第漆話 千なる者なりや?

 ルカは手すきで暇だと言う戦車兵と会話しながら、脂の塊みたいなツションカと、肉入り米粥を食らっていた。


 どうやら戦車兵の名前はマリウス・ハグマイヤーというらしい。そして、スモンレンスク・ドイツ装甲師団[エインヘリヤル]の大隊指揮官......。


 マリウスは気にするなと言っているものの、たかが二等兵のルカとしてはそうともいかない。傍から見ればいい歳したおやじが、子供にあれやこれやとまくし立てている。


 そんな雰囲気が漂っている。


「そうか、ルカはグレイプニールの......道理であんな強いわけだ」

「い、いえ、僕はまだまだ......」


 未だに違和感が消えない手首をさすりながら呟く。無事に戦いも終わり、敵の殲滅も滞りなく行うことが出来た。


 それでも、もっと上手く戦えたはずだ。


「まぁそんな思い詰めた顔すんなって。大型種の混成部隊を撃退できるだけすげぇんだからよ」

「そうですかね......」

「そういうもんだよ、っと。俺らも飯の時間だ。また会ったら、そん時はよろしく頼むぜ」


 そう言ってマリウスはテントを後にする。ルカも流石に食べ終わり、次の要請が来るまで手持ち無沙汰となった。


「どうしようかな」


 緊急の要請に備え、あまり野戦指揮所CPから離れないようにと厳命されている。出来ることと言えば、最近兵士達の間で流行っているという詩やらエッセイを書くか、その辺を散歩するかだ。


 選択肢は二択だが、ルカに文才と呼べるものは存在しない。実質、選択肢などあってないようなものである。


 仕方なく席を立ち、適当に練り歩くことにしてみる。とはいえ、辺りに広がるのは茶色の荒野。所々にを散らした枯れ木がポツンと生えている程度で特に見るものはない。


 さっきまで飛び回っていた戦場には白い霧が立ち込めている。火を吹き散らしていた重機関銃の群れも、高らかに唸っていたレオパルトのディーゼルエンジンも気を休めていて、不気味なほどに静まり返っている。


 塹壕に耳を傾けると、細々とした会話が聞こえてくる。


「おい、いいのかよ煙草なんか吸って」

「は? 別にいいだろ。あいつらが撒いた霧のおかげで暫くは敵もこれねぇし」

「確かにそうだけどよ......」


 そんな会話を聞きながら数分程度散歩し、テントへと戻ってくる。あまりにできることが無く、戦闘とはいかないものの何か刺激が欲しくなってしまう。


 不謹慎なことを考えていると、野戦指揮所CPの方から同じ年代であろう少年兵がこちらへと走ってきている。どうやら望み通りになってしまったようだ。


「えっと......ボールド・イーグル、リベレーターから呼び出しです」

「......分かりました」


 ルカは自身の考えを後悔しながら、渋々野戦指揮所CPへと向かう。


『来たか、ボールド・イーグル』

「はい」

『新たな救援要請だ。作戦内容は──』


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 ──しかして、サンクト・ペテルブルグからチェルニヒウまで。行ったり来たりの東奔西走を実に七時間。陽は傾き、空は燃えるような赤色に染まっている。


『ボールド・イーグル、よくやってくれた』

「......」


 疲れ果て、言葉を発する気力も失い黙り込んでしまう。


『まぁ、なんだ。初日にもかかわらずよく戦ってくれた。以降はジャガーノートに引き継ぐ。ボールド・イーグルは帰って休んでくれ』

「............はい」


 無線機が沈黙。交信が終わる。


 やっと解放された。早く家に......。


「あぁ、家じゃないや............」


 帰る場所は家ではなく、本拠基地だ。明日も明後日も、今日のような一日を繰り返すのだと思うと気が滅入る。


 それはそうとさっさと帰って横になりたい。基地で替えの軍服に着替え、全力で走り跳んで本拠基地へと舞い戻った。


「────ぐぇ゛ッ?!」


 着地失敗。コンクリートのように硬い荒野に着弾してしまった。


「あぁーもう......」


 土埃を頭から被り、仄かに茶色がかった軍服をはたく。もはやキレて怒鳴り散らかす気力も無い。


 ともかくようやく休める。そう思うと、つい気が緩んでしまう。


 気が緩み、油断に染まったせいだろうか。ルカは本拠基地一帯が濃い霧に包まれていくことに対し、なんの違和感も覚えずに洋館へと向かっていく。次第に木々のさえずりも、赤く染まった空すら見えなくなっていく。玄関に着く頃には、外は既に一メートル先も見えない程の濃霧と化していた。


「ただいまー」


 やはり返事はない。だが、明らかな違和感にルカは気付いてしまった。小綺麗すぎるのだ。埃の積もった廊下も、蔓が這いひび割れた壁も。洋館の隅から隅まで、それはもう新築の如き新鮮さに包まれていた。


「あ、あれ??」


 流石にルカも不安になってしまう。場所を間違えてしまったのだろうか。そう思わずにはいられない。


「うわっ、凄い霧......」


 ふかふかの絨毯が敷かれた廊下の窓から外を見れば、もはや空間があるかすら分からない。空間失調症を引き起こしてしまいそうなほどには、何も見えない景色が広がっている。


 恐ろしい程に生き物の気配が消え失せた館内を練り歩いていると、本館に囲まれた中庭に人影が見えた。その人影は中庭の中心に佇むガゼボ、それの中に収められたティーテーブルセットに腰掛けているように見える。


 だが、どうしてか姿形が不明瞭だ。少女のような、背の曲がった老人のような、やけに背の高いサラリーマンのような。とにかく決まった形として見ることができない。


 そのことを不気味に感じ、恐怖に心を曇らせようとも。この何も居ないかのような空間で初めて感じた人の気配だ。あの人影が何であれ、人恋しくなってしまったルカは次第に中庭へと足を進めていく。


 逸る気持ちを抑え、恐る恐る中庭へと足を踏み入れる。そこで人影もこちらの存在に気が付いたのか、振り向いたような素振りを見せる。今度は姿形が揺らぐことはなく、少女のような背丈で見た目が固定された。同時に、金髪ロングで琥珀色の瞳というイメージも、何故だか脳内に湧いてくる。


 ルカが何か言おうと口を開くよりも先に、少女が話し出す。


「今日は良い天気だね。雲が降り、鳥達の口は縫い付けられ、極彩色の花々は見事に枯れ果てている」


 少女はいつの間にか現れたティーカップを啜り、更に続ける。


「君の名前は少年? ボールド・イーグル? まぁなんでもいいかな」


 少女の顔が鮮明に見えてきて、視界にノイズが走る。


「どうかな? 私の世界は。人も居ないし、目を背けたい現実だって霧の中。歓迎するよ、■■■■」


 一際強いノイズが目と耳を襲い、最後は何と言っているのか上手く聞き取れなかった。


 頭痛のする頭を手で抑え、フラフラと少女に歩み寄る。


「き、君はいったい......」

「■?」

「うッ......えっと、なんて......?」


 聞き取れない言葉を聞くたびに、脳みそを直接指でなぞられるような不快感に見舞われる。


「あ、ごめんねー。もう大丈夫かな?」

「えっと、うん。まぁ......」

「それで? 僕に何か用かな?」

「あー、その......君は、だれ?」


 洋館の外は分厚く霧が覆い、生き物の気配も無く静まり切った館内。そんな異常な空間にただ一人。加えてこの少女の存在自体も、異常なモノに思えて仕方がない。


「僕かい? 僕はねー、そうだなぁ......」


 先程までのように姿形が不明瞭だったり、聞き取れない言葉に不快感を感じたりもしない。だが、少女の声音や口調に妙な違和感を感じる。下手に翻訳した文章をそのまま読み上げているみたいだ。


「色んな呼び方されてるけど、僕に決まった呼び名は無いよ。好きに呼んで」

「好きに呼んでって言われても......」


 今まで実に色恋沙汰に欠けた人生を送ってきたルカと言えど、こういう場面で適当な名前を付けてはいけないことくらいは知っている。ゆえに悩ましく、何がこの子にとって嬉しいかと頭を捻る。


「悩んでいるね」

「いやまぁ、名前なんですから。適当に考えるわけにも......」


 段々と声が小さくなっていく。心なしか少女の視線が痛い。


「そう難しく考えなくてもいいよ。名前が付いた所でまた変わるんだから」

「変わる......?」


 ティーカップを音を立てずに置き、少女が立ち上がる。立ったかと思えば、次の瞬間には座っていたり、さっきまで居なかった所に現れたりし始める。陽炎のように姿が揺れ、掴みどころが無く様々な形に移ろっていく。


「僕はこれじゃなくて私はアレでもない。俺でもわたくしでもなくて■は■」


 目の前の事象を理解できずに立ち尽くしていると、背後から声を掛けられた。そして、再び囁かれる聞き取れない言葉の不快感に表情が歪む。


 振り返れば、金髪の少女の姿が目に映る。


 顔は捉えようとすると逆に見えなくなってしまう。


 混乱を深めて頭の中を整理するも、そもそも思考が纏まらない。周りの空間に思考が散逸していくような、不思議な感覚。そんな状態で呆けていると、四方八方から異なる声が聞こえてくる。


「君にとっては少女でも」

「ある者にとっては老いぼれた老人に過ぎん」

「崇高な指導者様にはスーツの大男」

「それとも思考すら持たぬ無機の者共か」


 声の方を向けば背を曲げた老人に、三メートルはあろうかというスーツの大男。


 茶色い草花は枯れたまま、朽ち果てた花弁をこちらに向けて首を垂れている。


「まぁどうしても浮かばないのならこう呼んでよ」


 少女の影が言う。


「エリシャス、ってね」

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