浴槽宇宙

ふじかわ さつき

浴槽宇宙

 疲れた。


 ふいに、口からこぼれて、私はそれを追うようにして水面を見た。


 疲れた。


 一粒の水滴が私の髪を伝って、水面に波紋を作る。


 ぽちゃんという音が、空間全体に響き渡って、消えた。


 でも、何に疲れたのだろうか。


 分からない。


 見上げると、天井に光るライトが水蒸気のもやに覆われている。


 大丈夫だろうか。


 このまま生きて大丈夫なのだろうか。


 靄に向かって手を伸ばすと、微かにそれは纏わりつく。


 得体の知れないものの輪郭をなぞって、私はついにその内部へと侵入することに成功した。


 そのまま私は立ち上がり、靄に頭を突っ込んで、両手でそれをひたすら掻き分け、奥深くへと進むことにした。


 靄の向こうには、光があった。


 私には、その光がやけに眩しく感じ、直視することはできなかった。


 目を強く閉じるが、瞼の表側を光が刺しているのが分かる。


 このままではあの光に飲み込まれてしまう気がした。


 光と一体化した果ての私は、輪郭が次第にぼやけ、消える。


 消えていくのだ。


 私は、光から逃げるようにして瞼の裏でもがき続けた。


 やがて眼球が貯蓄していたわずかな光すらも消えて、私の輪郭は闇の中で浮かんだ。


 闇の中は何も無く、私の体はようやく重力から解き放たれた。


 ひどい喪失感にさいなまれた。


 それと同時に、私の内部からは、私の体を強く引き留めようとする力を感じた。


 闇は無限の引力でできており、私の体は重力の支配から逃れられたわけではなく、多次元の方向から引き寄せられ、今もなお、緩やかに引き裂かれている最中であった。


 生きたい。生きたい。生きたい。


 私はひたすら強く願った。


 願うほどに私は、内部から強く私を引き寄せる。


 私は、私の体を引き寄せ続け、いつのまにか内部に私を取り込んでしまった。


 私の体は、私の中へと入り込む。


 私の中は、意外にも、きれいな球体だった。


 つるつるとしたその表面に手を当てると、自然とその手は中へと沈みこんでいった。


 さらに奥深くへと潜り込み、何層もの膜を突き抜けて、何か、固いものと衝突した。


 その瞬間、私の内部が強い光を放ち、私を取り囲む闇全体へと行き渡った。


 私を引き裂かんとする闇は、徐々に崩壊し、最後は、内側から爆発するように砕け散った。


 気が付くと、私は鏡の前に立っていて、私の姿をじっと見つめていた。


 元気ですか。


 私は、私に聞いた。


 疲れた。


 鏡の向こうにいる彼女は、ぽつりと呟いた。


 私も。


 そういって私たちはお風呂場から出た。


 振り向くとそこにはもう彼女の姿は無くて、私が私を見ている。


 疲れたのなら休めばいい。


 私は、どこまでいっても私だ。








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