ノスタルヂア・ヒューリスティック

梦吊伽

曽根崎美園がどうでもいい

 投げ込み式物理濾過の水流が奏でる不協和音が私の鼓膜を震わせる。水槽の音で目覚める朝は映画のようで現実感がなかった。窓辺から鋭い陽光が入ってきて私は顔を顰めると乱暴にカーテンを締める。夏の日差しは嫌いだ。上体を起こしなにも纏っていない自身の身体を見つめる。綺麗な身体だ。子供のころにできた痣も火傷跡も今ではすっかり消えてしまってまるではじめからこの真っ白い身体で生まれてきたかのように錯覚してしまう。今日のように暑い日も長袖を着て傷を隠す必要なんてなくもう随分前からしていない。私は床を眺めて支度を始める。カーテンもブラインドもどれだけぴっちり締めても隙間から入って足元を照らしてくるこの嫌な輝きだけは防ぎようがない。メダカを逃がしたあの日からニジュウ年後の夏であった。

 旧友に会うということで私は小学三年生の夏の川での出来事を思い出していた。私はあのときはじめて心の底から笑った気がするのだけれどそんなこと別にもうどうでもいいのだ。学校中のメダカがいなくなっても私の中の衝動は数年間燻り続けたが、社会人になって貯金をして形成外科で体中の傷跡をなかったことにして余った金で熱帯魚を飼うようになってからは魚を口に入れてキスをしようとか自然の河川に勝手に放流しようとかそんな考えは全く浮かんで来なくなった。子供のころはメダカは人で世界は箱だなんて稚拙かつ抽象的な御託を並べ続けていたけれど今の私はそういったすべての比喩表現がどうでも良い。抽象的な考えに逃避することで心の均衡を保つ必要はなくなった。私を縛り付けていた偏執はあの身体の痣だけだったのだ。

 旧友である曽根崎美園は今も私が引き込んだ思考の無限地獄から抜け出せないでいる。

 美園は口にこそ出さなくなったけれど未だに私のことを自分の父親だと思っているのだろう。やめてほしい。ニジュウ年も時間が経てば曽根崎美園でも大人になるのだと思っていたけれど彼女にそういう理屈は通用しないようだ。少女の笑みを浮かべる目の前の女は外見ばかり成長していくけれど中身は小学生のまま時間が止まっている。

「美園ちゃんは私のことをパパと呼ばなくなったね」

「本当のパパのほうが大変だもん」

 とんだ怪物を引き当ててしまったと思う。私の人生はこれからも曽根崎美園に消費され続けるのだろうか。いや、もとを辿れば私が美園を選んでしまったがためにこのような事態になっているのだから頓痴気な行いの天罰が自分に返ってくることは仕方のないことなのだけれどニジッ歳を過ぎたあたりから月に二回もこれの話を聞く時間を設けなければいけないのが辛くなってきた。流石に、辛くなってきた。曽根崎美園といったら同じ話を何度も繰り返すのだ。

「皆が当たり前にしていることに対して私はもう諦めている。私のような人間を蔑む言葉は沢山あるけれどそれらは決して私個人に向けられているわけではないのは知っているの。でもそういう死ねとか、そういうのは確実に私の持つ偏執に対して向けられている言葉だから、パパしか私に本気で生きていてほしいと思っていないと錯覚するし本当にパパがいなくなったらその先がわからない。錯覚だったら良かったんだけど、どこの科にかかっても医者によってはしっかり差別してくるんだよね。なんなんだろうね」

 なんなんだろうな。

 どうしたらいいんだろうな、これは。

 曽根崎美園はいくつになってもまともに考えられるようにならない。先程から話されている美園の悩みについてはすべてどうでも良いし二週間後にまた同じお悩み相談に乗らないといけないのは嫌だ。小学校六年間という長いようで短い期間の貴重な一年を美園に奪われた。私があのとき見つけなかったらこんなことにはなっていなかった。そんなことわかっている。私がメダカを食べてキスなんかしなければ曽根崎美園に執着されることなどなかったことは曽根崎美園を見れば見るほど痛感する。だから私のせいではあるのだけれどそんなことニジュウ年も経ってしまえば昔の話で今となっては本当に、心底どうでも良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノスタルヂア・ヒューリスティック 梦吊伽 @murasaki_umagoyashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ