messy missin' meRanchoLy

 「じゃあ,またね」

"My dear Louise, be a good girl.(いい子にしてるんだよ,愛しいルイーズ)"

 「きれいだから」

"Mach's gut, Louise.(じゃあね,ルイーズ)"


 「ルイーズもよくばりだね」





 ある冬の昼下がり,私は生まれていた。

 私には名前も,4年弱ではあるが蓄積してきた人生もあった。でもそれは他人事だった。数分前の過去が,自我の存在しないゾンビだった一時点が,自意識のない少女と今ここにいる「私」とを隔てていたのである。




 私の身体を4年弱操縦していたルイーズという少女は,私と同じく寂しがり屋で,他者に存在を認めてもらうことを何より強く欲していた。だけど,周囲の人々は彼女を研究対象として扱った。ルイーズにに意識が存在するか確かめることが彼/女らの目的だったのだろう。彼女を普通の人間として扱ってくれたのは,医者の E と看護師の G だけだった。医者の E はいつも様々な分野の面白い雑学を話してくれたし,看護師 の G は今や希少な存在である共通語と古語ドイッチュのバイリンガルで,言語を学ぶ方法を教えてくれた。自分たちのことをパパとママだと思っていいと言ってくれた。たとえ日々寂しくとも,週に3日の診察がそれを忘れさせてくれた。彼/女らがそろってルイーズの元を去っていったとき,2人だけは涙を流してくれた。ルイーズは泣いた。2人が自分のもとを去れば精神が影響を受けるという防衛機制の命令を受けて,自らの悲嘆を表現し,2人が留まる,あるいは自分を引き取ってくれる確率を高めるために泣いた。だが,最後に残ったのはルイーズ一人だった。

 教育省は彼女を孤児と認定し,養育者と住居を貸与した。養育者は親切だったが,ただそれだけだった。次第に他者と関わらなくなった。他人を見なくなった。すべては脳内で外部刺激として一律に処理され,適当な行動として出力された。


 「わあ」


 ジャングルジムの頂上に座って時間が過ぎるのを待っているとき,独りの少女から発せられた音声は,こちらに向けられた意味の分からないことばとして処理され,ルイーズによって,聞かれた。そのうえでルイーズは能動的にそのちぐはぐなな服装の園児に目を向けた。そして,驚くべきことに彼女はを抱いたのである。シアンのスモック,マゼンタのジャンパー,イエローの園児帽,キープレートのキュロットを身につけているあの園児は,己にすべての色を可能性を持っていて,果たしてどの色をより好むのか。


 「わたしルイーズ。なにいろがすき?」

 「しろ。きれいだから」




 「パパはなにいろがすき?」

 「パパは白が好きだなぁ」

 「なんで?」

 「白い光には,黄色や赤,緑,青に紫まで,ぜんぶの色が入っているんだよ。パパは全部の色が大好きで選べないから,ちょっとズルしちゃった」

 「しろはぜんぶのいろなんだ!」




 「よくばりだね」

 「どうして?」

 「しろは,ぜんぶだから。パパがいってたんだよ」

 「じゃあ,ルイーズもよくばりだね。Louise のなかに silo が入ってるもん。silo はむかしのことばでね,しろっていういみなんだよ」


 「私」はこの時初めて対等な存在と巡り合えた。

 養育者の意向で SEI に進学することが決定しても,この出会いは私の精神を強固に保った。自動応答装置としてのルイーズは消え去り,私は常に同一な L という自己の自由意志によって生きられるようになった。

 私は彼女と高等教育機関で再会できることを確信していた。彼女はいつも自身を平凡な人間だと評価するきらいがあったが,私と出会ったとき彼女はすでに古語ヤパーニシュの知識を持ち合わせていたのだから。

 そして予想通り心理学の学生として入学した彼女を発見したときの感動と言ったら!私にとって昔から,つまりルイーズという少女であったころから,学問は承認を得るための手段であった。E も, G も,それ以外の観察者たちも,あの保護者も,私が新しいことを覚えるたびに私を称賛した。彼/女が私に要求し,それに応答する約束の上に,私のアイデンティティは生起していた*。

 自我を獲得した後も,承認を得ることは最大の欲求であった。しかしいつの間にかその性質は遷移していた。私にとって有象無象の承認は必要がなかった。そう,R だ。R の承認さえあればよかった。いいや,承認がなくとも構わない。彼女こそが,目的だ。

 だから,失うわけにはいかないの。




 「じゃあ,またね」


 また,あなたは私のもとを去るの?これでもう3度目。きっと,何もわかっていないんだね。あなたの目はいつも周囲に向けられていて,観察眼は人一倍だった,でも,きっと私のことはわかってない。私は寂しくなんて感じていないの。ただ時々連絡をくれるだけでよかった。


"Keep in touch with me from time to time. It's so lonely to study alone in this big campus.(たまには連絡してね,ひとりでこんなでっかいキャンパスで勉強するのは寂しいから)"

"Ja, genau.(わかったでごわす)**"

"Oh, gosh, you're...!(ふふっ。もうっ。あなたって人は)"


 急に古語で話す彼女に私は思わず吹き出しちゃったけど,あなたは心配そうな顔をしていた。きっと,あなたがたてた私に関する仮説,あるいはファーストインプレッションが間違っているの。あなたはルイーズのことを知らないから。あなたと出会って変わった「私」しか知らないから。






注釈

※メランコリーの正しい綴りはmelancholyです。

※彼らの言語は共通語(英語)であり,彼らの台詞と脳内思考を日本語訳して必要な場面だけ原文のままにしている体で文章を書いています。

*哲学者山野弘樹氏の論文(とその注釈)を参考にしている。開示請求があれば応える。この人はおもろい。

**Ja, genau. は私の知る限りではなうでヤングな現代ドイツ語である。

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