第3話 入学式②

乙女ゲーム『聖ウィリアム王国物語~恋する聖女と5人の王子~』


かつて妹にクリアさせられたクソゲー世界に、今俺は住んでいる。


基本的なゲームシステムとしては一般的な恋愛趣味レーションといったところで、頭にお花畑ができそうな臭い台詞と、そうはならねぇだろうというご都合展開にまみれた大ヒットゲームらしい。

どこかで見たような主人公に、どこかで見たような育成システム。

どこかで見たような聖なるアイテムと、どこかで見たようなイケメン王子達+隠しキャラ。

どうしてこんなのがヒットするんだとは当時は思ったものの、流行は巡るって言葉もあるくらいだ。俺にとってはくだらないと思える内容でも、妹たちの世代にとっては一周回って新しく感じられたのかもしれない。

俺が好きじゃないタイプの、線の細い女性向け漫画タイプのキャラ絵達を攻略しなければいけなくなったあの夏休みは、死してなお今も記憶に残って俺を苦しませている。

そしてそんな俺を苦しませることになったゲームの冒頭部分に、12年をかけて俺はようやくたどり着いたのだ。


馬車から降り立ってまっすぐにプロローグの場面へと近づいていくと、地面にへたり込んでしまった茶色いセミロングの髪の少女と、いかにもサブキャラっぽいというか、顔の特徴は強くないものの身だしなみは美しい少女が目に映った。


「あんたねぇ!!! 平民の分際で割り込んでくるってどういう了見よ!! うちの馬が怪我したらどうするわけ!?」

「も、申し訳ございませんっ……そのっ………決してそんなつもりでは………」

「はぁ!?そんなつもりじゃなかったってどういう事よ!? じゃぁ何!? うちの御者がわざとやったって言いたいわけ!?」


そんな声が聞こえてくると、前世から受け継いだ記憶が鮮やかに蘇ってくる。

あぁ確かにこんなセリフだったなぁとか思い出しながらさらに距離を詰めていくと、やがて地面にへたり込んでいた少女と目が合った。


エルザ・クライアハート。

スカーレットとはまた別の系統だが、やはりこうして現実の顔を見ると度肝を抜かれる程可愛い。

ただ今はその顔は青ざめて恐怖に震えており、新品の学生服には泥が付き、よくよく見ればあらわになった膝からは血が流れている。


確か………何か事情があって急いでいたはずだ。

昔から書き溜めてきた攻略情報を見返したい所だったが、今からおさらいをしている時間もない。

忘れているってことは、大した情報じゃないんだろう。

それよりも、今はさっさとこの場を片付けてしまわなくては。


「もし。どうなされましたか?」

「はぁ?」


貴族の娘、ミリアに声をかける前に一瞬振り返ったオズワルド家の馬車の窓には、鼻をくっつけるようにしてこちらを睨んでいるスカーレットの不満顔が見える。

ロイヤルブラッドの権化のような彼女は、良くも悪くも短絡的で豪胆だ。

下手にここでの対処を長引かせれば、しびれを切らして馬車から降りてきてしまう可能性が高い。

そんなことになってしまっては堪らない。


「レディに不躾に声をかける非礼をお許しください」

「あ………い、いえ………」


迅速を心掛けつつも、禍根を残さないように丁寧に。


仁王立ちになって座り込むエルザを見下ろしていた貴族の少女がこちらを振り返った瞬間、一瞬にしてその目がこちらの顔を捉え、ポンッ!と朱色に染まったのを見て、内心ため息がつきたい気分だった。

またこの世界特有の惚れっぽい登場人物なのに違いない。

この場の禍根は残さずに済みそうだが、面倒ごとは残る可能性が出てきた。


「私はアルフ・ルーベルトと申しますしがない執事でございます。」

「あ………わ、私は……」

「ミリア・ヴィルティーニ様とお見受けいたしますが、間違いございませんでしょうか」

「あ………え………えぇ、そうよ……ど、どこかでお会いしたかしら?」

「以前、主人に付き従って参加した王城でのパーティーの際、ミリア様が奏でる美しいフルートに感銘を受けたしだいでございます」

「そ、そう………」


一歩前に進み出て、ミリアに正対すると、彼女は途端に身体をモジモジとさせはじめ、視線を泳がせたり、時折こちらの目を盗み見るように見つめたりと忙しない。

彼女が視線を泳がせた隙に一瞬だけ地面に座り込むエルザへと目を向けると、彼女はポカンとした表情でこちらの事を見つめていた。

何とも邪気がないというか、さすがはヒロインというか。

この少女が俺とスカーレットにとって最大の敵であるはずなのに、呆けた表情を見ているとそんな感情もどこかに流されて行ってしまいそうになる。


「それで……その………アルフ様のご主人というのは……?」


クイ…と服が引っ張られる感覚に意識が戻されると、いつの間にか先ほどよりも近づいてきていたミリアが真っ赤な顔のまま上目づかいにこちらを見つめて来ていた。

いきなりのたかが執事への様付けも驚かされたが、しかしこうして間近で見てみると、ミリアなる少女もなかなかの美人である。

ここ12年間というもの絶えず絶世の美女であるスカーレットや、その妹であるマーガレットばかり見て来ていたから少々感覚が狂っていたかもしれない。

この場では冷静に……と思っていたものの、こうも間近にうるんだ瞳で見つめられ、服の裾など掴まれると、なんだかこう、グッとくるものがある。あと、すごくいいにおいがする。さすがは貴族のご令嬢だ。


「………」

「………アルフ様?」

「あ………申し訳ありません。」

「どうかなさいまして?」

「あぁいえ………その………少々ミリア様に見惚れておりました」

「なっ……!! ま、まぁっ♡ そんなっ……♡いやだわ……そんな……ど、どうしましょう……私こんな質素なドレスで……」


服を掴んでいる手にはさらに力がこもり、もう片方の手で真っ赤になった頬を抑えながら、ミリアはこの上なく嬉しそな表情を浮かべて微笑んでいる。

質素なドレスで…というが、上品な淡い青のドレスの値段は、売れば平民の家族が1年間は食いつなげるようなものだろう。

正直当初予定していた問題解決の方向とはだいぶずれてしまったものの、こうなれば怪我の功名というか、やけっぱちだ。

この世界の住人が歯の浮くようなセリフを好んでいることは事前調査済み。

毒を食らわば皿までといったらミリア嬢には失礼だが、とにかく今の最優先事項はスカーレットをこの場に登場させない事。

もはや自分がどうなろうと関係ない。


「ご謙遜を仰る。本当によく着こなされていてお美しい。入学式に合わせてご新調成されたのでしょう。そのドレスもミリア様に着こなしていただいて本望に違いありません」

「お、、お口が上手でいらっしゃるのね……わ、私なんてそんな………取り立てて美人というわけでは……」

「本心でございます。きっと私の今夜の夢には、ミリア様の今日のお姿が浮かぶことでしょう」

「まぁっ……♡ そんなっ………あ、アルフ様こそ……すごくお綺麗なお方で……あ、ご、ごめんなさいっ。殿方に綺麗というなど失礼でしたね」

「いえ、大変光栄にございます」


ちらりと視線を向けた先では、先ほどから固まってしまったかのように動かないエルザの姿。

そりゃまぁそうなるだろうとも思う。

馬車にひかれ掛けて怪我をするという怖い思いをし、さらに貴族の…しかも伯爵令嬢に難癖をつけられていたと思ったら、その伯爵令嬢はさっきとは打って変わって別人のようになって突然現れた男といちゃつき始めたのだ。


「それで……一体なにがあったのでしょう。トラブルがあったようですが?」

「あ………い、いえ……その………」


今こんな展開を見せるのは今後の計画に………エルザを自分に惚れさせるという計画に支障が出てしまうかもしれないが、そもそも賭けに近い計画で最優先事項ではない。

ヒロインは惚れっぽくない可能性については考えていたし、そもそも人の恋愛感情なんて確実なものじゃない。

もしそうなったら儲けものくらいのつもりでいたのだ、別に今ここでそれを惜しむこともない。


「そちらの方は……怪我をしていらっしゃるようですね。大丈夫ですか?」

「えっ!!? あっ、は、はいっ!!全然大した怪我では………」

「まぁ大変!!!怪我をなさっていましたのね!!!!すぐに執事に手当を……!!」


こちらがエルザに注意を移すと、目の前のミリアは途端に顔色を青くして慌てふためき始めた。

今まで怪我に気付いていなかった訳がないのに、今しがたそれに気づいたようにしてエルザの足元に屈みこんで見せたのだ。

トラブルについて追及をかわすには、エルザの怪我で騒ぎ立てるのは好都合と踏んだのだろう。

こちらに背を向けていてミリアの表情こそうかがい知れなかったが、ポカンとした表情でそれを見つめていたエルザが一瞬顔色を青くしたのを見るに、小声で何かを囁かれたのは明白だった。


「ミリア様、僭越ながらそちらの女性の怪我の様子を私が見ても構いませんか?」

「えっ? あ……いえ……ですが……」

「これでも医療魔術をかじっておりますので、もしミリア様に失礼でなければ……ですが」

「ま、まぁ! 医療魔術を!? それはまた随分と貴重な……」


失礼します、と一礼をしてエルザの前に屈みこむと、ミリアはこちらと入れ替わるようにして立ち上がっていった。


「………」


傷は確かに大したこと無さそうだ。

ゆっくりと視線を上げると、こちらの事を見つめていたエルザと目が合い、彼女の肩がビクリと震えるのが分かった。

キュッ……と唇を結んだまま青い顔をしているのは、ミリアに余計な事を言うなとでも言われたからだろうか。


「私はアルフ・ルーベルトと申します。オズワルド家に仕える一介の執事に御座います」

「なっ……オ、オズワルド様のっ……!?」


エルザに向けて掛けた言葉に反応したのは、こちらの背後に回っているミリアの声。

エルザが時折恐怖したような表情でそちらをチラチラとみるのは、ミリアがエルザの事をじっと睨みつけているからに違いない。


「治療するにあたり、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「っ………!」

「どうされました?」


やや中腰になって少しエルザへの距離を詰める。

この位置ならば、今ミリアが立っている場所からは視線を遮れるはずだ。

ミリアへの恐怖から治療を受ける事を躊躇っていると思っての行動だったが、しかしエルザは思ってもない台詞を口にしてみせた。


「あ、あの治療は結構です……」

「………どうしてでしょう? 理由をお伺いしても?」


そう言うと、今度はしっかりとエルザがこちらの瞳をまっすぐに見つめ返してくる。

未だに顔色は悪かったが、その瞳は澄み切っていて、不思議な感覚が胸の中に湧き上がってくるようだ。

これが……ヒロインパワーというものなのか?


「わ、私の家は貧しくて………治療費をお支払いできません……」

「………はい?」

「これくらいの怪我ならすぐに治ります。で、ですのでせっかくのご厚意はありがたいですがっ……」

「まぁっ!?なんて失礼なっ!!!」


あぁ………。そういえばこの子貧乏設定だったなぁとか思い出しつつも、


「ははっ!」

「っ!?」

「ア、アルフ様?」


存外に芯はしっかりしているというか……図太い性格をしているんだろう。

青い顔をしつつもきっちり金の算段までできるなら、そりゃぁこの後に起きるかもしれない凄惨ないじめに耐えられるはずだ。


ひとしきりクツクツと笑った後に「失礼しました」と言ってエルザの瞳を見つめ返して微笑むと、明るい茶色の髪の少女は訳が分からなそうな顔でポカンとこちらの事を見ていた。


「名前を聞いたのは代金の取り立てに行くからではありません」

「………え?」

「そもそも金銭を要求するつもりなんて全く御座いません。」

「え………で、でも……医療魔術は非常に希少なものでは……」

「私が医療魔術を身につけたのは、スカーレット・オズワルドお嬢様からの命によるものでございます。このように、誰かが困っていたら救いの手を差し伸べられるようにせよと」


全くのでたらめではあるが、まぁ別に構わないだろう。

「まぁ……」と感銘を受けた声がミリアの方からも聞こえてくるし、スカーレットの評判は上げておくに越したことはない。


「で、でも………私の不注意でした怪我ですし……。それに医療魔術は怪我の大小に限らず物凄い負担が身体に掛かるとも聞いたことが………私なんかの為にそんな貴重な魔術を使っていただくわけには……」


しかしそれでも目の前のエルザは施しを受ける事に抵抗があるらしい。

はっきりとしない態度にため息が出そうになるが、それは背後の貴族様も同じなのだろう。

一瞬小さく「チッ…」という舌打ちが聞こえてきたが、聞かなかったふりをするに限る。


「それでは……私の後方、5つ目の馬車が見えますか?」


そういうと、エルザはキョトンとした表情を浮かべ、こちらの肩越しに後方へと視線を向けた。


「そこに純白に赤いバラの装飾を施した豪奢な馬車がございます」

「は、はい……確かに………」

「その馬車に乗って、今こちらを睨みつけているのがスカーレット様に御座います」

「に、にらみ………?あ………た、たしかに………馬車の窓から……」


やっぱり睨んでたか………。

どうせそんなこったろうとは思っていたが、あまりにも思い通りの行動を取っているスカーレットお嬢様が少し愛おしく思えてしまう。


「私がここにはせ参じたのは、人の役に立ってこいとのスカーレット様のご命令によるものです。」

「は、はぁ………」

「スカーレット様は貴族としての責務に厳格な方であらせられます。常日頃から、救える者を決して見過ごそうとはしません」

「………」


一瞬エルザの綺麗な形の眉がゆがんだ気がしたのは、見間違えでは無いだろう。

基になったゲームの設定では……彼女の家はそういった貴族の偽善によってだいぶ苦労をさせられているはずだ。


「ですので、怪我をしたレディをそのまま放置してきたとあっては、私が怒られてしまうのです」

「そ、そんなっ……大丈夫ですわアルフ様っ!スカーレット様には私からくれぐれもと頼みますから………ちょ、ちょっとあなた!治療魔術をしていただくにしろしていただかないにしろ、何か言ったらどうですのっ!?」

「………」


僅かに俯いて顔を青ざめさせていたエルザは、やがてキッと表情を引き締めて顔を上げると、ようやく「で、では……」と言って怪我をした膝を立てて見せた。


「では………ご厚意に甘えさせていただいてよろしいでしょうか………」

「はい、勿論です」

「わ、私………」


出来るだけおびえさせないように、できるだけ裏表が無さそうに柔らかく微笑んで見せると、エルザはほんの少しだけ頬を赤くして俯いた。


「私は………エルザ・クライアハートと申します………」


治療に有した時間は、ここまでグダグダと喋ってきた時間の10分の1にも満たないような時間だった。





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