第3話

 小さいながらも、一目でたんまりと金を掛けたことが分かる豪華な聖堂に到着した老執事は絶望感に飲み込まれ、ただただ泣き続ける少女を扉を開けた聖堂の中へと豪快に放り込む。


 そして扉を閉めたところで、役目を終えたのか糸が切れた操り人形のように扉に寄り掛かりながら倒れこんでしまった。


 一部始終を見ていた天使と悪魔の犬猿コンビはふわり羽ばたき老執事に近づく。


 「ありゃりゃ、気絶してんじゃん。このおじいちゃんは操られてただけっぽいね、かーわいそ。催眠で肉体限界超えさせられてたみたいだし明日は全身筋肉痛決定とかマジウケる。仕える相手は選ばなきゃだね~」


 よく見ると体が小刻みに震えて、既に筋肉痛どころの騒ぎでは無い前兆が現れている老執事をリリスはつんつん突きながら腹を抱えて笑う。


 指先が老執事をすり抜けているので正確には突けていないが。


「つまらないことをしてる場合ではないしょ悪魔! 早くあの娘を助けないと」


「だいじょぶだいじょぶ。どうせ長ったらしいクソダル儀式かダッサイ自分語りでもやってるに決まってんだから。その辺はアンタんとこも一緒っしょ」


「それはそうですけど……」


 長い儀式を行なったり自分がどれだけ偉大な存在かをターゲットに語るのは天使も悪魔も共通している。


 恐らく聖堂の中ではリリスが言った通りのことが行われているだろう。


 それでも悪魔を簡単に信用して、はいそうですかとはイージスは言えない。


 万が一のことを考えてしまったイージスは苛立ちと焦りを抑えきれず、扉をすり抜け教会へと突入するのだった。


 時間は聖堂に少女が投げ込まれた直後に戻る。


 突然放り投げられたせいで受け身も取れず、床に体を酷く打ち付けてしまった私は痛みで上手く息が出来ずにうめき声を上げる。


 カツリカツリ、黒いローブを身に纏った恰幅の良い男、ご主人様が大理石の堅い床を鳴らしながら歩いてくるのが目に入った。


「もう泣き止みなさい。これから君は偉大なお方に召し上がって頂く栄誉を得たのだから誇りに思うと良い」


 穏やかながらもどこか狂気を感じる声で発せられたご主人様の命令通りに私は恐る恐る涙を拭って立ち上がった。


 逆らえば鞭が飛んでくるかもしれない。


 いや、それ以上に酷いことをされることだってある。


 だからどんなに痛くとも怖くともご主人様の命令には従い、絶対に逆らわない。


 それが奴隷として生き残る術であり必須の心構えだ。


 だが、立ち上がった目の前の惨状の後のあまりのおぞましさに私はご主人様の命令に逆らい再び涙を流す。


 白い壁や床を赤黒い染みがあちらこちらを汚し、いや、汚れていない部分の方が少ないと言うべき程に汚している。


 独特の鉄臭さと色から誰でもそれが血の跡だと分かるだろう。


 それもこれだけの汚れ、ちょっとした切り傷なんかで流れるであろう量では断じてない。


 何人もの人間がカラッカラに乾きミイラになってしまう位にまで抜き取った血をバケツでぶちまけたような酷い有様だ。


 私は全てを察した。


 仲間たちが連れて行かれた理由と、彼女たちがどうなったかを。


 だが何よりも少女が恐ろしく思ったのは、主人の後ろに浮かぶ存在だ。


 リリスに比べるとより蝙蝠に近くボロボロの見てくれが悪い羽をが生え、眼窩に納まりきらずに半ば飛び出した目玉を持った無毛の紫色の怪物、リリスよりも余程悪魔らしい悪魔が偉そうに腕を組んで浮いていたのだ。 


「おや、君には偉大なる私のご主人様が見えているようだね。素晴らしい、きっとお前の魂は特別なのだろう。さぞや美味な魂に違いない」


 よく見るとどこか虚ろなでおかしな目をしたご主人様は、満足気な表情を浮かべる。


「適当に安く買った奴隷が大当たりとは私は運が良い。これでより富と名声が得られる」


 このところ絵画だ彫刻だと高価な物が屋敷に増えていたのはそういうことだったのかと納得する。


 富と名声、奴隷である自分には縁の無いものだ。


 だが、それは仲間と自分の命を奪ってまで本当に追い求めなければいけないものなのだろうか?


 世間知らずの私には分からないけれど、違う気がする。


 いや、絶対に違う。


 恐怖に支配されていた心に新たな感情が生まれた。


 怒りという強い感情が。


 だが、例え怒ったところで未だ恐怖の方が勝っている私には何も出来ない。


 だから私は救いを求めて首が千切れんばかりに顔を動かし周囲を見渡すが、救ってくるはずの天使様と悪魔の二人は何処にもいない。

 

 ご主人様は骨、恐らく人骨で作ったのであろう祭壇に向かうと、飾ってあった血糊がたっぷりと付き刃こぼれしている切れ味の悪そうな剣を携えるとゆっくりと近づいて来る。


「だから泣くんじゃない。今からそんなに泣いていては、拷問の途中で涙も声も枯れてしまうじゃないか。それではご主人様も私も満足できない」


 拷問、という言葉に聖堂内がこれだけ血塗れな原因を想像してしまい私は吐き気を催してしまう。


 戦場や殺人現場を見たことがない者でも、聖堂内の状況を見ればただ刺殺した訳では無いのは一目瞭然なので薄々そんな気はしていたが、はっきり断言されると鮮明に想像してしまったからだ。


「まずは無駄に逃げ回らぬ様に足から少しずつ切っていく。その次は指から肩にかけて。メインディッシュは首をゆっくりゆっくり、刃を引いて切るのではなく、押し当てて行くんだ。こうするとご主人様曰く、私への憎しみと痛みと死への絶望感で魂が堕ちて実に美味なんだそうだ。私もいつの間にかその最中で人間が流す涙や悲鳴の虜になってしまってね。だから無駄に泣くのは止めたまえ」


 聞いてもいないのにべらべらと身勝手極まりないことを恍惚とした表情でご主人様は話すが、私には理解不能でご主人様の気が触れてしまったとしか思えない。


 いや、恐らく健全な人間ならば誰であっても理解出来ず間違い無くご主人様を異常だと言うはずだ。


 それでも目前で剣を振り上げたご主人様によって自分が死ぬことだけは改めて理解した私は、これから訪れる苦痛ある死への恐怖から束の間でも逃れる為に目を閉じた。


「ほらね、あーしの言った通りだったっしょ。ちゃんと無事じゃん」


「どこがですか! ほんの少しでも遅かったら死んでいるところですよ! 直ぐに助けますよ」


 妖艶んで陽気な声と苛立たしげな透き通る綺麗な声。


 少女の救世主、天使と悪魔が現れた。


 驚きながらも、一度は潰えたかに思われた希望の火が灯ったことに私は泣いているのか笑っているのか分からなくなる。


 一方、少女の主人の方は思わぬ二人の登場に困惑をしながら振り上げた剣をそのままに喚き散らす。


「き、貴様らは何者だ! ご主人様と同じ悪魔なのか!」


 唾を飛ばしながら訪ねて来る少女の主に、リリスは笑い、イージスは激怒する。


「誰が悪魔ですか! 私は主の代行者である天使です!」


「あーしは悪魔であってるよ。た・だ・し、アンタの後ろのデブの何倍も上位だけどね。ほら、実力差分かってっからビビッてブルッてっしょ」


 少女の主人が振り向くと、自分に無限の力と富を与えてくれる偉大な悪魔の主がいつもの偉そうな態度を引っ込めて、醜く肥えた腹を揺らしながら震えていた。


「ご、ご主人様、どうされたんですか」


 悪魔の狼狽ぶりに少女の主人も狼狽えてしまう。


 その様子を十分に楽しんだリリスは、自分の役目を果たす為に動き出す。


「じゃ、そろそろ魔界に帰っる時間だよデブちゃん。嫌がっても強制送還だからゆるゆるな腹しっかり括りな~」


 このままでは不味いと思った悪魔は姑息な考えだけは直ぐに閃く脳をフル回転させてこの場を切り抜ける策を考え、閃いた。


 肉体に入れば霊体の相手には手が出せないというシンプルながら効果覿面な策を。


「ギャッギャッギャ、コレデオマエラナニモデキナイ」


 悪魔は少女の主人に中に入ると、勝ち誇った態度で両手を広げてリリスとイージスを煽る。


 肉体を手に入れ自分に二人が手が出せなくなったことで、悪魔は調子に乗ったらしい。


 だが、リリスは挑発に乗らず、寧ろ楽しそうに笑う。


「アハハ、バッカだねおデブちゃん。ド低位のアンタに出来てあーしに出来ないことがあるワケないじゃーん。体借りるよ、キュエルっち」


 久しく呼ばれたことが無かった自分の名前をリリスに呼ばれたことに私は驚く。


 だが、これから彼女が何をする気なのか直感的に理解した私は両手を広げて受け入れる姿勢を取る。


「好きに使って下さい! あいつが皆んなを殺したんです! だから、仇を取ってください!」


 リリスは役目を果たし彼女の望みを叶える為に少女の、キュエルの体へと入った。


「さ~てやっちゃうよおデブちゃん。あーしの本気にビビんなよ!」


 リリスが操るキュエルの体は挑発的な笑みを浮かべながら黒く濃い霧に包まれる。


 自ら発生させた霧を大きく振った手で吹き飛ばしたキュエルの服がみすぼらしいボロボロの服から、リリスと同じ露出過多の衣装に変わっていた。


 変わったのはそれだけではない。


 何も持っていなかったはずの左手には幾つもの節がある黒い刀身の蛇腹剣が。


 右手には戦闘用にはあるまじき、悪目立ちする金色に輝くボディをゴテゴテに宝石で盛りに盛った、キュエルの可愛らしいサイズの手には余る大型のリボルバータイプの拳銃を握っているのだ。


「さ~ておデブちゃん、選ぶし。大人しくお縄につくなら眉間に一発、それが嫌なら微塵切り。どっちが良い?」


 物騒な二択を迫ってくるリリスに悪魔は戸惑う。


 折角苦労して見つけた相性が良い肉体を壊されてしまっては今までの苦労が水の泡。


 それどころか、魔界に送り返された挙句に想像したくない処罰を受けるのは確実だ。


 腹程みっちりと詰まってはいない頭をもう一度必死に働かせた悪魔は、リリスが示した選択肢以外のもう一つの選択肢を思いついた。


 またもシンプルで、野蛮極まりないながらも自分が今取れる最善策。


 自分がやられる前に、やってしまえばいいだけだ。


 互いの器の差、大人の男と少女という体格差が悪魔の愚かな判断を助長させる。


 そうと決まれば全は急げとばかりに、悪魔はキュエルの主人が持っていた剣を振り上げるとリリスが使う肉体を破壊する為に動き出す。

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