第二章 月夜の支配者
第陸話 我等は装甲師団
ザポリージャ要塞での夜間警戒任務を何事も無く終え、うっすらと眠気が襲うままルカ達は本拠基地へと帰還した。ちなみにだが、帰りも通常の移動手段では時間が掛かるのと訓練の一環ということで走らされた。
身体はほとんど疲れず、精神だけがいたずらに疲弊してしまう。
「ただいま戻りました......」
一切覇気の無い声で洋館のドアを押し開ける。相も変わらず蔦が伸び放題な古びた洋館は、ルカを歓迎する気も無く不気味に静まり返っている。
イヴァンナが迎えてくれると心のどこかで期待していたルカは小さく溜息をつく。心身共に疲弊して、帰った所に何の出迎えも無いというのは中々寂しいものだ。
「どうかした?」
ルカを気にかけてか、サーリヤが小首をかしげて振り返る。その動作だけ見れば中々愛らしく、年相応の可愛げがあるにはあるのだが......。
やはり不気味なまでに無表情過ぎて逆に怖い。
「いえ、別になんでも......強いて言えば少し疲れました」
「そう。でも、今日から昼間の担当だから。頑張って」
「精々頑張りますよ......」
そう言うサーリヤの表情には労いの気持ちが見られない。というか声も抑揚が無さ過ぎる。ルカは疲労もあり機械と会話しているような気持ちになる。
ひとまず寝室に行って横にでもなろうかと思い館内を歩いているとあることに気付く。最初に訪れた時より小綺麗になっているのだ。溜まりに溜まって小山を作っていた埃は綺麗さっぱり無くなっており、息を大きく吸っても
イヴァンナが掃除してくれたのだろうか。
「帰ってたのか」
不意に声を掛けられる。声のした方に振り向くと、そこには
どうやらほんとにイヴァンナが掃除してくれていたようだ。
「えぇ。さっき着いた所です」
「......眠そうだな。コーヒー......いや、紅茶でも飲むか?」
「へ? い、いいんですか?」
「たかだか紅茶一杯だ。いいに決まってる」
「ではお言葉に甘えて......」
イヴァンナの後ろに付いて食堂へと向かう。赤いカーペットが敷かれた廊下を歩いていると、イヴァンナが苦笑交じりに呟く。
「君も意外と強かだな。仮にも中尉の私に茶を淹れさせるとは」
「え......あっ?! す、すみませんでしたぁ!!!」
それを聞いてルカは慌てて敬礼。声を張り上げる。ルカはイヴァンナが自分より遥かに上位の階級であることをすっかり忘れてしまっていた。
というのもイヴァンナには中尉などの指揮官クラスらが持つ威圧感──オーラのようなものが全くないのだ。声音も優しく、安心感を与えるような喋り方も相まって軍の上官というよりかは隣近所の気さくな姉貴分......そんな感覚だ。
こういうのを口が
......いや、そこまで話したわけでもないし、口が巧いというのは少し違うのだろうか。
「冗談だ。そんな気張らなくていい」
「い、いえ! そうは──」
「自由にしろ。これは上官としての命令......いや、任務だな。今まで通りで構わん」
「任務......わ、分かりました」
任務として課せられればもはや何も言えない。一度イヴァンナを上官として認識したからか、ルカは少し緊張してしまう。加えて今まで通り接しろ、と言われては逆に気が張ってしょうがない。
「砂糖は何杯が──」
イヴァンナの声を遮ってけたたましいブザーが鳴り響く。
聞き慣れたくもない音に、ルカは背筋が凍りそうになる。
「──紅茶はお預けだな」
イヴァンナは驚愕やら戦慄やらで固まるルカの肩を叩く。ルカは軽く頭を振って嫌な考えを払う。
これは僕がやらなければいけないことなのだと。力を持ってしまったものの責任なのだと強引に自分を納得させる。
「行ってきます......!」
「あぁ、帰ったら紅茶と、ついでに少し良いジャムも付けてやろう」
対価が安すぎやしないだろうか、とルカは思うものの、ここで尻込みしていても仕方がない。今こうしている間にも最前線では誰かが死んでいる。考えていてもしょうがない。そう思って身体を先に動かしていく。
そうして向かったのは先日訪れたばかりのブリーフィングルーム。だが前と違ってここはルカ一人。少しばかり物悲しい雰囲気だ。
無線機の電源を入れ、回線を開く。
『ボールド・イーグル、リベレーター......セルゲイだ。聞こえるか?』
「はい、聞こえます」
『よし。それでは作戦内容を伝える』
ルカは置きっぱなしの地図を眺めつつ耳を傾ける。
『本日午前十時頃、スモレンスク州の第三レーダーサイトが中央線より進出する敵部隊を捕捉した。敵部隊はロスラヴリ
一息ついてセルゲイは続けて口を開く。
『敵部隊は大型種が五。まぁいつもの適当な進軍だ。単独での初戦には十分な相手だろう。だが敵部隊が同基地を突破した場合面倒なことになる。ボールド・イーグルは直ちに進発。現地へ急行し敵部隊の突破を阻止、殲滅せよ』
「了解!」
誰も居ないブリーフィングルームでただ一人。無線機に向かって敬礼していると思うとアホらしく思えてしまう。ただ、アホらしく思っている場合でもない。
長い廊下を歩いて玄関へと向かうと、サーリヤが居た。
「アルバトフ大尉?」
「あ、来たね」
黒い双眸がルカに向く。感情の無い瞳を向けられて、ルカはふと身構えてしまう。こればかりはどうにも慣れないのだ。感情が一ミリも読めず、不気味で、危ういこの幼い上官の表情ばかりはどうにも。
「これから出撃?」
「そ、そうですけど......どうかしたんですか?」
首を傾げるルカに、サーリヤは流れるように近付き頭に手を伸ばす。
「っ?! ちょ、何をっ?!」
「何って、愛撫?」
「あ、あいっ?!」
無造作にルカの頭を撫でるサーリヤに、ルカは酷く困惑する。
頬を仄かに赤く染め、驚きの表情で固まるルカを暫し撫でて、サーリヤは手を引っ込める。
「頑張って。あと、ちゃんと帰ってきて」
「は、はぁ......?」
はてなマークに埋め尽くされた頭では、そんな阿保らしい声しか出せなかった。
サーリヤに物理的に背中を押され、洋館を後にし、針葉樹林を抜けてだだっ広い平野に出る。天気は快晴。夏も終わりに差し掛かり、涼し気な日差しが降りかかっている。
「なんていうか、子供扱って言うか愛玩動物扱いと言うか......」
あの目は部下に対する激励や心配というより、愛玩動物に向けるモノのような気がした。ぶつぶつと呟きつつ、煮え切らないままルカは出撃の為の準備をしていく。
やり方はサーリヤに教わっている。両の足に意識を集中させ、骨に細かい鎖が纏わりつくイメージ。集中すればするほど、虫が這い回っているような不快感とこそばゆさが下半身を襲う。
その嫌な感覚に耐えて数十秒。感覚が元に戻る。サーリヤの言う通りであれば、これで大丈夫......のはずだ。
腰を軽く落とし、足の筋肉が張り詰める。足裏で踏み込んだ地面は小さく亀裂が入り、足先がめり込んでいく。そして軽く地面を蹴り、足を前へ前へと運んでいく。
「あれ? 意外と......お? おうぁぁぁああ?!!」
走り出したはいいものの、加速に足の動きが付いて行かず盛大に転んでしまった。
「いてて......もっと早めに跳ばないと......」
次こそは、と泥をはたいて立ち上がる。今度も同じように加速していき、足が追い付かなくなる前に思いっきり地面を蹴る。力を籠め過ぎたのか。地面は割れ、小さなクレーターが出来てしまっている。
だが、そんなクレーターも今や遥か彼方だ。
今、ルカは空高く跳び上がっている。それはもう、普通ならソニックブームで大変なことになってしまうような速度で、未だに加速し続け空へと昇っている。なぜソニックブームが起きないのかというのは、サーリヤもよく知らないらしい。
まぁ、そういうものなのだろう。
暫く跳んだままでいると、加速も終わり、重力に引っ張られていく。ここが肝だ。奥歯を噛み締めつつ手首から鎖を生やすと、丸環──これの場合六角環とでも呼ぶのだろうか──を一つ切り離す。
手を切らぬよう注意を払いつつ、背中へと六角環を回す。そして起爆。爆風で身体を吹き飛ばし、自由落下よりも速く地面へと墜落する。
そう、墜落である。まさか頭からというわけではないのだが......。
「ぐゥ......うぇっ、口の中に土が......」
結局のところ足で着地しようにも、速すぎてバランスを崩してしまう。サーリヤ曰く、着地する寸前に六角環を起爆させ、その爆圧を蹴るような感じで跳べとのことだ。
──出来るわけがない。
「クソっ、もう一回......」
そうして不格好に跳んでは墜落してを繰り返していると、味方の砲兵陣地が見えてきた。二〇三ミリ重砲が奏でる轟音が響き渡り、砲煙が立ち込め、硝煙の匂いが遥か空高くまで漂って来ている。
遥か空の彼方に目を向ければ、
あの様子では日光など地上に届いてはいないだろう。
「って、やば!!」
ふと気づく。さっきまでの調子でやってしまうと、砲兵陣地のど真ん中に墜ちてしまう。ルカはまだ力を使い慣れていない。どこでどう爆破すればどこに跳ぶなどの弾道計算も決して得意ではない。
だが何もしないよりかはマシか、と逸れますようになどと祈りながら起爆する。内腑を揺らす爆轟が背中を押し、つい目を瞑ってしまう。
そして着弾。
「うわ?!! な、なんだ?!?!」
砲兵の驚いた声が耳に入り、ゆっくりと目を開ける。どうやら砲兵陣地の目の前に墜ちたようだ。
意外に着地も上手くいったようで。片手の拳を地面に当て、片膝を上げてもう片方は地面についている。まぐれだが、見事なまでの三点着地だ。
地面は割れ、クレーターが出来ている。舞う土埃の中で、割れてしまった膝が再生するのを待ってルカは立ち上がる。
「いっ......」
やたらと頑丈な軍服に感謝しつつ、広がる平野を見渡す。次のジャンプで戦場。ため息をつかずにはいられない。
だが、もはや逃げられない。奥歯を噛み締め、両手首から鎖を生やす。血の涙が出そうなほどに目を見開き、痛みを堪える。
アドレナリンが放出され、次第に痛みにも慣れてくる。それと同時にテンションがおかしくなってくる。痛みに引きつった顔は徐々に歪み、恐々とした笑みを浮かべ始める。視野が狭まり、五感が心なしか鈍麻になっていく。
生やした鎖が伸びて周囲に漂い始める。準備は整った。あとは、戦場へと飛び込むだけだ。
そうして再び地面を蹴り跳び上がる。
未だ残る不安を、ハイになった頭が押し殺していく。
もはや恐怖は無い。残るのは、戦いへの恐怖を殺してなお有り余る高揚だけだ。
「よし......」
引きつった笑みを浮かべたまま、熾烈な銃火が猛る塹壕の真上まで来る。照明弾が舞う夜の如き戦場。眼下に広がるオーロラ色の煌めき。
まず先頭を潰そう。そう思って両腕をクロスするように構える。空中に蠢く鎖が腕の動きに追従し、左右に大きく伸びて弧を描く。拳を握ると、鎖が根本から断ち切られる。そのままゆっくりと腕を広げる。
サーリヤに倣った通りのやり方だ。間違っていなければこれで......。
バチン、と音が連なり、一つ一つの環に分かれた鎖が落ちていく。
「やった!! 成功した!!」
鎖が
塹壕の重機関銃達は突然の出来事に鳴りを潜め、何が起こっているか理解しかねている様子だ。
次第に地面が近付いてくる。流石にずっと空に浮いているわけにも行かない。再び生え伸びる鎖が尾を引きながら、地面へと着地する。
背後に目を向けると、なんだなんだと塹壕から顔を出した兵士達が呆気に取られた様子でルカを見つめている。所々に戦慄やら恐怖が入り混じる目を見ると、ルカは歓迎されてはいないのだろうかと感じてしまう。
突然、耳を引き裂くような甲高い獣の叫びが聞こえて正面に向き直る。
「......っ?!」
やけに遅く感じる視界の中で、
「クソっ!!」
半ばヤケクソ気味に横跳びで突進を避け、
ルカは浅く呼吸を繰り返し、早まる鼓動を抑えるように手を胸に当てる。まさか成功するとは思ってもおらず、その場に立ち尽くす。
だが、敵は休まる暇を与えまいと次々に雄叫びを上げて、襲い掛かる。
「あとどれだけ......」
愚痴を呟きながらも戦野を駆ける。片手で拳を握り、前方の
それでも一向に数が減らない。突撃を繰り返す
「うっ......まだ来るのかよっ!!」
黒い血潮が身体に吹き付け、生臭い臭いが鼻を衝く。
そしてほんの一瞬、動きが鈍った隙を突かれてルカは音速を超える尻尾の一撃を受けてしまう。
「ぐぁッ────?!?!」
力強い衝撃波が鼓膜を破り、強烈な打撃が骨を折り、内腑をひしゃぐ。
赤く染まったゲロを吐き出しながら、ルカは地面に叩き付けられる。
力なく口を動かすも、潰れた肺は呼吸することを許さない。音は勿論何も聞こえず、視界はチカチカと明滅しているようで不明瞭だ。
そんな死に体であろうと傷は回復していく。死ぬことを許さぬ不死の力が、潰れた肺を、骨を、鼓膜を瞬く間に治癒していく。元通りになった肺は、多少咳き込みつつも必死に空気を貪る。
「な、なにが......」
痛む頭を手で押さえながら立ち上がる。揺れる視界に映ったのは土埃を上げながら迫る
「しまっ......うわっ?!」
ルカの思考は恐怖で埋まりつつ、ジリジリと逃げ出す機会を伺っていた。
しかし、乾いた着弾音と共に
ルカの思考の片隅に困惑が浮かび上がる。そして、やや遅れて砲火の轟きが耳に入る。
何が来たのか。つい気になってルカは音がした方向に目を向ける。
「あれは......」
そこには見慣れない戦車の隊列が姿を見せていた。
車高は高く、T-72とは似ても似つかない四角い砲塔。
揺ぎ無くこちらを睨む、今は無きラインメタル社の四四口径一二〇ミリ滑腔戦車砲。
硝煙揺蕩う砲口が煌めき、
散り散りになって回避行動に専念し始めるも、砲弾を避けた直後に別の砲弾が襲い掛かる。
まるで敵の動きを予測出来ているかのような緻密な砲撃。休む間も無く、次々と仕留めていく。
「凄い......」
芸術的なまでの射撃術に呆気に取られていると、視界の端にオーロラ色の煌めきが湧き上がる。
「そうだ、まだ......負けてられないっ!!」
まだ戦闘は終わっていない。
敵に撤退という概念は無く、殲滅しなければ戦闘は終わらないのだ。
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戦車師団の増援が来てから一時間。やっとのことで敵部隊を殲滅することが出来た。
敵の骸が積み重なる戦場は、生物の生存を許さぬ死の霧が漂っている。戦闘が終わった証であり、守り切ったという実感が湧く。
ルカは次の救援要請が来るか、サーリヤとの交代時間まで
一足早い昼食だ。
「はぁ......疲れた......」
FRHで主食を温めている間、クラッカーにチョコレートやらチーズやらを付けて小腹を満たす。普通なら前線基地と言えど温かい飯が食えるのだが、ルカは部外者だ。昼前の時間というのも相まって、補給優先の絶妙にぬるく美味しくはない飯を食べるしかない。
というより、胃もたれしそうなほど脂だらけなのをわざわざ食べたくはない。ため息を付きながらダンボールみたいな味のするクラッカーを口に詰めていく。美味しくないとはいえ、空腹には勝てないのだ。
ただ一人、テントの隅で暇を潰していると戦車兵らしき軍人が近付いてくる。金髪碧眼で、人の良さそうな顔をした老兵。
......あまり良い予感はしないのだが。
「良い戦いっぷりだったな。少年」
「へ? あ、はぁ......ありがとうございます?」
意外にも褒めてくれた戦車兵に驚きつつも感謝を述べる。基地に居る兵士達からはあまりいい顔をされていなかったのもあり、不意を突かれた気持ちだ。
「どうした? そんな驚いた顔して」
「あ、いえ......あまり歓迎されてるような空気では無かったもので」
目の前に座ってくる戦車兵から目を逸らす。
「まぁそう警戒するな。俺達だって大方あんま歓迎されてない......まぁ、似た者同士だからな。気持ちは分かるさ」
「何故です? あんなに強いのに......」
「そう言ってくれると嬉しいな」
戦車兵はハッハッハと豪快に笑う。
「俺達は
「避難民......戦車......っ?! も、もしかして!!」
ルカは避難民で構成された戦車師団というものに聞き覚えがあった。加えてあの時見た戦車は、記憶が正しければ亡国となって久しいドイツ連邦共和国のレオパルト2A4。
「お? 勘がいいな少年」
「勘がいいって......ほんとに?! 本物?!?!」
「あぁ」
そうして老兵は誇らしげに名乗りを上げる。
我等はスモレンスク・ドイツ装甲師団。またの名を──。
──
いまや遠き地の欧州諸国より逃げ延びた亡命政府軍。そのほぼ全てが激しい戦火に呑まれ消えていく中で生き残った最後の亡命政府軍にして、望郷の想いを胸に、失われた故郷の奪還を目指す欧州解放戦線最後の希望である。
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