つながってる


 いつか、どこかの旅の空。

 どこのくににもよくある、小さな町でのできごとだ。


「ヴェイル」

 宿のベッドで膝を抱えて座りこみ、顔を埋めたまま微動だにしない黒髪の娘に、竜使いのアールはおずおずと声をかける。

「スープができたぜ。干し肉に野菜と岩塩とスパイスを適当に加えたやつ」

 好物だろとすすめる少年に返ってきたのは、いらぬという力のない返答だった。

「そなたひとりで食すがよい」

「食えるかっ」

 思わずアールが反駁したのは、スープを入れた器が盥ほどもある巨大な代物だったからだ。十人のおとなの腹を満たすに充分なその量は、竜の姫がその巨体を維持するために必要な量なのだが、

「わたくしは小鳥ほどしか食さぬ主義なのだ」

 肉に野菜、魚に菓子に果物に。神の眷族たるにふさわしく、選りすぐられた最高の食材にしか食思をそそられぬ竜たちのなかでも、自分がいかに少食であるかを主張した年頃の乙女に、羊飼いのパイを五十人前平らげた大食らいが言うなよとにこやかに返したばかりに、芋と玉ねぎの山へと蹴りこまれたのはつい七日前のことだ。


 そのヴェイルが、食事に手をつけようとしないなんて。


 天変地異の前触れじゃねーのかと、青い双眸を相棒へと向けたアールだったが。やっぱりあの件が堪えてやがるなとちいさく呟き嘆息する。


 小さな町から、突如として竜使いの里へ依頼が舞いこんできたのは一月前のこと。派手やかな衣装に身を包んだ男が奏でる笛の音色に誘われて、町じゅうの子供たちが次々と姿を消した事件がきっかけだった。

 母親たちがふりしぼった涙と懇願を受けて、わたくしに任せるがよいと竜の娘が豪語し、そのしもべたる少年が早速こき使われる運命をずっしりと実感した時だ。

「ゆめゆめ油断するでないよ、竜姫」

 里の者たちからは婆さまと慕われ、気むずかし屋の竜たちからも一目置かれている長老がぼそりと告げたのだ。

「笛吹き男は強大な魔族との言い伝えもある。一度はある聖女に討たれたが、数百年かかって己の骨と肉を拾い集めて甦ろうとしているそうだよ」

「わたくしは竜じゃ。たかが魔族など」

「そうじゃの、神の娘よ」

 だが、そのこころねはいまだに幼子のものと告げた長老に、翡翠の女神はすねたようにそっぽを向いた。

 そんな彼女をしばし見つめて、ひとと竜とをつなぐ絆が竜使いの里だけに残された数百代前から里の太母としてあり続ける老婆は、何を思ったのか手にしていたものを竜の姫に手渡した。

「何じゃ、これは」

 渡されたものに不満げな顔を見せたヴェイルに、持っておるがいいよと里の婆は穏やかに返した。

「めぐりめぐって、そなたのもとへとやってきたのだから」

 そう笑った婆のことばの意味を、やがて竜使いの少年と竜の姫は知ることになるのだが――


「わたくしが愚かだった」

 ほんの少し面を上げ、ほのかに緑がかった深い色の瞳をアールに向けて、竜の娘は悄然と呟いた。

「婆の言う通りだった。傲りが油断につながったのじゃ」

 子供を狙うならば囮がいるであろと告げたヴェイルが、大国の王女の身代わりを務めた時と同じく、その姿かたちを五つ六つの女の子に変じて間もなく騒ぎが起きた。

 ひとりで遊んでいるふりをしながら、ぶらぶらと人気のない通りを歩いていたヴェイルは、突如として現れたものに抗う間もなく連れ去られた。魔族なら竜の放つ強大な魔力を感じ取るであろうからと、あえてそれを封じていたことも災いした。

「あの魔族は、はじめからわたくしを誘い出すつもりだった」

 町の子供たちは、そのための囮にすぎなかったのだ。

 そなたの血と灰を以て、忌まわしきあの女が我が身に穿った傷を癒してくれようぞと、尽きぬ憎悪を声音に滲ませていた魔族が、ヴェイルの向こうに見ていた面影は誰であったのか。

 そなたが似せた者どもなぞ、とうの昔に塵に還ったものをと嗤った異形がヴェイルに向けて魔力を放ったとき、自らを顧みることなく助けに飛びこんだアールが、幼子に変じたままの竜姫の身をしっかと抱え、ともに焼かれることを覚悟した時だ。

「なぜわたくしに応えた。自らを盾にしてまで」

 ヴェイルが握りしめたのは、のんきな顔をした騎士の人形だった。

 片腕はもぎ取られ、砕けた身体はどこかに消し飛び、それでも口元にかすかな微笑みを浮かべたまま彼女を見上げているおもちゃの騎士に、返ってくるはずのない問いを竜の姫は投げかける。

「どうして」

 いつまでたっても、炎に包まれる気配がないことを奇妙に感じた竜使いの少年と竜の姫が見たものは、にわかには信じがたい光景だった。

 驚愕の表情を浮かべる魔族の前に立ちはだかっていたのは、鎧兜に身をかためた丈高い騎士だった。その身を透かして、周囲の岩肌が見えていることから、彼が実体を持たぬ存在であることだけは容易に伺えた。

 剣を手に、盾をかざし、魔族の炎からアールとヴェイルをかばいつづけ――そして。

 ふたりへと振り返り、微笑んだかの者の面差しを見たヴェイルが叫び声を上げた。

 止めようとしたアールの手を振り払い、駆け寄った竜姫の前で力尽きた騎士は光となり砕け散り――ばらばらに砕かれた古い人形だけが足元に転がった。

 竜使いの里を発つときに里の婆がヴェイルに持たせた品、幾世代にもわたって頑是ない幼子たちの守りを務め、いつしか人々の<おもい>をその身に宿し、あえかに魂の揺らぎを息づかせていたおもちゃの騎士が。

 たかが木偶人形の分際でと吐き捨て、彼を踏みにじろうとした魔族にもはや勝機はなかった。

 素早く人形を拾い上げ、しばしのあいだ彼を見つめていたヴェイルがゆらりと立ち上がった。

 瞬時に幼子から十五、六の乙女に変じ、小手先の魔法などではなく、炎と雷と風そのものを召喚しはじめた竜姫の双眸に浮かぶ激甚に、青くなったアールがやべえと叫ぶ。助っ人に駆けつけた町のおとなたちと、囚わていた子供たちを連れて全速力で逃げ出し――やがて盛大な音とともに吹き飛んだ岩山から、無傷で現れたヴェイルの姿を見とめてやれやれと一息つくことになった。

 もちろん、件の魔族がどうなったかは聞くまでもない。今度は骨と肉どころか、ばらばらになった魂の欠片ひとつかき集めるだけでも千年は苦労することだろう。元に戻ろうとするよりも、いっそあきらめて生まれ変わったほうがまだ早いかもしれない。


「あと少しすれば、そなたの魂はかたちになったのに」

 物言わぬ騎士の人形を見つめたまま、なぜじゃとヴェイルはくり返す。

 魔法よりも不可思議な人々の<おもい>に育まれ、かたちを為しかけていた無垢な魂は、砕け散った身にわずかな欠片をとどめるだけ。それすらも次第に薄れ、はかなく消えゆこうとしている。

「わたくしなど、放っておけばよかったのに」

 ぽろぽろと涙をこぼすさまなど、普段のおはね娘からは到底考えられなかったものだから、

「そりゃできないだろ、ヴェイル」

 思わず口にした少年を、しばし涙を忘れた竜の姫が驚いたように見やる。

「こいつは騎士だろ。だから、為すべきことを為したんだ」

 恐るることなかれ。誠実であれ。真実を語れ。守るべきものを思え。

 上古のもののふたちが騎士として立つときに掲げた誓いが、おもちゃの人形だった彼にも通用するかは分からなかったけれども。

「こいつが剣を捧げたあるじは、あちこち転げ回ってるちびたちだよ。うちのミルとか、隣のヤンみたいな」

「わたくしは子供ではないぞ」

「じゅうぶん、子供だったろ」

 ふたりへと振り返った騎士が、ただ一度見せた別れの笑みに、今にも泣き出しそうな顔で駆け出していったちいさな子供そのままで。

 もしかすると、ヴェイルがつねづね語る父さまとやらは、あの騎士にちょっと似ていたのかもしれない。

 なぜあの女がここにと恐怖に顔を歪めた魔族に、貴様ごとき下郎が我が母の名を口にするなと言い放った竜姫の姿は、かつて彼の者を討ち取ったと伝えられる女性を思わせたのかもしれない。

 ふたりのことを、ヴェイルがみずから話してくれるまでに信頼を築くには、まだまだ時間がかかりそうではあったけれども。

「ほら、満足だって顔してるぜ。ちゃんと務めを果たしたんだから」

 おまえがいつまでも泣いてたら、こいつが余計に心配するだろと告げたアールに、

「たまには、そなたもまともなことを言う」

「俺はいつでもまともだってッ」

 おまえが非常識すぎるんだとぼやく少年をよそに、微笑みをとどめた騎士の人形を見つめて。

 今では竜のみが知るいにしえの言葉で、そっと感謝を述べた姫君が、ちいさな騎士へとそっと口づけたのはここだけのはなしだ。



              ◆ ◆ ◆



「なあ、いいのか」

「何じゃ」

 ふたたび、一人と一頭に戻った旅の空。

 翡翠の背から振り落とされそうになりながら、どうにか手綱を握りしめつつ問うたアールに、そっけなくヴェイルは応じる。

「あの人形だよ。町外れの丘にそっと埋めてきたけど」

「よいのじゃ」

 それが彼の望みだったからと応えたヴェイルに、

「樫の実を添えるだけが?」

「ちいさな実が芽吹き、大樹に育つこともあるであろ」

 あの丘は善きものが集うゆえ、それがよいと思うたのじゃと応えたヴェイルになるほどなと少年はうなずく。

「ってことは、いつかまた帰ってくるな」

「――」

「誰かがその樫を使って、また人形を作るかもしれないだろ。そうしたら会えるじゃんか」

 今度はべそかくんじゃないぞとからかい、翡翠の鱗をぺしぺしと叩いた竜使いだったが、誇り高き相棒のこめかみに浮かんだ青筋には気づかなかったようだ。

「アール」

「ん?」

「降りるがよい」

 冷然と宣告を下すと、ぐんと飛ぶ速さを増した竜姫に鞍から放り出されて。

 ぎゃあああごめんなさいもう言いませんだから落とさないで許してえええぇと、蒼穹を行く竜使いの世にも情けない泣き叫ぶ声が、しばしこだましていたそうな。


 そうしていつしか、とある小高い丘の上に大きな樫の樹が息づくことになる。

 小鳥たちが翼を休め、栗鼠たちが枝を駆け回り、旅人たちが木陰で憩うその大樹は、なぜか皆から<騎士の樹>と呼ばれ続けているのだが。

 そのいわれについて知るものは、蒼穹を駆けゆく翡翠の竜以外には、誰もいない。


(Fin)

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コデックス 笑川雷蔵 @suudara

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