梅雨前線

憑ルノ黒猫

梅雨前線

不思議な花の匂いを嗅いで

胸に手を当てて、書き変えたい過去を言葉にするの

そうすると、だんだん意識が薄れていって

意識が完全にどこかへいって

戻ってくる頃にはもう

あなたの記憶は置き換わっている


不思議な花って何かって?

見ればわかるよ

それくらい、不思議なんだ


不思議な花はどこにあるかって?

その花を本気で欲した人の前に現れるんだって。



南春瑠、渡瀬夏生、日向彰人、神崎冬華

4人は仲のいい幼なじみだった。少なくとも本人たちはそう思っていたし、周りから見てもそうだったとおもう。

春瑠は正しく友達の力になろうとする。

夏生はみんなを少し引いた位置で見て、調整する。

秋人はとにかくみんなを笑わせる。

冬華が何かを言われた時はみんなで戦う。

そんな4人だった。



「駄菓子屋さんに行こう!大人には言わないで、内緒で。」そんな春瑠の一言で春瑠、夏生、秋人、冬華の、4人は子どもたちだけで近くの駄菓子屋へ行くことになった。子どもだけで、とは言っても、小学校から徒歩5分程度の駄菓子屋である。そこまで距離がないとはいえ、まだ小学生2年生の4人にとっては大冒険だった。いつ行く?歩いていく?本当に子どもだけでいくの?何度もそんな話し合いをして、結局春瑠のお母さんにだけ話していこう、ということになった。春瑠のお母さんは昔から優しいと評判だったから今回も「暗くなる前に帰ってくること。何かあったらちゃんとお家に電話すること。」そう言って、みんながちょっとしたお菓子を買えるくらいのお小遣いをくれた。秋人、夏生、冬華にはそれがあり得ないことのように思えて、それでいて少し羨ましかった。

「土曜日、9時に小学校で待ち合わせね!」

そんな秋人の一言で冒険の日が決まった。


当日、春瑠が小学校の前へ行くとそこにいたのは、夏生、秋人、冬華、そして冬華の母親だった。

「ごめんなさい…どうしても…秘密にできなくて…」そう言って泣きじゃくる冬華。

「子どもたちだけで出かけるなんて何を考えているの?怪我でもしたらどうするの。うちの冬華に何かあったら責任を取れるの!?」

そんなことを言ってくる冬華の母親。もちろん小学2年生にそんなことを言ってもわからない。結局冬華の母親の怒りは治りきらず、その日は解散となった。

「どうしてうちとよそはこんなに違うんだろう。どっちがあってるのかな。」

そんな春瑠の呟きは誰にも聞かれないまま消えていった。

予想よりもだいぶ早く帰ってきた春瑠に、春瑠の母は驚き、事情を聞き出した。

「どうして冬華ちゃんはお母さんに言っちゃったのかな?どうしてお母さんは許してくれたのに冬華ちゃんのお母さんは許してくれなかったのかな?」

そんな春瑠の問いかけに対し

「冬華ちゃんはきっとお母さんが大好きなのね。冬華ちゃんのお母さんも冬華ちゃんのことが大好きなのよ。だからきっと心配になっちゃったのね」

そんなふうに返してきた。

それなら、笑顔で私を送り出したお母さんは私のこと大好きじゃないのかな、そんな思考を振り払うように春瑠は首を振った。私のお母さんは優しいけど、なんでもやらせてくれるけど、お小遣いをくれるけど、本当は私より冬華の方がお母さんに愛されてるのかな。そんな小さな疑問は小さな棘となってチクチクと春瑠の胸に居座り続けた。


駄菓子屋の件があってからも何度か、4人は懲りることなく、みんなで遊びに行こう、という話をしたけれど、その度に冬華の母親が割り込んでくる為、だんだんと学校外での遊びの予定は立たなくなっていった。冬華はどうしても母親に秘密にする、ということができなかったのだ。

冬華は母親に、唯一お互いの家で遊ぶことだけは許されていた為、遊ぶにしてもお互いの家の中だけとなった。どうしても退屈で仕方なかったけれど、冬華を連れ出したことにあれだけ怒っていた冬華の母親を見た4人は誰1人そのルールに逆らおうとは言い出さなかった。そして、誰1人として「冬華なしで遊ぼう」とは言わなかった。なんとなく、子ども心にタブーだとわかっていたのだろう、学校でもいつも4人で過ごしていた。ただ、少しずつ、ヒビが入っていった。4人が3年生になる頃にはもう、お互いに別の友達を作って遊んでいた。春瑠は明るくて元気なグループ。冬華はおとなしくて勉強のできるグループ。秋人は他の男子と集団で行動していた。

ただ、夏生だけはわざわざ他の友達を作ることもなく、1人で過ごすことが多くなっていた。元々1人でいるのが苦手ではなく、勉強も運動もそつなくこなし、読書によって自分の世界をしっかりと持っていた夏生はわざわざ人と群れる理由などなかったのだ。孤立、というよりは選んだ孤独、と表現する方が合っている気がして、春瑠はなんとなく、そんな夏生を羨ましいと思い、憧れ続けていた。夏生のように本を読もうとしたが、3ページほど読んだところで寝てしまった為、夏生のようにはなれない、という自覚はあった。


そんな状況が一変したのは4人が小学3年生になって半年という年月が経った頃だった。夏生の家庭状況があらわになったのだ。それも、父親の自殺という最悪な形で。夏生は特に父親のことは好きではなかったが、死なれたら死なれたで意識してしまう。父親の葬式で、夏生は初めて幼なじみの前で泣いた。自分がなんで泣いているのかすらわからなかったが、ひたすらに声を上げて泣いた。普段理知的な夏生がこんなに感情を出しているのなんて初めて見たし、そんな夏生を放っておくほど3人は薄情ではなかった。

「私たちがいる。いつも通り笑顔でいよう。」

そんな言葉と共に幼なじみ4人組はまた一緒にいるようになった。幼なじみ4人組が離れてから、しばらく春瑠や冬華、秋人と行動していた友達は文句を言っていたが、そんなことは気にならなかった。結局はだんだんと4人で孤立していった。夏生自身、それに関して思うところがないわけではなかったけれど、しんどい時に無条件にそばにいてくれる、日々を過ごしてくれる人がいる、というのは安心することができた。しばらく不眠状態だった夏生はだんだんと生気を取り戻していった。

3人共、父親が亡くなった夏生を放っておけなかったのは確かだが、やっぱり4人でいる方が心地よかったのだ。春瑠も冬華も秋人も、新しい友達にはなんとなく噛み合わなさを感じていた。改めて幼なじみ4人組は居心地が良かったのだと実感しつつも今更戻れない、そんなことを思っていた3人はこれを機に元に戻れたら、そう思った。

実際、夏生の件から4人組はまた急速に仲を深めていった。元々仲が悪かったわけではない為、一緒にいるようになってからは笑顔が絶えなかった。


「今度こそ、みんなでお菓子を買いに行きたい。」

もはやタブーだと思っていたその話題は冬華の一言によってあっさりと再実行されることとなった。

もう3年生になったから大丈夫、そんな意識で春瑠の母親にも話さないまま実行することになった。



4人で駄菓子屋計画は土曜日に決行された。

冬華は春瑠の家に行くと言って家を出てきたらしく、集合場所に大人の姿はなかった。冬華は初めてお母さんに嘘ついちゃった…と青白い顔をしていたが表情は明るかった。

正直なところ春瑠と秋人は母親に話してからきていたし、夏生の母親はそもそも夏生に興味がなかった為、家を抜け出すことに関して特に問題はなかった。

4人で縦に並んで狭い歩道を歩く。

昨日の夜ご飯がシチューだったとか担任の先生の話し方が面白いだとかそんなくだらないことを話しながらひたすら歩いた。

ようやく駄菓子屋さんが見えてきた頃、秋人がハッとした顔で「俺、お金忘れてきた…玄関に…」と呟いた。「よく考えたら私もお金なんてもらえてないよ…」と冬華も口にする。深刻なことのはずなのになんだか笑えてきて、4人で今までにないくらい笑った。

結局は春瑠と夏生で買った小さなクッキーを4人で分けて食べることになった。

クッキーの量はすごく少なかったけれど、前にも後にもないくらい、すごく美味しいクッキーだった。

そんな思い出を作った帰り道、だんだんと家に近づくにつれ冬華は見るからに元気をなくしていった。

「お母さんにバレてたらどうしよう、嫌われたらどうしよう…いらない子だって…言われちゃうのかな…」

冬華がそんなことを呟いたのはもう家まで100メートルないくらいの場所だった。

そんな冬華の言葉に、春瑠は母親の言葉を思い出し、冬華に伝えることにした。冬華は私よりお母さんに愛されているのかもしれない、そんな思考がまたせりあがってくるのを打ち消し、冬華に伝える。胸がチクチクするのを感じた。

「冬華ちゃんのお母さんは冬華ちゃんのこと大好きだからね、心配なんだよってね、お母さんが言ってたから、大丈夫だよ。冬華ちゃんもお母さんのこと大好きでしょ?だからきっと大丈夫だよ。だめだったら一緒に謝ろう?」

そう伝えた。

ありがとう、そう言って冬華は少しだけ泣きそうになった後

「ありがとう春瑠ちゃん」

そう言ってとびきりの笑顔になった。

笑顔になったとはいえ、まだ怯えている冬華を放っておけなかった春瑠は冬華を家まで送ることにした。実際冬華は春瑠の家に来ていることになっていた為、家まで送ったところで問題ないだろうと判断したからだ。

玄関のチャイムを押すと、「はい」と特に感情の感じられない冬華の母親の返事が聞こえた。返事だけでは怒っているのかどうかわからない。ただ、帰って来れた、母親の声が聞けた、という状況に冬華は安堵しているようで、もう冬華に不安は見えなかった。


冬華を連れ出した事は特にバレていないようだった。冬華の母親は冬華に、おかえり、と伝えて家に戻っていった。そして次の日も冬華はしっかりと学校に来た。

すごくドキドキしたよね、4人で駄菓子屋へ行ったことを振り返ってはキラキラとした思い出を大切に反芻した。

また行こうね、何度もそう言い合った。


しかしそんな約束が果たされる事はなかった。

春瑠と秋人がたびたび喧嘩をするようになったのだ。

元々どちらも正義感が強いタイプであった。

春瑠が秋人に「廊下を走るな」といえば

秋人が春瑠に「怪我をした友達を抱えてゆっくり歩けって言うのかよ」と返し

秋人が春瑠に「それは冬華が悪いから謝りに行くべきだ。」といえば

春瑠が秋人に「私たちは友達なのに冬華の味方になってあげないの?」と返す。

どちらも正しく、どちらも間違っているから、2人の喧嘩が収束する事はなかった。どちらも謝ることをせず、数日経ったら忘れ、またその数日後に蓄積した怒りを相手にぶつけるのだ。

その度に冬華と夏生は辟易としていたが止める勇気もなかった。特に「今まで通り」でいたかった夏生にとってはなんとかしなくてはならない事象だった。


しかし、そんな夏生の懸念を嘲笑うかのように、春瑠と秋人の件は意外にも簡単に収束することとなる。と、いうのも歳を重ねるごとに秋人は適当になっていったのだ。

ずっと100点だったテストは50点を下回るようになり、毎日休まず来てきた学校をたびたび休むようになり、なにより春瑠からの言葉に「あー、そうだな、そんなことよりさ」と話題を変えるような返しをするようになっていった。

春瑠は「ようやく私の正義が伝わったか」などと嘯いていたが、冬華と夏生は違和感を感じ、秋人を問い詰めた。ただ、そんな2人への秋人からの返事は「俺のテストは100点までしかないから」というよくわからないものだった。ただ、いつも通り生きていたい、という夏生たちにとってはそれ以上深追いする理由もなく、そのままにしていた。喧嘩なんて起こらないのが一番いいから。

その後、3人が秋人の家庭事情を知ったのは小学校卒業寸前になってからだった。

「俺のお兄ちゃんの話なんだけど。」

そんな一言から秋人の話が始まった。

なんの話だ、と思ったけれど珍しく秋人が真面目な顔をしていた為、誰1人茶化すことはできなかった。普段真っ先に声を上げるであろう春瑠も黙って話を聞いていた。

そんな様子をみて秋人は続ける。

「昔からすごい頭よくてさ、100点満点のテストがあれば150点を取ってくるようなやつだった。勉強も運動もすげぇ得意で、顔も性格もよくて。でも俺のテストはどんなに頑張っても100点までしかないんだよ。運動だって人並みにしかできない。顔も性格もそんなにいいわけじゃない。そんなこんなで親にも色々言われててさ、だからもう全部やめたんだ。俺は頭が良くなりたいわけじゃない、運動が得意になりたいわけじゃないり大好きな幼なじみたちと楽しく過ごしたい。」

そんな秋人の話にぽかんとしている中、1人だけ理解を示した者がいた。春瑠だ。

「私は今の秋人の方が面白くていいと思う。秋人らしく生きなよ。」

そう伝えた。

夏生と冬華は黙っていた。春瑠のように今の秋人を全面的に肯定することは無責任だと感じたのだ。

ただ、そんな春瑠の一言で秋人は何かが吹っ切れたようだった。まだ卒業まで数日あるというのにランドセルやら教科書やらを窓から捨てた。しかも窓がしまっている状態で投げたせいで窓も粉々に割れた。教師にも親にもこっぴどく叱られたらしいが、お兄ちゃんだけは味方だった、と。そんなところも気に食わない、と。気に食わないけど好きなんだ、と。

この日から4人はお互いにバランスをとりながら、さらに、ずっと一緒にいるようになった。お互いがいれば他のことはどうでもいい、全員がそう思っていた。もはや自分たちが歪んでいるのか、周りが間違っているのかなんてわからなくなっていた。


順調に日々を積み重ねていく中、4人が中学生になった。それと同時に、冬華が軽いいじめを受け始めた。冬華は人と話すことを苦手としていて、言葉が詰まってしまうことが多い。それをからかわれたというのだ。

「あの子がね、ちゃんと喋れって。変っていうの。」

冬華から何度も何度もそんなことを聞かされた3人は直接手を下すことはないにしろ、冬華の代わりに憤っていた。お互いの為に怒る、という状況は幼なじみの結束をより深めているような感じがして心地よかった。


冬華をからかっている、という女の子はおとなしく、頭の良い女の子だった。到底イメージは湧かなかったが「冬華がそういうなら私はそれを信じる」

という春瑠の一言により3人は、全面的に冬華の味方であることにした。実際冬華が何か言われている場面を見ることはなかった為、正直なところ3人共、疑念半分で冬華の味方であり続けた。疑念が半分ある以上、わざわざ何か行動を起こすわけにはいかなかったしなるべく冬華のそばにいることに努めた。

しばらくしてその子に関して、冬華が何かを言ってくることはなくなった。いじめが終わったのか、冬華が満足したのかは分からない。ただこの件が、友達に守られたい冬華と率先して友達を守りたい春瑠の絆を深めたのは事実だった。いじめられている冬華を守る、というのは4人組にとってニーズに合っていることであった。だからこそ、そんな状況に満足していた4人はもう冬華をいじめていた相手の顔なんてとっくに忘れていた。よってこのことは時の流れと共に風化していった。しかし、数年後。

このことは災いとして4人に降りかかってくることとなる。



宇木湊の日記

「人は死んだら星になるんだって」

私の右側で友達が呟く。

「それ、素敵かも」

私の左側でもう1人の友達が呟く。

その傍で、馬鹿じゃないのかなと思ってしまう私がいる。

「星、綺麗だもんね」

当たり障りない言葉を返しながら思考を巡らせる。


きっと人なんかが死んでも星になんてなれない。

死んでなお、星になりたいだなんて、あまりに傲慢すぎると思わない?




南春瑠の話


3年前の出来事について…?

もう3年も前になるんだね、宇木湊の話でしょう?

ちゃんと覚えてるかって?もちろん鮮明に覚えてるよ。雨が降るたびに思い出すくらいなんだから。


あの日もいつものみんなで遊びに行ってたんだよね

私、渡瀬夏生、日向秋人、神崎冬華の幼なじみ4人組と宇木湊の5人で、気高山に行ったんだ。

私たち幼なじみは名前に全員四季が揃ってるって言うのもあってずっと一緒にいたの。面白いくらい気が合って、本当に仲が良かった。いまだに仲はいいけどね。


なんでそんな幼なじみ4人組の私たちと湊が一緒にいたかって、それは夏生が当時不登校だった湊を家から連れ出したから。

中1の頃、夏生が担任に言われて湊の家にプリントを届けに行った時仲良くなったみたい。

私自身湊のことは全く知らなかったけど、夏生が「面白くていい子だ。頭もいい。しかも本の趣味が合う」と言って、見たことないような顔で笑うので、なんとなく一緒にいるようになった。夏生が人を褒めるのは珍しい。気に入って話すのなんてもっと珍しい。しかも相手が女子とはさらに珍しい。私なんて本を読むにも3ページが限界だから、頭が良くて、本を読んでいて、そんな、夏生と同じ土俵に立てている湊が正直羨ましくもあった。

それからは4人組プラス湊の5人で行動することが多かったかな。

実際にちゃんと話してみると湊はちょっとおっとりした女の子だった。けれど、頭が良くて可愛い子だった。言う時はずばっと言うからさらに面白い。


そんな5人組で気高山に遊びに行こうって提案したのは私。

もう中学3年生だったから、受験前にどうしてもみんなで思い出が作りたくて、不思議な伝説のある気高山に行きたいって伝えたんだ。

予想通り、秋人が、いいね!って賛同してくれて。

いつもの私が計画して秋人が賛成してってパターンでトントン拍子に予定が決まっていった。


行きたい高校なんてみんな別だったし。私と秋人は偏差値が平均よりちょい下くらいの公立高校、冬華は頭のいい女子校、夏生は少し難易度が高いところに挑戦する、と話していた。

志望校をわざわざ合わせたりしないのも、この5人組が居心地のいい理由だった。実際私と冬華が同じところに行けるか、と言われたらかなり厳しいところだったし。


実際、気高山にある不思議な伝説も不思議な花も気になってたのは確かだけど、私の本当の目的は夏生だった。

幼稚園の頃からの片思いを卒業前に昇華させたかったって言うのが本音。

私は10年以上夏生に片思いしてたから、今度こそちゃんと伝えようって思って、遊びに行く計画を立てた。この恋心が依存とか執着になる前に、伝えておきたかった。

まさかこの計画を死ぬほど後悔することになるなんて思いもしなかったんだ。

みんなで山を登って

みんなでお弁当を食べて

みんなで不思議な花を見て

帰り道で、夏生に告白するつもりだった


断られたらどうしよう

まだ戻れる

このまま一緒にいた方が幸せかもしれない

でも、もしかしたら好きって言ってくれるかもしれない

付き合えるかもしれない

そんなことを考えてた

そんなことしか考えてなかった

自分のことしか考えてなかったからバチが当たったのかもしれない。


なんとか予定をすり合わせた結果、みんなの予定が合うのは梅雨だった。

天気が安定しない、ということもあり不安だったけど、この機会を逃したらもう遊びになんていけないかもしれない、そんな思いで無理やり予定を決めちゃったの。不安がないと言えば嘘になるけど、夏生への思いをずるずると引きずるのも嫌だったから、なかなかに強くでちゃった。

でも、当日はそんな不安を打ち消すくらいの快晴だった。水筒大きいのにしてくればよかったな、なんて会話しながら気高山の麓で1時間くらい話し込んじゃったんだっけ。

ようやく登り始めて、5分くらいたった頃かな?だんだんと雨雲が広がって、ポツポツと雨が降ってきた。

冷たい!なんて言いながらそれすらも私たちは楽しんでいた。

折りたたみ傘を持ってきたのは夏生と冬華だけで、小さい傘2つになんとか無理やり5人で入って、びちょびちょ!ってさらに笑ったっけ。私は傘なんて持ち歩かないキャラだったから、持っていかなかった。

山の天気は変わりやすいって言うし、少し待てば止むだろうって楽観的に思ってた。何よりまだ、私の本懐は達成できていなかったから。

湊は、危ないよ、今日はもう帰ろうよ…って涙目で言ってたけれど、そんな湊を、直ぐに止むよ、と言いくるめて、結局は木の下で雨宿りをすることにしたの。

結論から言うと雨は5分くらいで止んだ。

ほらね、と言いたくなる気持ちを抑え、またみんなで山を登り始めた。

私たちの前を夏生、秋人の男子2人が歩き、女子3人で2人の後をついて行った。

だんだんと離れていく2人の背中を見ながら、

さすが、男子は歩くの早いねぇ、頂上行ったらお弁当だね、わたしフルーツたくさん入れてきたよ、なんて女子らしい会話を楽しんでた。

あれだけ雨に怯えていた湊もだんだんと調子を取り戻してきたみたいで、全開の笑顔で、くだらない話に花を咲かせていた。

夏生と話をしたいって気持ちもあったけれど、女子会は女子会ですごく楽しかった。

夏生と話す時とはまた違った楽しさがあって。

湊も冬華もおっとりしているタイプだったから会話の8割は私が話していただけのような気もするけど。

前を歩いてる2人がたまにチラチラとこっちを見てくるだけでなんとなく満足してた。まぁ2人が心配して様子を見ていたのは、ずっと剣道をやっている私なんかじゃなくて、細くて白い冬華と湊だろうけど、そんなことは気づかないふりをした。チクチクするから。


普段あまり喋らない冬華がたまにやる担任のマネはすごくうまくて面白いし、湊が急に言い出すよくわからない話も心地よかった。私はこれでいい。


そんなこんなで山を登り続けて頂上まであと少しってところまで行ったの

そこで、事件が起きた。

雨で濡れた岩で湊が足を滑らせた。

最初はね、何が起きたかわからなかったんだ。

15° 30° 45°って

湊の体が少しずつ、傾いて

雨で滑った足があっという間に地面から離れて

湊の細い体が崖の下に落ちていって

その一つ一つが、ゆっくりゆっくり、スローモーションみたいだった。


頭より先に体が動いてて、頭が理解する前に気づいたら必死に湊の左手首を掴んでたの。

冬華も私の体をしっかり掴んでたんだけど

それでもだめで、足りなくて

「春瑠ちゃんと冬華ちゃんまで落ちちゃう!」

そう言って湊は、私の手を振り払った。

そしたらもう湊を支えるものなんてなかった

湊の体は重力に忠実に、だんだんと小さくなっていった。

音がした。

悍ましい音だった。

バキッだったかもしれないし、ザクッだったかもしれない。

そんな音のせいか、異変に気づいて背後を振り返った男子2人は何が起きたかなんてわからなかったと思う。

ちょっとして、ようやく湊がいないことに気づいて、

崖の下を指差す私と冬華を見て、ようやくことの重大さに気づいたみたい。

夏生は、足がすくんで動けない私たちを尻目に必死にどこかに電話をかけてた。きっと救急車を呼んでくれているのだろう。

さすが夏生は冷静だなぁって思いながら

何かしなきゃって思うのに体がいうことを聞かなくて

ここで私の意識は途絶えた。


気づいた時には病院にいて

そこにはやっぱり、夏生も秋人も冬華もいるのに、湊だけが、どこにもいなかった。

簡単な事情聴取をして

簡単な健康診断をして

湊は事故で亡くなった、ってそんな簡単な一言でこの件は幕を閉じた。

「夏生くんは事故のこと、何も覚えてないみたいで…」

そんな医者の一言が気になったけど、あれだけ悍ましい音を聞いて、あの光景を見たらそれも仕方ない気がした。


あの事故以来、私の右手はしびれて力が入らない。

利き手も右手から左手に矯正したし、ずっと頑張っていた剣道も辞めざるを得なかった。

あれから3年もたったのに、右手の感触は消えないままだ。

忘れるなって、お前のせいだって言われているみたいで。

それでも私はここが好きだから。

いつも通りを過ごすって決めて生きてきたの。

みんなも、湊もそれを望んでる。そう言い聞かせて、チクチクを取り除くの。





書き換えた過去を思い出す術はないのかって?

あるよ。とっても簡単なこと。

もう一度花の香りを嗅ぐの。それだけ。

ん?過去を書き換えたら過去を書き換えたことも忘れちゃうんじゃないかって?

そりゃ、忘れるわよ。

書き換えたんだもの。





神崎冬華の話

私は昔から人と話すのが苦手だった。お母さんからの質問に答えられない自分が嫌で仕方なかった。話そうとしてるのに言葉が出てこない自分が嫌いだった。

言葉が詰まって上手く話せないから、人といるのも苦手だった。

だからと言って1人でいるのも怖かった。

ただ、唯一。

唯一、幼なじみである3人とだけは上手く言葉を交わすことができた。

私が言葉に詰まっても笑わなかった。

私が話さなくても春瑠と秋人が盛り上げてくれた。

私がクラスの人に「ちゃんと喋れよ」って言われた時も春瑠が真っ先に助けにきてくれた。

秋人も一緒になって怒ってくれた。夏生はそんな奴らに怒るなんて馬鹿馬鹿しいって言いながら静かに怒ってくれてたんだと思う。そういう意味で、私にとって幼なじみという枠組みはとても大切なものなの。幼なじみじゃなくてもきっと、私はこの人たちが大好きだったけど。

でも、しばらくして私の大好きな幼なじみの中に宇木湊が入ってきた。最初は、また笑われたらどうしようとか、上手く話せなかったら、とかそんなことばかり考えてた。正直、私たち4人の中に入ってこないでほしかった。でも心配していたような事態は怒らなかった。湊は私と同じくらい無口だったから。たまにすごい喋るけど、私と会話をする時はさりげなくペースを合わせてくれたし、私が困らないよう話題を振ってくれたりもした。だから4人組が5人組になろうと私の居場所は無くなったりなんてしなかったし、やっぱりここは私にとって一番居心地のいい場所だった。


ただ、4人組が5人組になるのと、5人組が4人組になってしまうのとではもちろん話が違った。


不思議な花があるって噂が流れ始めたのは中学3年生になりたての頃。卒業した先輩たちの中で流行ってた話が剣道部に所属している春瑠を通して私たちに流れてきた。気高山にあるんだって!みんなで行こうよ!って、そんな春瑠の一言で私たち5人は気高山に行くことになった。私自身運動はあまり得意ではなかったけど、そこまで大した山でもないだろうとタカを括っていた。実際、山の高さ自体は大したことはなかったんだと思う。くだらない話をしながら登っていけるくらいにはゆるやかな傾斜だった。木漏れ日をちらちらと浴びながら、ゆったりと登っていった。

だから、雨なんて降らなければ、梅雨なんかに山にこなければ、あんなことにはならなかったんだと思う。


たまにこちらを振り返る秋人の視線が私に向けられていることに気づかないふりをしながら、山を登り続けた。春瑠から絶賛される担任のマネとかしながら、春瑠の気持ちも、秋人の気持ちも、夏生の気持ちも、湊の気持ちも、自分の気持ちにも。

全てに気づかないふりをしながら山を登った。

気づかないふりをしないと無くなってしまいそうだったから。


5分ほど登ったところで雨が降り始めた。みんな持ってきてると信じて開いた折りたたみ傘はすぐに満員御礼状態となった。狭いけれど、なんだかちょうどいい。

山の雨、ということでかなり不安になったけれどむしろ無理やり帰る方が危険かと思い、雨宿りをしよう、という春瑠の声に賛成した。ここでちゃんと帰っていたらどうなっていたんだろう。何も変わらなかったのかな。5人組は5人組のままだったかもしれない。


実際に雨は5分程度で止んだ。

もうすぐ頂上だ、とはしゃいでいた私は、少し前を歩いていた湊の足元にある大きな岩が濡れていたことに気づけなかった。

気づいた時には完全に遅かった。

私が動き出したのも完全に遅かった。

遅すぎた私は湊の手を引いている春瑠の体を抑えることしかできなかった。

混乱しすぎて落ちかけているのが私なのか湊なのかわからなくなったくらいだ。

湊が何かを言って春瑠の手を振り払ったのが見えた。なんと言ったかは聞こえなかったけれど。

湊の体は重力に逆らうことなく、崖の下に落ちていった。

そして、少しして、鈍い音がした。

落ちた音なんだなって頭はすごく冷静だった。そして少しだけ、ほんの少しだけ安心してしまった私がいた。私と春瑠が落ちなくてよかったって。

前を歩いていた男子がようやく気づいて、駆け寄ってきて。

「大丈夫か冬華!?」

そんな秋人の声がする。

真っ先に私を心配するなんてまるで私が落ちたみたいじゃない。

そこで私は意識を手放した。

なぜだか左の頬がジンジンと痛んだ。私は泣いているのかなって思った。

実際自分が泣いているのかはわからなかったけれど、左頬の痛みがおさまることはなかった。


次に目が覚ました場所は病院だった。

白い天井を見上げてかなりパニックになったけれど、完全に全てを思い出し、何度も吐いた。

警察を名乗る男の人が2人来て、私に事情を聞いてきた。やっぱり上手く話せない。

朦朧とした意識でよくわからないことを話し、そのまま退院となった。一番最初に目が覚めたのは夏生らしく、私と同じように事情聴取を受けたようだけど何も覚えていない、とのことだった。それくらいショックだったのだろう。私はまた夏生の気持ちさえも見て見ぬ振りをした。

湊は足を滑らせて死んだ、そんな簡素な一言で5人組は4人組になった。

左頬の痛みは治るどころか痛みを増しているように感じた。

見ないふりをする。全部。

私がしたことも、夏生の気持ちも。

春瑠の気持ちも、秋人の気持ちも。

ーーーーーーーーーーー湊の気持ちも。







書き換えたことすら忘れるならもう一度嗅ぐなんて不可能じゃないかって?

確かに、普通に考えたら不可能かもしれないわね。

それならどうするの?って

少しは自分の頭を使いなさい。

もう少し、自分で考えてみて。

次会った時、答えを教えてあげる。






日向秋人の話

明るい

頭が悪い

何も考えてなさそう

人生楽しそう

そんなレッテルを貼られながら生きてきた。少なくともそんな自分が嫌いじゃなかった。馬鹿をやっている自分は本当の自分なのか、そんなことはどうでも良かった。楽な方へ、楽な方へ行くことの何が悪いんだ。

ただ、そんな俺と一緒にいる夏生は死ぬほど頭のいいやつだった。しかも、芯がしっかりしていて、自分を持っていた。俺とは真逆のタイプだ。俺と春瑠は基本頭が悪くて口が達者、逆に夏生と冬華は頭が良くておとなしい。ある意味バランスが取れていたから、俺はこのままが正しいと思っている。今でも。

そんな中、俺たちの中に宇木湊が入ってきた。ちょうどいいバランスだったのに、と思わなくもなかったが夏生が見たことないくらい笑ってたから、これは正しいと思いそのままにした。俺にすら見せたことのない夏生の笑顔を当たり前のように受け取っている湊になんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えながら、それでも俺はそのままでいた。

湊は当たり障りのないタイプだったから特に大きな問題もなかった。少なくとも俺にはそう見えていた。

冬華は大丈夫かなって、そればかり考えていた。昔から冬華は人と話すのがあまり得意ではなかった。話し方をバカにされたり、声をバカにされたり。その度に春瑠と俺でブチギレてたっけ。なんだかんだ一番怒ってたのは夏生な気もするけど。

だからこの感情は恋じゃなくて親心みたいなもんだって自分に言い訳しながら、ただ、平然と冬華と話している湊がなんだか羨ましかった。冬華がちゃんと話せるようになるまで俺がどれだけ努力したことか…。むしろ冬華はいまだに俺を避けている節がある。湊には先を越されてばかりだ。なんとなく、なんとなく気に食わないけれど、いいやつなのは間違いなかった。

色々と思うところはあれど、友達が増えるのは良いことだ。


気高山に遊びに行こうと言い出したのはやっぱり春瑠だった。急だな、と思ったけど受験前に遊んでおきたいという気持ちは痛いくらいによくわかった。冬華と同じ高校に行けないことはわかりきっていたから。春瑠から夏生への気持ちもなんとなくわかっていたし、夏生から湊への気持ちもわかっていたから、何も起きないといいな、なんて他人事のように思っていた。夏生ならうまく対処するだろうって、勝手に思っていた。だから俺は、「めっちゃいいね!気高山!」

といつも通りの反応を示した。

これが正しい。


梅雨ということへの俺の不安とは裏腹に当日は快晴だった。さすがの俺でも雨の日の山がやばいことくらいはわかる。

麓でどうでもいい話をしてから山を登り始めた。どうでもいい話に1時間使えるのはもはや俺たちの才能だと思う。話しながら、夏生が異様に俺のそばから離れない、ということに気づきつつ、山を登り始めた。夏生は静かだし、俺も夏生相手なら無理して喋ったりはしない。心地よい沈黙で淡々と山を登っていった。少し雨も降ったけど、5分程度で止んだし概ね順調だな、と思っていた。流石に5人で2つの折りたたみ傘は狭かったけれど、俺は傘を持ち歩くキャラではないから、持っていかなかった。5分程度で止む雨なら大した影響はないだろう。

特に俺も夏生も運動が苦手なタイプではなかったから濡れた岩なんて気にならなかった。

一応チラチラと女子たちの様子を確認しながら、冬華が無理をしていないかを確認しながら前に進んで行った。


夏生はきっと誰の気持ちにも応えない、自分の気持ちにも。だからずっと俺のそばを歩いているんだろうなって思った。

誰の気持ちにも応えないために。

誰の気持ちも聞かないために。

なんだかんだこの関係に、この5人組に一番執着しているのは夏生だろうから。伝えたら、伝えられたらきっと今のままではいられないから。それが怖いのはきっとみんな一緒だ。俺だって怖い。


異変に気づいたのは頂上が見えてきた頃。

なにか大きな音がして後ろを振り返った。

様子のおかしい春瑠と冬華、そして姿の見えない湊。

夏生と2人で急いで駆けつけてようやく事態を把握した。

湊が…落ちた…。春瑠の声なのか冬華の声なのかもわからなかった。俺が春瑠と冬華の様子を見ている間に夏生はどこかに電話をかけていた。おそらく救急車を呼んだのだろう。

これで救急車が来る…もう大丈夫…。

焦っていた思考がクリアになっていく。

ふと、さっき聞いた大きな音の正体に気づいた瞬間、ひどい目眩とともに俺の意識は途絶えた。


目が覚めたところはやはり病院だった。

真っ白な空間でぼーっとしていたらだんだんと記憶が鮮明になっていった。事情聴取でもそのままのことを話し退院となった。

夏生は何も覚えていない、と言っていたがあれは嘘をついている目だと思った。何年幼なじみやってると思ってるんだ。ただ、夏生が忘れたことにしているってことはそれなりの理由があるんだと思ったから、気づかないことにした。これからも4人で過ごしていく。バランスをとりながら、ゆったりと。湊のことを忘れるわけではないけれど。なるべくそのままで生きていく。それがきっと俺にできる唯一のことなんだと思う。

湊もきっと、それを望んでいる。






さて、忘れないでおく方法、わかったかな?

単純な話よ、花の匂いなんて嗅がなければいい。

ん?それじゃあ書き換えられないじゃないかって?

そう、今回のお話はね

「その人だけ書き換えなかった」のよ。


まだちょっと難しいかな?

もう1人の話を聞けばわかるよ。

梅雨に…雨季に最も近しい季節ね。




渡瀬夏生の話

昔から本を読むのが好きだった。

昔から勉強が好きだった。

昔から運動もそこそこ得意だった。

昔から大切な幼なじみがいた。

ずっと4人でいて、これからもこのまま過ごしていくんだと思っていた。生活していて、なんとなく物足りないと感じるところは本で補いながら、満足のいく生活を続けていた。

なんだかんだ、人生の転機がいつだったかを聞かれたら僕はあの日って答えると思う。まぁ実際はそのあともっととんでもないことが起きてるわけだけれど。

ただ、あの時湊に出会ってなかったらあの事件も起きてなかったと思うし。

湊に初めて会ったのはプリントを届けにいった日だった。担任に言われて、なんで僕なんだろうと思いながら湊の家に向かった。数回しか学校に来たことのない女の子の顔を思い出すのは困難だった。実際思い出せなかった。担任から、湊は本が好きだからと言われていたがタカが知れているだろうと特に気に留めていなかった。僕より本を読んでる人なんていない。


ただ、湊の部屋に入った瞬間あまりの本の多さに圧倒された。湊は図書館にある本の数を優に超えていそうな量の本の山に埋もれていた。プリントを届けにきたことを伝えると、ありがとうそこに置いておいてと軽く返された。それで目的は終わったはずだったが僕はどうしてもその場から離れたくなかった。だから苦し紛れに目についた本の話を振った。すごくマイナーな本だったけど、僕がかなり好きな本だったから。その本、知ってるの…?と信じられない、と言った目でこっちを見てくる湊と目があった。猫みたいな、吸い込まれそうな目だった。ドキッとするってこんな感じなんだなって。結局その日は遅くまで本について語り、夜ご飯までご馳走になってしまった。あの本についてあんなに語れるのは作者と湊と僕くらいだろうと思った。あまり長居しすぎても悪いと思い、適当なところで話に区切りをつけ、湊にまた会いに来ることを告げ、帰路に着く。久々に充実した時間を過ごした気がした。明日も会いに行こう、そう思いながら眠りについた。


結局、次の日から湊に会いにいく必要は無くなった。

というのも湊が学校に来たからだ。どうして急に来る気になったの?と聞いたら、行く理由ができたから、とさらっと返された。あっちもそれ以上は話さないしこっちもそれ以上は言及しない。それが心地よかった。

おはよう、とはにかむ湊を見て自分の気持ちに気づいてしまった、と同時に正しくない感情だと決めつけ蓋をした。こんな気持ちは知らないし必要がない。


それからは5人で過ごすことが多くなった。僕が湊をグループに引き込んだ、というよりは湊と話してると3人がやってくる、と言った方が正しいかもしれない。湊がこの3人と話したくなかったらどうしようとか色々考えていたけれど、それは杞憂に終わった。わかりやすいくらい湊の笑顔は増えていって、1年が終わる頃には、湊が不登校だったことなんて誰も信じないくらいになっていた。嬉しいような、寂しいような。


気高山に行こう!と言い出したのは確か春瑠だったと思う。まあ春瑠か秋人だろうな。運動が大して苦手じゃなかった僕にとって山登りは特に懸念すべきことではなかったけど、日頃から剣道をしている春瑠はさておき、普段から運動をしている様子のない、細っこい冬華と湊が少し心配になった。ただ、湊が案外乗り気だったから、意外に思いつつも結局は5人で山を登ることになった。不思議な伝説も不思議な花も小説の中だけだろうけど。受験前に思い出を作っておくのも良いと思った。卒業しても友達でいる、というのはとても難しいことだから。このあたりから僕は、変わらないものなんてないって少しだけ、理解し始めた。


山登りは順調だった。最初の方は。登り始めてから5分くらいで雨が降り始めた。僕と冬華くらいしか持ってないだろうなと思っていた折りたたみ傘は予想通り僕と冬華しか持っていなくて、5人でびちょびちょになりながら木の下に避難した。楽しくないわけじゃないけれど、どこか満たされない。そう思ってなんとなく湊の方を見ると彼女も僕と同じ顔をしていた。一瞬だけ目を合わせて軽く微笑んで、それで僕たちのやりとりは終わり。やっぱり、心地よい。

雨が止んだみたいだ。


ここからはみんなとは違う。

僕だけが全部を覚えている。


雨が止んだあと、相変わらず僕は秋人と一緒に山を登っていった。なんとなく、春瑠と2人きりになるのを避けていた。僕に春瑠の気持ちを受け入れる勇気はない。後ろ歩く春瑠、冬華、湊の声がうっすらと聞こえる。何を話しているかはわからないが黄色い歓声が飛んでいるところを見ると大方恋バナでもしているのだろう。はしゃぎすぎて足を滑らすなよ、と忠告しようと振り返った時だった。



なんと言っていたかまではわからない。誰のものかもわからない。そんな悲痛な叫び声と共に、伸びてきた手が、湊の背中を押した。

押された湊の体はだんだんと下へ落ちていった。

悍ましい音がして秋人も振り返る。

右手を押さえて泣いている春瑠と、呆然と立っている冬華。

「どうしよう…どうしよう…押しちゃったよ…湊…みなとぉ…違うの…」

そう言って涙目で繰り返し呟いていたのは


左の頬を押さえている冬華だった。


何があったのか話してくれ、そう言って僕は秋人と共に事情を聞くことにした。


春瑠と冬華はポツポツと話し始めた。

春瑠と湊の好きな人が被ってしまったこと。

春瑠がその人に想いを告げる、と言った際、湊は、その人が好きなのは私だよと微笑んだこと。

それでも春瑠は笑顔で、まだわからないよ〜と返したこと。

湊は、それなら私も想いを伝えようかな、と言い出したこと。

春瑠の笑顔が崩れるのを見て冬華が湊の背中を押したこと。

全部湊が悪いんだ、と言った冬華の左頬を春瑠の右手が叩いたこと。


そんな説明を聞いて僕はどうしていいかわからなかった。春瑠を慰める資格も、冬華を責める資格も、何も持ち合わせていないから。

数時間たったかもしれない。

もしかしたら5分くらいだったかもしれない。

ふいに、秋人が口を開いた。

…不思議な花

不思議な花が…あるんだろ

記憶を書き換えられるっていう…


最初、秋人が何を言っているのかわからなかった。

それでも、だんだんと理解し始めた。

ふざけんな、と思った。

湊のことをなかったことにするのか?

僕が怒っていることに気づいたのか、秋人は続ける。

「いや、ほら、完全に湊のことを忘れるとかじゃなくて!例えば…事故だったことにする、とか…。」

事故だったことにする…?全てを忘れて?

「ほら、今まで通り、いるためにも…」

今まで通り。

僕はその言葉に、その言葉だけには、弱かった。



僕が生まれた時から、両親の不仲は始まったんだと思う。両親の笑顔なんて見たことがないくらい毎日怒鳴りあっていた。僕に火の粉が飛んでくることも少なくはなくて、両親の喧嘩が始まるたび、僕は部屋に篭って、本を読むようになった。

そんな生活を続ける中、学校だけは僕の心が唯一休まるところだった。授業は少し退屈だったけれど僕には大切な幼なじみがいたから。流石に両親の不仲までは打ち明けられなかったけれど、それでも一緒にいるのは楽しかったし、信頼していた。両親に恵まれなかった僕は、きっと何よりも幼なじみに依存していた。

そして月日は巡って、小学四年生になった頃、両親が離婚した。元々歪んでいた家族だから、1人減ったところで何も変わらない。僕は特に深く考えず、母親についていくことにした。父親と母親を比べたところ、父親に殴られたことの方が多かったから。本当に、ただそれだけ。そもそも2人とも僕に興味なんてなかっただろうし、どちらについていこうがどうでもいいだろう、そう思っていた。実際、母親について行ったことにより、状況はかなり改善した。離婚してから母親が僕に手をあげることはなかったし、主に僕が家事をやって母親は仕事をしていたから、半分一人暮らしのようになっていた。1人は苦手じゃない。今までで1番過ごしやすい日々が続いていた。このまま中学を卒業したら一人暮らしをしようってぼんやりと思っていた時、父親が自殺した。それもご丁寧に「夏生がついてきてくれなかったから」そんな遺書を残して。

幼なじみ、ということで面識のあった3人は父親の自殺によって僕の境遇を知ってしまった。あんなに知られたくなかったのに、一部を知られたことにより僕は何かが吹っ切れたかのように全てを吐き出した。

僕が全てを吐き出したあと、春瑠が口を開いた。

「夏生の過去がどうであろうと、いつも通り生きていこうよ。今まで通り遊びに行こう。私は今まで通り笑顔でいるから」

そう言った。秋人も冬華も

「今まで通り仲良しでいよう」

と、そんなことを言ってくれた。下手な慰めとか共感よりずっと嬉しかった。僕が欲しい言葉だった。

それからは今まで通りの心地よい日々が続いていた。何事もなかったかのように笑顔で話して、遊びに行って。いつも通り、そんな当たり前の日々が心地よくて仕方がなかった。

それから僕はずっと「今まで通り」という言葉に弱い。



「…わかった。ただその花がどこにあるかわかるのか?」

しばらく黙っていた僕がそう告げた瞬間、空気が一気に弛緩したように感じた。少しだけ、息がしやすくなった。

「本当に…欲しい人の前に現れる…」

春瑠が小さな声でつぶやいた。

…そんな曖昧なものが果たして見つかるものだろうか。

日が暮れるまで、見つからなかったら諦めて大人に全てを話す、というタイムリミットをつけ僕たちは不思議な花を探し始めた。もはや見つかった方がいいのか、見つからない方がいいのか、判断をつけられなかった僕の前に花が現れるはずなんてなかったけど、みんなと同じことをしなくちゃならない気がして、花を探し続けた。「夏生はしっかり自分を持ってる」

そんな言葉を何度もかけられて生きてきたけれど、実際は何一つ自分で決めることなんてできない。むしろそんな弱いところすら晒せない、いじっぱりが僕だ、と思わず自嘲してしまった。


30分くらいかかっただろうか。

「見つけた」

そう言ったのは冬華だった。その言葉と同時に、急いで花の香りを嗅ごうとする冬華を止めた。

「どういう記憶に書き変えるんだ?全員同じじゃないと矛盾が生まれるだろう」と伝える。そんなこと全く思いつかなかった…という顔をする冬華。冬華は僕より頭がいいはずなのに、本当に焦っているんだな、と感じた。と同時にどうして自分はこんなに冷静なのかと思った。湊が死んだのに。好きな人が、死んだのに。

とりあえず花を持って湊を突き落としてしまった場所まで戻る。救急車を読んでから意識を失いたい為、呼ぶ理由が、湊の死体がそこにあったほうがいい。冬華は泣きそうな顔をしていたがこればっかりは仕方ない。どうせ全部忘れるんだろ、と言いたい気持ちを抑えて歩く。花を最初に見つけたのが冬華、というのも僕にとっては気に入らなかった。一番花を求めてるってことでしょう?


「冬華が湊を突き落としたのではなく、湊が岩で足を滑らせた、という記憶に書き換えたい。」

みんなで考えた文章だ。

不思議な花を使うのなんて初めてだし様式はわからない。なんならいまだに効果があるのかなんて半信半疑だ。ただ、不思議な花は本当に「不思議」な感じがしたから。本当に記憶が書き変わるんだろうなって確信があった。

「つ、つかう、よ、」

冬華の言葉でみんな覚悟を決める。


冬華が花の匂いを嗅いで、先ほどみんなで考えた文章を唱え、意識を失う。

春瑠が花の匂いを嗅いで、先ほどみんなで考えた文章を唱え、意識を失う。

秋人が花の匂いを嗅いで、先ほどみんなで考えた文章を唱え、意識を失う。


僕は、僕だけは、花の匂いを嗅がない。


友達が山から落ちてしまった、と伝え、救急車を呼び、意識を失ったふりをする。



だから僕だけは覚えている。

湊がどうして死んだのか。

僕たちは本当に友達だったのかを。


救急車が到着し、僕を運ぼうとした時に僕は目を覚ますふりをする。

「何も覚えてません」

その一言で相手はもう何も聞いてこなかった。その代わりに、哀れみのこもった視線をこちらに向けてきた。


結局僕は、検査入院という形で一晩入院して翌朝には家に戻された。母親は僕が入院していたことすら知らなかったかのように振る舞った。知らないはずがない、連絡くらいいくだろう。ただ、何も言われないのは楽だった。何も考えたくなかった。

僕は何も覚えてないという体で過ごす。みんなの書き換えた記憶がどうなっているかわからないし迂闊なことはできない。

湊は足を滑らせて死んだ、そんな一言でこの事件は幕を閉じた。

この事件で僕は湊を、大好きな作家を失った。




本当はね、もう1人、覚えてるんだよ。

誰だと、思う?




宇木湊の話

学校が苦手だった。勉強は好きだったけれど、どうしても集団生活に馴染めなかった。淡々と1日を過ごして、ほどほどに勉強をしてテストの順位は一位をキープし続ける。毎日そんなで、毎日つまらなくて。

そんな日々に鬱屈していた私はさも当たり前のように標的となった。

神崎冬華。

「春瑠ちゃん、また湊ちゃんに声が変って言われたの…」

「湊ちゃんがまた何か言ってくるって思うとテストに集中できないの…」

そうやって有る事無い事並べては冬華は私を貶めてくる。純粋にテスト一位の座が欲しいのだろう。特に否定することもなく適当に聞き流していた。私が反論したところでお淑やかで可愛い、人付き合いの上手な冬華には勝てないだろうから。そんな毎日を送るようになってから私はだんだんと学校へ行かなくなった。今頃冬華が一位をとっていると思うと少し腹が立つけれど、私には本があるから。人には生きやすい場所と生きにくい場所があって、私にとって生きやすいのは部屋の中、生きにくいのは学校。そう割り切って生きていくのは楽だった。両親も、私がしっかり家で勉強しているのを見て、特に何も言わなかった。

私がまた学校に行こうって思ったのはやっぱりあの日。夏生くんが家に来た時。学校の範囲なんてとっくに終わってたし今更プリントなんていらないのに、夏生くんは律儀に届けに来た。それで終わりかと思いきや、私の部屋をみて、本を見て、話しかけてきた。私だって普通の本についてだったら特に反応もせずに追い返していたと思う。でも、夏生くんが反応した本は、ずっと前に私が書いたものだったから。そこまで売れたわけでもない私の本を面白かったと言って、語ってくれたから。学校には私の本を好きだと言ってくれる人がいる、そう思って私はまた学校へ行くことにした。

学校へ行き、夏生くんと冬華が幼なじみだったことに驚いた。私と夏生くんが仲良くしているところを見てさぞかし腹が立っただろうと思うと少し笑えた。冬華ももう昔のような嫌がらせはしてこなかった。お互い昔をなかったことにしながら友達を続けた。きっと冬華は私のことが嫌いだけど。私も冬華のことが嫌いだけど。


気高山に行こう、と言い出したのは春瑠だった。

冬華から色々吹き込まれていたはずなのに春瑠も秋人も普通に友達として接してきたし、大方冬華が何か言ったんだろうなって深く考えることもなかった。そもそも冬華を守ることに必死だった春瑠は私のことなんて本当に覚えてなかったんだろうし。

春瑠が夏生のことを好きなのはわかっていたし、受験前ってことで告白でもするのかなって思ったから気高山へ遊びに行くのも賛成した。冬華の話を一方的に信じて私を悪者にした春瑠のことも許してないよ、私は。気高山で全部壊してやろうって思ってたんだ。実際夏生は私のこと好きだったと思うし、私も夏生だけは嫌いじゃなかった。静かに怒っている、なんて聞こえはいいけど夏生はきっと冬華の言ってる全てを信じるほど馬鹿じゃなかっただろうし。


雨の多い時期に山に行くなんて馬鹿なんだろうか。普通に考えていくべきではなかった。わかっていたけど行ってしまったのはやっぱり春瑠の告白を阻止するためだった。5人で二つの傘に入るなんてやっぱり気持ち悪い。それで笑ってるみんなも気持ち悪い。雨宿りの途中で夏生と目が合う。軽く微笑む。夏生も少しだけ唇の端を上げる。やりとりは終わり。これくらいがちょうどいい、というのはきっと共通認識。


結局雨は5分くらいで止んで他愛ない話をしながら山を登った。

「私…夏生のことが好きなんだ。今日の帰り、告白しようと思う。」

春瑠の言葉を聞いて、やっぱりか、と思った。まずは絶望させなきゃ。冬華はもちろん、私も大抵性格が悪い。

「夏生は私のことが好きだと思うけど?なんなら私も告白しようかな〜」

あくまで冗談ぽく告げてみた。あとでなんとでもいいわけができるように、冗談っぽく、保険をかけて。

春瑠も夏生の気持ちにはうっすらと気づいていたんだろう、涙目になっていた。自分でも性格悪いって、やり過ぎだったって思うけど、もう私の口は止まらなかった。

「だって春瑠、すごく喋るし。夏生はおとなしい女の子の方が好きだと思うなぁ、ほら、どちらかといえば冬華とか?」

ここで冬華と春瑠の関係に少しヒビが入ればいいと思った。ただ、ここで大誤算。冬華が私を押してきたんだ。「春瑠を泣かせるな!」って珍しく声を荒げてた。そこ、仲良しごっこじゃなかったんだ。意外。てか、ちゃんと喋れるじゃない。

自慢じゃないけど、平均よりだいぶ軽い私の体は思ったより飛んだ。重力に逆らうことなんてできない。無抵抗に私の体が落ちていく。死ぬつもりはなかったけど頭の中は思ったより冷静だった。湊って叫ぶ春瑠の姿がだんだん小さくなっていく。春瑠は案外私のこと嫌いじゃなかったのかな、そうだとしたら許してもよかったかもな、悪いことしちゃったな。私、友達欲しかったのかな。

今となってはわからないけれど、脳裏には私の本を面白いと言って笑いかけてくれた夏生の顔がこびりついて離れなかった。木の枝が胸に突き刺さる感覚がした。

次書く本の描写、すごくリアルにできそうだなぁ

そんなことを思いながら、私の意識は途絶えた。



南春瑠の話

気高山に、湊の死んだところに行こうって言い出したのは意外にも夏生だった。高校に通っていた3年弱、夏生との連絡は皆無だったから、メッセージがきた事実にも、内容にも驚いた。墓参りは定期的にしてたけど、実際に気高山に行くっていうのは湊が死んでから初めてのことだった。夏生からの「高校ももう卒業だし、過去からも卒業しようと思って」そんなメッセージの文面は夏生らしいとは思ったけど、なんとなく怪しい気もした。


結局あの事故のあと、湊が死んだことで私の気持ちを夏生に伝えることはできなかった。不謹慎とかそういうんじゃないけど。きっと湊のことが好きだったであろう夏生の気持ちを考えるととてもじゃないけど告白なんてできなかったから。だから今回みんなでまた気高山に行くことで私の気持ちも卒業させてあげようって思った。いいね、行こう!と返してスマホを閉じる。冬華と秋人も元気かな。あんなに仲の良かった幼なじみ4人組は、高校が離れてから生活リズムも予定も合わずなんとなく疎遠になっていた。家の前でばったり会う、なんてこともない。昔はよくやっていた、突っ張り棒で冬華の部屋の窓をノックするなんてこともない。

ずっと仲良し、はやっぱり難しいんだなって思った。


梅雨は危ないから、みんなそう思っていたのだろう、気高山へ行く日は秋となった。久々にみんなに会える、そう思うと嬉しくて何度も何度も洋服を選び直した。


久々に会う3人はとても大人びていて驚いた。でも節々に昔の面影があって懐かしかった。今回も山の麓で1時間くらい立ち話をして、これじゃあ昔と変わらないねって笑い合った。夏生だけが無理して笑っているように見えて気が気じゃなかったけれど、これから登るのは遊びではなく、湊のことで、だから仕方ない。私は見て見ぬ振りをして山を登り始めた。秋晴れですごく綺麗な空だった。

山を順調に登って行き、頂上まであと少し、というところで湊が足を滑らせた大きな岩が視界に入った。

「ここ、だよね。」

私は大きな岩の上に花を供えた。どうしても下を覗き込む気にはなれなかった。冬華に至ってはもう泣きそうになっていて痛々しかった。ふと、夏生の方を見ると何かを悩んでいるかのような顔をしていた。そんな夏生の口が開いた。

「不思議な花って、知ってるか…?」

夏生の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。そういう伝説を信じるタイプではないと思っていたから。「花の香りを嗅ぐと記憶を書き換えられるってやつ?」と問いかけると夏生は微かに頷いた。

「その花を使って過去から卒業したいんだ。」そう言った夏生の視線の先には紛れもなく不思議な花があった。

どういうことだろう。

湊のことを忘れたいっていうの?あの夏生が?

どれだけ考えても私の知ってる夏生はそんなことを思うタイプではなかった。秋人と冬華も混乱している。

「全部忘れないと僕は進めないんだよ。頼む。全員で湊のことを忘れないか…。」

そんな夏生の言葉の最後の方はもう掠れていた。

夏生の涙が岩の上に落ちる。

「僕はもうこれ以上引きずりたくない。湊だってそんなの望んでないんだよ…!」


湊だってそんなの望んでない…

その言葉によって私は湊のことを忘れると決めた。

夏生の前に不思議な花が現れたということは、夏生の決意は本物なのだろう。


「私は反対だよ」

そんな言葉を発したのは意外にも冬華だった。

「忘れるなんておかしい、湊は私たちの友達だったじゃない!忘れて前に進むなんて…おかしいよ…」

冬華と夏生は睨み合い、譲らないようだった。夏生と冬華が対立するなんてほぼ初めてのことだったから驚いた。

そんな中、一部始終をずっと黙ってみていた秋人が口を挟む。

「冬華、お前は湊のこと嫌いだっただろ?なんでそんなムキになるんだ?」

その言葉を聞いた瞬間冬華の表情は凍りついた。そのまま一瞬俯いたがすぐに立て直し

「そんなことないよ…?なんでそんなこと言うの…?」と目に涙を溜め、信じられない…という視線を向けた。

「昔、湊にいじめられてるって泣きついてきたのは冬華だったはずだ。声が変、話し方が変だって言われるのって。その後、湊が登校してきた時、湊とは仲直りをしたの。だからもう何も言わないであげて。私は大丈夫だから。って言ってきたよな。そんなに簡単に許せるものなのかって思ってたけど。ずっと冬華をみてきた俺にはわかる。冬華は湊のことが嫌いだったはずだ。」

秋人の言葉を聞いて冬華はその場に座り込んでしまった。

「そんなことはもういいんだ。みんなで忘れないか。湊のことを1人で…僕だけが忘れるのは嫌なんだ…」

沈黙を破るような涙交じりの夏生の声を聞いて私は決心した。

「わかった。私は忘れるよ、湊のこと。湊もきっとそれを望んでる。」

そう言って花を手に取り、匂いを嗅ぐ。

これで…変えたい過去を口にすれば…

そう思った瞬間、私の脳には信じられない記憶が流れ込んできた。


冬華が湊を押した…?


ひどい眩暈がする。

ひどい頭痛がする。

冬華に押されて、スローモーションで落ちていく湊の白くて細い体。

何も理解できないまま私の意識は途切れた。



神崎冬華の話

もう一度気高山へ行こう、そんなことを言い出したのは意外にも夏生だった。

と、同時に湊の死因を忘れている夏生なら言いかねないことではあったな、とも思った。

正直、あの不思議な…いや、呪いの花がある場所に行くなんてリスクが高すぎる。どう断ろうかと考えているうちに、春瑠が賛同し、秋人が賛同しだんだんと断れない雰囲気になってきた。声をかけたのは私が最後らしく、考えすぎかと思いつつも何か意図的なものを感じた。流れるように予定が決まり、私は三度目の気高山に登ることになった。山を登るたびに、土を踏み締めるたびに責められているように感じる。全てをみんなに話してしまいたい、もういっそ死んでしまいたいと感じる。「大丈夫?冬華、顔色悪いよ」春瑠が心配して顔を覗き込んでくる。大丈夫だよ、そう言って登る。春瑠に心配はかけたくない、バレたくない。

辿り着かなければいい、そんな私の思いとは裏腹にあっさりと湊が死んだ…私が殺したところまで辿り着いてしまった。

「不思議な花って知ってるか?」

そんな夏生の言葉に顔をあげる。続けて

「その花を使って過去から卒業したいんだ」

そんなこと言い出す。

あぁ、恐れていた事態が起きてしまった。

「全員で湊のことを忘れないか。」

だめだだめだだめだだめだだめだだめだ

もう一度花を嗅いだら、春瑠が、秋人が、夏生が、全てを思い出してしまう。私が湊を殺したことを…思い出してしまう。春瑠に嫌われる。いやだいやだいやだ。春瑠の方を見ると、春瑠はすでに覚悟を決めているようだった。秋人はまだ迷っているようだが、時間の問題だろう。そんな様子を見て

「私は反対だよ」

自分でも驚くほど冷静に声が出た。

「忘れるなんておかしい!湊は私たちの友達だったじゃない!」

言っている自分が気持ち悪くて仕方ない。でも、これだけは。春瑠に嫌われることだけは。

沈黙を破ったのはそれまで一言も発していない秋人だった。

「冬華、お前湊のこと嫌いだっただろ?」

視界が真っ白になる。

何かを言っている。誰かが何を言ってる。それはわかるのに、視界も頭も真っ白で。防音ガラスで隔てたかのように世界から音が消えた。何を言っているかわからない。わからない。

みんなが何をいっているかわからないまま、私は目の前の光景を黙って見ているしかなかった。


春瑠が…花の匂いを嗅いだ。意識を失った。

秋人が…花の匂いを嗅いだ。意識を失った。

夏生だけは…花の匂いを嗅がなかった。

その代わり

「僕も君も全てを覚えてる。そうだろ?」

そう、言った。

もう逃げられないなぁ。仕方ない。

「殺していいよ、ここで。きっとまた事故になるでしょうから。」

春瑠に嫌われるくらいなら。

本気だった。殺される覚悟だった。ただ、予想外にも夏生は

「僕がそんなことするとおもう?」

そう言って、微笑んだ。

「冬華のこれからに期待してるよ」

そんな一言を言い残して夏生は山を下っていった。私は小さくなっていく夏生の背中を黙って見送ることしかできなかった。


そこからは、どうやって帰ってきたのかなんて覚えていない。

門限を破り、死人のような顔で帰宅してきた私に、母は「今日はもう寝なさい」と告げ、夜ご飯を下げた。

ふらふらと自分の部屋に行き、布団に潜り込む。

春瑠に嫌われたくない。

秋人に嫌われたくない。

夏生…にはもう嫌われてるかな。

「冬華のこれからに期待してるよ」

夏生のそんな声が思い出される。そんなこと言われてももう湊は死んでいるのだ。春瑠も秋人も全てを思い出しているのだ。


死のうかな、あっさりとそう思った。むしろあの時死んでおけば、殺されておけば、と思った。

一度そう思ったら思考は止まることを知らなかった。どうやって死のう、どこで死のう、そんなことばかり考えた。

やっぱりらあそこかな。

私はら事の発端である、気高山に行こうと決意した。湊と同じように死ぬのだ。そんな決意と同時に、部屋の窓をコツコツ、と叩く音がした。その音を聞いた瞬間、懐かしくて涙が出てきた。春瑠の合図だ。春瑠の家は私の家と隣接していて、春瑠の部屋と私の部屋はベランダを挟んで隣だったから、春瑠はしょっちゅう突っ張り棒が何かで私の部屋の窓をノックするんだ。スマホを持っている今、そんなものは必要なかったけれど、それでも春瑠は意図してこの合図を使ったんだ。何年かぶりだった。余計なことを考える間もなく、反射的に急いで窓を開けると、春瑠の顔が見え、春瑠の声が聞こえる。

「冬華、外においで!」

懐かしい。何度も、何度も連れ出してくれた春瑠の声。

「今行く!」

数年前と一言一句変わらない会話。

死ぬのは後回しにしようって、そう思ったの。春瑠とあの頃みたいに話して、その後にしようって。

思ったの。


急いで部屋着から着替えて、外に行くと春瑠は笑顔で迎えてくれた。そして、クッキーをくれた。ずっと前に4人で行った駄菓子屋のクッキーだ。

「一緒に食べよう」

そういって春瑠は歩き出した。そんな春瑠の後ろをついて行くと、小さな公園にたどり着いた。昔よく遊んだ公園だ。

クッキーを食べているとふいに涙が溢れてきた。

「全部、思い出したんでしょう?」

きっとほとんど聞き取れなかっただろうに、春瑠は小さく頷いた。

「ごめんね、春瑠、ごめんね。たくさん守ってくれたのにね、私がね、私が全部。ごめんなさい。」

何度も何度も、繰り返し謝った。これから死ぬにしても、春瑠にはちゃんと自分の言葉で伝えておきたかった。

「湊に何か言われたのもね、嘘だったの。1位を取らなきゃって気持ちもあったけどね、本当はみんなに守って欲しかっただけなの、大切にされてるって自覚したかっただけなの。」

春瑠は静かに頷いてた。

「夏生が湊を引き入れた時にね、まずいなって思ったの。全部嘘ってバレちゃうって。だからね、春瑠とか秋人にね、もう大丈夫だからって湊とは仲直りしたからって嘘ついて、私は1人で気高山に行ってね、湊をいじめてた記憶を消したの。」

春瑠が背中をさすってくれる。

「そこでね、花を1回嗅いでたせいで、湊を突き落としたことを忘れようとして、花を嗅いだ時、逆に全部を思い出しちゃったの。私が湊をいじめて、殺したんだ。だからね、これから私も湊と同じようにね、」

死のうと思うの。そう言いかけた時、春瑠の右手が私の左頬に当たった。湊を殺した時と同じではない。春瑠の手は優しかった。

「ごめんなさいをいう相手、私じゃないよね。湊のお墓参り、行こうよ。それで、湊の両親にも謝ろう、一緒に。そこでもう、清算にしよう?一緒に怒られてあげるから。」

思いもよらない提案だった。

そっか、私まだ湊に謝ってもいなかったんだ。

「行く。湊に謝りに。会いに行く。」

そういった私を春瑠は抱きしめてくれた。


しばらくそうしていただろう、私が落ち着いた時、春瑠が私の後ろを見て、言った。

「秋人も一緒に行くでしょ?湊の墓参り。」

私の後ろに立っていたのは秋人だった。




日向秋人の話

冬華が湊を殺した。

そんな事実を思い出し、ひどく混乱しながら家に帰ったあの日、机の上に何かが置いてあるのを見つけた。それは昔から机の中に入っている封筒だった。どうしてこんなところにあるのだろう、そう思い、封を開けると中には便箋が2枚入っていた。

おずおずと便箋を広げるとそこには俺の字で、文章が綴られていた。


俺へ

今、夏生に色々と言われて、今後のため、この文を書いています。夏生の話を信じきった訳ではないけれど、文に残しておかないと最悪の未来が待っている気がするので、書き残します。この手紙なんて使う必要ない方がいいけれど、必要とあらば、好きな人を守るために使ってください。


俺の好きだった冬華は湊を殺してしまいました。いわゆる女子同士のいざこざです。この手紙を読む頃には全てを思い出していると思います。


その結果、俺たちは冬華が湊を殺した、という事実を不思議な花を使って、なかったことにしました。湊が死んだのは冬華が殺したのではなく、事故という形にしたのです。

ただ、夏生だけは湊のことを、真実を忘れるようなことはしませんでした。1人だけ花の匂いを嗅がなかったのです。おかげで表面上、夏生は1人で過去を背負うことになりました。

ただ、もう1人だけこのことを覚えている人がいました。それが冬華です。冬華は過去に湊をいじめていました。その結果、湊は不登校になってしまったため、その件は冬華の中で終わったように見えました。しかし、夏生が湊を連れ出し、5人でいるようになってから冬華は苦痛を感じ、花を使って湊をいじめていたという記憶を消し去りました。そこで花を1回使っていた冬華は、湊を殺し、みんなで花を嗅いだ際、逆に全てを思い出してしまったのです。

夏生はかなり迷ったと思います。自分だけ覚えている状況をどうしたらいいのか、このままでいいのか。考えに考えた結果、全員で湊のことを思い出そう、そんなふうに思ったのです。いつも通りいたい、と願う夏生がそんな決断をしたことに驚いたけれど、あいつの湊への気持ちを考えるとそれが正しい気もしました。


結果、夏生の提案で、4人でまた気高山に登り、花を嗅ぐことになると思います。そこで俺も記憶を取り戻したはずです。

そうなるとやっぱり心配なのは全てを覚えている冬華のこと。俺と春瑠が花を嗅いだ後、夏生と冬華はわざわざ花をもう一度嗅ぐとは思いません。

2人は全てを覚えているはずです。そして冬華はきっと自分を責めています。死のうとするかもしれません。

だから、止めてあげてほしい。こんなこと言わなくても、俺は冬華を止めると思うけれど。

知らないで冬華を失ったらきっと俺は後悔するから。だからこんな形で全てを残しておきます。

どう使うかは自由です。死んだ方が冬華は幸せかもしれない、そう思うなら何もしないのもありです。

自分が正しいと思う行動をしてください。


俺より。


びっしりと詰まった自分の文字を何度も読み返す。

これが本当だとしたら。

文章をよく噛み砕いた結果、俺はまず春瑠に相談することにした。冬華も春瑠の話なら聞くだろうってそう思ったから。

近くの公園に呼び出し、春瑠に手紙を見せた瞬間、春瑠は俺に

「ここに隠れてて」

そういって急いで自分の家に戻り、冬華の窓をノックして冬華を公園へ連れ出した。

冬華が全てを春瑠に話し、墓参りに行くと決まった。

俺ももう隠れる必要はない。春瑠の目の前に立ち、一緒に墓参りに行くことが決まった。

あとは夏生次第だ。

俺たち3人はこのまま夏生に会いに行くことにした。


夏生の家の窓をノックするのは俺の役目だ。

俺は自分の部屋の窓から夏生の部屋の窓をノックする。

「懐かしいことしてくるね」

微笑み半分緊張半分の表情で夏生が窓から顔を出す。

ここからが正念場だ。



「夏生、湊の墓参り、行こうよ。」

春瑠が夏生に言い放つ。

春瑠の真っ直ぐさはいいと思うがこういう時は黙っておくんだと言わんばかりに春瑠の腕を引き、下がらせようとする。しかし、その前に冬華が動いた。そして春瑠の前に立ちはだかる。

「ごめんなさい。」

そういって頭を下げる。

夏生は何も言わないまま、冬華を見ている。

「全て私が悪かった。これで帳消しになるなんて思わないけど、私は私なりに罪滅ぼしをしていくつもり。春瑠と秋人と、湊の墓参りに行く。そこに、夏生がいてくれたらなって思う。その後、湊の両親にしっかりと謝りに行く。ここは1人でも行く。」

しっかりと言い切った。ここまではっきりと話す冬華に対し、夏生は驚いているようだった。それでも夏生は返事をしない。まだ渋っているのか、他の理由があるのか。夏生はきっと自分でも、複雑な感情をどこへやっていいのかわからないのだろう。

「夏生、お前はこうなってほしくて、俺に全てを話したんじゃないのか?」

その一言は無事、夏生に届いたようだった。

あの事件からずっと死んだような目をしていた夏生は、ようやく自分の心の行き所を見つけられたのかな、とそう思った。




渡瀬夏生の話

そろそろくる頃かな、そう思っていた。秋人か春瑠あたりからメッセージが飛んでくるだろう、そう思ってスマホをこまめに確認していた。もう10回以上確認しているスマホの画面を開く。通知が来てないことを確認して画面を閉じる。

その瞬間、窓に何かが当たる音がした。

コツコツ、懐かしいその音は、秋人が僕の家の窓をノックする音だった。

「外、出てこいよ」

秋人から投げられる、懐かしいその言葉に逆らうことなく僕は外に出た。

外に出ると予想通り3人が待ち構えていた。秋人と春瑠が立っていて、その後ろに所在なさげに、でもしっかりと自分の力で立っている冬華がいた。

ほら、冬華はちゃんと強かじゃないか、そう思った。


少しの沈黙の後、最初に口を開いたのは春瑠だった。予想はしていたけれど、僕にとって今話してほしい人は春瑠じゃない。全員がきっとそれをわかっている。もちろん冬華も。やっぱりだめか、そう思った時、冬華が春瑠の前に立ちはだかった。そして

「ごめんなさい」

そういって深く、頭を下げた。

謝る相手は僕じゃない、そう言おうとしたが、冬華が言葉を続けた。

「春瑠と秋人と、湊の墓参りに行ってくる。夏生も来てほしい。湊の両親にも謝りに行く。」

そんな内容だった。

僕はどうしていいかわからなかった。冬華がここまでしっかりと意見を言ってくると思わなかったから。

大方、秋人と春瑠に守られながら、何かを伝えてくるのだろう、とみくびっていた。

許すつもりはない、あんなに頑なに思っていたのに、その決意が揺らぎそうになった。

ここで許したら、湊は。僕の好きだった人は。

ただ、ここで許さなかったら。

僕自身、自分の感情の置き場をひたすらに探していた。そんな時、秋人が口を開いた。

「お前はこうなってほしくて俺に全てを話したんじゃないのか?」

秋人は覚えているのか?僕の話を。

そんな秋人の言葉により、僕の決意は完全に決壊した。



僕にとって、2度目の気高山へ行く前、僕は秋人に全てを話した。冬華が湊を殺してしまったことから始まり、その事実を、花の匂いをを使って忘れたことを。僕だけが全てを覚えていることを。もう一度その花を使って全員の記憶を戻そうとしていることを。

止められたらやめよう、全てを無かったことにして生きていこう、そう思った。秋人はきっと僕よりも周りを見ている。その秋人に止められたらすんなりと諦めがつく、そう思っていた。

そもそももう一度花の匂いを嗅げば、秋人はどうせこのことを忘れるから、そんなことを思っていた反面、もしも秋人が今話したことの全てを覚えていたら、そんな気持ちがあった。少ない可能性だったけれど、もしそれが叶うのなら、もう一度4人でやり直せるのではないか、そんな淡い期待を秋人に背負わせた。

結局、秋人は僕を止めるようなことはしなかった。

「夏生がそうしたいなら、そうした方がいい。罪を4人で背負うか、2人で背負うかって、それだけだ。」

そう言った。2人、と言うのが冬華のことなのか、秋人のことなのかはわからなかったが、1人じゃない、そんな思いは僕の背中を押した。

そして僕の背中を押した秋人は、花を嗅いだ後も、僕が話した全てを覚えていた。




そんな秋人を含め、3人とも、僕の方を見ている。僕の返事を待っている。

止めて欲しかったのか、覚えていて欲しかったのか、背中を押して欲しかったのか、今となってはわからない。それどころか今僕はどんな気持ちなのかすらわからない。

それでも、頬を伝う涙の感触はきっと気のせいじゃない。

「墓参り、いこうか。湊はアサガオの花が好きなんだ」

そう、伝えた。



神崎冬華の話

夏生の言葉を聞き、アサガオの花言葉は「儚い恋」だったな、と思った。その儚い恋を奪った私がアサガオを供えるなんてどんな皮肉だろうか。

「アサガオなら、夏だね」

そう伝えて、4人で墓参りの日程を決めた。

湊の死からちょうど1年。

湊の命日に、私たちは湊に会いに行くことにした。

墓参りの日も、綺麗な青空だった。

歓迎されているのかな、と自惚れそうになった自分を律して湊のお墓の前に立ち、持ってきた道具で墓石を磨く。アサガオの花を供え、手を合わせる。

「ごめんなさい。」

言いたいことは色々あったけれど、かろうじて声にできたのはその6文字だけだった。

4人で手を合わせる。

全員が手を合わせ終わり、帰ろうとした時、背後から声が聞こえる。

「あら、夏生くん…?てことはあなたたち…もしかして…」

後ろを振り返って、声の主を視界に留めた時、まず漠然と、美人だな、と思った。それと同時に、目元に、節々に既視感を感じた。そして、ようやく、あぁ、湊の母親だ、と気づいた。

その予想は間違っていなかったようで声の主は

「湊の墓に手を合わせてくれてありがとう。あの子、ちょうど去年の今日、事故で死んじゃったの。もしかしてあの日、湊と一緒に山に登った子達?」

そう問いかけてきた。

胸を刺されたような気がした。

湊の母親は痩せ細っていたから。もともとなのかはわからないけれど、その細さに拍車をかけたのは間違いなく私だ。

前に出て謝ろうとする私を夏生が後ろから止める。

「ご無沙汰しています。ご挨拶もいけずすみません。湊がこんなことになってなかなか立ち直れなくて…。」

そんな風に話し始めた夏生は湊の母親と軽く世間話を始めた。

そして

「よかったら、またきてあげてね」

そんなひと言を残し、湊の母親は帰って行った。


謝ることができなかった。帰り道、それしか考えられなかった。誰1人喋らないまま、もうすぐ家に着いてしまう。

「少し、話そう」

誰が言ったのかはわからない。ただ、その一言で私たちは公園に寄ることになった。

「湊のお母さんに、私、謝れなかった。夏生、どういうつもりなの。」

思っていた以上に強い言葉が出てしまった。

「私のせいであんなに痩せ細って、あんなに…」

言葉が止まらない。春瑠も秋人も黙っている。

そして、夏生が口を開いた。

「自分だけ楽になろうとするな。湊の母親は真実なんて知らなくていい。これ以上追い詰めないでやってくれ。謝罪なんて自己満足だ。これからも僕たちは僕たちだけでこのことを抱えていくしかない。それが唯一の罪滅ぼしだ。」

そう言って夏生は家に向かって歩いて行った。

私は何も言い返すことができなかった。


これは私が背負っていく罪だ




宇木湊の日記

幼稚園の頃、将来の夢を書く機会があった。卒園アルバム、みたいなのだったと思う。

ヒーローとか、お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか。

そんな文字が並ぶ中、私はそこに「うさぎ」と書いて提出した。当時の私は本当に、うさぎになりたかったのだ。なぜ、と聞かれても難しいけれど、私はうさぎになりたかった。

そんな私の文字を、先生は直した。卒園アルバムが配られる頃には、私の書いた文字は「うさぎぐみのせんせい」に直されていた。私がうさぎ組だったから先生はそう解釈して、当たり障りなく書き直したのだろう。

うさぎと書いた私に悪気はない、先生にも悪気はない。

どちらも悪くないのだとしたら、この気持ちはどこにぶつければいいのだろう。

あれだけたくさんの人がいる中で


あの場所で、あの時間に

私だけが、うさぎになりたかった。




渡瀬夏生の話

みんなに花の匂いを嗅がせ、冬華と別れた後、僕は湊の家に向かっていた。

「いつも来てくれてありがとうね」

そんなことを言う湊の母親に告げた。

「僕たちが、僕が湊を殺したんです。」

湊の母親は一瞬驚いた顔になった後、穏やかに微笑んで

「そっか」

と、それだけ。言った。

何も聞かない、何も責めない、そんな姿勢がたまらなく湊と重なって、僕は湊が死んでから初めて、しっかりと泣いた。湊の母親はそんな僕の背中をゆっくりとさすってくれた。しばらくしてようやく僕が落ち着いてきた時、湊の母親が言葉を発した。

「湊のためにこんなに泣いてくれてありがとう。学校へ行けなかった湊に外の世界を教えてくれてありがとう。湊の本を、面白いと言ってくれてありがとう。」

そして

「たとえ死んでしまったとしても、たとえ湊の死に、誰かの意図があったとしても、あの子と出会ってくれてありがとうって、私はそう思う。」

そう、続けた。

言葉を紡ぎ終えると、湊の母親はどこからか、ピンクの可愛らしいノートを持ってきた。

「これはきっと湊が、夏生くんに向けて書いた本。まだプロットみたいなもので、日記が入り混じってたりするし、本ってよりは詩集に近いかもしれないけれど。ぜひ、読んであげてほしい。」

そんな言葉と共にノートを渡してくる。

ノートの表紙には湊の綺麗な字で「梅雨明けの夏空」と書いてあった。

「必ず読んで、感想を伝えにきます。」

出し尽くしたはずの涙がまた溢れないよう、唇を噛み締めながら、なんとかそう答えた。

「待ってるね」

そう言ってはにかむ湊の母親を見て、この人は全てを知っているな、と、そう思った。


湊の遺してくれた本をすぐに読みたいって気持ちはもちろんあったけれど、その前にやらなければいけないことがあった。大切な幼なじみのことだ。

きっと春瑠も秋人もそろそろ目を覚ましているだろう。

冬華がどうするかは冬華に委ねる。

そろそろ僕たちは「いつも通り」じゃいられない。

秋人が、部屋から僕の窓をノックする音が聞こえた。





その後の話

「アサガオの花言葉、硬い絆って意味もあるらしいよ」

急に、秋人がそんなことを言いだした。

みんなで墓参りに行ったあの日から、定期的に4人で集まって湊に会いに行くようになっていた。墓石を磨いて、花を供えて、たまに会う湊の母親と話をして。

ただ、4人で会う機会はそれだけだった。

誰1人として、4人で遊びに行こう、なんて言いださなかった。罪悪感、とは少し違った思い。

全員が持っている形容しきれない気持ちの置き所を見つけるまで、湊の墓参り以外の繋がりはやめようって、暗黙の了解ができていた。

忘れてはいけない。

楽になろうとしてはいけない。

抱えていかなくてはならない。

それが4人の、私たちの罪だから。

殺した罪。忘れようとした罪。一度は忘れた罪。

雨が降り始めたようだ。

それと同時に

「もう、いいのに」

ふと、そんな声が聞こえた気がした。

4人で驚いたように目を合わせる。

雲の隙間から日差しが差し込んでくる。

天気雨だ。

私たちのモヤモヤとした気持ちを梅雨前線が掻っ攫っていったように感じた。





不思議な花なんて本当にあるのかって?

そうね、そんなこと、どうでもいいんじゃないかしら。

あった方が面白いから、こうなった。

それだけよ。

結局は世の中なんて、「いつも通り」じゃいられない時の方が多いのよ。




宇木湊の本

みんなが忘れた私のことを

君だけは、一度も忘れないでくれるでしょう?

私はそれが心地よくて

それだけでよかった。

好きだなんて安直な言葉言わないけど、

君だってそんな言葉使わないでしょう?

だから、君の隣は心地よかった。

「もう、いいのに」

そんな一言はきっと君には届かないけど。

私はずっと言い続けるよ。

ほら、梅雨があけるよ。

長かったね。

ありがとう。さようなら。






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梅雨前線 憑ルノ黒猫 @yorunokuroneko

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