エンドロールが聞こえない。第二十四話

 安心する場所というのは、どこにあるんだろう。家だろうか、大切な人の隣だろうか。それとも知らない人達の中だろうか。或いは………、


 そんなものは、はなから無いのだろうか。今も探している。ずっと、


 探している。


 冬の外灯の下で、ぼくの“思春期”が起こす不条理な苛立ちの中に、何故“あかるはいないのか”と問われた。きみに掴まれた腕の力は弱々しいから、こんな力じゃ、何にもならないのにと思う。でも、きみにとっては目一杯の力で握っているのも知っている。知っているのに“意味がないのに”と苛立つ自分がいるのも知っている。ぼくの苛立ちの中に、きみがいない方が良いに決まってるでしょ。どうして、こんな汚れた感情にまで“自分がいないのが悲しい”なんて言うの?きみにも苛立っているなんて言ったら、絶対に泣くでしょ?あかるの事を想って言わなかったのに…………いや、違うか。そんな事を口にする自分が酷く格好悪くて、穢れていて、下らない生き物に見えるから嫌なんだよ。泣かせてしまったら、泣き止むまで側にいなきゃいけないから、結局、言ってしまった事に後悔をする。全部、面倒になる。


「まひるくんは……今、何がしたいですか?」

「…………謝りたい」

「そうじゃなくてね。怒りたいとか、腕を放して欲しいとか、こんな話は嫌だよとか」

「だから、謝りたいって言った」


 何を謝るの?と聞かれ、きみの目から小さなスニーカーとアスファルトに視線を落とした。本当に、何を謝るんだろう?それも様々な事が面倒だから謝っておけば、丸く収まると考えているだけだ。なんだろう、どうして、いつもあかるは、ぼくよりぼくの事を知っているんだろうか。それが…………また、凄く、苛つく。


「腕……放してよ。痛い」

「あっ、ごめんなさ……」


 全く痛くなんてなかった。あかるが慌てて放した手を追いかけ握り、引っ張り歩き出す。きみが驚き「ど、どうしたんですか?まひるくんっ?」と言ったけれど、何も言わずに“ぼくのペース”で歩を進めた。“さよならの神社”の鳥居を潜って、雨宿りや初めてきみの身体に触れたり、初めてきみとキスをした小屋まで力ずくで引っ張った。小屋にきみの背を押し付け、顔の両側に腕を突く。


「怖いでしょ?ねえ?あかる!?」


 きみの手が顔の前で、きゅっと握られる。男に無理やり引っ張られ、灯りもままならない場所まで連れてこられて、逃げられないようにされたんだ。怖くない訳がない。


「あかる。これは想像出来た?ぼくが苛ついていて、こんな事をしてしまう奴だなんて想像が出来た?」


 きみが想像できないぼくを見せてやりたかった。きみを酷く傷付けたかった。無茶苦茶にして、酷い事をして、自分が傷付きたかった。そうすれば、幾つかの苛立ちが救われる気がした。きみには苛立つ事が無いと吐いた嘘が暴かれたのも報われるような気がした。ぼくの“思春期”の苛立ちに、あかるがいないのが悲しいと言ったのは、きみのやさしさだったのだと心の底から理解が出来るような気がした。そうなって欲しい、そうなりたいから見たかったきみの表情は目の前に無く、泣いたり、戸惑ったり、怯えたりせず、強い目でぼくの目を見て、口を一文字にする。そして、顔の前で握られていた両手が、ぼくの頬に添える為にほどかれた。


「わたしはあなたに何をされてもいいと思っている。でも、こういうのは嫌だ」


 こんなにまでされて、どうして、そこまでぼくの事を想おうとするの。信じようとするの。ぐちゃぐちゃに曲がっていて苦しいぼくが、酷く痛むくらいに泣いてみせてよ。どうして、やさしく叱るんだよ。


「まひるくん、これは良くないよ。こんな事は絶対にしちゃ、駄目だ」


 答えが見えない苛立ちで当たって、真っ直ぐにやさしく叱られるという事を、きみに叶えられている。悪い事をしたら叱って欲しいと甘えて、叱られないと知ったら叱られる為に傷付けようとする。


 ひどく、なさけない。じぶんがおろかすぎて、ことばがでない。


 頬に添えた手から後ろに二歩逃げた。

 細石に向かって涙が落ちていく。


 あかるが三歩近付いて、また頬に手を当ててくれる。


「ぼくは……何をしたいか分からない。自分が分からない。皆が分からない。自分も誰かも信じたくない、分からないんだから」

「まひるくん、そのまま動かないでくださいね」


 頬に添えられた左手が、ぼくの右肩を掴む為に使われて、精一杯に踵を浮かせて背伸びをしたやわらかい唇が右の頬にふれる。ぼくの頬を伝う汚い涙にキスをして、小さな舌でやさしく舐め取って、またキスをしてくれる。首に両手でぶら下がり、ぼくを無理矢理に屈ませると目尻やまぶたにも、たくさんのキスをして、頬を擦り寄せたり。それを繰り返し、繰り返し、何度もしてくれる。汚い涙が出てくる分だけ続けてくれる。


「まひるくんの苛つきや不安に、お手伝いできる事があるなら何でもします。だから、答えを出す一所懸命はまひるくんがしてください」

「そんなんじゃ……また、あかるを傷付けるっ」

「わたしはあなたの全部が欲しいと言いました。苛ついてしまうのも、あなたが恥じている感情も、全部、欲しい。だから、わたしを側に置いていてください」


 あかるの真っ直ぐな想いに自分を恥じて苛立ち、また自分を嫌う。でも、頬を寄せてくれているあかる以外に何も信じる事が浮かばず、涙が止まるまであかるにキスをしてもらっていた。


 あかるはあかるの“思春期”を、ぼくが引き受けてくれた……なんて呟いていたと思う。


 朝より冷えると放課後の図書室で窓の外を眺めていたら、ちらちらと雪が舞い始めた。頬杖をついて参考書は開きっぱなし、図書室のストーブが鳴る音、かさ、かさ、と、誰かが本をめくる音、数人がひそひそと誰かに向けてする良くない噂話。耳に残るあかるの叱る声と、ぼくの側にいると言ったやさしい声がいて、ぼくの中でたくさんの苛立ちと、たくさん詰まった理解が出来ない事が弾けそうになっている事が対比していた。それらをゆっくり考える時間は与えられないくせに、時計は等間隔に止まらず進んでいく。


「隣、いい?」

「………水瀬さんか、いいよ」


 かたん、と、小さく乾いた音を立てて置かれるノートと教科書と筆記用具。バスケで鍛えられたのかページをめくる指が、しっかりとしていて綺麗だなと思った。小さくため息を吐いて、再び窓の外の雪を見ると、隣から「関口くんは考え事が好きなの?」という少し乾いた声がしたから「いいや、全く好きじゃない」と水瀬の方に顔を向ける。


「水瀬さんって眼鏡なんだ」

「意外?それとも似合わない?」


 眼鏡をかけると活発的な印象とは、また違う知的な雰囲気に変わる。水瀬はあかると対照的で髪が短く、端正な顔立ちに無駄の無い身体付き、少し乾いたハスキーな声と直線的な言葉遣いと割り切ったような性格。唇に親指を当て、食むようにする癖。


「ねえ?ここ、分かる?」


 数学のノートには、まだ学校で習っていない長い数式と、何度も計算したであろう消された跡があった。自分のノートから一枚千切って、そこに数字を羅列していく。多分、この式の応用で解けるはずだと書き終えた数字の並びを水瀬に渡した。


「関口くんってさ、頭も良いのか」

「いや、そういう訳では……」

「長野先生と仲が良かったり?」

「いいや。あんまり好きな先生じゃない」


 相変わらず、長野先生の事は苦手だ。飄々としていて、何も考えていないように歌舞いていて、ぼくらの事はよく見ている。ぼくらを見抜いていて油断するように演じていると感じるから嫌いだ。


「どこの塾に行ってるの?」

「行ってないよ」

「あー“カテキョ”?」

「いいや、どちらも。自分で勉強してる」


 ふーん。と、何か言いたげな相槌を打たれ「私は習うだけでも、一杯いっぱいなのになー」と嫌味なのか、褒めているのか分からない言葉を呟かれた。兄ちゃんが家庭教師をするくらいに教えるのが上手だったから、それで勉強の仕方を……なんて言いかけて喉で止めた。今、兄ちゃんの話題を広げられてしまうと、答えるのが辛く面倒だと思った。隣からノートの上を走るシャーペンの音が再び響き始めたから、また頬杖をついて窓の外を見る。地を這うような重たい雲は、まるで空は青色なんかではなくて灰色しか無いんだと騙そうとしている。凄く、凄く、空が重い青の“お椀”が被せられているみたいな、どうしようもなく抗えない圧迫感を麻痺させる為の平面にしか見えない。


「藤原さんといる時もこんな感じなの?」


 その言葉にまた振り返るも、水瀬は頬杖をついて伏せたまつ毛でシャーペンを走らせている。


「どういう意味?」

「意味も何も。静かだなあって」


 あかるといる時、ぼくから話す事はあまり無い。大体、あかるの話に相槌を打って、たまに話して、あかるの行きたい所に行って、あかるがしたい事をして……………、


「いつも、あかるの話を聞いている……と思う」

「ふーん」

「こんな事聞いて、どうすんの?」

「んー……興味本位で聞いんだけど、とりあえず“あかる”って呼んでいるのは分かった」


 少しこちらに顔を向け、横目で見る水瀬が眼鏡を人差し指で上げ、片眉を上げると「ご馳走様〜」と言って背伸びをしたのだ。


 土曜日の朝、ぼくは駅に向かうバスに揺られていた。窓にもたれ掛かり見上げる空は灰色。誰も降車ボタンを押していないのに停まるバスが、冬の重装備で丸っこくなったあかるを飲み込んだ。一番後ろの席から軽く手を振り小さな声で呼ぶと、きみの表情は空とは違い青空になる。


「お隣いいですか?」

「そのつもりで呼んだ」


 そんなやり取りに、あかるはにこにことして深々とお辞儀をする。少し首を傾げるぼくに「おはよお」と言う礼儀の正しさ。ぼくも「はい、おはよう。あかる」と苦笑いし、きみの前髪をぐしゃぐしゃに撫でて、挨拶をするという事を忘れていたのを隠した。


 今日は午前中から街に行こうという約束をしていた。バスを降りて本来の待ち合わせ場所だった駅の券売機で切符を二枚買うと財布を持ったままのきみが「あっ、あ……あとでっ、ちゃんと払いますからねっ」と、わたわたとするからバッグを取り上げる。


「とりあえず、落ち着いて。まず財布を閉めてバッグに入れて?」

「あ、はいっ、ありがとお。まひるくんはやさしい」


 やさしい、ぼくがやさしいって、なに?


 電車の中は席に座れないくらいに人で溢れていて、まだ十時前だというのに街も人で溢れていた。この人出にあかるの予想は外れていたらしく「うぅ……少し、ゆっくり歩けると思っていたのに」と肩を落とす横で、ぼくは辺りを見渡し同じような格好をした人が、どうして、たくさんいるのだろうと考えていた。遊びに来たって言うんだろうけれど、何で遊ぶのだろうか。みんな同じ場所で、同じ格好をして、同じ服を買ったり見たりして、同じ遊びをするのだろうけれど、それって楽しい?

 すれ違うのがやっとという歩道を肩がぶつからないように、右へ、左へ、足の運びを変えながら進んでいく。後ろからは何度も「あっ、す、すみませんっ。ごめんなさい」という声が聞こえてきた。その度に振り返り、その不安げな顔に手を伸ばす。


「大丈夫?」

「うん、うんっ。ごめんなさい。わたし、ドジだから」


 小さな頃からそうじゃないかと、少し頭を撫でて、また歩き出す。あかるは運動が苦手だから人の動きを読んで、体の運び方を考えるのが下手なのだろうか。


 これが、もし、水瀬ならどうなんだろう。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第二十四話、終わり。

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