第25話 死が二人を分かつとも

 真鈴の葬儀は彼女の家族同然の研究員と共に行われた。

 もちろん真夜星も参加した。

 けれど何かの糸で操られているかのようにひどく機械的な動作で、葬儀の作法を執り行った。

 そして彼女の遺骨をいくつか手に入れ、真夜星は自室に帰った。

 それから三日間。


 彼は一睡もせず、一食もせず、一滴の水も飲んでいない。


 部屋の隅で三角座りをしている彼の顔のはいかなる表情も浮かんでいなかった。彼には息をすること以外の気力は残されていなかった。

 いや呼吸を自発的に行わなければならないとしたら、彼はとっくに息を止めていただろう。


 頭の中にはもはや何も浮かんでいない。

 手の中には未だ、ハンカチに包まれた彼女の遺骨が握られている。

 その感触だけが彼を現世に留めていたといっても過言ではなかった。

 

 そんな彼を動かしたのは、腹の音だった。

 空腹のあまり、腹が鳴ったのだ。人としてあまりに、いいや生物としてあまりに自然なことだった。

 けれど、今の彼にはそれさえも許せなかった。


「がぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!」


 自分の腹を思い切り殴りつけた。

 手足をむやみやたらに振り回した。遺骨が彼の手から零れ落ち、床を転がっていく。

 それすら彼の意識の外にあった。


 手当たり次第に物を投げつける。

 床を叩く。壁を殴る。蹴る。蹴る蹴る蹴る蹴る。

 ソファが大きな音を立てて、転がっていく。テレビが粉砕される。照明が破壊される。

 この程度では己の怒りを表すには足りない。

 

 もっと壊せ、そう彼の内側でもう一人の彼が囁く。

 拳を振るった。リミッターは壊れたままだ。規格外の身体能力は容易に拳を壁に貫通させた。

 手足が血だらけになってもお構いなしだった。

 ベッドが真っ二つになる。

 鏡が割れる。

 

 怒りが肉体に充満する。

 怒りをどれだけ発散したとしても、彼の体の内側から無限に怒りがわいてきた。むしろ発散すればするほど強くなっているような気がしてしまうほどだ。

 否。実際に強くなっているのだろう。


 それだけ衝動的に怒りを発散しながら、彼の脳裏には冷徹な計算があった。

 『どうすれば世界を滅ぼせるだろうか』という計算が。

 やり方はいくらでもあった。

 世界には幾つもの火種がある。その悪意をビリヤードのように連鎖させていけば第三次世界大戦を起こせるだろう。

 彼が直接手を貸してもいい。

 

 戦争とは勝てると思った時に起きるのだ。

 領土的野心を持つ国に兵器を供与して、戦争を起こさせる。

 対抗する国にも兵器を供与して、同士討ちをさせる。

 野心的国家に偽装して核ミサイルの使用権を奪取し、アメリカなどに打ち込む。

 ソレだけで第三次世界大戦は成立だ。


 ソレと同時にパンデミックも起こしてしまおう。

 時期はオリンピックがいいだろう。世界中から人間が集まる。潜伏期間は一月にしよう。

 それで世界は滅亡に一歩近づくだろう。

 一人も残すつもりはない。


 特異点AIを作り出すのもいいかもしれない。

 スカイネットみたいに自動化した兵器で人類を狩り続けるのだ。


 そんな破滅的な思考を繰り返しながら、キッチンに移る。食器棚を丸ごとひっくり返そうとして、彼は止まった。


「あ……」


 彼の視線の先には、マグカップがあった。

 東京旅行で自分たちの御土産に購入した、ペアのマグカップ。その片割れ。

 ソレが彼を釘付けにした。


「ああ、あああ……」


 彼女の遺品整理にも真夜星は付き合った。

 その中に同じマグカップがあった。彼女も大切に使ってくれていた。

 彼女は自分を『愛』していた。『愛してくれていた』。

 

 最期のテロリストの問いにも、自分を愛していると答えたから殺されたんだ。

 真夜星は絶望と憤怒に染まっていた脳髄に、悲しみとほんの少しの喜びが混ざっていった。

 ソレが決して不快ではなかった。


 愛されていた。

 自分は愛されていた。

 けれどそれにもう、応えることはできない。


 死は絶対だ。何人にも覆すことはできない。

 ソレは彼という天才にだって――。


「本当に?」


 彼の脳裏に疑問が浮かんだ。彼女の死は本当に覆せない物だろうか。

 だって、あるじゃないか。

 彼の脳髄から生み出された理論が。

 過去にも未来にも行ける。



『タイムマシン』の理論が!!



 ならば後はソレを実現するだけでいいはずだ。

 しかし彼の常識ともいうべき部分が囁く。

 あれは完全にSF世界の代物だ。一つ一つのパーツが現代の科学技術では地球の全ての資源と技術を結集したとしても作り出せない。

 一グラムの物質を高次元情報に変換して時間旅行させるのに、太陽の十五パーセントのエネルギーが必要なんだぞ?

 

 発明つくればいい。彼女のように。太陽にも勝るエネルギー源を。

 

 他にも超えなくてはならないハードルはいくつも存在する。

 30メートル以下のブラックホールはどうするつもりだ? ブラックホールは基本的にそんなに小さくならない。

 そんなものを一体どうやって見つけるつもりだ?


 発生つくればいい。彼女のように。手ごろな大きさのブラックホールを。


 いいだろう。

 造れるとしよう。それで? どうやって作り出すための資金と資材と時間を捻出するつもりだ?

 文字通り天文学的なソレらが必要なんだぞ?


 資金は発明品の特許から捻出できる。

 資材は宇宙中からかき集めればいい。

 時間は不老になる薬でも作ればいい。


 では人手はどうする? 決してそれは一人では作れないぞ? 妨害もあるだろう。それらをどうするつもりだ?

 タイムマシンなんて影響の大きすぎるモノを作ったとして、誰が使用を認めてくれる?

 もし作ろうとしても、世界中からの妨害は必至だ。

 何せ自分の都合のいいように世界を捻じ曲げられるんだからな。


 そもそもタイムマシンが未来で作られているのならば、どうしてあの時俺は少女を助けに来なかった?

 つまりできていないんだよ。

 俺はあの子を助けられない。

 なぜならそんな力はないから。


 頭の中で声が響いた。

 自分の無力に打ちひしがれる声が。


「じゃあ逆に、聞くぞ」


 ではどうだ、と彼は問いかけた。頭の中の自分へと。


「会いたく、ねえのかよ。真鈴に」


 会いたいに決まっているだろう!! 

 ひどく強い声が頭の中に響いた。

 結局彼は彼なのだ。どれだけの理想を抱いていようと、どれだけの常識を語ろうと。彼の軸はもはや決してブレることはない。


 なぜなら彼は愛されていたからだ。


 ならば後は全身全霊で『愛』に応えるのみ。

 例え世界を本当に敵に回しても――。


「あ、違う」


 敵に回す必要はないんだ。

 重なった思考と声が、ただ一つの答えを導き出す。

 世界を敵に回す必要はない。むしろしてはならない。

 利用しなくてはならない。世界中の人間を、自分の目的のために。

 そのためにはどうすればいい?

 答えはシンプル。世界を救えばいい。

 

 この先待ち受けるだろうあらゆる厄災を災害を、終末を。

 己の頭脳と発明で退け続ければいい。

 そうすれば人類は勝手に己を尊敬するだろう。称えるだろう。崇めるだろう。

 

 ソレだけではない。人類の世界を広げることも必要だ。

 太陽系内での資源の平等な再分配。恒星間航行の確立。超光速通信の開発。

 外宇宙で接触するである知的生命体との折衝も自分が中心で行わなくてはならない。


 銀河そのものを手中に収めて、ようやくタイムマシンの開発は成しうるだろう。

 ならば、成し遂げてやる。


 何十年かかっても、地球を救い続けよう。

 何百年かかっても、世界を広げ続けよう。

 何千年かかっても、銀河を繋げ続けよう。


 全ては彼女にもう一度出会うために。

 あの笑顔をもう一度見て、あの声をもう一度聞いて、あの手料理をもう一度食べて、あの匂いをもう一度嗅いで、あの温もりをもう一度感じて。

 

 

 言えなかった言葉を言うために!!

 『        』と告げるために!!

 死が俺たちを分かつとも!!

 

 彼は立ち上がる。遺骨を拾い上げて、部屋を後にする。

 語るまでもないことかもしれない。

 それでも語るとしよう。

 彼が。

 『』になるまでの物語を。

 

 

 

 

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