第17話 過去の師弟と現在の師弟

『そうじゃないよ、オルティナ。

 魔法に頼りきった戦い方は良くない』


 ――懐かしい声が聞こえる。


 紫紺の瞳と髪色をした女性がそう言うのに、たしなめられた少女――幼い頃のオルティナは食ってかかった。


『どうしてですか?

 私の魔法なら、大抵のモンスターには難なく勝てるのに』

『継戦能力の問題さ。

 迷宮区は深く潜れば潜るほど、帰り道もまた長くなる。

 魔法一辺倒ではいつ魔力切れになるかもしれないだろう?』


 これは夢だ。

 オルティナは眠りの中でそれを自覚する。


 いや、どちらかといえば記憶と呼ぶべきだろうか。

 なぜならこれらの会話は全て、過去で実際に行われたことだ。


『帰り道って……師匠の転移魔法があれば一瞬じゃないですか』

『はっはっ、確かに。でもねオルティナ。

 お前だっていつか私の元を巣立つ時が来る。

 そうしたら困ったことになるだろう?』

『……じゃあ、私も転移魔法を覚えるので、教えてくださいよ』


 幼いオルティナがそう言うと、彼女の師匠――ヴァイオレットが『こいつめ』と笑う。

 それにつられて、記憶を見ているオルティナも笑った。


(昔の私、こんなに聞かん坊だったっけ?)


『やれやれ、反抗期というやつかね。昔はもっと素直だったのに……』

『マカさんみたいなこと言わないでください。

 そういう師匠は、昔から基礎ばっかりしか教えてくれませんよね。

 いつになったら応用に入るんですか?』

『まだまだ当分先だ、ひよっこめ』

『ひよっこって……これでも最年少で深層に潜った探索者なのに。

 まだ駄目なんですか?』

『私と一緒に、だろう?』

『それじゃあ一人で潜る許可をくださいよ!』

『だーめー。ほら、分かったら武器術も鍛えて手札を増やすんだ。

 そうだな……槍なんか良いんじゃないか? リーチを取れるし」


 形になるまでは魔法禁止だからな、と言って意地の悪い顔をするヴァイオレット。

 オルティナが不満そうにむくれる。


(懐かしいな……)


 もう何年も昔の、けれど確かにあった温かな記憶。

 それを微笑みながら見ていると、突然、夢の中の景色が一変した。


 薄暗くひやりとした洞窟の中。

 5年前、迷宮区の最深部とされていた深層55層だ。


 そこで――ヴァイオレットが、人型のモンスターに胴を貫かれていた。


『オル……ティナ……』


 口から血を吐き出しながら彼女は言う。


『や、れ。私、ごと……』

『そんな…………無理です、師匠! 私には……』


 オルティナが絶望の面持ちで答えると、ヴァイオレットは力なく笑った。

 その顔はいつも言うことを聞かない彼女を叱るときと同じ、仕方なさそうな笑みで、


『オルティナ……お前は■■■■■■■■』


 ――まただ。


 記憶を振り返るとき、いつもこの時の言葉が思い出せない。

 敬愛する師の最後の言葉だったというのに。


『師匠、いま助け――』


 オルティナが駆けだそうとすると、洞窟に魔力が走り、彼女の体は光に包まれる。

 ヴァイオレットの転移魔法だ。


(……倒すべきだった)


 例え師を殺すことになろうとも。


 オルティナは転移魔法によって地上へ帰還することが出来た。

 しかし彼女の師は、ヴァイオレットの肉体は、今も迷宮区の奥深くに囚われたまま。


 結局、自分は最後まで不肖の弟子だったなと、夢の中でオルティナは自嘲する。


 意識が浮上していく。

 どうやら夢の中の転移魔法は、地上ではなく現実へと連れて行ってくれるようだ。


(ねぇ、師匠。あのとき私に何て言ったの?)


 未熟者か、役立たずとでも罵ったのだろうか。

 きっと恨み言であろうけれど、どんな言葉だとしてもオルティナは思い出したかった。


(待っててね師匠)


 不出来な弟子だろうと、必ず仇は取る。

 そうしてヴァイオレットの遺体を回収することが出来たなら、きっと最後の言葉も思い出せると信じて。








「うっ……」


 ぱちり、とオルティナは目を覚ました。

 朝日がまぶしい。

 どうやらあの夢のせいか、いつもより早く起きる羽目になったようだ。


「頭痛い……。さてはマカのやつ、お酒を出したな……」


 オルティナがズキズキと痛む頭に手を当てながら起き上がる。


 すると、ふわりと良い香りがした。

 よくマカの店で出してもらうスープの匂いだ。

 さらに耳を済ませれば、小気味いい包丁の音も聞こえる。


(マカが来てるのかな……?)


 どれだけアルコールに弱いのか、オルティナには昨晩の記憶が曖昧だった。

 どうやって家に帰ってきたのかすら記憶にない。


 でもきっと、酔いつぶれた自分をマカが運んでくれたのだろうと思っていた。


(文句の一つでも言ってやるべきか……)


 それとも運んでくれたお礼を言うべきか。

 いや、そもそもアイツのせいだしな、と苦笑しながら、オルティナは寝室の扉を開ける。


 そうして居間に入る彼女を出迎えたのは、筋骨隆々の酒場の店主……ではなく、


「あっ、おはようございます! オルティナ様!」


 エプロンを掛け、包丁を手にするラピスが台所に立っていた。


 普段身に着けている皮鎧の代わりにベージュのエプロンをまとった彼女は、オルティナに向かってにこりと微笑む。


「お加減はいかがですか? すみません、勝手に台所お借りしてます」

「な、なんで貴女がここに?」

「ふふふ、覚えていらっしゃいませんか?

 昨晩、オルティナ様はお酒を飲んですぐ眠ってしまわれたので、私がお家までお送りしたんですよ」

「そ、そう……それはごめん。迷惑をかけた」

「とんでもありません! お役に立てて嬉しいです。

 あっ、お腹減ってませんか?

 スープを作ったんですよ! サラダはもう少々お待ちください!」

「ありがとう……」


 朝は弱いオルティナが、ラピスの元気に押され目元を抑える。

 朝日より眩しい、と彼女は思った。


 ラピスに促されるまま、顔を洗ってテーブルに着くと、パンにサラダ、スープが手際よく並べられていた。


 健康的だ、とオルティナ基準では豪勢な朝食に、とりあえずラピスの不法侵入についてはこれ以上言うまいと考える。

 元をただせば、自分のせいでもあることだし。


「どうぞ、召し上がってください」

「……頂きます」


 オルティナが祈るように手を組んでから食事へと手を付ける。

 それをラピスは意外そうな目で見つめていた。

 なんとなく、オルティナは食事前の祈りなど細かな所作は放り投げるタイプだと思っていたからだ。


 なお、普段であればラピスの言う通り『形だけの礼儀など知るか』といったオルティナであるが、昔はよくヴァイオレットにたしなめられていた。

 しっかりと夢の内容を引きずっているオルティナだった。


「い、いかがでしょう?

 マカさんに教えて頂いたレシピで作ったんですが……」

「まぁまぁかな」

「本当ですか!」


 ラピスが嬉しそうにするのに、オルティナが首を傾げる。

 彼女の知り得ないことだが、マカからオルティナの言う『まぁまぁ』は『美味しい』という意味だとラピスは聞いていた。


(そういえば、料理が得意とか言ってたっけ。それにしても……)


「おかわりもありますから、いっぱい召し上がってくださいね、オルティナ様!」

「ねぇ……いい加減その『オルティナ様』って言うの止めて」


 はぁ、とスプーンを置いてオルティナが顔をしかめる。


「そ、そうでした。昨日もご指摘されたのに……申し訳ありません」

(昨日も言ったっけ?)

「では、そうですね……」


 チラリ、とオルティナを見るラピスは恥ずかしそうに、


「師匠……とか?」

「…………」 


『師匠!』


 夢の中の声がフラッシュバックする。

 それに胸が痛むのを感じながら、オルティナは「まぁそれでいいよ」と事もなげに返した。


 だが、ラピスは心配そうに彼女へ尋ねるを。


「あの、本当に『師匠』とお呼びしていいんですか?」

「? 別にいいけど。昨日の試験には……その、合格したんだから。

 そうでしょう?」

「はい……。でも、オルティナ様――すごくお辛そうな顔をしてました」


 スープをすくおうとしていたオルティナの手が止まる。


 まさか顔にまで出ていたとは。

 オルティナ自身、あまり表情豊かな方ではないと思っている。

 それでも見抜かれるほどだったか、と彼女は苦い顔をした。


「気のせいだよ。……二日酔いのせいだから」

「あっ、なるほど。そうでしたか」

「それより、私の弟子になったからには厳しくいくから。覚悟して」

「っ、もちろんです! よろしくお願いします!」


 気合十分といった様子のラピス。

 なんとか誤魔化せたか、とオルティナは肩の力を抜いた。


「それじゃあ早速だけど、朝食が終わったら準備して迷宮区に行くよ」

「迷宮区……ってことは――」

「そう。貴女の大好きな……ダンジョン配信をする」


 忌々しそうに言ったオルティナとは対象的に、ラピスが元気よく「はい!」と答えた。

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