第19話

 村を出てから小一時間程歩くと、木々が鬱蒼と茂る森へと到着した。


 ガデンの言った通り、イレイナは迷わなかった。


 森の中も奥に行き過ぎさえしなければ、迷うことはないと道中言っていたが、これならば信じて良さそうだ。


 寧ろ、土地勘が一切無い自分が逸れて迷うかもしれない。


 気を引き締めていかねば。


 森の中へ一歩入ると、昨夜の雨のせいか木と土の濃厚な匂いが充満していた。


 予想通り、土と朽ちた枯れ葉が雨で混ざり合った地面はぐじゅぐじゅにぬかるんでおり、直ぐにブーツが泥で汚れてしまう。


「それじゃあ薬草採取を始めましょうか。見つけた薬草はこれに入れて下さい」


 イレイナは降ろした背負いかごから小さなかごを取り出すと渡してきた。


 歩きにくさに不快感を感じながらも、自分はイレイナと共に薬草を探し始める。


 必要な薬草は一種類だ。


 無論、薬にするにはこれだけでは不足であり、他にも幾つかの材料がいるのだが、そちらは他の薬にも使うので元々大量に備蓄しており、十分補えるそうだ。


 自分は目を皿のようにして薬草を探す。


 当然、薬草の見た目や効能はきちんと理解している。


 人間界に来るにあたって、一通りの人間に対する医療行為や薬について学んだからだ。


 即死でさえなければ、大抵は自分の力でどうとでも出来るが、人目につく場所でそうそう力を行使する訳にはいかないので、いざという時は人間界の技術で人を助けられるようになっておくべきだと考えたからだ。


 まさかこうも早く、役に立つとは思わなかったが。


「あっちにそれっぽいのいっぱい生えてたよ」


「分かりました。……イレイナさん、少し向こうの方を見てきます」


「この辺は慣れていないと迷いやすいですから気を付けて下さいね」


 ついつい貴女には言われたくないと思ってしまいながらも、悪魔が見つけた場所に行ってみるとびっしり薬草が群生していた。


「やりますね悪魔」


「へっへっへ、悪魔は物探しが大得意なんよ。お宝から人まで何でもあーしらに見つけらない物は無いんだかんね」


 だゆんと下品に揺らしながら胸を張る悪魔に何故だか拳を叩き込みたくなったが、それは一先ず置いておいて薬草を採取する。


 勿論、全て採り尽くさないように気を付けるのは言わずもがなだ。


 全て採り尽くしては来年からここに生えなくなってしまうかもしれないからだ。


 別に特段珍しくは無く、大陸内の森なら大抵は自生している物だが、これだけの群生地を枯らしてしまってはもったいない。


 それに、森での狩りや採集では必要以上に取らないのが人間界ではマナーらしい。


 森の恵みを翌年も、更にその次の年にも。


 そうすることで子々孫々に受け継いでいこうという人間の意思が感じられて実に好ましい。


 主からの恵みをそれだけ大切に扱い、感謝している証に思えたからだ。


「あっと、そこに生えてるのもちょっと採っといてくんない」


 悪魔が指差す場所を見ると、目当ての薬草とは違う野草を指していた。


 自分はそれを無視して薬草採取を続ける。


「ちょっと無視すんなし!」


「あれ、燃やすと幻覚作用がある煙を出す毒草ですよ。あんな物、何に使う気ですか」



 どう考えても真面なことに使われることはないだろうが、一応悪魔に聞いてみる。


「使い方によっちゃ、色々と便利なの。ほら、毒だって薄めたら薬になるって言うっしょ」


 それはそうだが、幻覚を見る煙を出す草など何に使うと言うのだ。


 やはり不要だと判断した自分は、再度無視することにした。


「ホントに役に立つんだって! お願い、絶対後で採っといて良かったってなるから! マジで!」


 何度体の向きを変えても顔の前に回り込んで頼み込んでくる悪魔に自分は根負けしてしまい、仕方なく毒草を採ると薬草と混ざらぬように自分の鞄に入れる。


 満足したのかようやく悪魔は視界から離れてくれた。


「そだ、神父と離れてる間に話があんだけどさ」


 しかし、平和は長くは続かなかった。


 鼻歌交じりに自分が上機嫌で薬草を取っていると、再び悪魔が話しかけて来たのだ。


 しかも真面目な顔で。


「あの神父だけどさ、魂が綺麗過ぎるでしょ」


 何を言い出すかと思えばそんなことか。


 聖職者の魂が綺麗なのは当然のことなのだから、大して驚くことではないだろうに。


「それはそうでしょう。田舎の小さな教会とは言え、あの年で任されているくらいなのですから相当優秀で人格者なのでしょう」


「そりゃそうだろうけどさ。普通は神父だろうがシスターだろうが人間なんだから多少汚れてるもんでしょ。なのにアイツは真っ白、一点の曇り無しってやつ」


 まあ、悪魔の言い分も分からなくはない。


 聖職者とて欲望に流され堕落する者も当然おり、誰もが心に欲望の火種を燻ぶらせているものだ。


 だが、中には一切魂に汚れが無い者だって当然いる。


 まだ人間界に天界が干渉していた頃はそう言った人間に神託を与えたり、一時的に憑依して奇跡を起こしたりしたものだ。


 だから悪魔の主張は間違っていると自分は考える。


「彼が素晴らしい人物というだけでしょう。そんな見当違いなことを言ってる暇があるなら他の群生地を探してきなさい」


「いやいや、絶対おかしいって。何か秘密があるはずだって。それこそ天使とかがバックにいるとか」


 確かにそれはありえなくはないが、教会では一切天使はおろか悪魔の気配すら感じていないので、可能性としてはゼロに近い。


「貴女の勘だけで動く訳にはいきません。どうしても言うなら何か証拠を見つけてきなさい」


 多分悪魔があまりに清廉潔白なハヴェットが気に食わず言っているだけだろうと自分は判断して、薬草の採取に戻る。


 悪魔は怒ったのか顔を真っ赤にして頬を膨らませながら空中で地団太んを踏む。


 胸が揺れる度に何やら不快な気持ちになるが、薬草採取に集中することで気を紛らわせる。


 しばらくそうしていた悪魔だったが、やがて証拠がない以上は勘や推測の域を出ないことを理解したのか、薬草を探してくると言ってどこかへと飛んでいった。


 始めからそうすればいいものを。


 五月蠅い悪魔がいなくなったので、自分は気分良く鼻歌交じりに採集を続けた。

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