第24話 届かぬ言葉

「は?」


 訳の分からない問いだった。質問の内容が、ではない。質問の意図が分からなかった。


「どういう意味だよ」

「言葉通りの問いだ。この問に嘘をつけば殺す。我々の望む答えでなくても殺す。それだけだ」

「そんなことを聞くためだけに、ここまで大騒ぎを起こしたというか」

「ああ。ちなみにこの嘘発見器は最新鋭でな。どんな人物であろうと、誤魔化すことはできない」

「どう答えれば満足なんだよ」

「それを言ってしまえば――「安心しろ。答えは変わらない。こんな状況なんだ嘘をつくこともしない」

「そうか。戸崎真鈴も同じことを言ったよ」

「あの子にも同じ質問をしたのか! あの子は無事なのか!? 答えろ!」

「その問いに答える前に我々の問いに答えるのが先だ。早く答えろ」


 恐らくだが、彼らの求める言葉は分かる。

 きっと彼女への愛を否定する言葉を望んでいるのだろう。けれどソレは言えない。言うつもりもない。

 問題はソレを言った時彼女の命がどうなってしまうかだ。


「保証してくれ。俺がどのように答えようと、彼女には手を出さないで欲しい」

「安心しろ。貴様への問いにかかっているのは貴様の命だけだ」

「なら答えよう」


 一拍。

 時間を置いて俺は答えた。


「俺は彼女を愛している。世界を敵に回したとしても、彼女を愛することは止めない」


 そしてテロリストたちは大きなため息をついた。


「やはりか」

「おい、あの子はどうなったんだ? 答えろ!」

「映像を出せ」

「よいのですか?」

「構わん。もういいだろう」

「映像出します」


 目の前のモニターに映し出されのは……。



 □













 額から血を流して、赤い水たまりに沈む彼女だった。

 明らかに、致死量の血液だった。

 確定的に、死んでいた。


「は?」

「貴様の彼女も、貴様を同じ答えを返したよ」


 テロリストの男は続ける。しかし耳に入らない。


「お前たちが共謀してしまえば、協定など無意味だろう。好きなだけ世界を引っ掻き回せる。あるいはこれから生まれてくる子供を守る大義名分のもとであれば文字通り世界を滅ぼすかもしれない。我々は貴様らの理性に期待していない」


 体の奥底から熱が湧き上がってくる。


「我々は貴様らが恐ろしいのだ。必要とあらば世界を敵に回す覚悟があり、事実世界を激変させた頭脳を持ち、大いに世界に勝利しうる可能性のあるお前たち二人が。故にこの場で殺さなければならない」


 手足に熱が循環していく。代わりに脳髄だけが冷えていく。

 

「貴様らは決して愛し合うべきではなかったのだ」


 その言葉が引き金だった。

 テロリストの男の拳銃から銃弾が解き放たれる。

 その言葉が引き金だった。

 宗片真夜星の脳髄に決定的な変化が起きる。


 全てが止まって見えた。

 放たれた銃弾も、まき散らされる硝煙も、飛び散る火花も。

 そんな静止した空間だけで自分だけがいつも通りの速度で動けた。いや、いつも通りではない。自らの体を拘束していた鎖をまるで絹糸のように引きちぎって、彼は飛ぶ。

 銃弾は先刻まで彼の居た場所を貫いた。

 

 肉体にはリミッターが存在する。自分の体を自分で壊してしまわないように、脳がリミッターをかけるのだ。

 けれど今の真夜星にソレはなかった。

 彼の脳髄は灼熱を通り越して極寒の怒りに占領され、ひたすら冷徹に目の前の憎き敵を狩るためにだけに駆動する。


 貫手の形。そのまま相手の首筋に突き刺さる。頸動脈を切り裂いた。ついでに脊髄も切り裂いた。

 

「がっ……!」

「撃てぇ! 撃ちまくれ!」

 

 張られる弾幕、それら全ては止まっている。彼の主観時間に置いては。

 まるで人混みを避けるような気軽さで体を捻って、ソレだけで銃弾の雨をすり抜ける。

 弾幕を張った三人のテロリストも彼の手刀と貫手で刺殺された。

 

 血にまみれた腕を虚ろな目で彼は見つめる。

 もはや人を殺すことに対する心の動きは存在しない。いいや、もはや今の彼の精神に殺意以外の何物も存在しない。

 その衝動に従って彼は動き出す。

 

 結論から言おう。

 テロリストは殲滅された。素手の彼によって。

 理由はいくつかあるが最も大きな理由はただ一つだ。

 宗片真夜星は人質の存在を完全に度外視した。

 ソレだけで彼の勝利は確定的だった。



 □



 そして。

 彼は。

 彼女の亡骸のもとにたどり着いた。


 目が虚ろだ。彼も彼女も。

 真夜星の目は、深く暗い穴底のようにあらゆる光を飲み込むような恐怖を催す暗闇があった。

 しかし真鈴の目のは、何もない。

 本当に何もない。

 

 瞳孔が開き、収縮はせず、真夜星を目の前にしてその目が驚きや喜びに形を変えることはない。

 真夜星は力なく膝を落とす。

 そして少女の首筋に触れた。きっとすべて何かの間違いで、脈があるはずだと信じたかったからだ。

 しかしそんなものはない。


 ただ人の体にあるまじき冷たさが指先に返ってくるだけだ。

 死んでいる。

 確実に死んでいる。

 どうしようもなく死んでいる。


「ま、すず……」


 ひどく掠れた声を絞り出すように彼は出した。

 その呼びかけに少女は答えない。唇は色を失い、動くことはない。

 少女の亡骸を、血に汚れることも気にせず抱き寄せる。


「真鈴」


 再び名前を呼ぶ。これには意味はない。意味のないことだと分かっている。それでも呼ばずにはいられない。

 もう答えることのない彼女に。あの鈴の音を鳴らすような美しい声で、声帯を振るわせることのない彼女に。それでも呼びかけずにはいられないのだ。


「真鈴! 真鈴!!」


 頭では理解している。自分の今やっていることはみっともなく亡骸に縋っているだけの無意味な行為だと。

 けれど心が認められないのだ。

 彼女の死を。


「起きてくれ! 真鈴!!」


 虚ろなはずの目から涙があふれていた。まだ自分は泣けたのかという、場違いな感覚が脳裏にあった。

 

「お前がいない世界なんて嫌だ! 起きてくれ!! 俺を置いてかないでくれ!!」


 心がひび割れていく。

 亀裂が走っていく。死んだ彼女に呼びかけるたびに、そうなっていく。

 頭がソレを理解していた。けれど止めることはできなかった。


「頼む……! 頼むから……!! 起きてくれ……!!」


 少女の亡骸を力いっぱい抱きしめて、叫ぶ。胸の奥にも暗い絶望が広がっていく。

 心臓が鼓動を打つたびに、己を責め立てる。

 なぜ生きている。なぜ俺は死んでいない! なぜ彼女は死んでいるのに! 俺だけが生きている!!


「真鈴ぅぅぅぅぅぅぅううううううううううう!!」


 彼の慟哭だけが、心の断末魔だけが、研究所内に虚しく響いた。



 □



 死者百六十二名。

 負傷者三百二十八名。


 世界最悪規模のテロは、数百人の死者を出しながらも当初懸念されていた粒子加速器の暴走という最悪の結末だけは避けられた。

 

 表向きにはそうだった。

 

 しかし世界中の首脳は恐怖していた。

 天才の片割れ、その死亡。戸崎真鈴という人間が死んでしまったこと。

 彼女の死自体を悼みはしたが、それ自体は彼らにとって些細なことだった。元々人類には過ぎた叡智であると考えていたのだ。死んでしまったことは残念だ。が、それ単体で今すぐ世界が滅ぶということはない。


 問題は宗片真夜星が生きていることだ。

 彼は生きている。死んでいない。彼女を目の前で失った彼は自殺していない。ただ一人自室に閉じこもっている。


 絶対的に人類そのものに激怒という表現すら生温いほどの怒りを抱いているであろう彼は、今も生きている。


 何のために?

 世界の首脳たちは確信していた。

 この世界は滅ぶ。

 愛する者を失った、たった一人の少年の怒りによって。

 

 彼の叡智ならばソレができるだろうと考えていた。

 人を殺す発明を生み出し、人を殺す理由を生み出し、人を殺す機会を生み出す。

 人類を扇動して、先導して、第三次世界大戦を起こしうるだろうと。

 あるいは既に彼の行動は始まっているのかもしれないと。


 世界は恐怖していた。

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