第5話わたしの名前

 気がつくと、わたしはベッドに寝かされていた。

 わたしがコアに願って出してもらった前世のベッドだ。ふかふかのマットレスにピンクの小花模様の軽い羽毛布団。


 まわりを見回すと、先ほどの四人は、わたしの生活空間だった革張りのソファにすわっていた。テーブルにはポーション五本。今回コアは人数分出してくれたらしい。そのうちの一本は空になっていた。


 わたしが身じろいだのに気づいてローブ姿の女、マリルが立ち上がった。

「気がついたのね。痛いところはない?」


 わたしがうなずいて起き上がると、マリルは安心したようにほほえんだ。

「ドロップしたポーションを飲ませたから、傷は治っているはずよ」

 

 彼女は言って、テーブルの上の小瓶を指さした。

「これ、初めて見るけど、ただのポーションじゃないわね。上級? それとも、もっと上かしら」


 ポーションと言えば、コアが出してくれるこれしか知らなかった。

 わたしは首を振って彼女を見上げた。

 

「まあ、いいわ。戻って鑑定してもらえばわかることね」

 

 わたしは空腹を感じたので、何か出してもらおうと、コアの元へ行き、触れようと手を伸ばした。


「オイ、危ないぞ」

 背後から声が飛んだ。

 両手でナイフを扱っていたエストと呼ばれた小柄な男だった。


 わたしが振り返って首を傾げると、リーダーらしい大剣使いの男、アルが答えた。

「さっきエストが触って、吹き飛ばされたんだ」


 わたしは目を見開いた。

 これまでわたしが触って拒否されたことはなかった。もしかすと、コアはわたしだけに願いを聞いてくれていたのかもしれない。

 わたしを育てるために? よくわからないが生かそうとしてくれていたことは確かだろう。

 

 わたしは感謝して、いつものように赤い宝石のようなコアに手を当て、アプリコットジャムを挟んだカステラを願った。


 わたしが大きな皿に乗せた五切れのカステラを、四人の前に置くと、彼らは口をあんぐりあけたまま、固まっていた。


 無機質なコアルームの中で快適な生活をするため、コアに願い、前世の記憶をたどって最低限の設備は整えていたのだが、そんなことを知らない彼らにとっては驚きでしかなかっただろう。


 わたしはソファの背後に置いた戸棚からお茶のセットを出し、横にしつらえた簡易キッチンで緑茶を淹れた。


「ダンジョンの奥にこんなものがあるとは」

 大盾を扱っていたザイルが困ったように眉を下げた。


「これまで踏破してきたダンジョンには、こんなもの無かったぞ」

 エストはカステラを手づかみで豪快に口に押し込んだ。


「お? うめえな、これ」

 彼は口いっぱいにカステラを詰め込で頬をふくらませていたが、むせそうになり、あわててお茶を流し込んだ。

「アチチッ」


「おいおい、エスト落ち着け」

 アルが苦笑してたしなめた。


「そういえば、名乗ってなかったな。オレたちはダンジョンを探索している冒険者だ。オレはアルベルト。アルと呼ばれてる」

「おれっちはエストロイ。エストと呼んでくれ。シーフだ」

 エストがはす向かいから剽軽ひょうきんに手を振った。

 

「ザイル。タンク盾役だ。」

「私は、マリルジェーネ。魔術師よ。マリルと呼んで」


 わたしが何と答えようか迷っていると、マリルがわたしの肩を抱いて、彼女の横にすわらせてくれた。

「まだ疲れているんじゃないの? すわって一緒に食べましょう」

 彼女がカステラとお茶を寄せてくれたので、わたしは、お腹が空いていたことを思い出した。


「名前、ない。なぜいるのか、しらない。コアが、あの赤い宝石みたいのが、育ててくれた」

 

 ちびちびとカステラを口に入れながら、わたしが切れ切れに伝える言葉を、四人は黙って聞いてくれた。

 コアからもらった知識で、彼らが話す言葉は理解できたし、わたしも話すことはできるようだった。

 

 だが、声を出して言葉を発したのは、これがはじめてだった。

いつも頭の中では色々考えていたが、戦うときに思わず出てしまう叫び声や呻き声以外、外に向かって声を出したことはなかった。

 

 うまく気持ちを言葉にできないもどかしさを感じながらも、できるだけ正確に説明しようとした。

 

「名前がないのは困るわね。何て呼ばれたいかしら?」

 マリルが聞いてくれたが、何も思いつかなかった。前世の名前は杏子きょうこと言った。


「キョウコ、キョウ」

 わたしは目の前にあるカステラをちぎって口に入れようとして、ふと思いついた。


「あんず。なまえ、アンズ」


「アンズ? 変わった名前ね。でも呼びやすいわ」

 マリルがうなずいた。

 

「きょうから、君はアンズだね。よろしく」

 エストが楽しげに笑い、ザイルは黙ってうなずいた。

 

「よし、アンズ。ゆっくりでいい。君のことを聞かせてくれ」

 向かい側にすわっていたアルが大きな手を伸ばして、わたしの頭を撫でた。


 自分以外の人に触れられることなんかなかったから、驚いて体が硬くなった。だが、悪意は感じなかったので、すぐに力が抜けた。


 わたしはお茶を飲みながら、ポツポツとこれまでのことを語った。

 おそらく五歳か六歳くらいの時、気がついたらここにいたこと。ダンジョンコアに願うと、食べ物や身のまわりのものを出してもらえたこと。強くなりたいと願ったら、魔物がでるようになったこと。

 そして今回、これまでより強い魔物が出て、ここで死ぬのかとあきらめそうになったこと。


「なるほどね。だがダンジョンコアが子育てするなんて聞いたことないぞ」

 エストがお茶を飲み干した。


「わけありの赤ん坊をダンジョン奥に捨てるって話はきいたことがある」

 アルが手であごをさすりながら言った。

 

「ひどい、そんなことが?」

「そうなんだ、マリル。ここで死んだ人間はダンジョンに吸い込まれて消えるからな。証拠も残らないでかたづく」

 

「そんな、ひどすぎる」

 マリルは言って、わたしを抱きしめた。

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