四、人間五十年

 永禄二年――、秋。

 尾張三山の紅葉が始まり始めたこの日、清洲広間に織田家重臣が集められた。

 おそらく議題となるのは美濃の斎藤義龍、駿河の今川義元、はたしてどちらを優先して戦うのか――だろう。

 斎藤義龍は京での一件依頼動く気配はなく、やはりじわじわと押し寄せてきている今川との戦いを優先すべきだろう。

 ゆえに信長は、鳴海城周囲に築かせた丹下砦たんげとりで善照寺砦ぜんしようじとりで中嶋砦なかじまとりでら三つの他に丸根砦まるねとりで鷲津砦わしづとりでを築かせた。

 これを可能にしたのは、笠寺の地にいた今川側だった国衆や城が織田側に落ち、今川側の城が鳴海・大高おおだかの二つのみになったからであろう。

 それに元々は、織田側の城だったのである。

 

「大高の様子は?」

 信長の問いかけに、柴田勝家が答える。

「そろそろ兵糧ひようろうも尽きようというに、未だ降伏の兆しはございませぬ」

こちらが砦を築いたことによって兵糧の補給が困難になるかと思いきや、敵はなかなかしぶとい。

 続いて言葉を発したのは、丹羽長秀である。

「殿、大高城の主は、鵜殿長照うどのながてるという男だと聞いております。なんでも義元公の甥とのこと」

「義元はますます、自分が出ていかねければならなくなったというわけか……」

 

 今川義元が出てくる――、これに対し信長は楽しそうに口の端を上げた。

 尾張を手に入れることを今川義元が断念していなければ、義元自身出てくるというのが信長の考えらしい。

 確かに笠寺の地をほとんど手中にし、尾張侵攻の足かがりとしたとする今川義元が、ここで諦めるとは思えない。

 恒興は、視線を上げた。

 

「殿」

「決戦の日は、そう遠くはないな」

「問題は、その今川義元本隊がどう攻め上ってくるかでございます」

「奴は間違いなく、鳴海と大高を死守するためにやって来る」

 信長の再度の断言に、居並ぶ重臣の顔が厳粛げんしゆくかつ、強張っていく。

 果たして、決戦の日はいつなのか――。

 


 夜――、広間に恒興と二人だけになった信長は、珍しく舞を舞った。

 ある人物から教えてもらったというその舞は、幸若舞こうわかまい敦盛あつもり】という名なのだという。 幸若舞は武家達に愛好されている芸能で、武士の華やかにしてかつ哀しい物語を主題にしたものが多く、これが共鳴を得ているらしい。

 なかでも『敦盛』は好まれているという。

 敦盛の唄となった題材は、源平合戦の「一ノ谷の戦い」だという。


 

 一ノ谷合戦で、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめたという。

  平清盛の甥で平経盛たいらきようもりの子にして笛の名手でもあった平敦盛たいらのあつもりは、退却の際に愛用の漢竹かんちくの横笛を持ち出し忘れ、これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまったらしい。

 そこに源氏方の熊谷直実くまがいなおざねが通りがかり、格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、平家の有力武将であろうと踏んで一騎討ちを挑んだという。

 敦盛はこれに受けあわなかったが、直実は将同士の一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫いはくしたという。

 

 多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は直実との一騎討ちに応じた。

 しかし悲しいかな実戦経験の差、百戦錬磨の直実に一騎討ちでかなうはずもなく、敦盛はほどなく捕らえられてしまう。

 直実がいざ首を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、元服間もない紅顔の若武者。名を尋ねて初めて、数え年十六歳の平敦盛であると知る。

 

 直実の同じく十六歳の子・熊谷直家くまがいなおいえは、この一ノ谷合戦で討ち死にしたばかりだったらしい。 我が嫡男の面影を重ね合わせ、また将来ある十六歳の若武者を討つのを、直美は惜しんでためらったが、それを見た源氏諸将が敦盛の首を討たない直美を訝しみはじめ、直実はやむを得ず敦盛の首を討ち取ったという。

 一ノ谷合戦は源氏方の勝利に終わったそうだが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめたらしい。

 

 合戦後の論功行賞ろんこうこうしようも芳しくなく、同僚武将との所領争いも不調。翌年には屋島の戦いの触れが出され、また同じ苦しみを思う出来事が起こるのかと悩んだ直実は世の無常を感じるようになり、出家を決意して世を儚むようになったという。

 そのとき世をはかなんで唄ったとされるのが、敦盛なのだという。



? 人間五十年 

 下天げてんの内をくらぶれば 

 夢幻の如くなり

 ひとたび生を受け 

 滅せぬもののあるべきか

 


このとき――、信長はどんな心境だったのだろう。

 腰に差していた蝙蝠扇かわほりおうぎを開き、まっすぐ前を見据えて舞う信長は。

 亡き父・織田信秀の遺志だという尾張平定、そして宿敵・今川義元の打倒。その一つ、尾張平定は数々の困難の末に成し遂げた。

 敦盛では「人間五十年」と唄っているが、信長はまだ二十五歳である。

信長いわく「人間五十年」とは 人の世の意味であり、また人の世における五十年の意味らしい。

「俺も深くは知らないが」

 そう笑う信長に、恒興はいう。

「信長さまは、これからでございます。世を儚むのは早すぎまする」

「お前は相変わらず、クソ真面目だな? 勝三郎」

 揶揄やゆし笑う信長だが、彼の歩みはこれからも続くだろう。

やがて冬となれば、尾張はまた雪に閉ざされる。


「勝三郎、俺はまた一つ、やりたいことができた」

 酒膳を運び入れ、月を肴に盃を傾ける信長はそういった。

「やりたいことでございますか?」

「そうだ。今川義元との戦いがおわったあとにな。だから、この戦いは負けるわけにはいかない」

「なにをされるのでございます?」

「そうだな。天下でも取ってみるか」

「は?」

 唖然とする恒興の前で、信長は昔と変わらぬ顔で笑った。

 そして――。

 

「食うか食われるかのこの戦乱の世で、人の一生ははかない。いつ誰が敵となり、首を狙ってくるかわからん。それがたとえ身内だろうとだ。俺には敦盛の首を討たねばならなかった熊谷直実の気持ちが少しはわかる気がする」

 

 おそらく、亡き弟・信行のことを思っているだろう。

 織田弾正忠家の家督争い――、それを終わらせるため、信行は信長に襲ってきたという。

 もちろん周りにはいざというときのために家臣が潜んでいたが、信長は呼ばなかった。

 身を守るとはいえ、弟を刺した信長の心境はどんなであったか。

「天下を――、天下をお取りになれば良いではございませんか」

「そうなると、もっと敵が増えそうだな? 勝三郎」

 信長は、そう笑った。


                 ◆◆◆


 その日――松平元康まつだいらもとやす(※のちの徳川家康)は、大高城にいた。

 大高城は伊勢湾に面した段丘上に位置し、二の丸からは熱田、本丸からは敵の鷲津・丸根砦が見える。

 元康がこの大高城にきた目的は、兵糧を届けるためである。

 もちろん大高城は、織田軍の砦によって包囲されている状況である。

 兵糧を運び込むには、この包囲を突破する必要があった。そこで元康は、鷲津砦と丸根砦の間を突破して、無事に小荷駄を城中に送り込んだ。

 兵糧に窮していた大高城代・鵜殿長照は、これを歓迎した。

 

「おお、良く来られた。元康どの」

「お屋形やかたさま(※今川義元)のご指示で、参りましてございます」

「うむ、大儀である。よく織田に気づかれず来られたのう? さすがは、お屋形さまが寵愛されることはある。して、お屋形様はいつご出陣なされる?」

「来年の春過ぎ――と聞いております」

「左様か」

 

 実はこのとき元康は、義元に言われたことで鵜殿長照に告げていないことが一つある。

 それは、この大高城代の交代だ。

 義元がなぜ鵜殿長照を城代から外すのか定かではないが、元康にその役が回ってきた。

 かつて尾張にもいたことがある元康、信長と戦うことになるとはその時は思っていなかったが、これも運命かも知れない。

 竹千代と名乗っていた頃――、織田家の人質となっていた彼を信長は木曽川に連れ出し、川に放り込まれたこともあれば、岩魚を共に食べたこともある。

 憤慨する竹千代の側で、呵々と笑う信長の顔が脳裏に蘇る。

 来年――、雌雄を決する戦いが始まるだろう。

 元康は一切の私情を捨てて、戦おうと決意した。

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