第7話 不穏

 即位式から数日後の朝。宮殿内部の評議室には、護衛府長官のたちばなを筆頭に、護衛府の高級官吏が数人、折衝せっしょう府の長官、宮廷直属の官吏が数人、顔を揃えていた。彼らは、女王花月が室内に入ると、一斉に畳に頭を擦り付けて挨拶をする。


「待たせたわね。では、話を聞かせてくれるかしら」


 橘が「はッ」と頭を上げ、畳に両こぶしをついて言った。


「まずは護衛府より、焔に潜伏させている密偵に命じて探らせた内容をご報告します。やはり慈英王子は、焔の王都にて、焔の高官と接触した模様。王子が東仁の元に身を寄せているのはほぼ間違いないかと思われます」


 室内に怒りと呆れのため息が広がった。花月は額に手を置いて呟く。


「兄上……なんと愚かな!」


「まさに、慈円国王が恐れていた通りのことが現実となりましたな。もはやこうなっては、慈英王子は王子にあらず。国を裏切った逆賊です」


 橘が憤慨した様子で続けた。


「焔の宮殿内ですが、厳重な警備が敷かれている為に、内部の潜入捜査が出来ておりません。ですが、王都内に商人として潜り込ませている密偵からの情報では、少なくとも、かつて慈英王子と関係していた第一王女の屋敷に、王子の姿はないとのこと」


「王女の元にいない? 意外だわ。では兄上は……」


「東仁の宮殿に匿われている可能性が高いですな」


 皆が腕組みをして唸った。折衝府の長官、ひさぎが腕を組んだまま苦々しく言う。


「全く、慈英王子の挙動は理解に苦しむ。あの方のために、4年前、慈円国王がどれほどご苦労なさったことか……」


 確か、当時の謝罪金に関しての交渉は、このひさぎが行ったはずだ。楸は橘より少し年上で、40代後半のはずだが、その温和そうな丸顔には積年の心労を表してか、深い皺が目立っていた。


「楸。折衝府から見て、最近の焔はどうかしら? 何か気になる点はある?」


 楸は憮然ぶぜんとした。


「我が瑞は、慈円国王の代で焔と交易を始めておりますから、40年に亘り少なくとも表面上は良好な関係を維持して参りました。しかし、実はここ数年程……はっきり申し上げて、慈円国王が伏せりがちになってからですな、奴らが物品を出し渋る様になりまして。当方からの物品には高額な税の上乗せもしてきますし、あからさまな嫌がらせです。我が折衝府と致しましては、交渉を重ねてどうにか流通を維持して参りましたが、府内の者は皆、焔の卑しいやり方に嫌悪を抱いております」


「そう。けれど、焔が駄目だからと言って、それほど困るわけではないでしょう? 父上の代から、内陸の各国との交易も強化してきたはずだわ。この瑞には農産物のみならず、絹織物や真珠など、他国に誇れる名産品がたくさんあるものね」


 花月の言葉に、楸が腕を組み、鼻息を荒くした。


「それが、そう簡単にもいかんのです。女王陛下もご存じの通り、この瑞は半島に位置しており、他国へ陸路で物品を流通させるためには、どうしても、半島の付け根にあるあの焔を介さねばいかんのです。が、腹立たしいことに、慈円陛下が崩御なさったあの日から、焔の外務院が、流通路は封鎖されているから通せない、の一点張りで」


「なんですって?!」


「奴らの言うには、内陸への流通路に、先日来の雨で土砂崩れが起きて通行止めになっているとか。しかし、橘のところの密偵の情報では、焔の国内ではそんな話は無いそうで」


 橘が、楸の視線を受けて頷いた。


「はい。我が密偵の情報によれば、焔から内陸へ向かう道はどこも、通常通り往来があるようです。完全に、東仁の我が国に対する嫌がらせですな」


「では海路はどうなの? 陸路が駄目ならば、半島から直接海を渡って行くと言うのは。ともえならば半島の東から、あかつきに至っては、西から漕ぎだしてアズマ湾を渡るだけでは?」


 楸が首を振った。


「陛下、残念ながらそれは難しいのです。まず、巴に行くには外海を回ることになるのですが、あそこには、北と南からやってきた海流がぶつかる場所があるのです。そこが難所でしてな。渦が大きく巻くもので、転覆の危険が高い。またアズマ湾ですが、こちらはこちらで、暁側の海岸線が遠浅になっているため、大きな船は接岸できない。沖合に停泊して小舟で、ということも出来なくはないが、荷の中身次第では、小舟では運搬できません」


「そうだったのね……ごめんなさい、不勉強で」


 父王の存命中からまつりごとの席に同席させてもらってはいたが、それはやはり、父王ありきだったのだ。通商の細かいことなどは各府を中心に回っていて、暗黙の了解だったのだろう、慈円はほとんど口出しをしていなかった。こうなってみると、急に、自分一人に現実が全てのしかかってきた気分である。花月が顔を曇らせて謝ると、橘が真面目な顔で首を振った。


「いえ、お気になさることはありません。陛下が即位されてまだ幾日も経っておりません。陛下には、今後本格的に各府からご報告申し上げる予定だったのです。それが、東仁の動きが急に不穏になったものですから……我々官吏の落ち度です」


 花月は唇を噛んだ。父王が崩御して、このような年若い小娘が即位した小国を、東仁は見下しているに違いない。


「東仁は、私を馬鹿にしているのよ。なんという卑しい男!」


 楸が曖昧に笑った。実際、楸とて内心は花月の即位を頼りなく思っているのかもしれないが、そこはさすが折衝府の長官である。そんなことはおくびにも出さず、温和な笑みを浮かべて花月を庇うような言葉を口にした。


「いえ、花月様だから、というわけでもありますまい。東仁は、どの国に対してもそのような不義理を行っております。我が国と反対側の内陸で国境を接している、暁と巴も、一度は東仁に煮え湯を飲まされておりますから。但し、暁は大国ですからね。焔なんぞには動じませんし、巴の国も、国王が慈円陛下同様、穏健派ですから。表立って衝突するようなことはございませんでしたが」


 花月は頷いた。さすが楸は、長く折衝府の長官をしているだけあって、各国の情勢に詳しい。花月は顔をしかめて言った。


「兄上は、そんな国と手を組むことを選んだのね……それほど、私を憎んでいるのだわ……兄上は私が生まれた時から、私を憎んでいたもの。『卑しい犬の子!』と何度蔑まれたことかしら」


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