1-13 凶報



 藍玉ランユーが十歳になる頃には、計画通り"第七皇子"といえば"落ちこぼれ皇子"もしくは、"駄目皇子"という代名詞が付いて回るようになっていた。


 かつての神童は見る影もないと老師たちは口々に囁き、黑蝶ヘイディェ殿に仕える宮女や武官たちは、肩身が狭い思いを少なからずしていた。


 第七皇子に仕えていれば、将来安泰と思われていただけにがっかりしている者も多いだろう。だが、自ら仕える主を選ぶことなど赦されていないので、従者たちは諦めつつ、ならばこのまま平穏無事に過ごせればいいと思うようになっていた。


 碧雲ビーユンはというと······。


藍玉ランユー様、なにをしているんですか?」


 呆れた顔で、庭にしゃがんで何かしている藍玉ランユーの背中に声をかける。腰までしかなかった幼い皇子は、気付けば自分の胸の辺りまで身長も伸び、顔つきはまだ幼さが残っているが特有の丸みは無くなり、少年らしくなった。


 後ろ姿も細身だが骨格が昔よりしっかりしてきたのがわかる。少年に成長した藍玉ランユーは駄目皇子とは言われているが、嫌われているわけではなく、どちらかといえばひとに好かれる性格な為、他の従者たちも気さくに話しかけてくる。


「あ、碧雲ビーユン。見て見て!この前桃李タオリー兄上と一緒に植えた、花の苗がやっと花を咲かせてくれたんだっ」


「ああ、人界から貰って来た、蕾しか付いてない苗でしたっけ?結局何の苗だったんですか?」


 魔界は陽が当たらないのに、なぜ人界の植物が育つのか。碧雲ビーユンは不思議でならなかった。


 思えば、この庭は人界に咲く花ばかりで、しかも年中咲いている。季節があるわけでもないので、本来春しか咲かない花々も普通に咲いているのだ。


 この前三人で訪れた時人界は秋だったので、今の頃は冬だろう。


 藍玉ランユーの足元に咲いている白い花は、ひとつひとつの花は小さいが、房にいくつも密集していて、重たそうにこうべを垂れるように咲いていた。


「わかんないけど、綺麗だからいいんじゃない?」


 満面の笑みを浮かべ、白い花を見下ろしている藍玉ランユーに対して、碧雲ビーユンは肩を竦める。そういえば、最近第五皇子が姿を見せていない。


 いつもなら定期的にやってくるのだが、珍しくその期間がいつもの倍は開いていた。


「早く桃李タオリー兄上にも見せたいな、」


「あの方なら、一緒に喜んでくれるでしょうね」


 碧雲ビーユンはふたり並んで、のほほんと花を眺めている光景が目に浮かんだ。第五皇子の桃李タオリーは、藍玉ランユーにとって、唯一同じ目線で物事を見てくれる、大切な存在なのだ。


碧雲ビーユン様、大変です!」


 そんな中、慌ただしく武官のひとりが遠くからこちらに向かって叫んでいた。近くに行くまでの時間も惜しかったのだろう。肩で息をしながら青い顔でやって来ると、改めて拱手礼をし、その場に片膝を付いて頭を下げた。


「どうした、そんなに慌てて」


 その様子が尋常でないことに気付き、碧雲ビーユンは険しい顔をして訊ねる。


「は、はい、実は······、」


 ちらっと藍玉ランユーの方に視線を一瞬向け、言葉を詰まらせた。その微妙な空気に対して、碧雲ビーユンは眉を顰める。嫌な予感がした。


「第五皇子様が······第四皇子様に、」


 第四皇子、という名が出た時点で、良い知らせではないことがわかった。最近の第四皇子の行動は、目に余るものがあったからだ。第四皇子、梓楽ズーラ。ここ数年で人界と魔界、共に与えた影響は計り知れない。


 彼は幼い頃に一度、そして二年前にも、自分に仕えていた従者たちを皆殺しにした前科がある。大王はそれに対して特に罰を与えることはなかったが、さすがに理由は訊ねたそうだ。


「なんで~?なんでだっけ?ああ、えっと、あの時は確か····。みんなして俺の事怯えた眼で見てくるから、可哀想だから殺した?」


 皇子たちやその母、高位の魔族たちが大勢集められた席で、そのような発言をした梓楽ズーラに対して、大王は乾いた声で笑った。


「可哀想?お前にそんな感情があるとは、驚きだ」


「えぇ~?酷いなぁ。俺だって弱い者は可哀相って思うよ?それとも、殺さずに俺の魔力を高めるための、贄奴隷にでもすればよかった?」


 贄奴隷。魔族は自分以外の魔族を奴隷にし、その力を搾取して魔力を高めることができる。やり方は様々あるが、少しずつ搾取するなら相手と交わるのが一般的。一気に取り込むなら、相手の魔力を息絶えるまで喰らい尽くして得る方法がある。


 一方的な搾取のため、奪われすぎれば後者のように死に絶えるのがオチだ。ただ前者に関しては、奪われる側に尊厳などない。身も心も捧げている崇拝者であれば、喜んで受け入れるだろうが。


「じゃあ、今度からはそうする~」


「誰もそうしろなどとは、言っていないが?」


 もはや会話をしても無意味と思ったのだろう。大王はさっさと第四皇子を下がらせる。碧雲ビーユンもあの場にいたが、あの大王が言葉を交わすのも諦めるほどの人物は、なかなかいないだろう。


 だからこそこの時に限らず、梓楽ズーラの狡猾さを知る者は誰もいなかったのだ。


 言葉を詰まらせたまま、やはり藍玉ランユーに気を遣うように武官はなにか考えているようだった。


「僕に気を遣わなくてもいい。兄上たちがどうしたの?」


 藍玉ランユーはゆっくりと立ち上がると、先程までの笑みを消して真剣な眼差しで訊ねる。碧雲ビーユンも頷いて、武官に続きを話すように促した。


「第五皇子様が、亡くなりました。まだ確かな話ではないのですが、第四皇子様が第五皇子様を贄奴隷にして、この数ヶ月自室に監禁していたそうで······数日前に、第五皇子様は自ら命を絶ったと、」


 躊躇うように最後まで伝えた武官の頬に、汗がつたう。その事実は信じがたいもので、報告している間も、自分自身信じられないという表情が浮かんでいた。


 それ以上に、藍玉ランユー碧雲ビーユンの顔からは色が失せ、贄奴隷の意味を考えれば考えるほど思考が上手く働かず、呆然と立ち尽くしていた。


「······桃李タオリー兄上が、亡くなった?······贄奴隷········監禁って?」


 藍玉ランユーは震える指先を隠すように、握りしめる。贄奴隷の事は知っている。数ヶ月監禁されていた事を考えると、長期にわたって搾取したということ。その方法は、口にするのも悍ましい。


「······大王様は、それに対してなんと?」


「さすがに、今回は第四皇子様を幽閉しろとのご命令が······すでに地下牢に繋がれているそうです。第五皇子様の御遺体は、花椿ホアチュン殿に移されたとのこと」


「わかった······お前は下がって、新しい情報が入ったら教えてくれ」


 わかりました、と武官は頷き立ち上がると、その場から去って行った。ふたり、残された庭先で、碧雲ビーユン藍玉ランユーに声をかけようとした、が、その前に藍玉ランユーが青ざめた顔でこちらを見上げてきた。


「どういうこと····?なんで桃李タオリー兄上が······もしかして、僕の、せい?」


 その言葉に、思わず碧雲ビーユン藍玉ランユーの頭を掴んで自分の胸に抱き寄せる。


 絶対に違うとは言い切れなかった。けれども、嘘でも、そんなことはないと言ってあげたかった。言ってあげたかったが、言えなかった。


「······地下牢に行く。梓楽ズーラ兄上に問い質す」


「それは無理です。おそらく、誰も面会できないようにしてあるはず。そんなことより、あなたにはやるべきことがあるでしょう?」


 そ、と腕の中の藍玉ランユーに、諭すように囁く。怒りと悲しみに震えるその声は、なにかを見失っているように思えたからだ。


 ぎゅっと握りしめられた上衣から伝わってくる、感情。それは、藍玉ランユーらしくないものだった。


 今、その赤い瞳がどんな色を湛えているかなど、知りたくもない。だからこそ、本来すべきことを碧雲ビーユンが口にする。


桃李タオリー様に、逢いに行きましょう」


 藍玉ランユーの瞳から涙が零れ落ちる。ぽろぽろと。一番に考えなくてはならなかったこと。けれども考えたくなかった、こと。


 大好きなひとの笑顔が、いつまでも頭から離れなかった。



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