第2話 大好きな人と大嫌いな人

「お嬢様、あそこに……」


 ビビアンが指差した先には、ランドルフが一人、中庭のベンチでサンドイッチを噛りながら分厚い学術書を読んでいた。


「わ……私、ちょっとお散歩してから戻ろうかしら」


 食堂でお昼ご飯を食べてきたリリベラ達は、ジュースを片手に教室に戻るところだった。


「私、先生に質問があったんでした。職員室に行かないといけないので、申し訳ありませんが、別行動でもよろしいでしょうか?ついでに、私の分のジュースも、お嬢様に飲んでおいていただけたらありがたいのですが。多分、お昼休みいっぱい質問にかかってしまうと思うので」


 暗に、昼食を食べているランドルフに差し入れをしたらどうかと、ビビアンは買ったばかりのジュースをリリベラに二つ持たせる。


「いいの?」

「もちろんです。では、お嬢様、お先に失礼します」


 ビビアンは隠れて覗き見したい衝動を抑えつつ、渡り廊下を走って行った。

 リリベラは、ジュースを握り締めて中庭に一歩踏み出した。


 ヒョロッと背が高くやや猫背気味なランドルフは、クリフォードと違う意味でよく目立つ。


 あまり筋肉がついていなさそうな薄い身体つきをしており、手足が妙に長く見える。彼の体型からもわかるように、ランドルフは学問方面に特化した天才で、運動はからきし苦手だ。魔力量が規格外に多いので、運動ができなくても、何も困ることはないのだが。

 薄茶色の髪の毛は天パーが酷過ぎてモジャモジャで、前髪で赤に近い煉瓦色の瞳は殆んど見えない。二重で切れ長の目は知性的だし、鼻は高く、薄い唇はキリッと引き締まっていて、顔さえ見れれば男前なのだが、その顔はあえて隠されているので、学園の誰もランドルフがイケメンだとは知らない。


(陽の光が当たって、髪の毛がキラキラして綺麗だわ……)


 学術書に夢中なランドルフの前に立ち、リリベラは声をかけるタイミングを見計らっていた。


「リリベラ、立ってないで座ったらどうだ」


 てっきりリリベラに気が付いていないと思っていたランドルフが、本から顔も上げずに言った。


「……ランディ、ご機嫌よう」


 見惚れていたのがバレていたのかと、リリベラは赤くなる頬を隠すようにソッポを向き、ランドルフの横に腰を下ろした。


「ああ、昨日ぶり」


 ランドルフが自分の方を向くことはないのだが、リリベラは髪を整えたり、スカートの丈を直したりと忙しない。本当ならば、鏡を取り出してお化粧のチェックをしたいところだが、好きな男性の前でお化粧直しなど、そんなみっともないことはできない。


「こんなところで昼食ですの?」

「……邪魔が入らないからね」


(もしかして、私が邪魔な存在だったりしない?!)


「あ……私」


 差し入れだとジュースを置いて去ろうかと思った時、ランドルフが初めて本から顔を上げ、髪の毛をかき上げた。陽の光の下で見るランドルフの瞳は、いつもよりも赤く輝いて見えた。


「それ、くれるの?」


 ランドルフの視線がリリベラの持っているジュースに注がれる。


「もちろんどうぞ。一つでも二つでも!」

「いや、二つはさすがに多いよ。しかし困ったな。片手はサンドイッチを持っているし、片手は本を持っている。ジュースを飲むには、もう一本手が必要だな」


 ジュースを飲む時くらいは本を置けば……とは、リリベラは言わない。


「私が飲ませて差し上げます」


 ランドルフの目元がフッと笑みを浮かべる。かき上げていた髪の毛がパサリと落ちて、すぐにその目を隠してしまったが。


「公爵令嬢の手ずから飲めるなんて、光栄だな」

「私達は幼馴染ですもの。特別ですわ」

「特別……だよね」


 色んな意味で特別なんです!と心の中で叫びながら、リリベラはジュースに紙ストローを差し、ランドルフがサンドイッチを飲み込んだ絶妙なタイミングでジュースを差し出した。ランドルフは、差し出されたストローを咥えてジュースを飲む。


 サンドイッチを食べ終わると、ランドルフは学術書をパタンと閉じた。


「ご馳走様。じゃあ、また」

「はい、ご機嫌よう」


 リリベラの顔は真っ赤に染まっており、ベンチから立ち上がって去って行くランドルフの口角は、珍しく上に上がっていた。


 中庭から渡り廊下を通り角を曲がった時、ランドルフの前にクリフォードが立ちはだかった。


「おまえくらいだよ。王子の婚約者候補筆頭に、ジュースを持たせて飲む不届き者は」

「まあ、僕以外にはそんなことさせないけどね。もちろん、クリフにもね」

「おまえって、意外と束縛しいだよな」


 呆れ顔のクリフォードに、ランドルフは涼しい表情だ。


、束縛できる立場じゃないけど」

……ね。でもすぐだろ」

「もちろん」


 その自信に溢れるランドルフの声音に、クリフォードは肩をすくめて見せる。ランドルフはクリフォードを置いて歩き出した。


「ほんと、あいつのあの自信は見習いたいよな」


 クリフォードは、幼馴染の背中を見つめながら呟いた。


 ★★★


 ちょうどその頃、ポーッとランドルフが口をつけたストローを見ていたリリベラは、ハッと我に返った。


「いけないわ。これはちゃんと捨てないと……。でも!ランディの唇が触れた物を捨てるなんて……。さすがにこれは気持ちがられる気がするけど……捨てるなんて無理だわ!」


 子供の時からランドルフが好きだったリリベラは、ランドルフが好き過ぎてランドルフが触れた物を宝物箱に大切に保管していた。

 ランドルフが触れたペン、ランドルフが書き捨てたメモ用紙、ランドルフが落としたハンカチ、ランドルフが使った……。


 リリベラは、ハンカチにそっとストローを包むとポケットにしまった。この行為がちょっと変態チックであることに、リリベラは気がついていない。


 実はこのコレクション、リリベラは知らないがランドルフはかなり早い段階で気がついていた。ハンカチなどは、わざとリリベラの前で落としたりしたくらいだ。落とした本人公認のコレクションなので、ギリギリセーフ……なのだろうか?


 昼休みも後少しだと気がついたリリベラは、普通に渡り廊下を通ってグルッと校舎を回っていては遅刻すると思い、中庭を突っ切って基礎過程棟に戻ろうとした。途中、体育倉庫の中から悲鳴のような声が聞こえて、リリベラは足を止めた。


「……アァァッ」


 明らかに女性の声だ。

 か弱い女子生徒が、人のこない体育倉庫に引っ張り込まれて不埒なことをされているのかもしれない!と、リリベラは誰か助けてくれる人はいないか辺りを見回した。しかし、近くには助けを求められるような人は誰もいない。


(私が……私が助けないと!)


 リリベラは、スカートをギュッと握りしめた。短いスカートが、より短く上がってしまっているのだが、そんなこと気にしている余裕はない。


 人一倍責任感が強く、見た目ほどではないがそこそこ気が強いリリベラは、助けを求めに走るのではなく、自ら対峙する方を選んだ。しかし、別に腕力に自信がある訳でもないし、幼馴染の二人のようにずば抜けた魔力がある訳ではない。男性に向かってこられたら負ける自信しかない。


(正直、怖い!)


 リリベラは大きく深呼吸すると、大股で歩いて体育倉庫へ向かい、そのままの勢いでガラリと扉を開け放った。


「何をなさっているの!!」


 中は暗いが、明かり取りの窓から入る光で真っ暗ではない。それなりに見える視界の先には、壁に手をついてお尻を突き出して後ろを向く女子生徒と、そんな女子生徒の腰に手を当ててお尻丸出しで下半身を密着させている男子生徒。床には白いパンティーが落ちていて……。


「キャー!!」


 女子生徒は悲鳴を上げてリリベラのいる方へ突進してきた。


 ブレザーの中のシャツは第五ボタンくらいまで開いていたし、シャツの首元に閉められている筈のリボンは素肌の首元にあり、白いブラジャーは多分ホックが外れた状態で、すでに胸元を隠してはいなかった。

 そんな状態の女子生徒に体当たりされて、リリベラは尻もちをついてしまう。女子はそのまま体育倉庫から飛び出して行った。


「あなた!ちょっと待ちなさい!」


 リリベラは叫ぶが、女子は振り返らずに走り去ってしまった。


(この現場は、凌辱?それとも和姦?)


 体育倉庫に残ったのは、白いパンティーと下半身丸出しの男子……って!


「あ……あなた!制服をちゃんと身につけなさい!!見苦しい!」


 ハッキリと……ではないが、モザイクの入っていない異性の性器を見てしまったリリベラは、尻もちをついたまま男子を指差して叫んでしまった。あまりの衝撃に、腰が抜けてしまったのだ。


「チッ……、まだイッてなかったのによ」


 男は恥ずかしがるでもなく、ズボンを引き上げ、カチャカチャと音をさせてベルトをしめる。その股間部は盛大に盛り上がっているようだが、さすがにそこを鎮めなさいとまでは言えない。


「きっちいな……。出さねぇとシャレんなんねぇ。トイレ……トイレか?もうここでいっか?」


 男子生徒は、ブツブツと文句を言いながら、跳び箱に腰をかけると、おもむろにズボンのチャックを開けようとする。


「あなた!神聖な学園で何をしようとしてますの!そんなモノお出しにならないで!しまいなさい!」


 腰が抜けてしまったリリベラは、逃げ出すこともできずに叫んだ。


「へぇ……、花柄ピンクか。見た目によらず、清楚っぽいの履いてるんだな」


(花柄ピンク……?)


 リリベラは慌てて足を揃えてスカートを押さえた。今日のリリベラの下着はピンクの小花柄だ。


「何だよ、あの娘が逃げ出した責任取ってパンツ見せてくれてんじゃなかったの?別に、俺はあんたが相手になってくれてもいいんだけど」


 リリベラはズザザザザと、座ったまま後退る。スカートが泥だらけになろうが、身の危険には代えられない。というか、今すぐ立ち上がって逃げないといけないのに、いまだに立てる気がしない。


「ふーん、スタイルは良さそうだな。口元の黒子も、色っぽくて合格。本当は、清純そうな女が乱れるのが好きなんだけど、いかにも気が強そうな美人に泣いて懇願されるのも良さそうだ」


 男子生徒の言っていることが全く理解できない。泣くほど嫌なことをするつもりなんだろうか?

 叩かれるのか?蹴られるのか?


「わ……私は暴力には屈しません!」


 男子生徒は、プハッと吹き出した。


「俺も、女に暴力をふるう趣味はねぇよ。まぁ、最中に尻叩くくらいはするかもだがな。そうじゃなくて、泣く程気持ち良くさせて、俺のコレが早く欲しいってお願いされたいってこと」


男子生徒は、まるで見せつけるように自分の下半身を指差す。


「あなた、さっきの女性とお付き合いしているんじゃないんですか?!なんてふしだらな……」

「お付き合い?してる訳ねぇじゃん」

「まさか強姦……」

「同意だっつうの!無理やりは趣味じゃねぇが……、そういうシチュエーションが良ければ、努力はするぜ」

「意味不明な努力は受け入れてません」


 リリベラは扉に手をかけてなんとか立ち上がった。


 男子生徒は、リリベラの全身を舐めるように見ると、ピューッと口笛を吹いた。


「マジ、エロい身体してんな。な、扉閉めてこっちこいよ。無茶苦茶良くしてやっからさ」

「けっこうです!」


 リリベラはお腹に力を入れて足を一歩後ろに引く。足が動くことを確認したリリベラは、体育倉庫から脱兎の如く逃げ出した。後ろからは笑い声が聞こえたが、男子生徒が追いかけてくることはなかった。







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