エンドロールが聞こえない。第二十三話

 B棟校舎横のテニスコート近くにあるベンチに座っていた。もうここに座って、かれこれ五分は過ぎているのだけれど、まだ耳まで真っ赤にしたあかるの………荒い息が整わない。どうやら、ぼくはやり過ぎた、らしい。


「……ま、まひっ、まひるくんはずるいですっ。王子様の格好で王子様なんだもんっ」


 そう膝に置いた手でスカートを、ぎゅっと握り締めて声を振り絞るから、ぼくもクラスの出し物で着せられている服を握って言った。


「あかるだって、お姫様じゃないか」

「そ、そういう話じゃ……っ、ないんですよっ」

「じゃあ、どういう話なの?」


 きみが「笑わないでくださいね」と前置きし、あかるが小さな頃に描いていた“理想の人”は、童話や絵本に出てくる“王子様”だったと教えてくれる。その姿に、ぼくを重ねて“この人が本物の王子様だったらいいなあ”と思っていたらしい。現実のぼくは活発に走り回り校庭で大きく笑っている。かと思えば、誰かにやさしく接している所も見てきた。四年生と六年生でクラスが一緒になって、たくさんのぼくを見付け、その内に“絵本の中で素敵に立ち振る舞う王子様”より、ぼくの方が大きくなっている事に気付いたらしい。


「……なんだか、とてもすごい告白されている気がする」

「でもっ、でも……でもっ、嘘、ではない、から」


 学校でするには恥ずかし過ぎる話題を変える為に、あかるが演じた劇の感想を伝える。きみが舞台上に現れると“空気”や“光”みたいなものが変わった感じがし、誰よりもちんまい身体なのに大きな鳥が翼を広げるように見え、全ての人に届くよう唄う姿に、涙が止まらなくなった。


「わたしはまひるくんが観てくれているって知っていたから勇気が出せました」

「そうなの?よく見つけられたね」

「ううん。明るい舞台から暗い客席は見えないんです。でも、いるって知ってました」


 あかるの人を信じる力は、ぼくがいてもいなくても“自分を頑張る”為の力なのかもしれない。感謝を表すカーテンコールで演劇部員と舞台に上がり、照明とカーテンの開けられた体育館で、すぐにぼくを見付けられたのも“やっぱり、そこにいてくれたと知っているから、すぐに見つけられた”のだと微笑む。


「ぐしゃぐしゃになって、泣いていましたね」


 “見えないけれど分かる”とか“信じているから存在を感じる”という事が、どうして、歳を重ねる度に理論立てないと出来なくなっていくんだろうね。ぼくは、この思春期と呼ばれる自我を形成する時期に、人を信じるなんて大切な事が遠いものになってしまったように思う。自分を信じる事と引き換えに、他人を信じる事を犠牲にして成長してしまった。“恋の使い方”どころか“信じる尊さ”すら難しくなっていくと、もっと早くに気付いていれば、また何か変わっていたのかもしれない。


 隣に座るあかるが硬直したみたいに、腕をぴんっと伸ばし、肩も強張らせて真っ赤な顔で俯く。


「ま、まひっ、まひるくん!わたしは頑張りました!」

「うん?うん。そうだね。とても頑張った」

「なので……何か………ご、ごっ、ご褒美をください!」

「ご褒美?何か欲しい物があるの?」


 ふるふるふる、と、細かく左右に首を振り「物じゃなくてっ、き、キス……もだけど!まひるっくんをっ、わ、わたしに下さい!」とスカートを握りしめて、ドレスの切れ込みで露わになった鎖骨や胸の上までを真っ赤にする。“愛している”と唄った月の姫のドレスを纏った女の子が、一所懸命に想いを伝えてくれるのだから参ってしまう。だから……、


「ぼくが欲しいって……なに?」

「ひゔ〜……い、いじわるだっ!」

「お姫様は、ぼくの“どんなご褒美”が欲しいの?」

「もっ、もっと!いじわるだっ!!」


 こうやって、ぼくらは過ごしていた。少しずつ解決して理解し、言葉を組み立て、話として会話をする度に真意が何か分かる術を身に付けていく。それと比例して“想い”というものが、言葉以上の意味として存在が“義務”にもなる。


 そんな下らない考え方を、ぼくはしていく。


「あかる……」


 名前を呼んで、風を食む。名前の次に声にしたい言葉が出てこなかった。


 どうして、恋というやつは高熱でうなされ続けられないのだろうか。喉がからからになりっぱなしで好きな人の名前ばかりを呼んで、手を繋いでいないと不安になり、好きな人の手を探しもがき続けないのだろうか。まだ何かの病原菌に感染して、熱にうなされ、愛する人の名前を呼んでは手を握られ、看病されて、治り、身体を強くして、愛する人に感謝をする。


 そんな病にかかる方が健康だ。


 冬になり、今年は強い寒波が空を覆い続けるのだとテレビが言っていた。その通りになっているのか、毎朝の神社と下校時は体が冷えて仕方が無い。ちんまいあかるが大きめのコートや長いマフラーをぐるぐる巻いているから、まん丸になっている。こんなに寒いのに、温かくした家に一眞兄ちゃんは帰ってこない。ぼくは喉に不快感と違和感を覚えていた変声期を越え、現実と一緒に状況が飲み込めたのか、今はもう兄ちゃんの布団や机に見向きもしなくなった。家族も何も言わないし、むしろ、ぼくに何かを聞かれるんじゃないかと気を張って“聞く隙間”を作らないようにしている。そう見えていた。


 サッカー部を辞め、部活のあるあかると一緒に下校するまでに時間が空くから、図書室で勉強をして時間を潰す。高校はサッカーの強豪校に行かなくてもいい、もうそれは叶えなくていい。後はなるべく多くの高校が選べるように学力さえ身に付けていればいい。放課後に解放される図書室に来る生徒は図書委員とその友達か、“ひそひそ話”をする為の隠れ蓑に使われ、ばくのように勉強や読書に使うような奴は少ない。だから、適度な“ノイズ”が勉強をするのに適した空間だった。


「関口くんだっけ?」

「………そうだけど」


 その女子は貸し出しの記録を取っている図書委員だった。文化系にしては身体のバネと体幹があるように思っていた女子。少しだけ乾いた声で「隣、座ってもいいかな?」と聞くので「ん……ああ、まあ」と訝しげに答える。身長はぼくと同じくらいで、細いのに“ひらひら”していない印象。不思議な透明感を持つ図書委員は“五組の水瀬”と名乗る。ぼくは彼女の事を知らないのに、彼女はぼくを知っている事に変な感じがすると伝えると「それはそうだよ」と、あかるの反対側にあるような静かで大人びた笑い方をされた。教科書に目を落とし「図書委員でしょ?仕事してなくていいの?」と遠回しに“関わって欲しくない”と伝えたつもりだった。


「本を借りるなんて関口くんくらいだよ」

「それは馬鹿にしてる?それとも事実?」


 両方、と、やわらかく目を閉じる水瀬。何の用なのかと聞くと「一度、話をしてみたかったんだ」と、その少し乾いた声で言う水瀬。どこかで、その名前……………、


「水瀬さんさ、バスケ部じゃなかったっけ?」

「知ってるんだ?」

「……多分、名前を聞いた事がある気がして」

「関口くんみたいに騒ぎになったからね」


 そう言って余裕のある微笑みをする彼女は、中学校入学時から噂をされていた女子バスケ部員で、入部するなり即レギュラー入りをした有名人だと、誰かが話していたのを思い出した。だけど、夏休み合宿で脚を怪我したらしく、それを理由に競技から離れたという話も誰かから聞いていた。


「腱を切る手前までいって、怖くなってさ………跳べなくなった」


 またまぶたをやわらかく動かし頬杖をする。水瀬は県のメンバーにも選ばれていたって聞く。それ以外にもジュニアの国際チームにリザーバーとして入っていたとかも、誰かから聞いた。そんな大きなチャンスを目の前にして、


「逃げたの?」

「よく言われる」


 怖い思いをして競技が続けられなくなる感覚や経験を知っているのに、つい出てしまった“逃げた”なんて言葉を使った自分を恥じた。


「ごめん、言い過ぎた」

「やさしいね、関口くんは」

「……そんなんじゃない。ぼくも怪我をしたから」

「ほんと、やさしいね?藤原さんが羨ましい」


 あかるの名前を口にして苦笑いをする水瀬。彼女から“藤原さん”という言葉が出たのに首を傾げると、間髪入れずに理由を教えてくれた。


「関口くんと藤原さんの仲は有名だよ?よくいちゃついているし……後、私は五組だって言った」


 ぼくらのやり取りは“いちゃついている”ように映るのか。水瀬があかるや半井と同じ五組なら余計に目立つのかもしれない。水瀬は椅子を静かに鳴らし「さてと……」と立ち上がると、話し込んでいる所をあかるに見られると叱られる、なんて言って笑う。貸出しカウンターに向かう後ろ姿で手をひらひらとさせ、またね、と去っていった。


 昇降口、下駄箱にもたれ掛かってあかるを待っていた。開かれた扉から冷たい風と野球部とサッカー部の大きな掛け声が入ってくる。そろそろグラウンドをならして用具を片付ける時間だ。陸上部の誰かが「これ!ラスト!後、一本だけっ!」と叫んだから、次の跳躍で記録が出るのだと感じた。耳を澄ませていると「おおっ」と何人かがどよめいたから、何となくぼくも軽く拳を握って、口許がほころんでしまった。


 一緒に歩く二十センチ程の小さなスニーカーは、いつも通りに、とろんとした笑顔で楽しそうに今日の出来事を話していた。いつも思う、彼女は毎日を全力で過ごしているから、たくさん話しても話しきれないんだろう。ひとつ、ひとつに、とても意味があるのだろう。同じ中学校という同じ建物に居るのに、誰かの噂話を環境音に勉強をするだけのぼくとは、違う。


「毎日、学校楽しそうだね」

「でも、まひるくんと登下校する時間が一番楽しいです」


 そんな言葉を詰まる事なく言えるのも、いつも通り。潤んだ瞳と心配そうな表情で「まひるくんは学校が楽しくありませんか?」と心配をするのも、いつも通りだ。


「ずっとサッカーばかりだったからね………でも辞めると選んだのも、ぼくだ」

「……何か、ありましたか?」


 本当にあかるは鋭いね。たまに、その鋭さに辛くなる時がある。ぼくの“思春期”というやつが酷く暴れていて、自分でもどうしてこんなに苛ついているのか分からない。そこに加えて、家族の誰もが一眞兄ちゃんの事に触れさせようとしないように、“糸”を喉に食い込ませているようで苦しい。


「家族の事、一眞兄ちゃんの事、学校の事、サッカーを辞めた事、やりたい事がない事…………ぼくの全部に苛立つ」




「どうして………………そこにわたしがいないの?」


 その言葉にまぶたが、ぴくっと動いたけれど、意味が分からないふりをした。あかる、きみの事を言わなかったのは、きっと泣くだろうから、傷付けるだろうから………そうなると面倒だからだ。


「わたしが、まひるくんの“思春期”にいないのが、嫌。…………凄く寂しい」

「だって、泣くでしょ…………」


 左腕を強く掴まれ、冬の外灯の下で立ち止まる。


「まひるくんに、何も思われていない方が辛い」

「じゃあ、苛つく事があるって言えばいいの?」


 掴まれていた二の腕の力が強くなり、真っ直ぐな目で「正直に話すって約束した」と言われた。


 “だって、泣くだろうから……”


 “そうなると、面倒だろうから……”


 着てきたコートが朝より酷く重い。


…………………………


エンドロールが聞こえない。

第二十三話、終わり。

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