033 相変わらず意外性の塊だな

 夕食の時間が近づいてきた。


「汗でベトベトだからシャワー浴びてくるね」


 歩美が練習を切り上げる。

 彼女の首筋からは汗が流れていた。

 カッターシャツは湿気って、インナーシャツが透けている。

 もっと言えば、そのさらに奥のブラジャーまで見えていた。

 なかなかにエロい黒のレースだ。


(歩くだけであそこまでエネルギーを消耗するんだな)


 歩美の後ろ姿を見ながら思った。


「俺は……水野の様子でも調べておくか」


 ラインを開き、水野にチャットで話しかける。

 内容は「通話をかけても大丈夫か?」というもの。


 水野に対しては、通話の前に許可を取るようにしている。

 着信があると画面が切り替わってしまうからだ。

 もしも切迫した状況だったら邪魔になってしまう。


 水野から即座に返事が届いた。

 向こうもちょうどかけようと思っていたそうだ。

 俺は通話ボタンを押し、ダイニングに向かう。


『先輩! 寂しかったっす!』


 事前に許可を取っただけあり、水野は一瞬で通話に応答した。

 俺が「もしもし」と言う前から話しかけてくる。


「問題ないか?」


『大丈夫っす! 順調っすよ! 距離は全然っすけど!』


 ダイニングテーブルの席に着く。

 キッチンで調理中の千草がこちらに気付いた。


「水野君?」


 そう言って近づいてくるので、俺は頷いてスマホをテーブルに置く。

 スピーカーモードをオンにして、千草にも声が聞こえるようにした。


「水野、スピーカーにしたぞ。千草も一緒だ」


『峰岸先輩ぃ!』


「あはは、元気そうでよかったよ、水野君」


『先輩の手料理が恋しいっす!』


「また作ってあげるね」


『その言葉を胸に刻んで頑張るっす!』


「それで水野、本当に問題はないんだな?」


『周りに海しか見えないこと以外は大丈夫っす!』


「ちゃんとメシを食っておけよ」


『それはもう完璧っす! ただ……』


「ただ?」


『食べた後が問題っす』


「食べた後? どういうことだ?」


『ウンチをするのにウェットスーツだと辛いっす!』


 俺は苦笑いを浮かべた。

 千草も「やめてよ」と呆れている。


『それより先輩、一つお願いしていいっすか?』


「なんだ?」


『先輩のことだから、自分の部屋はまだそのままっすよね?』


「もちろんだ。もしも仲間を増やすとしても、お前の部屋は使わせないよ。戻ってきた時に備えてずっとそのままにしてある」


『それでしたら、自分の代わりにトマトの栽培をお願いできないっすか?』


「トマトの栽培?」


『自分の部屋を見てもらうと分かるのですが、家庭菜園用のプランターが置いてあるっす。仲間に加えてもらった日に先輩からいただいたお金で買ったやつっす』


「相変わらず意外性の塊だな、お前は」


『そのプランターにトマトの種を蒔いて育てていたのですが、忘れていたっす! よかったら代わりに育ててやってほしいっす!』


「それはかまわないが、室内で大丈夫なのか? 日光に当てる必要があるんじゃ?」


『日光に当てるのは発芽してからっす! 発芽するまでは室内でOKっす! 詳しい方法はググってくださいっす!』


「ああ、分かった。ならプランターは俺の部屋に移しておくぞ」


『了解っす! じゃ、通話を終えるっす! 他の先輩方にもよろしく伝えておいてくださいっす! ではまたっす!』


 水野はこちらの返事を待たずに通話を切った。


「水野君って本当に変わっているよね。種まきから始めるなんて本格的」


「普通は苗からだよな……って、そうじゃねぇよ! そもそもトマトを育てようとすること自体がおかしいから!」


「あはは、たしかに」


 俺は席を立つ。


「忘れる前にプランターを自分の部屋に移してくるよ」


「はーい」


「あ、そうだ、千草、発芽っていつするか分かる?」


「ううん」


「ならググっておくか」


 俺はダイニングから離れて水野の部屋に向かう。

 歩きながらトマトの家庭菜園について調べてみた。


 どこもかしこも当たり前のように苗から始まっている。

 種まきから始める本格派は少ないようだ。


 それでも、いくつかのサイトを見ていて分かった。

 基本的には数日から1週間で発芽するようだ。

 遅くとも2週間。


「もっとかかるかと思ったが、発芽まではすぐなんだな」


 独り言を呟きながら水野の部屋の扉を開ける。


「おいおい、なんだこれは……」


 部屋の中を見て驚愕した。


「なにかの間違いか?」


 俺は慌ててスマホを確認する。

 それからもう一度水野の部屋を見た。


「どうなってんだ……」


 見間違いではない。

 プランターのトマトは既に発芽していた。

 しかも、ただ発芽しているだけではない。


 もうすぐ実ろうかというほどに成長しているのだ。

 プランターに刺さっている柱へ絡まるようにして主枝が伸びている。

 とても「種を蒔いたばかりです」という風には見えない。


 俺は水野にラインで確認してみた。

 プランターを撮影し、チャットで事情を尋ねる。


 水野の返事は「なんすかこれ!?」だった。

 どうやら彼にとっても予想外のようだ。


「これもこの島の特性なのだろうか……?」


 とにかく俺の手には余る状況だ。

 俺は再度の通話を行い、水野に対応を決めてもらう。

 自分のプランターなら好きにするが、これは水野の物だからな。


 結果、プランターは外へ出すことにした。

 理解不能の事態だが、発芽を終えていることに変わりない。

 ならば日光に当てて育てるのが一般的だ。


「ここでいいか」


 プランターは洞窟を出てすぐのところに置いた。

 我が土地の上だから何者にも邪魔をされることはない。

 それから購入したジョウロで水を撒いておく。


「明日になって実が生っていたら笑うよなぁ」


 すこやかに成長しているトマトを見ながら呟く。


「……まさかな」


 まだ着果も終えていない。

 さすがに昨日の今日で結実とはいかないだろう。

 ――という俺の思いは間違っていた。


「嘘……だろ……」


 翌朝には真っ赤に熟したトマトが結実していたのだ。

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