第11話 カン心


「……着いた」


 宅浪は両脇に抱えた松葉杖を抱えながら、騒がしい建物を前にする。

 できる限り地の文を省略したがる俺は、まず門にある看板をじっと眺めた。

 そこには、やはり俺にとっては馴染みのない、機関の名称がある。


 一度、入ってしまえば、ライオンの群れにこの身を放り投げることと同義……。


 宅浪は、ふぅ……と息を吐いて、平静を呼び込む。

 おとなしく俺の腕を掴む一人と、松葉杖の先っぽで服の首根っこを捕まえた一人と共にもう一度看板を眺めた。


「……着いた」


 宅浪は片脇に抱えた松葉杖に寄りかかりながら、相変わらず騒がしい建物を前にする。

 できる限りページ数を稼ごうとしたがる俺は門にある看板をじっと――


「こんにちは~。星石さんですか?」

「ひゃ、ひゃい! お、俺だけが星石ですけどぉ?」


 話しかけてきたのは、コミカルな動物の絵が描かれたエプロンを着た年下っぽい女性。


 笑顔がやんわりで和やかな雰囲気が醸し出される。とても門の中の住人とは思えない。

 門の中では先生、と呼ばれていた重要人物だ。


「職務質問じゃないですから安心してくださいね。……さん」

「なんでそんな冷静なんですか! というか今なんて言いました?」

「お父さん、ですよね? あ、貴方が私の父親ではなく、ここにいる双子の」


 そこはどうでもいいだろ……。


「お名前を訊いてもいいですか? 今日から当幼稚園に入園するお二人の名前を」


 稀に来たのか、正念場。

 誰が予測できたか、好メンバー。


 だが、宅浪は約束を守る男だった。


 その内容がたとえ、自分にとって正気の沙汰ではなくとも。


「おとなしくて女の子らしい方がサヤカで、ほぼ男の方がナヤカです」


 俺は、約束は守る男だァ!


「えっ……」


 期待していた反応とは裏腹に、先生は一歩退くように距離を置くと、明らかな敬遠の目で宅浪を見つめた。


「あ、星石サヤカと星石ナヤカです。あの普通の人間ですからね?」

「…………」

「あ、あと髪型は変えてあるので区別しやすいと思いますよ」

「あ~……はい! 承知しました~。それでは今日からよろしくお願いしますねー」


 放心状態だった先生は、意識が覚醒すると高い声で愛想を取った。


 怪しまれてないだろうな……。今から不安だよ。


「して、毎日のお迎えは何時頃のご予定でしょうか?」


 踵を返すように先生は宅浪に尋ねた。


「へ。む、迎え……っすか?」

「はい。お父様の都合に合わせた時間帯をお伺いしたいと思ったのですが……」

「んー、別になんでもいいんだけどなー」

「あ、あの……当幼稚園は送迎を行っておりませんのでぇ……」


 先生は困ったような表情を見せる。


「あ、いや、そういう……」


 なんだ、幼稚園にいちゃもんつけるクレーマーかと思われたのか。

 俺がそんなことするわけないだろ、もし子供が生まれたら大事にするさ。


 自分の子供はさ。


 なんせ、この双子、勝手に帰れるだろうし。


「何時頃にしましょうか?」

「あー、やっぱり何時でもいいっすね。いつでも大丈夫ですよ」

「そういうわけには……」

「え? ダメ? 何時に決めろって言われてもな……」

「お父様の大体の時間帯に合わせる所存ですが……いかがなさいましょう」

「ん~……」


 その時の気分によるし、取り込み中の時間と被ると面倒だしなぁ……。

 毎日同じ時間に迎えに行くなんて、逃げサラした俺にできると思ってるのか?

 大体骨にヒビが入ってる状況分かって言ってるのか? 松葉杖見えないのか? おい。


 とりあえず、今じゃないな。

 気分が。


「後で電話とか、ダメですか?」

「電話はちょっと……」

「じゃあ、メールとか。ちょっと私情の影響で午後の予定がまだ……」

「あ、あの! 大事なお仕事でも、時間は決めてもらわないと……」

「――それは、サヤカよりも大事なお仕事?」


 突然、これまで会話に入って来なかった、高い声が紛れ込んでくる。


「……はい?」


 そう漏らしたのは、俺の右手をずっと固く握っていた、まごうことなき小娘。


 所詮、ただの小娘の戯言。

 いま、この状況でなければ、そうなっていたはずの戯言……。


「そうですよ。娘さんの、サヤカちゃんのためにもハッキリしてください!」

「そーだそーだー」

「ナヤカちゃんもそうです! お父さんの迎えのためにこうして声を上げてる」

「そーなのそーなの」


 あの柔らかそうな表情でいかにもなエプロン姿の先生は、熱血的に強気に語りかけた。


 これだけは譲れない矜持を持つ、厄介なタイプの人間に変貌……いや、真価を見せて。


「自分のことを嫌いな娘さんなんていませんから! 自信もってください!」

「そーかもそーかも」


 完璧に今決める流れになってる……。

 というか適当な相槌やめろ、友達の友達野郎。


「で、どうするの? 浪人」


 小さい身体でも容赦のない行動に、頭が痛くなる。

 これまでより凶悪になってないか? 人間のその姿ロリ……。




「分かってるね、ナヤカ」

「分かってる。サヤカの……本当の目的」

「変な勘繰りはしないこと。私に何度も言わせないこと」

「そういう意味で、分かってる。この入園がどんな意味をもたらすのか……を」


「天晴れ日和――」

「心の灯絶やすな――」


「「使命を胸に」」




 ※ ※  ※




 この身体は不自由だ。最近はそう確信することが増えていた。


 わたしがこの姿になってから、二週間が経過した。


 住む世界が一緒でも暮らしている環境が違うと、そこはもう別世界のように感じた。


 死に物狂いで見つけた唯一の幼馴染は既に人間に飼われていて、それに付き添う形でわたしもその人間に従うままに人間の教育機関の制服に袖を通して。

 忌々しくも心地良い陽に頭を照らされながら、ベンチの上で足をプラプラとさせる。


 なんて、贅沢で幸せな暮らし。


 なんのしがらみもない、ぬるま湯に浸かるだけで成功するやりがいのない人生。

 こうしている今もわたしたちは生きるだけで、精一杯だったはずなのに。


「ねえ、これ見て~」


 視界に捉えていた観察池が、途端に何者かの背中によって遮られる。

 ナヤカの視界を遮り真ん前に立った人は後ろを向きながら、うなじあたりに結われたたんこぶ程度のポニーテールを必死に指差してアピールした。


「ママに結ってもらったの! どう?」


 ショートカットくらいの長さの髪が中心に窮屈に縛られているのが分かった。


「ナヤカちゃんと髪の長さ、同じくらいだよね~。お揃いにしよ!」

「……貴方は?」

「一緒に遊んだよね! アタシよ、アタシ」

「アタシ……?」


 威張るように胸を張る少女にナヤカは正直、眉をひそめるほかなかった。


「由里だよ! あかばね由里!」

「由里……? 赤羽……?」

「この前遊んだよね! おままごとして!」

「ああ、おままごと……」


 数日前にサヤカに『社会に馴染んだ方が人間と接触できる』と言われて参加した遊戯。


 それがおままごとだった。


 しかし、この園ではおままごとは男子の主戦場であったため、女子は集まらず、ナヤカは参加した初日に早々とおままごとの連中とは縁をキッパリと切ったのだ。


 にもかかわらず、こいつは話しかけてきた。


 しつこい男は嫌われるとはよく言ったものだが、断りまで無視する輩がいるとは。


「……話しかけないで」


 ナヤカは強い口調で吐きながら、距離を取った。

 あっけとする由里と言っていた人は頭の上に疑問符を浮かべた。


「アタシはいいでしょ?」

「だめ。自分の生殖器に手を当ててから問いてみて」

「言ってることよくわかんない。ねえ、それより早くあそぼーよー」

「だから……」

「アタシ、キツネさんね! こーん、こーんって鳴くの! かわいいでしょ~」


 由里は自らが口火を切ると、子供特有の声で甲高く鳴いてみせた。


 手で猫の手を作って上下に手招きする姿はもはや猫だが、不思議と愛らしく見える。


「早く楽しいことしよーよー? 外でボーっとしてたらもったいないじゃん!」


 催促する由里の口調は徐々に機嫌を損ない始めた。

 ぷくーっと膨らんだ顔も爆発しそうなくらいに蒸発している。


 これ以上の口論は相手を刺激するだけ……最悪、問題になることもある……か。


「わかった。じゃあ、わたしも……その、キツネさん……やりたい」

「キツネさんは由里のだからダメ! 絶対にダメ!」

「ごめん……」


 由里は首をぶんぶんと横に振って大声を出した。


 巣の奪い合いみたいなものだろうか……? ここまで拒否する理由が理解に及ばない。


「ナヤカちゃんはなにがやりたいの? キツネさん以外だったらなんでもいいよ」

「わたしは、女の子の輪に入りたい」


 そして、サヤカに認められてサヤカから褒められるような功績を残したい。

 わたしにとって、サヤカは指標……だから――。


「じゃあ、ナヤカちゃんはみんなと仲良くする町の議員さんだね!」


 訊いたことのない単語だが、わたしにも役職が就いたらしかった。

 とりあえず相槌を打っておこう。


「ぎいん……可愛い」

「議員さんは可愛くないよ」


 わたしの役職は、可愛くないらしい。


「可愛いの、今度教えて」

「いいよ。でも、今はこっちで選挙の演説してて」


 横目で流しながらぶっきらぼうにそう吐き捨てた。


 随分適当にものを言う。本当に何の役職なのだろう。


「演説なら、いいけど……そっちは?」

「由里はね、お料理するの! こーん、こーんと鳴きながらお弁当を作るの!」


 人格が入れ替わったみたいにまたキャンキャンと由里はあざとく鳴いてみせる。


 お料理? キツネという動物は家庭に優しいらしい。


「上手にできるといいね」

「じゃあ、はじめ!」

「え、もう?」


 ナヤカがたじろいでいる間にも由里は腰を下ろして何かを取り出す仕草をしている。


「何をしているの?」


 後ろからおそるおそると尋ねてみると、横顔に映った由里の顔は眩しいくらいに笑みを浮かべた。


「今日はね、朝ごはんにグラタンを作ったの! えびも乗せたから食べてみて?」


 由里は、くるりと半回転してこちらに振り向くと、自分の胸元程度の長さのお皿を取り出すように両手を広げて、ナヤカの眼前に寄越した。


 曇りのないまっすぐな眼差しを当ててくる熱量で本当に物体が見えそうな気がする。


「えっと……」

「あ、ごめんなさい! 冷まさないと熱いよね」

「……そう、わたしは猫舌……だから」

「グラタンはスプーンがいい? お箸がいい?」

「スプーンでいいよ」


 そう言ってスプーンを受け取るはずが、由里はスプーンを持っているはずの右手を自分の頭上に持っていって一向に渡そうとはしない。


「違うでしょ?」


 なんなら怒っているらしい。


「すみません」


 由里はため息をつきながら、右手に持ったスプーンでお皿からグラタンをすくい、


「はい、あーん♡」


 右手をナヤカの口元に寄せた。


「……?」

「どう、美味しい?」


 わたしは赤子なのだろうか? どうやら、由里に食べさせてもらったらしい。


「なめらかな口触りで……美味しい」

「そう、よかった!」


 瞬間、花が満開になるように由里の顔はくしゃくしゃに笑みを浮かべる。

 まるで、女子のような顔をする。


「さあ、演説を始めて!」

「え……? なにを?」


 お茶の間の束の間、由里は安堵するナヤカに間髪入れることなく手を叩いて促した。


「議員のお仕事でしょ。ちゃんとお仕事しないとお金はもらえないんだよ」


 それは痛いほどわかっているけど……。


「ねえ、はやくー。ご飯が冷めちゃうよー」


 こうなったらサヤカの真似で――


「わ、わたしは慈悲深い。故に仲間を見捨てることもできない。だが、そんなわたしの弱さを支えてくれる仲間がいれば、わたしは誰一人とて仲間を失うことはない、だろう~」


 うる覚えだけど、どうかな? 私的、手ごたえはあったんだけど……。


「難しい言葉使わないで! それに議員さんは投票してくれーって言う人でしょ?」

「ごめん……わたし、ぎいんさん知らない……」

「知らないのぉ?」

「うん、ごめん……」


 一般教養知識はまだ追いつけていない、今度サヤカに訊いておかないと。


「仕方ないなぁ……。じゃあ、わたしのグラタンの感想を演説して!」

「口当たりが滑らかで、クリーミーな味わいの海老グラタン……で、す?」

「じゃあ、明日、由里がお弁当作ってくるからそれの感想も演説して!」


 明日というのは設定上の話だろうか、明日はこの前食べた海苔の入った米がいい。


「明日のお弁当はなに?」

「そんなのまだ分からないでしょ。明日作るんだから」

「それも……そうか」


 ネタ晴らしもまた、明日……と。


 凝ってる。


「でも、パン一つなんかよりは豪華にするんだから!」


 そうしてもって、どこか史実に忠実。


 なんで、わたしがパン一つで昼飯を済ませていることを知ってる?




 帰り際。


 由里は迎えに来た母親に飛びつくように抱きつくと、楽しそうに話した。

 園内では気を張った振る舞いに見えたが、家では甘えん坊のように見える。


「ナヤカちゃん!」


 ナヤカはバツが悪いみたいに目線を横に逸らしながら、公衆に姿を現した。外の広場から黄色い声が園内に響く中、由里の母親らしき人物は娘の視線の先に気付くと、丁重に頭を下げた。ナヤカも釣られて頭を下げると、クスクスと微笑みの声が漏れて聞こえた。


「明日、楽しみにしといて!」


 由里の掛け声にナヤカは小さく、一回頷いた。


「バイバイ」


 ナヤカは非力にプラプラした右手を横に振って、由里の背中を見送った。


 そうか。

 わたしを友人、と捉えているからか。


 視線は……感じない。


 幸い、サヤカは女子グループの輪で談笑しているみたいだった。

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