第9話 自転車

 気がつけば、自転車に乗っていた。


 補助輪をつけて乗りはじめ、だんだんと補助輪が上に上がり、やがてそれが取れたときはとても嬉しかった。


 同時に、補助なしの自転車だけでも練習していた。そんなに何台もなかったとは思うのだが、姉の自転車だったかどうか、よく覚えていない。


 自転車に乗るようになり、行動範囲が広がった。


 昨日書いたあだちくんのお店にも、耳鼻科の大谷くんの家にも、自転車で遊びに行くようになった。


 赤松公園で毎日開催されていた野球の練習も、もちろん自転車での出勤である。後部の荷台のステーにバットを差し込み、ハンドルにグローブをかけ、スポークの中にAと書かれた軟球を挟み込み、赤松公園に出勤した。


 当時の私の自転車は、小さなものだった。荷台はあったけれど前にかごなどはない、子供用の普通の自転車。電池式のブザーと、ダイナモとヘッドライトを装着し、更にサイドミラーも取り付けて、自分なりにカスタマイズしていた。


 ある日、子供心に衝撃が走る。


 クラスメートのとうじょうくんが、新しい自転車を買って、いつものクラスの集まりにやってきた。


 この自転車が凄まじい。


 少し下がった独特のセミドロップハンドル。乗ると前傾姿勢になるスポーティーなフォルムに、まずは心奪われる。


 そして変速機付き。


 ハンドルとサドルを繋ぐフレームの上に、変速機を操作するギアが付いている。


 乗ってみたい。


 これだけでもうらやましいのに、何と、このとうじょうくんの自転車にはウインカーが付いている。ハンドルに付いているスイッチを操作すると、ピロピロピロピロと音がして、操作した方向にフラッシャーランプが流れる。


 荷台に装着された黒く少し大きめの箱の中に電池が入っているらしく、その電池のエネルギーを使い、電動でウインカーが点灯する。

 

 ヘッドライトは前輪を跨ぐように2つ。これもカッコイイ。


 乗ってみたいな、俺も欲しいな、と思うも、叶わぬ夢。


 この自転車はとんでもない価格で、車で言うならスーパーカー。


 庶民が買える物ではなかった。


 聞けばとうじょうくんの家は、甲州街道の向こうで旅館を経営しているとのことで、羽振りがよかった。知り合って間もなく引っ越してしまったので、あまり深い付き合いはなかったのだが、この自転車は衝撃的だった。


俺の身体も今は~

バカに疲れてるだけ~♪


 引っ越しで、今日が最後だという日なのに、とうじょうくんは別れを惜しむでもなく、西城秀樹の歌を繰り返し何度も歌っていた。


 とうじょうよしかねくん、今こうして書いてみると、とてもカッコイイ名前である。もしかすると、戦国武将の末裔なのかもしれない。



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