第4話

 ――ウィーン――


 エレベーターが鈍い音をあげながら上昇する。その音が耳に入らないほど世那の心臓はバクバク鳴っていた。


 どうしよう、どうしよう。……頭の中で言い訳のように言葉を繰り返したが覚悟はできていた。彼はしたがっている。私もしたい。だって、久しぶりだもの。……同僚との深い交わりが、後日、会社を居心地の悪い場所にするかもしれないなどと考えることはなかった。


 エレベーターは5階で止まった。


「501号室です」


 彼に促され、先に下りて左右に目をやった。廊下に並んだドアは三つだけ。501号室は廊下の左、突き当りだった。


「あったわ」


 501号室に向かって歩く。彼が追い越していって、スマホをかざしてロックを解除した。


 ドアを開けると照明が点灯する。目に飛び込んできたのは、ふかふかの絨毯にゴージャスな応接セットが鎮座する広いリビングだった。酒類のボトルが並んだサイドボードやテレビ、VRゲームセット、キッチンロボット、AI端末が壁際に並んでいる。ベッドルームとバスルームは、サイドボードの隣にある両開きのドアの奥にあった。


「すごい! 豪華ね。これがスイートルームというものなのね」


 ラブホテルとはいえ、昼食付なら彼の半月分の給料が要っただろう。初めて見るスイートルームに感激し、世那はベッドルームに駆け込んだ。キングサイズのベッドと使用目的が不明な機器が並ぶ部屋だった。


 ベッドにダイブする。身体は寝具に軽く受け止められ、まるで空を飛んでいるような感覚に見舞われた。


「ん?」


 ――ドドドドド――


 どこからともなく鈍い音がした。心なしか床が振動している気さえする。


「隣のビルの解体工事の音ね」


 頭を持ち上げて天井を見上げた。その先に重機が旋回し、青い火花が鉄骨を焼き切る過酷な現場があるはずだ。


「角部屋だから良いと思っていたのに……」


 背後に立っていたレンの顔に影が走った。


 余計なことを言った、と後悔した。


「音楽を掛ければ大丈夫よ。……ねえ、AI、ロマンチックな音楽を掛けて」


 枕元のAI端末に声をかけると部屋の四方から音楽が流れた。聞き覚えのある映画ミュージックだけれど、タイトルは思い出せなかった。


「大丈夫かな?」


 少しだけ表情を明るくしたレンが隣に腰を落とすと世那は弾んでバランスを崩した。その身体を彼に抱きとめられた。


「先輩……」


 彼の大きな瞳に見つめられ、世那は頭がくらくらして目をつぶった。すると、唇に彼の唇が押し当てられた。暖かい甘美な感触……。


 彼はその先に進もうとしていた。舌が世那の唇を割ろうとした。そして2人の歯と歯がぶつかって嫌な音をたてた。彼が慌てて身体をひいた。


「……ゴメン」


 今にも泣きそうな顔。それを見るだけで世那の胸も痛んだ。


 やはり彼は童貞なのだ。……確信が世那を強くした。


「大丈夫よ。順を追って進めましょう……」


 私がしっかりしなければ。……お姉さんが童貞を奪ってあげる。そう口走りそうになり、私変だ、と苦笑する。


「……こういうときは、……まず、シャワーよ」


 ピョンとベッドを飛び下り、彼の手を引いた。


「いいの?」


「そのためのデートでしょ」


 世那は躊躇ためらう彼を裸にした。着やせするタイプらしい。裸の彼は筋肉隆々、野生の肉食獣のようだ。ただ、あそこはキュンと委縮していて可愛らしい。そんな彼の背中を押してバスルームに向かった。


「すごい、広いのね。さすがスイートルームだわ。安月給なのだから、無理をしなくてよかったのよ」


 ピンク系のタイルでまとめられたバスルームは世那の部屋ほどの広さがあった。中央に流線型が美しい真っ白なバスタブがあり、アスレチッククラブにでもあるようなベンチやマットが備えられていた。


 ここで、あんなことや、こんなことをするんだ。……彼の股間に目が行き、胸が高鳴る。


「お湯をためるわね……」蛇口をひねった。「……先に使って。私も準備をするから」


 レンを残して一旦バスルームを出る。大理石でできた洗面化粧台の鏡に自分を映し、やるわよ、と覚悟を促した。その顔は半分緊張し、半分にやけていた。彼は今頃、見慣れない設備の使い方を考えているだろう。


 初めにすることは裸になることだった。イヤリングとネックレス、ブレスレットを外して洗面化粧台の目につくところに置く。そうしてワンピースのファスナーに右手を伸ばした時だった。


 ――ズゴォーン――


 轟音と共に建物が揺れた。

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