彼は花月に刃を当てたまま、じろじろとあちこちを見回す。


「久しぶりだねえ。にしても、相変わらずチンケな宮殿だな。俺が王になったら、もっとずっと煌びやかにして、お前ら官吏共にもいい思いさせてやるよ。こんな無能な小娘なんかより、高貴な血筋を持つ俺の方が、ずっといい国王に決まっているからな」


 慈英は、笑いながら回廊を歩いて行く。官吏達は青ざめたまま、女王を引きずって歩く、みすぼらしい農民姿の男を見つめるしかない。兵力の大半を国境に集中させている今、この宮殿の官吏の多くは武芸の心得の無い文官だった。防衛のために宮殿に配置していた武官達の姿は見えない。花月は憎しみを込めて言った。


「兄上……あなたは、宮殿の隠し通路を使ってここまで来たのね。あなたなら、王族しか知らない地下通路を知っているもの」


「ああ、そうだ。楽な道中だったな。誰にも咎められずに、ここまで来れた」


「……あなた一人でここへ? 宮殿にいた、護衛府の衛兵たちは……」


「邪魔な護衛府の兵共は、俺の手勢の者達が処分した。さすがに、単身で乗り込むほど俺は馬鹿じゃない。残念だったな」


 彼は、官吏達が身動きも出来ない中、花月を人質に正殿へと入って行く。正殿内部では、慈英の幾人かの手勢が、各府の長官と、主だった官吏達を捕縛していた。慈英は上機嫌に言った。


「よお、長官殿! 待たせたな。正統な瑞の王位継承者が、やっと帰還したぞ!」


 正殿が静まる。花月は、正殿の状況を見て、声を絞り出した。


「これは一体、どういうこと? 正統な王位継承者ですって?」


 楸もまた、縄で縛られたまま、憤怒の表情を慈英に向ける。


「慈英王子。御戯おたわむれが過ぎるのでは? 祖国にこんな真似をして、許されるとお思いか!」


「お前達こそ、第一王子たる俺を流刑とは、許されざる罪を犯してくれたな。教えてやるよ、俺がなぜ、どうやってここに来たのか」

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