第5話:アドラム家、崩壊

 アドラム家の屋敷で日々深刻になっていく両親の不仲をよそに、俺は剣をはじめとした武術を習い、最低限の勉強をしている。


 自室で歴史書に目を通していた俺に、ジスカ爺やがお茶を持ってきてくれた。


「また怪人が現れたって?」

 何の気なしに、俺はジスカに聞いた。



「そのようです。なんでも、全身の皮膚が真っ黒で建物を破壊するほどの腕力だったとか」


「似たようなやつらばっかりだなぁ」


「そうですな。騎士団の方々が鎮圧なされたとか」



 ふーん、と相槌を打つ。

 冷静を装っているが、内心ではかなり恐怖していた。



 怪人。


 全身が黒く、人間のようなシルエットでありながら、人間では考えられない能力の持ち主。

 腕力だけでなく、触手が生えていたり炎を吐いたり、その特性は様々である。


 こんなのが、もし今のアドラム家を襲ってきたらひとたまりもない。

 俺は『変身』してなんとかできるかもしれないが、あの能力は手加減が効かない。


 怪人は倒せても屋敷を吹っ飛ばしてしまう可能性の方が高い。

 そのへんは、まだ練習中だった。


 先々の心配で、暗い気持ちになってしまう。

 これが終わったら気分転換に剣の稽古をしよう、と心に決めた。


 ジスカが内心で恐怖しながら歴史書をめくる俺を見て、よく感心している。

 彼とだけは、唯一ふつうな会話ができる。


「坊ちゃまはお若いのに自己研鑽に熱心で。この家も将来安泰ですな」


 そんなわけないだろ。褒め言葉にしても言葉選んだ方がいいぞ。


「……ありがとう」


 本音は隠し、薄っぺらい感謝の言葉を伝える。


 まあ、ジスカにしても人生経験は豊富だ。

 この家の現状は知ってるはずだし、今後の予想は俺よりも正確にできていることだろう。


 逃げる算段を秘密裏にしているに決まっている。


「剣のほうも随分上達なされました。この爺やでは今後、太刀打ちできなくなるかもしれませんな。……どうでしょう、今後は専門家を呼ぶというのは」


 それはそうしたいところだが。


「そんなことが出来るカネがあるのか?」


「それは……」

 ジスカは口ごもった。



 父も母も、浪費癖がある。

 そしてその割に、このアドラム領は発展していってるわけでもない。


 つまり、先細りしているのだ。


 それは、家の使用人が徐々に少なくなっていることとか、食事の質がだんだん下がっていることから分かることだ。

 もちろん、両親が口にする食事だけは、変わらず豪華なのだけども。



「まあ、俺にはジスカがいればいいよ」

 茶を飲み干した俺は本を閉じ、今日もジスカを引き連れて中庭に行くことにした。



 分かっていた。


 街の外れにある獣人達の住処がスラム化してしまっていること。

 怪人と呼ばれる正体不明の存在が、最近になって街に出没していること。


 だが、俺じゃなくても、そしてアドラム家はもうダメだとしても。

 誰かがなんとかやってくれるのではないかと、楽観視していた。




 そして、とうとうその日は訪れてしまった。



「ルーディ・アドラム卿。首都より、貴公に逮捕状が出ている。抵抗は無駄だ、大人しくしてもらおう」


「そ、そんなバカな!!オ、オレが何をしたっていうんだ!放せ!放せぇっ!」



 屋敷に大勢の憲兵が押し寄せ、父親が拘束された。

 違法薬物の取引やら収賄など……憲兵から色々言われていた。


 意外なほどあっけなく、アドラム家当主は逮捕されてしまった。


(遅くね?)


 俺の感想は、それぐらいだった。

 無関心といってもよかった。


(いやほんと、父親として0点だったなぁ)


 俺は父親に対して、申し訳ないぐらいに、何の思い入れもなかった。


 あと二年早くてもよかったぐらいだ。

 手続きとかで手間取ったのかな?



「ぼ、坊ちゃま。お気を確かにお持ちください」


「……大丈夫だよ、ジスカ。君こそ落ち着け」



 俺を心配してくれるジスカ爺の気持ちはありがたいが、見るからに動揺しているのはジスカの方だった。


「ところで母様を見なかったか?」

 とにかく気を取り直してもらおうと、話題を振る。


 事態を知ってもらう必要もあるし。


「そういえば……奥方様は急な用事だとか言って、昨日の夜遅くに出かけられました」


「出かけた?どこに?」


「申し訳ありません、分かりかねます……」


「そうか……わかった、いやいいんだ。とりあえず、いつもの朝を始めようじゃないか。なあ?」


 俺はそう言って、今朝の新聞と、ジスカが用意してくれていたパンを手に取る。


 新聞の見出しは大きく、目立つ。


『アドラム領、犯罪発生数は過去最悪』


『怪人ダークハンド、宣戦布告!』



『タレア・アドラム夫人、マーフィン卿と駆け落ち!!』


「……はぁ?」

 最後に目に飛び込んできた見出しをもう一度読む。


 ……何度読んでも、そこには母親の名前が前半に書いてあり、後半は母親から何度も聞かされた名前である。


「どうされました、坊ちゃま?今朝のパンがお口にあいませんか?」


 どう応えればいいのかわからず、俺は言った。

「……うん、パンは満点だよ」



 アドラム家は、俺を残して、みんないなくなってしまった。

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