第2話 変貌

 目が覚めると俺は仰向けに寝そべっていた。


 見えるのは低い天井と壁。土がむき出しになっている。人工物ではなさそうだ。それらをゆらゆらとした明かりが照らしている。


 首をゆっくり動かして辺りを見回す。

 俺は簡素なベッドに寝かされているらしい。


 部屋の向かいには木で作られた机と椅子が据え付けられている。

 光源は机の上のランプ。


 見たところ、ここは人の管理が行き届いている。

 どうやら狼の巣に連れて来られたわけではなさそうだ。


 そう考えたところで、意識を失う前の光景が蘇る。


 いや待て。そもそも俺は死んだんじゃなかったのか?


 食いちぎられたはずの右手を動かそうとしてみる。

 指が動く感覚がする。腕がちゃんとある。


 次に噛みつかれた腹を手のひらでまさぐるが、痛みも傷口も確認できない。


 どういうことだ。あれほどの深い傷が簡単に治るはずがない。

 致命傷だって受けたはずだ。俺はさらに喉元に手を当てようとして……。


「うわぁあああ!!!」


 思わず叫び声をあげてしまう。


 なぜなら、首に向かって伸びてきたのは俺の腕じゃなかったからだ。


 それは獣の腕。


 ワーウルフの前足にも似て、指先からは鋭い爪が伸びている。手は人間と同じ5本指になっているが、黒い毛に包まれた無骨な腕はとても人のものには見えない。


 慌てて左腕にも目をやって、俺はさらに仰天した。

 左腕は深緑色の鱗に覆われている。まるで爬虫類の体表のようだ。


「なんなんだこれは。一体どうなって……」


「お目覚めですか」


 部屋の奥から澄み切った声が響いて来た。


「誰だ!?」


 声の出所を探るとそこにいたのは、シックなメイド服に身を包んだ少女だった。


「私はカナリア。安心してください。あなたに危害を加えるつもりはありません」


 その少女の姿を見て、俺はハッと息を呑んだ。


 シルクのように滑らかな金髪。新雪を思わせる白い肌。宝石のような青い瞳。芸術品じみたその美しさに、一瞬我を忘れて見入ってしまった。


「この工房は安全です。今はゆっくり休んでください」


 言われて思考が再起動する。

 彼女の美貌と雰囲気にうっかり流されそうになったが、もちろん休むわけにはいかない。


 正直聞かねばならないことが山のようにある。

 俺はベッドから体を起こして両腕をカナリアに見せつけた。


「待ってくれ。この腕はなんなんだ。君が俺の体になにかしたのか?」


 カナリアは感情のこもっていない視線を俺の腕に向ける。


「その質問にはお答えできません。マスターの命令ですので」


「マスター?それは誰だ?」


「この工房の主です」


「なら、そのマスターとやらに会わせてくれ」


 急いで立ち上がろうとしたところで、不意に脚が空回りした。


 前につんのめって倒れそうになるのを寸前でこらえる。

 そこをカナリアが素早く支えに入った。


「いけません。まだ錯乱しているようです。そのままでは、まともに話もできないでしょう。まずは休息を取ってもらう必要があります」


 カナリアの肩を借りて、ベッドに腰かける。そこでもう一つ異変に気づいた。


 腕だけじゃない。両足も異形のものに置き換わっている。

 右足は狼のように毛むくじゃらで、左足はトカゲのような硬質の鱗に包まれていた。


 さっきうまく立ち上がれなかったのはこれのせいか。

 次々訪れる非現実的な状況に頭がクラクラする。


 カナリアの言う通り、今は気持ちを整理する時間が要るかもしれない。


「横になっていてください。すぐに紅茶をお持ちします。体が温まって、落ち着きますよ」


 言われるがまま、ベッドに横たわるとカナリアは薄く微笑んで足早に部屋の奥へと引っ込んだ。



 -----



 ほどなくして、カナリアが紅茶を持ってきてくれた。


「私は隣の部屋にいます。ご用があれば声を掛けてください」


 人が近くにいるというだけで多少は安心できたのだろうか。

 紅茶を飲み終わる頃には頭もだいぶ冷えてきた。


 冷静になると途端に手持無沙汰になってくるもので。

 俺は足の調子を確かめるためにも、歩いて隣の部屋まで行くことにした。


 まずは壁に手をついて立ち上がってみる。その場で足踏みすると両足の歪な感覚が直に伝わって来た。

 足の形が人間のものとは全然違うのだから、それも当然ではある。


 しかし、一方で足の長さは不気味なまでにきちんと揃っていた。

 まるで別の生き物から取ってきた足を丁寧に繋ぎ合わせたようにも思える。

 真偽はマスターとやらに問いただすとして、とりあえず慣れれば動くのに不自由はしなさそうだ。


 壁伝いにゆっくりと歩いて隣の部屋をのぞいてみる。

 その部屋はかなり広い作りになっていて、中央には大きな食卓が置かれていた。


 壁際には棚があり、その近くでカナリアがせっせと手を動かしている。

 どうやら掃き掃除をしていたようだ。彼女の視線がスッとこちらに向く。


「なにかご用ですか?」


 暇だったからとはなんとなく言えなかったので、とっさに話題を探る。


「ここはどこなんだ?エルドラン、じゃないよな。たぶん」



 冒険者の街エルドラン。

 オルドミストリに最も近く、俺も拠点としている街だ。

 ダンジョン付近で安全なのはこの街くらいだが、正直こんな洞穴があるような場所に心当たりはない。


「ここはオルドミストリの第二階層にある崖下の洞窟です」


 カナリアは淡々と答えたが、俺はたまげるしかなかった。


「なんだって?ここはダンジョンの中なのか?」


「はい。マスターが研究に没頭するため、この場所に工房を作られたのです」


 第二階層はベテランの冒険者でも苦戦を強いられる危険地帯だ。

 そんな場所でなにをしているのかは知らないが、ここの主人はとりあえず普通ではない。


 とんでもない悪人の可能性だってある。

 さっきカナリアが俺に危害を加えないと言っていたが、今思えばその言葉も本当かどうか怪しくなってきた。


 もしかすると、なにか裏があるのかもしれない。急に緊迫感を覚え、思わず生唾を呑む。


『ぐぅーーーーー』

 

 唐突に腹の虫が鳴ってしまい、腹を押さえる。そういえば、目が覚めてからなにも食べてなかったな。

 カナリアが一瞬キョトンとした顔になる。


「気づかず失礼しました。すぐ食事を用意します」


 信用できるかどうかは置いておいて、カナリアは今のところ俺にとても良くしてくれている。

 食事も、ひとまずは頂いておくべきだろう。


 歩きだすカナリアの背に俺は言葉を投げた。


「ありがとう。助かるよ」


 カナリアは足を止めて、少し振り向いた。


「いいえ。それともう一つ。かなり落ち着かれたようなので、食事がすんだらマスターをお呼びします。少々お待ちください」


「そうか。分かった」


 カナリアはパタパタと広間の奥の台所と思われる小部屋に向かっていった。

 俺は食卓の前にある椅子に腰かける。


 そこで初めて、自分の首に身に覚えのない物が触れていることに気づいた。


 左手の指でその感触を確かめる。

 それは金属製の首輪のようだ。


 ……ふと嫌な予感がした。

 危険なダンジョンに住むマスターと呼ばれる怪しい人物。

 

 話してみなければ判断のしようがないが、それでも。


 俺は一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

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