第15話

「体を返した途端に熟睡とは、余程疲れていたのですね」


 自分も体への疲労は感じてはいたが、キュエルにとっては直ぐに入眠してしまうほどの疲労だったらしい。


「そりゃそうでしょ。色々この娘にとっちゃ目がグルングルン回る変化が起きてんのに、心の中整理する時間も体休める時間も無しで長距離移動したんだから」


 ぐっすりと眠るキュエルを起こさぬように小声で二人は話す。


「この仕事が終われば少し休養させてあげましょう。任務は大事ですが、キュエルの身に何かあってはいけませんから」


「そだね。ま、余裕がありそうならあーしが生活の役に立つスキルを教えてあげっかね。財布のすり方とか——いった!」


 ガツンと一発、悪魔の頭に拳を振り下ろす。


「そんなスキル、キュエルには必要ありません。彼女にはきちんとした勉学を収めさせます。……そう言えば忘れていましたね」


 協会での嘲笑と他人の馬車を覗き見した分、悪魔の丸出しの腹に素早くボディブローを二発決める。


「……協会で笑った分と馬車覗きの分ってことね」


「自覚があるならよろしい」


「あん時キュエルの目越しにヤる気満々だったじゃんアンタ」


 いつかアンタの羽を黒くしてやるなどと、小声で不可能なことをほざいている悪魔にさらにもう一発叩き込んでやろうと思ったが、キュエルの呻き声に気付いて止めた。


 どうやら自分たちの言い合いに睡眠を妨害されてしまったようだ。


「今夜はここまでにしておきますか。キュエルが起きてしまいそうですから」


 悪魔もそれには納得したのか、そっぽを向きながら口を噤んで静かになった。


 悪魔との小競り合いが終わってしまうと手持ち無沙汰になってしまった自分も悪魔とは反対方向を向くと、主にキュエルの平穏を祈ることした。


 自ら危険な戦いに巻き込んでしまっているのに少しばかり都合が良い気がするが、彼女の為に少しでも出来ることをしてあげたいのだ。


 翌朝、窓から差し込む朝日と共にイレイナは目を覚ます。


 早く眠ったお陰か、移動の疲れがすっかりと取れた彼女が体を伸ばしながら何となく隣のベッドを見ると、違和感を覚える。


「あら、キュエルさんって金髪だったような」


 違和感の正体は毛布からひょっこり出ている頭から生えている栗毛だった。


 寝起きでぼんやりとする頭でイレイナは記憶の糸を手繰る。


 確か、キュエルの髪は輝くように美しい金髪だったはずだ。


 目を擦りながらベッドから降りてイレイナはもっとよく見ようとキュエルのベッドに近づいて行く。


 偶然にもその時、余所の部屋に夫婦の営みを観察しに行っていたリリスが戻って来た。


「やっば! おマヌケ天使、早くキュエルに入って!」


 祈りに夢中でイレイナの行動に気づいていないイージスに、リリスは昨夜のお返しとばかりにドロップキックを決めてキュエルの方へと吹き飛ばす。


 吹き飛ばされながらもイレイナと目が合ったイージスは全てを察し、キュエルに入った瞬間に毛布を頭まで被り直す。


 そして一息置いてからワザとうーんと一声唸ってから、自分は毛布から頭を出すとゆっくりと目を開けた。


 人を騙すような真似はしたくは無かったが、今回は緊急事態ということで目を瞑ろう。


「おはようございます。あの、どうかされましたか?」


 出来る限り平静を装ったつもりだが、どうだろうか。


 少しばかり声がうわずった気がする。


 じっと見て来るイレイナに、怪しまれたかと思い冷や汗をぶわっとかく。


 しばらく見つめ続けてきたイレイナはやがて眼をシパシパさせると何か納得した顔になった。


「あの、どうかしたんですか」


「いえ、大丈夫です。少し寝ぼけてしまったようです」


 辛うじてだろうが、一先ずは誤魔化せたらしい。


 だが、彼女が目覚めてしばらくして頭がはっきりと覚醒してからだったら確実に何かしらの疑いを持たれていたはずだ。


 やはり秘密を知らない者とずっと一緒というのは油断ならない。


 今回ばかりは悪魔のお陰で助かった。


「あーしに感謝しなよおマヌケ天使。もうちょっとで仕事する前にトンズラこく羽目になってたんだから」


 調子に乗りさえしなければ素直に感謝出来たのだが。


 感謝の言葉を言う気など消え失せてしまったが、せめてもの感謝の印として蹴りについては不問にすることにした自分は、イレイナが着替え始めたのに気付く。


 今朝は出来る限り早くに出発する予定だったのを思い出した自分も慌てて身支度を整え始める。


 宿から出てみると既にガデンは荷馬車の用意を既に済ませて待っていた。


「おはようさん。朝飯は後ろに積んであっから適当に食ってくれや。少しばかり天気が怪しいから急ごう」


 晴れているのに何故ガデンがそんなに急いでいるのかと空を見てみると、遠くに黒い雲の塊が見えた。


 なるほど、ガデンが急ぐ訳だ。


 幌の無い荷馬車で雨に降られるのは自分とて御免被りたい。


 自分の体で濡れるのは別に構わないが、キュエルの体で濡れてしまって風邪でも引いたら一大事なのだから。


 ただ、運が良いことに雲が見えるのは村とは反対方向。


 この幸運が続けば村に着くまで濡れずに済むだろう。


 主よ、どうか恵みの雨を降らせるのに少しばかりの猶予をお与えください。


 早朝のせいなのか、元々この辺りを通る者が少ないのかは定かではないが、昨日の帝都周辺の混雑とは打って変わって、馬車はスムーズなスタートを切ることが出来た。


 途中、自分たちの乗る空の荷馬車とは逆で荷台いっぱいに野菜や木材を積んだ荷馬車と時々すれ違った。


 ガデンやイレイナ曰く見知った顔ばかりのようで、いよいよ村が近づいてきている証拠のようだ。


 ガデンによるとこの辺りに点在する村々の殆どが帝都に農産物や畜産物、木材といった物を売りに行くことで生計を立てているそうだ。


 村同士や近場の街などに売りに行くより、少しばかり遠くとも帝都まで行った方が経費を差し引いても余程儲かるらしい。


 あれだけの人間が暮らす街だ、生活に必要な物資も相当な物なのだろう。


 そんな話を聞きながら荷馬車に揺られていると、背後で微かに雷鳴が轟いた気がした。

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