第14話 薔薇の様に真っ赤な君へ

「ふむ」

「い、いかがですか………?」


グルグルと左肩を回してみても、全く違和感はない。

むしろ調子がいいくらいだ。


「完全に治りましたね。流石エルザさんです。」

「い、いえ………そんな………私なんか………」


俺の狭い私室の中、一週間に及んだエルザによる医療魔術はようやく終りを迎えた。


自分自身に使えないことを除けば、改めてこの魔術の万能さに驚かされる。


普通だったら数ヶ月は病院に拘束されるような怪我でも、完治まで一週間足らずだもんな。


「にしても、大分無理をさせちゃいましたねぇ………この一週間でマナポーション何本飲みました?」

「む、無理なんて何もっ!!当たり前のことをしただけですっ!!」

「五十本くらい飲んでません………?」

「………五十八本です」

「………なんかすみませんね。お腹タプタプだったでしょう」

「〜〜〜〜ッ………」


真っ赤な顔をしてお腹を抑えるエルザさんの可愛さは国宝級。

今日も今日とて彼女の足元には空の瓶が整列し、何だか異様な光景だ。


「マナポーションの味って苦手なんですよね………エルザさんは大丈夫なんですか?」

「い、いえ………味は私もあんまり………」

「ですよねぇ」

「で、でも本当に当たり前のことをしただけですからッ!!」

「とはいってもねぇ………」

「こ、このポーションの代金も必ずお支払いします!!」

「はい?何でですか?」

「なんでって………あ、当たり前じゃないですか!!アルフさんが怪我をしたのは私の責任だし、その治療をするためにスカーレット様からポーションを恵んでいただいたんですから!」


すげぇ思考回路だな。

スカーレットは治療の謝礼まで用意してるっていうのに………どうしてそんな卑屈な発想に走れるんだろうか。

この一週間のエルザの精神は不安定極まりなかったからな………仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれないけど。


あ、ほら、また泣き出す。


「ほ、ほんとうにっ………本当にごめ――――」

「ハイ駄目ですよ。次謝ったら絶交するってスカーレット様にも言われてましたよね。私も絶交しますよ」

「ふぐぅっ………!!」


謝罪を止めようとして口を塞ぐ仕草がいちいち可愛い。

なんとも微笑ましい姿を笑ってみていると、今度は顔を真っ赤にしてもじもじし始めるし………若い女の子ってのは見ていて飽きないな。

………いやまぁ、肉体年齢的には俺も対して変わらんのだけど。


「あ、あのっ………」

「はい?」

「何か………他に私にできることはないでしょうか………」

「どうして?」

「ど、どうしてって………私は命を助けていただいたんですよ?」

「それはお互い様でしょう。それに私一人で助けたわけではありませんよ?」

「それは………そうですけど………」


俺を見つめるエルザの瞳が一気にうるみ始める。

………悪い兆候だ。

この一週間というもの、エルザにしろスカーレットにしろ、あの事件で心に相当な傷を負ったらしい。

スカーレットなんて人格に変化が出てるくらいだもんな。


「何でもやります。なにかご命令なさって下さい」

「ご命令って………じゃあ元気になって下さい」

「そ、そういうことではなくてっ!!」


ガシッ!!

と、伸びてきたエルザの手が服の裾を掴む。


「あのですね、怪我もこうして完治したんですから。もういい加減気にするのをやめていただかないと私も心苦しいというか………」

「だ、駄目です!」


なんでもっていう時は大抵、何でもよくないんだよな。

良く分かったわ。


「駄目ですと言ってもエルザさんには、十分すぎるほど奉仕していただいて………」

「も、もっと………!!」

「………あの」

「もっと奉仕させて下さい………」

「………。」


ポスっ………と胸の中に飛び込んできてしまったエルザの何とまぁいじらしいことか………。

まぁようするに………この子は自分の身を捧げたいのだろう。

ここ2,3日、手を変え品を変えずっとこんな調子だ。

しびれを切らしたのか、今日は最高潮に直接的。

どうしたもんだろうか。


「アルフさん………」


背中に手を回し、身体を密着させ、上気した顔で上目遣いにこちらを見つめてくる。


「なんでも………何でもします………」


うわ言のように繰り返す言葉は、呪詛のように彼女の興奮を高めていくらしい。


「好きになさっていただいて構いません………そ、その………母に大抵のことは教えられているので………何でもします………は、初めてですけど………上手くやります………」


なんつうことを教えてんだよお母さんは。

ゲームの設定どうなってんだよ、流石に初耳だぞ。


「アルフさん………」


俺の胸にグリグリと額を擦り付け、スンスンと匂いを嗅ぐエルザは大分出来上がっている様子だった。

………マナポーションって精力増強の効果もあるからな。

感情に歯止めが掛からなくなってるんだろう。


「エルザさん」

「は、はいっ!」


バッ!と顔を上げる彼女の瞳には喜色が浮かんでいて、しかし俺の顔を見た途端に一気に不安が滲む。


「私はなにかの見返りに女性を抱く行為をしたくありません」

「〜〜〜っ………」

「ただ、あなたに女性としての魅力を感じていないわけでもありません。信じていただけますか?」

「わ、私がアルフさんを疑うなんてこと有るはずありませんッ!! で、でも………ッ、だったらどうすればアルフさんは私をっ………」


………大分思い詰めてるな。

抱いてしまった方がいいんだろうか、なんて思いも無くはないのだけれど。


でもなぁ………。


―――――バンッ!!!!


と、開いた扉の向こうには、顔を赤くした般若が立っている。


「ひっ………!? ス、スカーレット様!?」

「………何してんのエルザ? 治療中は集中するために二人にしてくれとか言っといて、またうちの執事に色目?」

「こ、これはちがくてッ!!あの………し、触診をッ!!!」

「ふぅん?」


お嬢様がこれだからな………。もしエルザを完全におとせるなら………これ以上なくスカーレットには良いんだが。


「………離れなさい」

「い、嫌ですッ!!」

「は?」

「し、触診を………してます………」

「いい度胸ね? 一族郎党皆殺しにされたいわけ?」

「ス、スカーレット様はそんな事しませんっ!!」

「あら、あまり舐めないでくれる? 私はやると言ったらきっちりやるわよ? あんたの家族構成も全部調べてあるからね?」


調べるなよそんなこと。


「か、家族もわかってくれます!!」


家族を見殺しにするなよ。


「じゃあ分かったわ。明日から予定してたアルフからの食事の提供を中止する。そもそも、食費出してんのは私だし。私はアルフの料理食べられるし」

「ッ!!? そ、それだけはッ!! それだけはおやめ下さいッ!!」


………。


「三人でやろうって言ってた錬金術の勉強会も無しよ。材料費と施設使用料出してるの私だし。私はいつでもアルフから習えるし」

「離れますッ!!!はい!!ほら!!離れましたッ!!離れましたからッ!!!」

「アルフ、こっち来なさい」

「はぁ………」


エルザからの解放を受け、しぶしぶお嬢様に近づいていくと、今度はスカーレットが俺の胸に額を寄せて服の裾をつかんでくる。


「抱きしめなさい」

「はぁ………」


赤くなって俯いているスカーレットの頭に手をやり軽く引き寄せて胸に抱くと、エルザには効果抜群のようだ。


「ふぐっ………!!んぐぅぅううッ!!!」

「ふんっ!!♡」


………。

ここ2.3日、二人の関係はずっとこんな感じだ。

お嬢様は俺の正当な所有者として、エルザは俺の奉仕者として、それぞれがお互いに火花をちらし続けている。

お嬢様も真っ赤になって恥ずかしがるくらいなら、やめればいいのに………。

………仲いいのかな、これ。

エルザ………お嬢様のこと殺したりしないよな………?


「アルフ」

「はい………?」

「………」

「何でしょう………?」

「キ………キ………」

「………」

「………」

「………」

「キス………」


本当にやめればいいのに………。

ハインズに見られたらどうするつもりだよまじで………。


「ㇵ、ハインズ様に言いつけますよ!!」


ほら見ろ。


「何もやましいことはないわよ!!!」


嘘だろ?


「やましいですッ!!不純です!!そういうのよくないと思います!!」

「どの口が言ってんのよ!!発情した猫みたいな顔で私のアルフにくっついてたくせに!!」

「うぐっ………!!」


ギャーギャーとやかましいやり取りは結局十分以上続くことになった。

でもまぁ、何だかんだでここまでスカーレットと言い合えるようになった人物って初めてだよな。


「さっさとここから出ていきなさい泥棒猫!!」

「うぐぅ………」


ゲームの中でもあったセリフを言い放つお嬢様を尻目にスゴスゴ退散していくエルザは、


「アルフさん………」

「はい?」

「あの………最後にお耳に入れたいことが………」

「はぁ………」


―――――ちゅ


かがんだ俺の頬に小さく口づけをして、部屋から走り去っていった。


「あのエロネコぉぉおおおッ!!!」


スカーレットの怒りが収まるまでは、さらに二十分を要した。






◇ ◇ ◇







アルフが少しでも離れていると動悸がする。


「ではおやすみなさいませ、お嬢様」

「………」


あの事件依頼、私は自覚できるくらい心境の変化が起きていた。


アルフが死ぬかもしれないと思った時のあの恐怖は、今まで夢の中でさえ経験したことのないようなものだった。


「待って」

「はい?」


アルフが回復してからもあの時の恐怖心は消えず、むしろ日に日に大きくなっていく。


「寝るまでそばにいて」

「………かしこまりました」


あの時………学園で待っていた私達の元にアルフが運び込まれてきた時、アルフの胸には正体不明の紋様が浮かび上がり、ウネウネと動いていた。

アルフに聞いても心当たりがないみたいだし、お父様に連絡して調べてもらっても何もわからない。


ただ、あの時心臓を痛がっていたアルフと、あの紋様が関係しているのは間違いがないように思える。


「………頭なでて」

「はいはい」


紋様はすぐに消えたけど、もしまたあの紋様が突然現れたら、しかもそれが私が寝ている間に起きたら………、離れている間に起きたら………。


「………。」

「あの、掴まれると撫でられませんが?」

「………。」


怖い。


アルフを失う未来なんて今まで想像もしたことがなかったから、それがどんなに恐ろしいことなのかも考えたことがなかった。


十二年という歳月を共にしたアルフは、私の半身であることを自覚した。


「………やっぱり一緒に寝て?」

「嫁入り前の身で何言ってるんですか………」

「言うこと聞けないってわけ?」

「節度は守っていただかないと」

「ぬぅ………」

「可愛い顔しても駄目です」


………。

お、怒っただけなんだけど。

か、可愛いって何よ。


そう言えばこいつって昔からそうよね。

すぐに女性に対してきれいだの美しいだの平気で言うし………まぁ私が一番言われるけど。


それにエルザにだってそうよ。

今日だってあんなにくっついて迫られて………まぁ私のほうがくっついてたけど。


………こいつ結構女好きなのかしら。

何だかんだで恋人とか居るとは思えないけど。

それとも私の見えない所でマーガレットとそういう事してたのかな。

………。


「………ねぇ」

「はい?」

「あんた、マーガレットのことが好きなんでしょ?」

「なんですか藪から棒に」

「答えなさい」

「………好きですが」


………。


「………ふぅん?」

「何なんですか」


………。

良かったじゃないマーガレット。

好きですってよ。

今のセリフ聞かせてやりたいわね。

あの子、聞いた途端に卒倒するんじゃないかしら。


「じゃあエルザは?」

「好きですね」


私がガバッ!!と身を起こして睨みつけても、アルフは涼しい顔をしたまま。

…こいつ………。


「………ミリアは?」

「うーん………」


………そこは言い淀むのね。

まああの子なんか裏表激しくて怖いし、分からなくもないわ。悪い子じゃないと思うけど。


「クルト」

「怖いです」

「………どこが? じゃあビアンカ」

「強いです」

「………好きかどうか聞いてんだけど?」

「正直な話一番興味ありますね。鍛錬の相手として申し分ありません。たぶん私とさして変わらない実力をお持ちでしょう。」

「………。」

「………。」

「………寝る」

「はい、おやすみなさいませ」


………。


………………。


「ねぇ」

「はい?」


………。


「私は?」

「………。」


………。


「………。」

「………。」


………。


「キスするわ。動かないで」

「………。」


………。


「………。」

「………。」


………。


「………ん………………。」

「………。」


………。


「………ぷぁ………。」

「………。」


………。


「………。」

「………。」


………。


「………これからは………」

「………。」


………。


「寝るときと起きるときに必ずキスしなさい」

「………。」


………。


「………おやすみ。寝るまでそこに居て」

「………。おやすみなさいませ」


………。


アルフは、結局その命令は無視することにしたらしかった。


けど、


「………。」

「………まだ寝れませんか?」

「………うるさいわね。寝つきが悪いのよ」

「そうですか」


キスした瞬間の真っ赤に染まったアルフの顔は、それから毎晩のように私の夢に現れるようになった。



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