the eyes back to black

 「――もしもし,ああ,聞こえるかな,実験は成功したよ。あなたのおかげ」


 数十年来の友の声がデバイス越しに聞こえる。ああ,この子は変わらないな。たとえデバイスに映しだされる親友の姿を見なくても,彼女が今どんな気持ちなのかわかる。だから,わかってしまう。彼女は変わってしまったのだ。


 「どこか,体に違和感とかはない? R はいっつもそういうこと教えてくれないから。いくら転送技術は既成のものだといったってデジタルツイン――うん,新しいアイディアを導入してるわけだから,絶対に問題が起こらないわけじゃない。本当に何もない?」


 白くて清潔な研究室の中,空っぽの卒業証書入れのようなカプセルの中から,私は目の前で両手で大事そうに通話端末を掲げる研究者の奥,光の反射でよく見えない部屋を見つめつつ,うん,とだけ答えた。




 L は昔から研究のことしか眼中にない,よく言えば研究者の鑑,悪く言えば子供のような子だった。私と彼女が初めて出会ったのは,冬の昼下がり,保育園のジャングルジムの上だった。別のルームに所属していた彼女とは入園後も関わる機会はなかったのだが,外遊びの時間,私のルームと彼女のルームが一緒に遊ぶことになり,未来の科学者たちは初めての対面を果たした。彼女は保育園児にとっての偉大な山から,私を見下ろしていた。皆が浮遊板,空気中にふわふわ浮かぶのりもの,やロールプレイ,俗にいうままごと,に興じるなか,彼女は尊大な態度で,自身を見つめる独りの園児に目をやった。


 「なにいろがすき?」


 彼女のための玉座は,さまざまな色の棒が組み合わさって作られた,歴史のある遊具だった。太陽の光が彼女と玉座を照らし,青いスモックとオーバーサイズの白いジャンパー,子供用のキュロットも相まって彼女はあたかも同じ名前の,太陽の名前を冠する王様に見えた。


 「しろ」

 「なんで?」

 「きれいだから」


 お気に入りのピンクのジャンパーを羽織っている私は,別に白など好きではなく,ただなんとなく,いま目を覆う色を答えた。


 「よくばりだね」

 「なんで?」

 「しろは,ぜんぶだから」

 「なんで?」

 「パパがいってた」


 記憶力が秀でていた彼女は,一度聞いたことを決して忘れなかった。だからだろう,彼女は保育園を出た後,ほかの園児とともに法定教育機関(LEI)に入学した私とは違って,特に優れた才能を持つ児童を教育する特別教育機関(SEI)からの招待を受けて入学した。あの日以来私と彼女は一度も言葉を交わすことはなく,その次は十数年後,高等教育機関において,心理学の生徒と数理学の生徒としての再会だった。




 あの,才能にあふれた少女Lは,いまも変わらずデバイス越しに私に話しかけてきている。彼女は,私を見つめている。彼女の眼は私に直接は向けられていないとしても,確かに今ここにいる私を見つめている。でも私は,彼女がいま私を見つめている理由を知っているのに,わかりたくない。


 「移動中の感覚は,普通の転移装置と何か違った?変わらないかな」

 「大丈夫。私はあんまり転移装置が得意じゃないから,ちょっと転移酔いしただけ。いつものことだから」

 「またそんなこと言って。Rが大丈夫っていうときだいたい大丈夫じゃないでしょう?」

 「大丈夫って言わなかったらL,すぐ気が動転するんだから。忘れたわけじゃないよね,ソフォモアの第一ターム,あなたレポート3件抱えて……」

 「だからっ,それは忘れてって!」


 


 「なにいろがすき?」


 そう問いかける L の眼は,私を見やっていた。吸い込まれそうな真っ黒の瞳は鋭い流線型のカヌーのように私の奥深くを通り抜け,学問の深淵に突き刺さろうとしていた。そう,「深淵を見つめるとき深淵もまた見つめている*」とはよく言ったものだ。私も L も深淵に魅せられていたのだ。L の眼はただの一度も私のことなど見つめてはいなかった。シアンのスモックにマゼンタのジャンパー,そして黄色い園児帽という甚だちぐはぐな服装の私の奥に横たわる彼女の人生のキー・プレートをこそ見つめていたのだ。




 「ごめんって。この話をすると,L はいつもいい顔をするんだから」

 「うわぁ,サディスティック」


 にこやかな表情の研究員の手のひらに収まるホログラムの L はあの日のように,私を見下ろしていた。白いガウンを身につけている私,そんな私を覆うカプセルの奥を見つめる彼女の瞳は,真っ黒な湖面を滑っているかのようだった。

 やがて一人の研究員が私とは別の装置で転送された衣服を手にやってきて,ドアを開いた。


 「 R さん,お疲れさまでした。実験にご協力いただき本当にありがとうございました」

 「十分なデータはとることができましたか?」

 「ええ,素晴らしいデータが集まりました。きっとこの技術は実用化... され,人々の役に立つことと思います」

 

 私はそうですか,とだけ答えてカプセルのハッチを押し広げ,外に出た。振り返るとそこには,ただ空っぽになった銀色のタマゴだけが置かれていた。


 「L ,今日一日は経過観察のために研究所の宿舎に泊まってね」

 「うん。ありがとう,R 」

 「どうして L がありがとうっていうの?うん,まあ,今日は本当にありがとう。謝礼金はいつもの口座に振り込んだからあとで確認して。じゃあ,またね」

 

 ホログラムの L は目を細めてこちらに手を振っている。私は昔より幾分落ち着いた色味のコートを羽織りながら,少々遠慮しつつ手を振って,真っ白な研究室を後にした。






注釈

*「深淵を…」はニーチェの有名な言葉の日本語訳を少し改変したものである。風評被害のひどい格言。

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