第25話 私たちの友母戦争(前)

 校門の前に、橘さんの母親が立っているのが見えた。

 まさか、学校にまで来るなんて。そんなわけないと思っていたのが完全に迂闊だった。


 向こうも私たちに気付いたのか、目線が鋭く、冷たく変わる。

 橘さんが一歩ずつ、ゆっくり母親の方へ歩み寄っていく。私は自然に歩けばいいのかそれとも他人の振りをすればいいのかわからずただ立ち止まる。


 橘さんが母親と話している間に通り過ぎようと思ったけど、完全に目をつけられてしまった。

 通り過ぎる瞬間、声をかけられてしまった。


「あなたが高田 葵さんね」


 私より10センチほど高い背丈から鋭い目つきで見下ろされて、思わず足がすくむほど怖い。女性にしては背が高いから、自分がさらに小さく見えてしまう。

 眼圧に負けないように私も目線を合わせるけど、完全に猫と鼠みたいな力関係だ。


「あなたも懲りないのね」


 その声は、電話で聞いた時とほぼそのまま。拒絶と怒りと、悪意がすべてこもったような、重い声。

 だけどそれに負けてしまったら、いつまでもこの状態のままだ。


「はい。橘さんとは仲良くさせてもらってます」


 虚勢でも強気で、そう返す。

 それを見てか橘さんの母親はかるくため息をついて。


「ここで話すのもだから、とりあえず家に来なさい」


 え、とおもわず素っ頓狂になってしまう。関わってほしくない人を家に呼んだりなんかするだろうか。

 そうは思ったけど、流されるまま結局お邪魔することになって。


 普段と反対の電車に乗ってしばらくすると橘さんの家のそばに着くらしい。そんなことを前に聞いていたけど、車中では誰もしゃべらず、ただ静かでピリピリとしていた。


 ◇


 閑静な住宅街にある駅を降りて、すぐのところに橘さんの家はあった。

 4階建てのビルの2階、橘さんの親がやっているらしい事務所の応接室に通される。


 木でできた脚にガラスの天板な校長室とかにあるような高級な机、見るからにおしゃれな陶器に入った紅茶。

 普段と全く違う部屋に、私と隣に橘さん、反対側には橘さんのお母さんが座っている。

 嫌な気迫こそなくなったけど、内心歓迎していないのは変わっていないらしい。


「さて、まずは改めて初めまして、ね。橘 澪の母です」


 無口でぺこりと頭を下げる。こういうときでもちゃんと礼儀が正しい分、向こうの主張が正しいような気になってしまう。


「それで、うちの澪と関わらないで欲しいって言ったはずだけれど」

「なんでですか。澪ちゃ……橘さんに迷惑をかけないようにしてきたと思いますけど」

「その理由も澪から聞いてないのかしら」


 そう言って橘さんの方を母親が見つめる。橘さんはただ俯くだけだ。

 見てていたたまれなくなってきたので、私から前に出る。


「いえ、簡単には聞きました。私が不登校だったから、って」

「そうね、いつの間に不登校ではなくなったみたいだけど」

「そうだったとして、何か問題があるんですか」

「それは自分たちが一番わかってるのではなくて? 学力の問題もそうだし、周りと違う時期から学校に行くってことはコミュニケーションの問題もあるでしょう?」


 正直、言っていることは全部もっともだ。そもそも全部、自分自身で感じてきたことだし。


「それでも、不登校だから関わるな、っていうのは意味が分からないんですけど」

「そう、なら言い方を変えるわ。澪の邪魔だから仲良くしないで欲しいの」

「ちょっとお母さ――」

「澪は黙ってなさい」


 そう一蹴されて、また橘さんが黙り込む。


「澪は医学部へ進学するために勉強をしなきゃいけないの。だからあなたたちと呑気に遊んでいる理由はないのよ」

「それは橘さんが望んで?」

「もちろんよ」


 橘さんの方を睨んで言ったので隣を見たら、諦めを顔に出しながら頷いた。

 学校を出てから橘さんはほとんど何も喋らなくて、不安が募っていく。まぁお母さんに黙殺されてるわけで、諦めになっちゃうのもわかるけど。


「でもね、葵ちゃんはとっても大切な友達なの。ちゃんと勉強も今まで以上に頑張るし、友達づきあいは許してくれないの……?」


 涙目、そして何度も途切れながら救いを求めるかのように、橘さんが問いかけて。


「無理ね、だって勉強に必要ないじゃない。友達が増えて点数が上がるのかしら?」


 いくら問いかけてもその声は届かず、そのまま泣き出してしまった。

 何度もえずくのがとてもつらく見えて、背中をさすりながら私が反論する。


「勉強に必要ないからいらないって、早計過ぎないですか?」

「それともあなたたちが娘を医学部まで連れていけるほど賢いのかしら?」


 そう言われちゃおしまいだ。橘さんは前回の定期テストで全教科学年トップだったらしいし、普段の予習の量とかもたぶん段違いだ。

 

「やっぱり時間の無駄だったようね。何もないなら帰ってくれないかしら」

「待ってください。橘さんはみんなと仲良くすることを望んでいるのに、お母さんがそれを無理やり制限するんですか?」

「あら、あなたが私より澪をわかってると?」

「少なくとも、このことに関しては」

「どう知っているというのかしら」


 正直あまり思い出したくない思い出でもあるけれど、記憶の底から引っ張り出して。


「本当はどうなのか知ることはできないですけど。旅行の日、橘さんが過呼吸になったんです。理由はお母さんとのこと、とまでは話してくれたけど、ちゃんと教えてはくれなかったんです。たぶんこのことで悩んでたんじゃないかなって」

「澪!? 本当なの!?」


 親として心配なのはわかるから、お母さんに今だけは同情する。


「……うん」


 その素っ気ない返事を聞いて、橘さんのお母さんが驚いてるように見えた。

 今まで信頼していたのに、向こうからそう思われていなかった。そんなことを思ったのか。

 その顔に、昔の自分を重ねてしまった。

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